山の家へ。
朝の畑仕事の合間、黙祷する父に慌てて倣う。
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世界ではいつもどこかで戦争が起きている。
にもかかわらず実際に使われたのは唯一日本へのそれだけで、 60年間も封印されて続けている。60年間もだ。
原子爆弾というのはそれだけ破壊力のある兵器なのだ。
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広島の平和祈念式典。
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誤解を恐れずに思う。 被爆者の慰霊と核廃絶の取り組みは、まったく別のものである。
被ばく後30年目ぐらいに明確に分けておくべきだったのではないかと思う。
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慰霊の主役は、広島や長崎の人々であるべきだ。 土地の記憶、先祖の記憶とともに永続的になされるべきと思う。 静かに人々に語り継がれ、祈りが成されてほしいとおもう。 だから、市長が象徴的に発言したり代表を務めることには意味がある。
しかし、核廃絶に向けた取り組みに必要なのは祈りではない。戦略だ。 被ばくの当事者世代と次世代以降の課題が同じではいけない。 10年目、20年目、60年目では、やらねばならないことは異なるはずだ。 もし同じであれば、志を継ぐというよりも形骸化に近い。 広島や長崎の「ご当地発言」になってしまってはいけないのだ。
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私たちは自分の時代の苦しみや複雑さで手一杯であって、その中で生きている。 一方で情報化は世界中を縮め、ものごとを共有する時代になっている。
その条件の下で私たちは「核兵器をなくす」ということに責任をもたなければならない。 「繰り返してはいけない過ち」をもたらすものは、60年前と同じではない。 それが何なのか検証し、どうすればいいのか考え続けなければいけない。
現代の核廃絶というスローガンの下に、そうした戦略とプログラムが展開されているのか、疑問である。
そしてまた、そうしたプロジェクトを被ばく当事者である広島長崎が背負うのは難しい。 土地と血に痛みと悲しみを持つ彼ら彼女らに、それは酷と思うのだ。
2004年08月06日(金) 後付日記
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