初日 最新 目次


店長のガラクタ部屋
つかちゃん

My追加

2001年09月30日(日)
すごい講演会


緞帳の前にマイクを持って立った講演者は赤いトレーナーを着ていた。そして自分の子供時代の話を始める。これからの1時間がめちゃくちゃ楽しい感動の1時間となることはこの時点ではもちろん誰も知るよしもなかった。

県のPTAの大会に行って来た。片道約1時間半。時間通りに大会が始まり思った通りの堅苦しい式典と来賓挨拶がつづく。もちろん眠気も極致。いびきをかいてなかったか不安。
そして記念講演。今回の記念講演は高校のブラスバンド部を受け持っている先生だという。”?”マークが頭に浮かぶ。「なぜ高校の先生?」大体PTAの県大会の記念講演と言えばある程度有名人の講演がほとんどである。しかし、その?マークは見る見るうちにかき消されていったのである。

先生の小学生時代はとてつもない悪ガキであった。毎日家は出るがそのまま学校には行かず野山で蛇やトカゲを袋にいっぱいになるまで集める。それを持って学校に行き授業中の教室内に全部放してしまったり、学校の鯉の池に石灰を大量に入れて鯉をみんな殺してしまったり、小学3年生にしてたばこをふかし、etc・・・。授業にはほとんどでなかったので、通信簿は評価不能。1年生から3年生まで評価覧は斜線が引かれていたそうだ。

しかしその超悪ガキにも転機が訪れる。一人の先生との出会いである。悪いことをすると柱に縛り付けられ、毎日夜の11時頃まで居残りで勉強をさせられる毎日。もちろん夕御飯は先生と宿直室で食べるのだ。そして、音楽をたくさん聴かされ、楽器の練習をさせられる。でも、それを続けたおかげで4年生の時には算数が4だったが、それ以外全て5(5段階評価の時代)に、5年生以降はオール5というとんでもない成績を取るようになる。

そして、その時始めた音楽にものめり込み、現在に至る。彼の指導するブラスバンド部は県内でも有名な実績を残しているそうだ。部員達は1年から3年まで毎日みっちり3時間の練習を大変な集中力でもってこなしているという。そんなに楽器の練習ばかりして勉強はどうなるか?ところがブラスバンドの練習で培った集中力でほとんどの部員は1年より2年、2年より3年と徐々に成績が上がっているという。ちなみに去年は全ての3年生が志望通りの進路に進むことが出来たそうだ。100%!

「私の話はこの辺にしまして、演奏を聴いていただきましょう。緞帳を上げて下さい。」
緞帳がさーっと上がって行く。舞台の上には子供達が楽器を持ってスタンバイしている。
演奏が始まった!全く素晴らしい。これが高校生のバンドか?ただ演奏だけでなく、ダンス有り、歌有り、曲調も実に様々。津軽三味線や和太鼓が出てきたり、ジャズっぽいクラリネットのソロがあったり、韓国の民族舞踊。こう書くとめちゃくちゃなようだが、それがひとつのうねりとなるように構成されているのだ。何度も書くが、とにかく高校生のブラスバンド部の演奏とは思えない。これは完全に”ショウ”である。手が真っ赤になるほど拍手して、泣きそうなほど感動してしまった。

彼らは今日(30日)、全国大会に出場と言うことだ。





2001年09月28日(金)
トラウマ

「ガラスの仮面」の月影先生の引き出しには黒い服が並んでいるという掲示板の書き込みを読んでハッと想い出した事があります。




マンガとはいえ、その衝撃的な画像は幼い私の両目を通して網膜にスルドく焼き付き、その画像から発せられるメッセージは私の心に深く刻みつけられたのでした。







トラウマ・・・、








そう、私にとってまさにトラウマと言ってもよい出来事それは・・・!





















オバQ。
















そう、それはオバQのタンスにずらりとぶら下げられたQ太郎の抜け殻のような服なのでありました。大きな目玉と口の部分のために開けられた虚ろな空洞が不気味にQ太郎の中身を強く意識させるのです。








オバQの中身って、・・なに!?









おっちょこちょいで大食らいで犬に弱い愛すべきキャラのQ太郎は実は表向きの仮の姿。その実体は何なの?隠された真実の姿とはっ!?

