浅間日記

2009年08月21日(金) オーボエおじさん

新聞のテレビ欄に、なじみの蕎麦屋の写真。
そして、宮本文昭さんが写っている。

ああ、SKFが始まったからだな、と即座に理解する。
この街で「えす・けー・えふ」と言えば、それは「サイトウキネンフェスティバル」のことなのである。
これからしばらくの間、この街は音楽関係者で賑わうのだ。



件の話、理解はするが、納得するのは難しい。


我が家においてオーボエ協奏曲はすべからく、「ミヤモト」とよばれる。
自動車のジープとか、海岸保全施設であるテトラポッドと同じで、
今日はミヤモトでも聴くか、と、いう按配で用いられる。

オーボエの音色について、この人の奏でる音以外とは生涯縁がなくてもよい、とさえ思っているし、決して聞き流すということをしない大事な音楽のひとつとして扱っている。

その愛してやまない音色の生みの親が、ウチから数分の蕎麦屋で、丸首のシャツを着て、
蕎麦の香りが絶妙ですねえ!あ、蕎麦湯もらえますか?
と言っているのかと思うと、どうにも複雑な気持ちである。

写真をみるだに、どうにも緩んでおられる。
もっとも、美味なものを食べて緩まない人はいない−美しい音楽を聴いた人と同じように−のだが、しかし、私は私の、ファンと言う立場がある。
いつ何時でもストイックであってほしいと願う心と蕎麦湯は、悲しいほど親和性に欠けるのだ。

あなたのミラノの午后はどこへ行ってしまったのですか!と詰め寄ったとして、
もうそういうことはやめたんだよ!と言われてしまうのだろうか。



でもまあこれは、SKFをきっかけとして、宮本さんほか音楽家の方々が、
十数年の間に、この土地や人間にすっかり親しんで下さっている何よりの証なのかもしれない。

夏に田舎の実家に帰ってきたようなそんな気持ちで、音楽以外のことに
はしゃいだりくつろいだりして下さるのなら、それは光栄なことなのだ。
そう、蕎麦屋は音楽ホールじゃない。

クラシック音楽にあかるくない地元の人々も、「うちの親戚にオーボエ吹く人がいてさあ」と言う感じで彼に親しみを感じていることだし、まあいいのかもしれない。

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