にゃんことごはん
ごはん



 憧れは遠きものよと夢を見る いつになるか自堕落生活

このところ古い日記を読み返すのがマイブーム(死語)だ
リュウが大猫で猫たちがうようよいて、毎日ひいこら言いながらご飯をつくっていたあのころ、大変だったけれど、とても楽しく幸せな日々だった

今が不幸なわけでは決してないけれど、私も今と比べると若く馬力もあり、それも懐かしい

そのなかにこんな記述を見つけた(以下引用)
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リュウが生まれ勤めを辞めて自営になったとき、「これで憧れの自堕落生活だ!」と喜んだのに。保育園、小学校と子どもは朝起きて出かけていくので、仕方なく私も起きて送っていったり、送り出したり。中学生になったら少しは楽かと思ったのに、部活の朝練だ、クラブチームのなんたらだと、前以上に朝が早い。憧れの自堕落生活は老後の楽しみにとっておくか……。
−−−−−−−−−−−−−−−−−(引用終わり)

今も自堕落生活は憧れのままだ

おかしい、老後のはずなのに
老後の楽しみのためにとっておいたはずのゲームに手を出した時点で
もしかしたら老後は遠のいたのか?
とか思い、休日の今日、ものすごく久しぶりにゲームにログインして
「うん、案外楽しいものだよね」
などと頷いてみる

もしかしたら、まだ老後ではないのかもしれない
そうかそうか、まだ老後じゃなかったのか、うんうん
明日からも頑張って働くぞ、Oh!←単純wwwww



2022年01月25日(火)



 氷り路 煌めき照らし美しく 歩みは遅い溜息ばかり

雪が多く気温も低い今年の信州、横浜からの引っ越し以来、初めて信州の冬らしい冬を体験中

かなり寒さにはなれました、氷点下でもどんと来い、指先は手袋しても痛いけれど、まあ、いなし方も覚えましたし
むしろ駅まで歩く間に体は熱くなるのに指先だけ冷たいのは何故なのか? それが不思議でならない今日この頃

末端という意味では足先も冷たいのですが、こちらは防寒靴とレッグウォーマーのせいか、歩いていくうちに温まってきます
ですが、指先はアームウォーマーと手袋をしていても、やはり痛い
足のように筋肉を使わないからかと推察するのですが、歩きながら腕の筋肉、どうやって使う?という課題が
の前に、仮説が正しいのかどうか、どうやって検証する?

練ちゃんがいなくなって(つまり猫がいなくなって)初めての冬でもあります
思いのほか、暖房を使っていません
まあ、窓という窓、ドアというドアに断熱シートを施したおかげと、もともとが堅牢なつくりのアパートなので、あまり外気温に影響を受けずにいます

体が寒さになれたこともあるのでしょうが、とりあえず電熱のひざ掛けなどでしのげています、慣れって恐ろしい
猫がいたころは、床面に近い(人間より寒さを感じやすい)猫のために暖房は欠かせませんでしたが、起床から出勤までの2時間ほどを除いては(それも不要に感じることもあります)、特に必要も感じません

最近のマイブーム(死語)がお重です

今年の正月用のおせちを、今年こそ絶対に絶対に絶対に自作しないぞ、と決意し、ここ数年、定番で頼んでいるところで(毎年自作しないぞと決心して注文して、結局、なにがしか作っているw)、一人用お重×2で1セットというのを見つけたので、それを注文し、新しいところを開拓しようと2〜3人前というのを1セット注文しました
(なのに、なぜかうっかり数の子を買ってしまって、仕方なしに数の子と菊花蕪を作ってしまった根性なしです)

年末は仕事が休めないので、おせちは龍宅で受け取ってもらい、私は元日の仕事あがりに、受け取りと2〜3人前のおせちの味見を兼ねて、日本酒をぶら下げて訪問しました
新しいおせちは、なかなか美味しかったので次の正月候補となり、一人用おせちを持ち帰り

その空いた小ぶりのお重が使い勝手よく、多めに作ってしまった調理品や漬物、酢漬け野菜などを詰めておくのに調度いいのです
タッパーなどに詰めたものを取り出すより風情があるし、お重に納まっているだけで、なんだか美味しそう、器って大事
そのせいか、自炊もはかどっているように感じる1月でした

2022年01月23日(日)



 寒きなか年改まり 冬季五輪 もう8年目まだ8年目

今年の信州は寒いです、雪も多いです

零度には慣れました、マイナス5度ぐらいだったら、歩いて駅まで行けるようになりました、指先は痛いけれど

そして、今年は冬季五輪の年
ショーちゃんを見送ったソチの五輪から、平昌を経て、今年は北京

昨年の春浅き夕べに練ちゃんを見送ってから、本棚の上の猫たち(の遺骨)に、よく話しかけます、お供えもします
毎朝「行ってくるね」、帰宅しては「ただいま」
今年のお正月はエビの焼き物をお供えしました
いいお酒を買ったり、頂いたりすると、ちょっとだけお供えします
生きた猫にお酒はまずいでしょうが、遺骨ですからね

活字中毒の私ですが、恋愛小説はほとんど読みません、が、先日、うっかりサブスクで購読しようとダウンロードしたのが、なんというか、正統派の恋愛小説でした、うわ、失敗したわと思いつつ、読みました
読んでいる途中で、ときどきショーちゃんとの思い出と重なりました

人間の男女の恋愛なので、お互いの認識のずれや誤解や周囲のひとからの干渉やらですれ違うので、その辺は「ふむふむ、大変ね」と読み流していたのですが、通奏低音のように紡がれる「運命の相手」という認識が、なんだか、ショーちゃんを思い浮かべるとぴったりで

子ども時代のエピソードなどは、子猫時代のショーちゃんを彷彿とさせられ、うるうるしてしまいました

たまには、恋愛小説も悪くないわね、などと思ったものです

いまでも、ここにいてくれたら、と思います
そしてときどき、そばにいるのではないかと、感じたりすることもあります
ま、気のせいでしょうけれど、そんな日は、在りし日の写真を眺めて、しんみりすることにしています

2022年01月06日(木)
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