そう考え出すと等身大のQ太郎が物陰から密かにこちらを伺っているような気がするのです。







リアルQ太郎。



恐すぎです・・・。










それ以来、例えばパンダさんの着ぐるみがおどけたポーズをとっているとまわりの友達は「わぁーパンダちゃんだー!」と喜んで駆けよる様な場面でも私ひとりが後ずさりをする子供になってしまったのです。

「あのパンダの中身はもしかしたら悪いひと?ショッカーの怪人かも?」

私はQちゃんから人生の裏表を教えてもらいました。というか、何だかわからない裏側に対する必要以上の恐怖を。

正 「なんだよ!Qちゃん。暗い顔しやがって。俺とおめーの仲じゃねーか。何でも言ってみな!」
Q 「正ちゃん、今まで黙ってたけど実は俺よう・・」Q太郎はグラスに残ったバーボンを一息にあおるとポツポツと話し出した。

なぁーんて、大人になった正ちゃんとQちゃんが腹を割って話す場面とか描いて下さいよぉ。藤子先生。






2001年09月27日(木)
盗まれ続ける自転車

I'll be back!

この写真は今朝3度目の帰還を果たしたウチの店用自転車です。
火曜日の夕方、眼科へ出かけた妻が眼科の前に置いたまま向かい側の薬局へ薬をもらいに行っている5分足らずのわずかな時間に忽然と姿を消したのでありました。平たく言えば”盗まれた”とも言いますね。

歩いて帰った来た妻、「盗まれたー」と言います。対してワタシ、「きっとまた帰ってくるサ。」
そんなわけでワタシの言葉どおり、今朝店のシャッターを開けて、横の通路をフト見るとそこに真っ赤なママチャリがひとりでたたずんでいたのでした。まさかひとりで帰ってくるとは思ってもいませんでしたのでこれにはビックリ。

この自転車、実は16年前、妻と結婚したときに披露宴をあげたホテルでブライダルキャンペーンか何かの景品でもらったモノなのです。赤いママチャリ、けっして好んで乗りたいような代物ではないのですが、結構役立っております。朽ち果てて底が抜けてしまった前のカゴも新しいものに取り替えられたばかり。そのカゴに海外からの注文品のスモールパケットやEMSの包みを乗せて郵便局に行ったりしているのです。

盗まれたのは過去に2回、今回で3回目で、そのたびにきっちり帰ってきます。前回の時は5kmほど離れた海岸通りの道ばたに投げ捨てられていました。

帰ってくるのは訳があります。格好悪いんですが、前の泥除けには店名が、後ろの泥除けには電話番号が、白いペンキでくっきりと書かれているのです。逆にちゃんと連絡先が書いてあるのでちょっと借りるつもりで気軽に盗まれてしまうのかも・・・とも思います。一昨日の夕方黙って無断で借りていった人が今日の早朝、黙って返しに来たのでしょう。

世の中、まだまだ捨てたもんじゃないんだか、なんなんだか・・・。

これをご覧のあなたも今すぐ、白いペンキで自転車に名前と電話番号を書きましょう!たとえそれがおしゃれなプジョーのマウンテンバイクであろうと、超高価なポルシェのロードレーサーであろうと・・・。



2001年09月22日(土)
イケテル運動会

キャンプの話の続きは「店長のガラクタ部屋」の「旅行記」の方で書いて行こうと思います。
秋と言えば運動会の季節ですね。PTAのお父さん的には・・・。しかも、間違ってPTA会長になってしまった私にとって、ネックは開会式での挨拶。なるべく話さなくて済むように、しかも子供にウケる挨拶を頭をひねって考え出したのでした。
先日行われた息子2号の通う小学校の運動会の日、朝から天気は上々、準備が終わり、開会式。校長先生の挨拶の後私の番が回ってきました。
朝礼台の前に上がるときちんとお行儀良く整列した子供達がこちらを見ています。みんな会長の挨拶が短いことを祈って・・・。

