にゃんことごはん
ごはん



 目覚めると、猫たちの重さで身動きできない、猫飼いあるある

寒いと思ったら、日中は汗ばむぐらいの気温になったり、季節感が迷走している昨今。

おかげで猫用暖房機器(ネコこたつとか、電熱ラグとか)の管理が難しく、寒いと活用される機器も、暑いと無視=無駄に電気を使う(それほどの電力消費ではないですが、出かける前に気象情報を参照して温度設定するも、どんぴしゃとはいかないようで)。

おまけに、明け方の気温が予想よりも低いと、なぜかみんなして私の布団に集まってくるのです。
朝、目覚めて起きようとして、体が起きない……かけ布団の上に、ニャンとレンとチャチャが集合、重い……。
かけ布団の上に集合せずともよかろうに、なぜか集合する……。

猫の気持ちは、わかるようで、わからず、わからないようで、わかったり。

最近、老後の楽しみにとっておいたゲームに手を出しました。
ゲームというのも、面白いものだと思います。子供がはまるのも、よくわかります(私がやっているのは、子ども向けゲームとは異なりますが、ゲームの基本構成を考えると、なるほど、と)。

私は本を読むのが好きです。本を読むことは、教育上、よろしいこととされていたりしますが、我が家は私の本好きのおかげで、本が氾濫しています。こうなると、本を読むことをやたらと推奨するのはいかがなものか、と思ったりします。
女に教育(読み書き)など必要ない、という考え方が否定されない時代もあったわけですから、読書=正しい、ゲーム=邪道、というのも、いかがなものか、と思います。

要は、本であれ、ゲームであれ、仕事であれ、なんであれ、やはり度を越すと、いろいろ支障が出てくる、ということなのでしょう。
でも、度を越すほどのめりこむひとがいて、その世界での花が咲くことも、あります。
ご本人が生きているときには評価されず、死後、名声が高まるなんてこともあったりするので、現生の私が、なにがしかの判断を下すことこそ傲慢、とも思います。

とりあえず私は、猫研究家にも猫科学者にもなれず、ただの猫好きで、猫に振り回されることを嘆きつつ、実は喜んでいたりする変態であることを、自覚しているが故に、猫という話題に冷静になろうと務めながら、果たせないという……要するに、身もふたもない結果を粛々と受け入れる昨今なのでありました、ちゃんちゃん。



2016年11月22日(火)



 気が付いたら11月、神様みんな出雲の国か

今年は、猛烈な残暑というわけでもなく、でも涼しくなったと思った数日後に気温が上がり、その数日後また下がり、というのを繰り返し、秋物を出したものの、夏物を片付けらない状態がけっこう続いたような気がします。

とりあえず老齢人間と老齢猫たちの我が家、みんな元気です。

10月に友人から飲みのお誘いがあったのですが、9月の突き指が完治せず(実は今も少し痛い)、結局、我が家で家飲みと相成ったのでした。
ろくに掃除もできない状況だったので、ほんと申し訳なかったのですが、とりあえず楽しかったです。

最近、よくショーちゃんのことを思い出します。
猫が亡くなるとき、悔いが残らないということは決してないと思うのですが。
ショーちゃんに関しては、悔いの部分と、やるだけやったという部分が、微妙な均衡を保っていて、未だにどちらかに揺れ、その都度、後悔したり、これでよかったと確認したり。
ショーちゃんと出会った頃に戻りたいとは思わないですが、出会った瞬間を、もう一度、感じることができるのなら、感じたいとは思います。


もっと、一緒にいたかったなぁ。

2016年11月19日(土)
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