ヒマラヤへ遠征登山にでかけるHを見送りに上京して、数日ぶりに 晩秋が近い信州にもどる。
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夫婦円満のこつは−私の考えるところによると−、趣味や考えが共通していることではない。 思いやりも必要だが、それは夫婦関係に限らないものである。
それは二つあって、まず一つは笑いのつぼが似ていることである。 ささやかな出来事から同じおかしみを感じとれることは、日常生活に飾られた花である。
もっと重要なもう一つは、嫌なものが一致していることである。 こういうのは下らないねと、はばかることなく腹の内を明かし、 その理由について分析し、回避できる安楽といったらない。
そういうわけで、私とHはもうずっと、 意味の無い権威や慣習や、脅迫に近い親切の押し付け、 そのほか沢山の嫌なものから、一緒に逃げている。
そう、夫唱婦随を我が家に摘要するならば、それは逃げ足においてである。
Hは、その手腕においては比類なき才能を発揮し、 小動物のように感知し、ガゼルのように走りぬけ、鶏のように忘れてしまう。 その積み重ねにより、今や必要があれば標高6500mまで逃げ切ることができる。 我が国が大陸にあったならば、トラップ一家のような国境越えも可能である。
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その逃げる男が再びヒマラヤへ旅立っていった。 新宿駅の湿った空気が、まだ身体にまとわりついている。
Aにとっては4度目の見送りになり、別れ際には、どうか自分のことを忘れないでくれと告げていた。
私は風邪を引いた上に、久しぶりの東京で頭がぼんやりしているうち、 ろくに話もしないまま、彼はいなくなっていた。
2005年10月22日(土) 消費者熱狂 2004年10月22日(金) はんらんの話
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