私「おはようございまーす!」
子供達「おはようございまーす!」
私「お!元気がいいねー。今日は待ちに待った運動会です。心配だった空模様も今日はこんなに良いお天気になりました。お天気が皆さんに味方をしてくれたんですね。良い運動会にするのも、イマイチの運動会にするのもあとは皆さんのがんばり次第です。がんばれますかー?」
子供達「はーい!」
私「よーし、じゃあ、どのくらいがんばれるか見せてもらおうかな?」
子供達「??」
私「はーい、片足を半歩前に出してー、それから片手でグーを握ってー」
子供達「ざわざわ」
私「”ガンバルぞー”と言ったら”オー!”って言うんだよ。いくよー。」
私「ガンバルぞー!」
子供達「オー!」
私「もう一回。ガンバルぞー!!」
子供達「オーー!!」
私「ノッてるかーい?」
子供達「おー!」
私「違うよー、”ノッてるかーい?”と言われたら”イェーイ!”だよー。」
会場「(爆)」
私「ノッ・て・る・かーい?!」(キヨシロウ風)
子供達「イェーーーーイ!!!」
私「よーし、その調子でがんばりましょう。」

そんな調子で最後までノリノリで良い運動会が出来ました。先生方とPTA役員の夕方の反省会と言う名の打ち上げ宴会の私の挨拶はもちろん「ノッてるかーい?!」で始まりました。拳を掲げて先生方も役員さんも「イェーーイ!!」。
その勢いでいつもに増してすごい盛り上がりの大反省会になったことは言うまでもありません。



2001年09月20日(木)
死に神の影

あの事件以来、まもなく10日。
あまりのことにテロ組織への怒りと行く末の不安で言葉もなく、おちゃらけた日記など書いてて良いものかと悩んでおりました。

私、思うんです。私自身テロ組織壊滅を、煮えくり返ったはらわたの底から願っているのはもちろんですが、”報復攻撃”とか”核の使用を示唆”とか”自衛隊法改正””後方支援”などの言葉を目にするたび、「それでいいのか?本当にいいのか?ほんとうにほんとうか???」と叫びたくなります。

それらの言葉の影には無力な名もない一般市民のさらに多くの死の影が、ピッタリと寄り添っているような気がして・・・。

私は戦争には断固反対します。

今日はちょっと重くなってしまいましたね。ごめんなさい。次回はもっと軽く書けることを祈って・・・。

それでは・・・
仕返しよりもLOVE&PEACE!



2001年09月15日(土)
運動会

中央小学校運動会でした。


2001年09月10日(月)
〜2001年夏、キャンプ5〜

プーちゃん


ビール工場をあとにした我々は続いて近くにある親戚の家に向かった。
その途中、自家製天然酵母使用のパン屋さんがあるというので訪ねて行ってみる。
メインの通りに看板が出ている。地図も見ないであっさりと見つけることが出来た。早速看板を便りに小道へ車を進める。あった、あれっぽい!ピンクの壁のヨーロッパ風建物。
でも、定休日。ガックシ。
しかたがない、パンは明日にしよう。
まもなく親戚のウチに到着。ところが、誰もいない。連絡はしてあったので、すぐに帰ってくるだろうと庭を散歩したりして待つことにする。
すると!”プーちゃん”登場。”プーちゃん”は親戚のウチで飼っている猫で、ご覧のようになかなか美男子。しかし、超いたずら者。
猫フェチの妻が早速手を出す。「わぁ〜〜、プーちゃん。」せりふの後にハートマークが3個位ついている。猫なで声の見本のような猫なで声だ。
しかし、撫でられたプーちゃんは遊んで貰える!というヨロコビで、興奮もピークに達し、ちょっと力一杯じゃれてしまったものだから妻の腕は見事に傷だらけ。猫って小さいときに兄弟達と噛んだりひっかいたりの遊びが足りないと手加減がわからなくてこんなふうに過激猫になるのだ。

