2008年06月27日(金) |
裁かれざるを得ない状況の重さ |
数日前のこと。ラジオで一瞬耳にしたニュースなので、詳細は定かでない。
長野県内で、裁判員制度の理解と普及のために、 関係者が動物に扮した寸劇形式で講座を行った、というニュース。
寸劇のストーリーは、ほぼ「かちかち山」で、畑の作物を荒らし、ばあさんを傷つけた狸の罪をどう裁くか、というお題だそうである。
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一瞬耳を疑った。動物に扮するだって? 意味が全く理解できない。
非常識という言い回しを私は好まないが、 裁判員を、被告人を、法治国家であることを、あまりに馬鹿にしている。
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私達が裁く−裁くことを強制される−対象は、狸などではない。 人である。 私が、ある人を存在させていてよいかどうか、判断するのである。
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罪を犯した、またはその疑いをかけられた人というのは、人間社会の淵に立たされている。 法律の生贄としてその自意識は虚ろであり、なすすべもない。
この、裁かれざるを得ない状況の重さ、人工的に作り出す暗闇こそが、 罪を裁くことに他ならないのだと思う。
それがなければ、死刑覚悟の犯罪がきっと増えるだろう。
動物に扮して阿呆な寸劇をしたところで、 裁かれざるを得ない状況の重さは、その欠片も伝わらない。 それどころか、逆効果である。法治はその重みを失う。
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改めて思う。 「かちかち山」で普及しなければ国民が理解できない制度など、やめるべきだ。
あまりに未成熟な社会で、人が人を裁くことの危うさを問う。
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