消えてゆく小さなこと


消 え て ゆ く 小 さ な こ と

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1925年09月30日(水)

やっぱり

きれいな夢やあこがれは

とてもとても大切なもの

持っているだけで

自分の中の明るいもの

だから

捨てないで 忘れないで



握りしめていなくていい

雲のように仰ぎ見ればいい


1925年09月29日(火)

四季のあること
その移ろいに心を潤す
そういう国民性なのに

コロナが始まって
何もできずに季節が変わる

もっと楽しみたいのにね

運動不足にならないように
安全対策をして運動をすればいい
そうかもしれないけれど

何か違うよね

いつまで続くのでしょうか
我慢はしているけれど

目が覚めたとき
世界は変わっていて
元通りにはならない気がする


1925年09月28日(月)

きれいな夢や憧れをすてた

それで理想も消えた

そういうことだと思う

だから道を間違えたのだ


行く先の遠く小さな光を

消してはならぬのだ


ジムノペディを何度も聴く

頭の中でぐるぐると回っている


1925年09月27日(日)

迸る(ほとばしる)言葉にも力はあると思う

けれど
何度も選び直された言葉には
逃げてゆかない力があると思う

時の流れを止め
掌に丸まる重みを

受けとめる


1925年09月26日(土)

自分の気持ちに
ぴったりくる色に出会うと
心が開かれて自由になる

人を傷つけるような
尖った言葉や冷ややかな視線
そういうものが消える

無重力のような心地よさ
引力とも圧力とも離れて


1925年09月25日(金)

欝々と重たい気持ちでいる中
探し物をしていて
きれいな色に出会った
とても淡い好きな色

水でもない空でもない色
こころのいろだと思う
ふわっとおだやかで
しずかな優しい色

思えば
ずっと仕舞い込んでいるカーデガン
よく着ている春の長袖Tシャツ
その色だった

白い花が映える
それは晴れ晴れとした白とはまた違う
繭のような輝き

その白をより輝かせているのは
そっと寄り添う淡いグレーと気づいた

探していたものを
ありがとう


1925年09月24日(木)

他人のことに
所詮とかたかがとかを
口癖のように使う人

分別くさくわかった風に
かっこつけていうのが
かなり不愉快

吐き捨てるように言うのは
卑屈感や諦め感
他への蔑み感を感じる

人への敬意というものを
持たない人だと思う

その人が
人に感動している言葉を
聞いたことがない


1925年09月23日(水)

被害者意識が強くて
この恨み絶対晴らしてやる的な
人なのかもね

世間を敵に回して
立ち回ってるみたいな

幸福感あるのかな
今まであったのかな
「自分が勝った」と思えたときが
そうなのかな

勝ち負けより
よく闘った感というもの
ないのかな

いつも
ファイティングポーズな人だ


1925年09月22日(火)

うまく流せばよいという
単純な仕事ではないので

作業の一手ごとに
思いが動く

手を止めて
思考する時間も必要だし
あてのない夢想もある

何が役立つかなんて
その時はわからない


1925年09月21日(月)

一人が寂しいと呟く人は
哀れなのか

一人が淋しいと云う人は
しあわせ者なのか

一人が痛快と語る人は
不幸なのか

一人になりたくて
命をとじた人


1925年09月20日(日)

到達目標に

もう一度チャレンジしてみる

構えを軽くしてやってみる

今度は達成できるだろうか


1925年09月19日(土)

日中 外の作業が暑かった

あたたかな夕暮れになって

ほのかな夜風に吹かれていると

どこか遠くで

お祭りの音がするような

そんな気がした


コロナ自粛で

季節の感じ方がヘン


1925年09月18日(金)

ここに絶えず更新している人たちは
自分の毎日に誇りを持って
自分のことに気合いを入れて
張り切って生きている人たちなのでしょうね

ここに記すことが生きがい
というと大げさだけれど

単に成功を目指すという意味でなく
失敗の中でも真剣に生きるという誇り
まばゆいです

私は後ろめたく
時折脱落旅に出る


1925年09月17日(木)

