2009年06月26日(金) |
誰よりも怒り、唯一許容する |
熱を出しているYの周りで騒ぐAを強く叱ったら、しょぼくれて出て行った。 向こうの部屋で、どうしたら母に許してもらえるかとHに相談している。
「責任をとることだね」 「どうやって責任をとればいいのか」 「やってしまった間違いから逃げないことだね」
他人事を親心でコーティングすると、まあこんなにカッコいいことが言えるのである。
冗談はともかく、Aにとって母の私に許されないということは、ひどく不安な状態なのらしい。
この子の中にそれほど厚かましく陣取っている自分の存在を、ひどいものだと思う。
*
許さないわけがないではないか。
親というものは、子どもがどんな過ちをおかしても−兄弟げんかから凶悪犯罪に至るまで−、宿命的にそれを許す。 そういうふうにできているのではないかと、思う。
同時にまた、親というものは、子どもの過ちや不出来な様を誰よりも深く理解し、人一倍腹を立てている。
誰よりも怒っているのに誰よりも許すというのは、とてもほねがおれるのである。 胃カメラを飲み込むように、吐き出したいのに身中におさめなければいけない。
腹を立てて、許して、また腹を立てて、許す。 まったく親業というのは、−ある側面だけをみれば−、まるで何かの因業か修行かといったことの連続である。
では親でないほうが幸せかと問われれば、そんなことは全くないと迷いなく思うのだから、不思議なものだ。
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