にゃんことごはん
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 友人の話をしよう 大切な猫との出会い きっけくれた

今日は猫の日。亡きショーちゃんは一日違えば、猫の日生まれだったのにね、なんて話をしたことも。
ショーちゃん、去年の冬は雪が多かったね。成猫になってからは抱っこ嫌いになってしまったのに、弱ってしまってからは、また子猫のころのように抱っこさせてくれるようになったショーを抱いて、降りしきる雪を見ていたのが、悲しくも幸せな記憶です。

以下、自己嫌悪に苛まれた記録です。

茶々の元親さんである友人が、あまりに予想より早く亡くなって、消化しきれずにいました。年末、仕事がたてっこんでいたので、年明け、落ち着いたらお見舞いに行こうと思っていた矢先。
こんなことなら、無理をしてでも時間を作ればよかったと。
いつも、いつも、後悔とは、そんな詮無い繰言。

彼女には、とてもお世話になりましたが、おそらく本人はお世話したなどと、露ほども思っていないだろうことは、わかっているけれど、なくなる前に改めて感謝の気持ちを伝えたかったと、そのことは心残りです。でもそれは、私の勝手な残念、なので、感謝の言葉など無くても友人は、こだわりはしないと思います。
でも、とてもとても悔やまれるのは、私に託した茶々のことを、気にかけていた友人に、直接「大丈夫ですよ、茶々は我が家の仔として大事にします」と伝えられなかったこと。

最後に会った昨年9月、自分の余命を、あと「5年」と、友人は言っていました。新薬も開発されているから、それが適合すれば、とも。その後の雑談で「最近、萌えがなくて」と言う彼女に「いやいや、お勧めがありますよ」などと笑いあったものです。
本当に頭のいい人で、だから自分の病気についても、すごくすごく勉強していました。
彼女から、11月初頭に(予定よりもずっと早く)茶々を引き取ってもらえるなら、とメールをもらったとき、「老後の萌え話が出来ないのが残念ですが」とあって、今思えば、そのとき彼女は自分の余命がわずかなことを把握していたのだろうと、いまさらながらに思い当たります。

お見舞いについて、もし身内に同様の病人がいたら、自己満足のお見舞いは病人の負担になるから、できれば遠慮してほしい、とブログに記していたのに、私には「チャチャコの話をしがてら、(緩和病棟に)遊びに来ませんか」とメールをくれていたのに。
子どものいない友人は、猫のことをわが子として、気にかけていたのに。
メールも送っているから、茶々が元気で我が家になじみつつあったのはわかってくれていたとは思うけれど、やっぱり、茶々の話をじかに私から聞きたかったのだろうに。
鈍感な自分を、殴りたい、ほんとうに。
そんな後悔を、ずっと抱えていました。

ショーの命日を迎えて、ようやく、友人がくれたものへの感謝も、友人に出来なかったことの後悔もひっくるめて、茶々と、友人が出会いのきっかえをくれた猫たちに返していくしかないのだな、という当たり前のことを受け入れる気持ちになりました。

後悔がなくなるわけでもなく、負債を返済するように「これでチャラ」というようなものでもなく、でも、受け入れることしかできることはない、ということかな、と。


2015年02月22日(日)
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