言うまでもなく、戌年である。
正月明け、家に戻る列車の中でのこと。 向かい側の乗客が、憚ることなく、 イヌをゲージから出して、膝に乗せているのに驚いた。 もちろん、盲導犬の類ではない。
愛玩動物の行方は果てしない。 うかつに「このイヌはですね」などと言おうものなら、 多分、怒られてしまうのだろう。
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南部曲屋は、馬と同居する建築様式で、 そしてその遠野の地の「オシラサマ」の物語は、 少女と馬の恋物語である。
牛方と山姥の牛方が、まっすぐ逃げずに、 わざわざ危険をおかしてまで山姥をこらしめるのは、 喰われてしまった牛の敵討ちなんである。
こんなふうに、日本人は昔から、動物との関係に、 深い情を伴った関係をもつ傾向があった。 「命令」がコミュニケーションの中心である欧米の動物との関係とは、 もともとちょっと違うものをもっていたという気がする。
では何故、現代版のそれには我慢ならないのか、二晩ほど考えた。
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一つには、日本型の関係と欧米型の関係が混在している傾向がある点。 どっちつかずで混乱しているんである。
二つには、第三者にその愛情を強要しがちな傾向。 私は「ここには動物はいないでほしい」と主張する権利を維持したい。
最後に、今のところもっとも違和感を感じてしまう点。 その対象が、人間だろうが犬だろうが猫だろうが、 愛玩を目的とした関係を必要とする、その生き方である。
2005年01月06日(木) コドモ銀行券の品格
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