「身体をめぐるレッスン」という本。 タイトルから想定されるようなカジュアルな本ではない。
人口調節のための生殖管理の歴史、 ニートとよばれる人を、その性根ではなく身体から分析した研究、 ハンセン病の歴史からみる日本の優生保護思想、 血液事業がなぜ献血になったのか、 人体や卵子や胚や胎児は、資源としてどう評価されているか、 そんなことが書いてある。
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人体の値段は頭の先からつまさきまで、既に見積もりされている。 そういうふうにしげしげと、みられている。 若い人が、容姿について値踏みされるように、 体液を、組織を、眼球をみられている。
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自分の身体は自分のものだし、生殖に関する決定権は自分にあると、 そう正々堂々と認識するためには、 この身体は自分が使ってこそ意味がある−皆のために−と 命がけでアピールしなければならない時代だ。
* 生殖管理も、公衆衛生思想も、身体の資源化も、ここに書いてある実態は、 力なくメソメソと泣きたくなるぐらい、嫌な姿をしている。 どうすれば自分の言葉を出せるのか、今はまだ考えが及ばない。
ヒトの異常発生は、著しい。 貧困や飢餓や戦争を起こすぐらいなら、 必要以上増えないようにするのがよいというのが人口計画なのだそうである。 犬や猫みたいに、自己決定権のない生殖管理も、 戦争で人が殺しあうよりましなのだろうか。
わからない。まったく混乱している。 この本は、私にはあまりに過酷な「身体をめぐるレッスン」だ。
2006年05月07日(日) 男合宿 2005年05月07日(土) 悪の研究 2004年05月07日(金) 不機嫌スパイラル
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