そうこうしているウチに家人が帰ってくる。
「今夜泊まってくでしょ?え、ムリ?ご飯は?」
「キャンプ場戻ってバーベキューするから・・」
「今夜も大雨、しかも雷雨だって。それにお肉買って来ちゃったよ」
「雷雨・・・。そういうことならいただきます。」
と言うわけでキャンプに来たというのに親戚のウチで焼き肉ご馳走になることに・・・。なんて、軟弱キャンパー。
結局腹一杯にご馳走になり、キャンプ場に帰ったのは8時頃、すっかり夜である。
急いで妻と息子2号は昨日と違う内風呂へ。そのあいだ、息子1号とMDを聞いたりしつつとりとめもない会話。ところが、内風呂は9時で終わり。私と息子1号は仕方がないので昨日と同じ露天風呂へ。
風呂から上がると何とはなしに雨っぽい風が吹いてきた。今夜も予報では土砂降りらしい。
昨日よりもテントを完璧にタープの下に引き寄せ、タープの紐を締め直し、準備万端、雷雨よいつでもいらっしゃい!
もらったビールを妻と2本づつ仲良く飲んで早めに眠りについたのであった。携帯はテントの中にちゃんとしまって・・・。



2001年09月07日(金)
〜2001年夏、キャンプ4〜


8月末のキャンプの模様を連載しています。

銀河高原ビール


塩原から那須までは約30〜40分の道のりである。キャンプ場を出て割とすぐのあたりに「岩風呂」の看板発見。これは!あとでチェックするしかない。

少々道を間違った、というか、通り過ぎたが問題なく「銀河高原ビール」のビアレストランに到着。かなりの広さ、そしてでかい建物。大型バス用の駐車場まで完備。予想を超えるスケールであった。先ずトイレ、洗面台の蛇口が良い質感でステキ!あと、鏡も。
このレストランはバイキング形式だ。入り口を入る前にレジがあって料金を払う。飲み物別で大人1500円台(忘れた)。これが果たして安いのか高いのか?と思ったのだが、結果安かったのである。

ここで「御殿場高原ビール」(殿)vs「銀河高原ビール」(銀)の対決に突入である。

◆おすすめ料理
銀=ドイツ風ウィンナ!
   こんな旨いウィンナは初めて喰いました。まじで。
   あとビーフのデミグラスソース煮というかスープ不足のシチューという
   か、とにかくそれ!
殿=スペアリブ!
   とにかく出てきてビックリ!これを私らにどうしろと?という感じ。味
   も最高!とにかく料理全般のインパクトがすばらしい。

◆ビール
   どちらも黒ビールとまったり系のビール、それと普通のスッキリ生ビー
   ルの3種類をチェック。まったり感では銀。スッキリ感では殿か。

◆価格
   やっぱりバイキング形式を取った銀のほうが断然リーズナブル。家族連
   れの味方という点では銀。

◆雰囲気
   これは殿に軍配。照明も落ち着いてるし、大人の雰囲気です。いつまで
   も入り浸ってビールを飲み続けたいっ!

◆結果
   ファミリーや団体の幹事さんには飲んで喰って大満足。しかもリーズナ
   ブルな銀河高原ビール。
   ラブラブなカップル(笑)や料理や雰囲気などこだわりたい!という方
   は御殿場高原ビール。

という感じでしょうか。

つい食い過ぎてビールが入らなかったのが残念といえば残念。食後には銀河高原ビール内にある輸入雑貨の売場や洋書の絵本専門店を覗く。絵本屋さんでは猫の写真がいっぱい載ってる本を見つけて悶絶。

土産物を少し買って出口で缶ビールを4本もらう。キャンペーン中で1000円買い物をすると1本、缶ビールがもらえるのだ。ラッキー!今夜のビール代が浮いた。

そうして我々は「銀河高原ビール」をあとにしたのだった。そのあと妻たかちゃんには猛獣に襲われて怪我をするという運命が待ち受けているとも知らず・・・。




2001年09月06日(木)
〜2001年夏、キャンプ3〜


8月末のキャンプの模様を連載しています。



テントの中は朝早くからかなり明るくなるもので自然と早く目が覚めるのだ。いったい今何時なのだろうと思い、携帯を探す。携帯に時間が表示されるので、最近は腕時計を持たない人も多いようだが私もそうなのだ。
しかし、いくら探しても携帯が見つからない。もしやと思いテントから這い出して、外のテーブルを見るとテーブルの上に携帯が置きっぱなしになっていた。土砂降りの雷雨のなか、外に一晩出ていたのだ。もちろん携帯は水びたし。
ああぅぅ・・・、なんてこった!やっちまったぁ〜。いくら悔やんでみても水没携帯は再起不能。けして元に戻らないのだ。もちろんデータも水に溶けてしまった。
・・・と多くの人は頭を抱えるであろう。ところが私は違う。人間が出来ているのである。そんな細かいことでくよくよしないのである。ていうか、





