Aを連れて、不在者投票へ。 大人が、皆の代表になる人を選ぶのだよ、と説明。
立会人に軽く目で挨拶し、事務員に用紙を渡す。 小選挙区の投票用紙を受け取り、投票箱へ。 再び投票用紙−比例代表と最高裁判所裁判官国民審査用のやつだ−を受け取り、投票。
立会人にご苦労様と小声で言い、退室。
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何だスルーじゃないか、とやはり思う。
投票制度は、本人確認が甘すぎる。今どきレンタルビデオショップでさえ当たり前のように求めてくるのに。 どこをどう検証しても、投票行為の客観性、透明性は保障されていない。
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庶民が選挙権を得て、そのことを皆が真に大切にした時代であれば、その熱意と善意を前提とした選挙管理でよかったのだろう。 被選挙人が不正を働かないかだけウォッチしていればよかったんである。
しかし国民が有権者であるという意識は今や、すっかり損なわれてしまった。 そして私たち選挙人も様々であり、世の中のモラルはモノラルではなくなっている。 だからこれは残念なことだけれど、選挙人の不正行為ということも可能性として考えなければ、選挙の客観性は確実にならない。
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本人を騙る「振り込め詐欺」なる犯罪が存在する。
「ネットオークション」なるものは、価値のあるものは何でも金に替える習慣を庶民に植え付けた。
過去において不正投票は発覚しているのに、予防措置がとられていない。
これだけの事実でも、もう私は投票行為というものに対して心配なのである。 この心配が解消されなければ、憲法改正にかかる国民投票などもっての他だと思っている。
杞憂だと思うが、アメリカの大統領選挙のようなお粗末なことになってはいけないと思うんである。 政治に関する不信感は、同時代的に解消しなくてはいけない。100年後の歴史研究で真偽が明かされるなど、私はまっぴらだ。
少なくともあの、自動改札を抜けた後までうるさく追い掛け回すJRの検札ぐらいには、念入りにやるべきだと思う。やればできるのだから。
2004年09月08日(水) 認識させなければならない
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