2006年04月16日(日) |
包帯クラブのOB活動 |
天童荒太の「包帯クラブ」を読む。
少年少女が、つらい経験をした場所へ赴き、包帯を巻く。 両親が離婚する前に行った公園とか、 理不尽ばかりだった学校の校門とか。
世界にある暴力や貧困に比べれば、小さな傷だけれど、 そういうものでも、確実に少しずつ自分を損なっていく。 だから、きちんと向き合って、ケアしなければいけない、という訳だ。
「その場所」に真っ白な包帯を巻いてもらい 「もう大丈夫」と言われた当人は少し気持ちが楽になり、明日を生きることができる。 一緒に巻いた友人達は、つらい出来事を追体験し、痛みを共有する。
多分、子どもたちには必要とされる、救済の物語だろうなと思う。
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でも、大人になった私は思う。 小さな傷があれば、小さな喜びもあるのだと。
魯迅は『絶望の虚妄なることはまさに希望と相同じい』と言っている。 むのたけじという人はそれを、『絶望が本当なら希望も本当』という風に考えている。 絶望が見える人間のその目には、希望も見えるはずであると。
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だから、この包帯クラブの皆さんへ、問いかける。 どうせならば、嬉しかった場所へも何か巻いたらどうですか、と。
傷の手当てで手一杯だから、それどころじゃないよ、と答えが返ってきて、 じゃそれは、おばさんがいっちょ巻いてあげようかね、と思うんである。
2005年04月16日(土) 男シンデレラ 2004年04月16日(金) 記憶の花
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