よかったー!防水タイプで・・・。


2日目は朝から良い天気。大体雷の翌日は天気良いのだ。朝食は超手抜き。売店で買ってきたロールパンと牛乳。それとナシ。準備もしないで飛び出してきたのでショボショボの朝食だしおまけにイスはびしょびしょ。ま、これもアウトドアの醍醐味と言うことでひとつ。

食後は息子1号はシュラフを車の上に干し、私は夕べ使った鍋を洗う。妻と息子2号は何してたんだっけ?鍋を洗っていて思ったんだけど、このキャンプ場ひとつ気になることが・・・。それは、洗い場に設置されている食器洗いの洗剤が合成洗剤だということ。しかも、強力なやつだ。自然への配慮をもう少しして欲しい。洗剤は基本だよね。洗う前に鍋の汚れを紙で良く拭いて洗剤使わずに洗うのだ。

その後車のゲートを机代わりにモバイルギアを開いて携帯を接続。メールチェックと返事を3通ほど書いて送信。

メール送信が終わるとキャンプ場の周りを散策。川に沿って歩く遊歩道が作ってある。川の音と森の香り、気持ちいい風。最高である。
しばらく歩くと遊歩道はキャンプ場の敷地の方へ戻って行く。これで遊歩道は終わりか?と思ったら看板がある。小さい川がさらにこの先にありそうだ。看板に従って行ってみると、なんと!小さいがすごくきれいな流れが!浅い水底の緑色凝灰岩はエメラルドグリーンに光を反射し、クリアーな水はかなりの勢いで流れている。思わず靴を脱いで流れに入ってみる。水深は20cmくらい。水温はかなり低い。ちょっと入っていると足がぴりぴりしてくるほどだ。

そうこうするうちにお昼も過ぎてしまったので、干して置いたシュラフをテントにしまい車で出かける。

お昼は那須方面へ。目的地は・・・、そう!我が家のキャンプのお約束、ビール工場ナノだぁ〜!だぁ〜だぁ〜だぁ〜〜。(エコー)
去年は「御殿場高原ビール」だった。今年は、那須と言えば、「銀河高原ビール」!!!
はたしてどちらの地ビールに軍配が上がるのか?それとビヤレストランの勝敗を決する重要なファクターと言えば、もちろん料理!さあ、次回はいよいよ銀河高原ビール、ビアレストランのレポートですっ!(握りこぶし)



2001年09月04日(火)
〜2001年夏、キャンプ2〜

8月末のキャンプの模様を連載しています。

そんな風に超慌ててまるで何かから逃げるようにキャンプに出発した我々であった。それは日常からの逃避?自分を解放するための心の旅?「ああ、だから今夜だけは〜」歌うな!って感じだ。

まあいいや。

そんな感じだったので普段は一般道を使うところ、高速道路を飛ばすのであった。BGMはもちろんハイウェイスター(頭の中でループ)。
そう、嬉しかったのである。”High”だったのかもしれない。でも、ホントの所は早く着かないとテント設営する時間が無くなりそう!暗くなっちゃうよー!という気持ちだったのである。嬉しい=20% 焦り=80% というわけで東北道に入った頃には早くも疲れちゃったのである。
そこで、たまらずサービスエリアで10分だけ爆睡。でも、この時点でまだ予約入れてないこの事実。いざとなったら黒磯の親戚の家に泊めてもらえばいいやなんて、他力本願の俄キャンパーなのであった。

しかし10分の爆睡でシャキーン!と気分壮快。キャンプ場に電話を入れるとあっさり予約完了。そこから1時間弱キャンプ場着6時。やったネ!なんとか明るいウチに設営は出来そうだ。

受付で前金で精算完了。なんとこの日はレディースデイだそうで、大人の女性が1人でも入っていれば全体の料金が20%引きになったのである。ゲートの鍵を受け取り、小躍りしながら車へ帰ろうとしたそのとき、不吉な会話を耳にしたのである。受付横のテーブルで20代のおにいさん数名がなにやら深刻な顔で相談していたのだ。

「どうする?ロッジに変更してもらおうか。」
「そうだな、なんせ大雨洪水雷注意報だもんな。」

・・・なぬぅ〜〜?


