浅間日記

2006年09月30日(土) 贅沢な祭信頼の明日

今年も火の祭り。

「お祭りおめでとうございます」の挨拶を交わしながら、夜道を神社へ歩く。
今年のY君夫妻は当番ではないから、すっかり観客を決め込んでいる。
Aは、知らないおじさんから「こわいぞう」などと言われて、既に顔面蒼白。



この夏の間ずっと、間違って出かけてしまった祭りの、
嫌な後味を引きずっていた。

すきまなく照らし出す照明、
スピーカーから止むことなく繰り返されるデジタル音楽、
企業名が入った法被の一糸乱れぬマスゲーム、
道端にうつろな目をしてしゃがみこむ茶色い若者達、
飽和する露店商と、そこいら中に張り巡らされる警備体制。

何という廃頽か!と気分の悪い思いで家に退散した。
早く忘れ去りたかったが、管理社会へ向かう世の中を象徴するように、
その風景は自分の中に居座った。



その口直しの、秋祭りなんである。

暗闇のなか、流星みたいに境内に向かってはしる火で、祭りがはじまる。
今年はうまいこと火が渡ったね、と口々に安堵する。

あいかわらず、あきれるほどの火の粉と炎。人々の熱気。
しかも、その狂気は「この上なくめでたいこと」と承認されている。

おそらく、初めはささやかな炎の奉納だったのだろう。
何十代もの世代をかけて、いつしかこんなにエスカレートし、
おかげで祭りの当番は、相当念入りな準備が必要になった。
何しろ祭りの成功は、その年の縁起を左右する重要事項と皆認識している。

子どもが泣き、震え上がるような本格派の馬鹿騒ぎを、
大人が皆一同に、大丈夫だ、めでたいのだ、といえるのは、
時間をかけた信頼関係あってこそかもしれない。

そして、今どきの世の中ではもう、この上ない贅沢品といえるこの祭りは、
この先もずっと引き継がれる力強さをもっている。

境内に降り注ぐ火の粉が、今年はやけに美しいなと感じる。
日本ももうだめだと悲観気味な私に、金色の粒が、大丈夫だと降り注ぐ。

2005年09月30日(金) 毒入り林檎パイ
2004年09月30日(木) 日記の初日観察日記


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