大英博物館のミュージアムショップで支払いに札を出したら、 店員から念入りにチェックされたことがある。 日に透かしたり、角度を変えて見たり。
それまでの旅程で色々と不快で差別的なサービスを受けていた私は 既にこういうしぐさを黙って受け入れる寛容性を持ち合わせていなかったので、 お釣りで渡された札を念入りに調査し返すという、 ささやかで嫌味な抵抗をしたのを覚えている。
それだけ、偽札の使用を疑われるということは、 信じられないことに疑いをかけられている、という驚きと、 自分の信用や品位を疑われるような、不名誉な感じがした。
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その偽札が、今、日本で大量に出回っている。 いずれも透かしがない、紙質が異なるなどの稚拙な出来のもので、 社寺の露店で使われたり、コンビニやタクシーでも発見されたらしい。 短い期間に大量に発生しているところから、大規模な組織によるものと いわれている。
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金のことを表立ってあれこれ言うのは、品がないと教わって育った。 だから、今でも経済観念に欠けて困っている。現代社会に必要な教育を受けていないのだ。 仕事で必須の「金額のネゴ」などは、やり方がわからないのでいつも嫌々やっている。
こんなに面倒で緊張感を伴う金のやりとりに、 札の真贋などまで心配しなくてはならないなんて、 気が重いことこの上なしである。
そんな個人的なことはさておき、 貨幣に対する信頼が損なわれてしまうということは、 国の経済の根幹に関わる大問題で、組織的なものだとすれば、 これは一種のテロ行為だ。
札の出入り口になる銀行窓口では、さぞ神経を使っていることだろう。 気の毒なことである。
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