一抹の不安を胸に割り当てられたサイトに向かうのであった。
しかしサイトが狭い!でも、両隣のサイトがあいているので結構余裕はある。息子2号と2人でサクサクッと設営完了。もちろん大雨のことを考えて少しでも水はけの良さそうな位置にテントを張る。その間に妻と息子1号は買い出しと必要な物のレンタルの手続きである。
もう、キャンプも手慣れたもんで・・・。と言いたいところだが、今回は忘れ物のオンパレード。まずバーベキューグリル忘れた。それとフライパン、コーヒーのドリッパー、買ったばかりのプジョーのペッパーミル、食器洗い兼体洗い用の無香料の石鹸。まあ、忘れてしまったものはしょうがない。少々不自由でも何とかするのがアウトドアってもんさ。

テントを張って、タープを張り終わる頃にはもう真っ暗。すぐにレンタルのバーベキューグリル、というかバケツだねこれは、・・・に炭をおこす。いつもの鍋でご飯を炊くのはもう手慣れた物である。毎日これで妻はご飯炊いてるもんね。少々火加減がいつもと勝手が違い、柔らかめだけど上出来だ。夕食のメニューはひたすらバーベキューである。野菜を焼く、キノコを焼く、そして肉を焼く。味付けはそれぞれの取り皿のしょうゆオンリー。テーブルそっちのけでグリルのまわりに椅子を囲んで焼いては喰い、食っては焼き。よく冷えた缶ビールもいい調子に喉を駆け下りて行く。
「やっぱりキャンプはいいよねー!」毎回言ってしまうセリフだがこころからそう感じる瞬間である。

ご飯も残さずきれいに平らげて今度は風呂である。このキャンプ場には露天風呂がある!しかも無料はうれしい。ゆっくり風呂に入っているとなにやら怪しい雲行き。ぽつぽつと雨が降ってきた。
前に大雨の中テントで寝ていたら水が漏ってきて大変だったので、その経験をふまえてすかさずテントのペグを抜く。テントをタープの下に移動してタープの紐を締め直す。これで少々の土砂降りでも風さえ無ければ大丈夫だ。寝るまでの間テントの中でウノをやる。すると、みるみるうちに雨は強くなり、雷が鳴り出した。靴をテントの中にいれ、ランタンを消す頃には外はすごい状況に!薄いマットの上の寝袋に潜り込み、ポリエステルの布と薄いタープをへだてて大粒の雨がたたきつけ、激しい雷鳴と強烈な稲光の中まさに自然を体で感じながら家族4人狭いテントで眠りについたのである。




2001年09月03日(月)
〜2001年夏、キャンプ1〜

■9月3日(月)
8月末のキャンプの模様を連載します。


〜2001年夏、キャンプ1〜

もう眠くて眠くて10分間だけ爆睡した東北道のとあるパーキング。目がさめると意外と頭はスッキリしていた。時間は夕方の5時を10分ばかりまわったところ。携帯電話を取り出し、プッシュボタンを押す。

「はい、塩原グリーンビレッジです。」
「今日これから行きたいんですが、オートキャンプサイト空いてますか?」

また、我が家のキャンプは今回もこんな調子なのである。

月末までに何とか引っ越しを完了させなくてはならないし、仕事が山積みだったのだが、子供達をこの夏映画しか連れてってあげられなかったし、自分達自身もまるで休みナシでこのまま夏が終わってしまうのはどうしても耐えられなかったのだ。
そんなわけで午後まで仕事して、それからキャンプ道具一式を車に(本当に)放り込んで妻たかちゃんと息子1号、2号と一緒にキャンプに出発した我々なのであった。
前の晩に「キャンプ場 温泉」で検索して見つけた栃木方面のキャンプ場の情報をプリントした紙を持って・・・。

でも、家を出て10分で前も見えない土砂降りである。ワイパーが間に合わない。どうなることやら・・・。