ねたみそねみひがみ と

心がけちんぼなのは

心が貧しいのです


1925年09月16日(水)

会うこともない遠い世界の人たち
ではあるけれど
その言動は報道で見聞きするわけで

という次第で
厳しい言葉を吐いてしまって
自分にあなた何様な気がして削除

結局は赤の他人のことですから
私がどうこう思っても関係ないし
自分のことだけ記すまで
よそ様はよそ様と


1925年09月15日(火)

窓から見える公園は水浸し

こんなに降っているのに

風がないのか

大樹の枝が揺れもしない

若葉が波打ちもしない

不思議で

じっと見ている


1925年09月14日(月)

自分のモチベーションにもよるけれど
満ち欠けのあまりの速さに
驚きを感じた

月の静かなイメージは
ただ思い込んでいただけで
動的な力強さも
荒々しさもあるのかも

神話の中にいる女神だもの
力があるのは当たり前
ひっそりイメージの
大和撫子ではない


1925年09月13日(日)

白波の立つ瀬をぬけて流れ寄る

岸辺に青き花の群れあり


1925年09月12日(土)

クールに決断するのは

頭の中の作業


冷ややかな目線は

ハートからです


1925年09月11日(金)

いやな出来事を
教訓にするべく忘れてはいけない
と縛られるのは妥当なことなのだろうか

前を向こうとは言っても
忘れりゃいいとは
誰も言わない

けれど
戻るのでなく進むには
忘れたほうがいいこともある

忘れることをできた人が
前へ進んでいる気がする


1925年09月10日(木)

昨日も今日も

もう少し気配りできなかったものかな

あと一言

やっぱり足りない

おとなげない


アプローチをかえてみようか


1925年09月09日(水)

巷でよく見聞きする
生きた証とか生きてきた証 という言葉
こぞって自分史をなどとPRしている

そんなに必要?
そんなに欲する?

私が生きた証は
今私が生きていること

私が生きてきた証は
今の私にすべて在る

私の行いは
誰かの中に伝わって残り

誰かにもらったものは
私の中に残る

よいことも悪いことも
それでよし
書き残そうとは思わない
自分の中で終結としたい

木の葉のように土になる
それでいい


1925年09月08日(火)

アキラメル 

という一つの意志決定


もう闘わないこと

もう挑まないこと


1925年09月07日(月)

アキラメヨウ

それはもう蘇らない

新しいものを

考えよう

それが仕事だと思う

前へすすみませう

でも悲しい


1925年09月06日(日)

ミモザが終わりかけてきた
花がらの片づけに追われる

傍らのもこもこして地味な花が
とてもきれいに香る
清々しく甘やかで
辺りに広がっている

ずっとホワイトセージだと思っていたのが
シルバーリーフのブッドレアとわかった


1925年09月05日(土)

頭が空っぽで
行動を組み立てられない

落としたものを
拾うだけでいいのに

大きなプロジェクトばかり
考えてしまう


1925年09月04日(金)

自分を変える 
なんていう大げさでなく
一寸軌道修正 
ぐらいで考える

角や曲の度合いなど
微々たることで
その先は大きく変わる


1925年09月03日(木)

再開したけれどうまく進まない
リハビリのことばかり考えている
医師やスタッフの説明が物足りない
いまいちピンとこない
こんなでいいのだろうか


1925年09月02日(水)

海外の壮大な歴史長編ドラマ
国をまとめる英雄ものかと思ったら
国同士の政りごと
大きな陰謀策略駆け引きばかり
小さな嘘だらけ
なんか疲れる


大草原の一家が好きだった
人々の様々な心が見えた
すべてを包んで
人を好きになるドラマだった
あたたかかったよ
麗しかった


1925年09月01日(火)

へそ曲がり
おこりんぼ
いつも不満だらけ

それ
野望というものを
持たなくなったからじゃない?

野望しかない人もイヤだけれど
少なくとも
遠くに目をやってる人は
その辺の些細な事に
うるさくしない




天窓より          


−ともすれば消えそうになる自分を見失わぬよう−       

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− ささやかに −          

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日付は通し番号として記しています         


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