両親が酔狂で始めた合唱の発表会を聴きにいく。
軽い気持ちで引き受けた「参観」は平均年齢65歳の「マタイ受難曲」であり、 それがどういうことかは少し考えればたやすく予測できることなのだが、 愚かな私は、まるでミュンヘン・バッハ合唱団でも聴きにいくつもりで、 音楽ホールへ足を運んだのだった。
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始まった直後に、気合いを入れなおす。 鑑賞しようなどと思うまい。
のど自慢を愛せる自分が、これを愛せないはずはない。 ここにしかないものを、観察して見つけ出すのだと言い聞かす。
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合唱団を運営しているのはプロの声楽家の人達で、 福音史家など独唱部分はこの人たちが歌っている。
大きなホールで、まがりなりにもマタイ受難曲の独唱ができるというのは、 こうした人達にも結構な喜びなのらしい。
それにしても、70人近い素人の老人達に過度な期待をせず丁寧な指導をし、 公演の段取りをし、当日滞りなく運ぶのだから大変なことである。 さらに−恐ろしいことだが−年に1度は海外公演の手配までやってのける。
家族としてはお世話になっていますという気持ちで独唱を鑑賞する。
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かくして終了。
ああまたしてもマタイで受難か、と思いかけたが、 いささかの想像力と情けをもって見れば、実に生々しい様でもあった。
仕事を勤め上げ、子どもを育て上げ、 人生の残りの時間と自覚しながら練習に励んだのだろう。
ユダの裏切りや後悔、人々の罵りを、みな経験の中で歌うだろう。 音楽一筋の人が知らない俗世の辛苦を、腹から声にするのだろう。
そして自分の人生を総括し許すことも、深いところで知るのだろう。
2005年02月25日(金) 嘘からでた病 2004年02月25日(水) マルコおいで
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