仕事から解き放たれ、予算や工程や納期と無縁の日々。
実にすばらしいことである。 人々が社会活動している間、こっちはひねもす赤ん坊を撫でていればよい。 申し訳ないが、実にすばらしいことである。
さらに、嫁さんと子どもを里へ帰した亭主でさえ、 こうもやりたい放題ではないだろうというような、怠惰な生活。
衣類やオムツは、物干しから直接もぎとって替え、 食べ物はテーブルの上に四六時中出してあり、時々手でつまみ食いもする。 本や手紙や赤ん坊のための物は、全てワンムーブで手に届く場所に出しっぱなしとする。 これにAの描いた絵やHの山関係のやりっ放しが合わさって、 −それを定位置に戻すというサービスを私はもうしないので− 居間はぐちゃぐちゃである。
幼い我が子をひねもす抱いて暮らすのは、今生ではこれが最後になるだろう。 ふっくらした手足や頬や可愛い泣き声の、次はもうないだろう。
だから、この子が乳児でいる一分一秒が、私にはいとおしく、 まともな家事を放棄してでも、しっかり記憶に留めておきたいのである。
2004年06月20日(日) いい塩梅だ
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