2009年09月29日(火) |
生活の隅々に入り込むゲーム的思考 |
早稲田大学の投資サークルOBらのデイトレーダーグループによる相場操縦疑惑で、グループが親族名義を含む複数の証券口座を使い、株取引を行っていたことが28日、捜査関係者の話で分かった。うその買い注文を出す際、名義を分散するなどして、不正な株価操作の発覚を逃れようとした疑いがあるという、というニュース。
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大学に投資サークルなるものが存在するのか、と、まずそこで驚きである。 何のために?
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このOBの人達は、投資で金を増やしたとして、一体何に使うんだろうか。 難病の治療のために多額の金が必要なのだろうか。 あるいは、油田の開発でもしようと野望に燃えているのだろうか。
それとも、ただ増やすことが目的だったのか。
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私たちの社会は、もう十数年も、ゲーム的思考で埋め尽くされている。 与えられたレギュレーションの中で、何かと戦ったり、勝負したり、 点を稼いだりすることに、無意識のうちに訓練されている。
「ゲーム」は、人と人との緊張を開放する遊びという、元々の役割を遠く離れ、 生活の隅々に入り込み、優劣や競争心理を生み出す思考のシステムになった。
現代というのは、そのように訓練−教育−された人間集団が社会を形成しているに他ならない。
私達は、歯の磨き方から箸の上げ下ろしに至るまで、勝ち負けという結末を求め、 誰に勝って誰に負けているかで自分の「立ち位置」を推し量る。
一方で、自分でゲーム−挑戦−をつくり、挑む能力は衰退し、 定められたレギュレーションなしには生きていかれなくなっている。
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こんなことを背景においた上で件の事件について言うと、「金稼ぎ」というのは究極のゲームとなる要素があって、うっかりすると自分のレギュレーション−人生−を作り出せない未成熟な人間の玩具になってしまう。
そういう風に、私は考える。
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どうすれば、この干からびたゲーム的思考社会から抜け出せるか。
これは多分、どうすれば人々が幸福になるかと同義である。
2005年09月29日(木) 2004年09月29日(水) ルナティックタイフーン
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