消えてゆく小さなこと


消 え て ゆ く 小 さ な こ と

1st    index         new


1925年05月31日(日)

ハナから出来ないと決めつけていたこと
やってみれば案外できるんだな
外せないとか ほどけないとか

子どもの方が
ガムシャラにやってる気がする
一心にやってみてる気がする

大人の方が諦めるというか
省エネ化してしまってる

自分のエネルギーなら
もっと無駄に使っていいんじゃないか
そう思った


1925年05月30日(土)

今日のわくわく

警察犬のクレバ号
やったね!!

もともとできる子だったらしいのに
なぜ逃走したのかは
本人しかわからないけれど
ちゃんと再出発した

これからも成長して
活躍してね


1925年05月29日(金)

そう言えば

気まぐれでしたよ
もっと若いころ

思いつきだけで
行動していた

オトナになって
慎んだだけで

本当は本来やっぱり
気まぐれなんだ

でも
それでいいやと
最近認めている


1925年05月28日(木)

外作業のイメージがわかない
意欲が出てこない
計画未定

庭に鳥が横たわっていた
灰色のとり
ヒヨドリかな
怖いので近寄れず片づけてもらった

カラスにやられて
屋根から落ちたのかもと言ってた
朝 羽毛があちこち飛んでたけれど
その時は鳥に気づかなかったと


1925年05月27日(水)

仕方なしにしていることを

切ってゆけば


自ずとよい方へ

道は定まってゆくのかもしれない


1925年05月26日(火)

以前に

池江選手がウイッグをはずした姿の初公開と  

小さな希望になればうれしいです

というメッセージを見た

美しく優しい笑顔で奇跡に見えた

ずっと応援してる

今すごくがんばっているけれど

無理ないようにと祈ってる

オリンピックがすべてではないけれど

輝くものには違いない

誰かの偏見でケチがつかないでほしいと思う


1925年05月25日(月)

実用一点張りとか

シンプルイズベストのモダンとか

自分にはやっぱり合わない気がする

遊びがないのは疲れる

小さなハッピーモチーフを選んでしまう


1925年05月24日(日)

何かいやなもの踏んだとき

しまった と悔やんで

ずっと下見て歩くより

あら災難だったね と

笑ってやり過ごせれば

いいね


1925年05月23日(土)

Q 心はどこにあると思うか

ジンジャービスケットのようなひと形の絵に
ハートマークを描くなら

A1 胸部にハート

A2 脳部にハート

A3 頭から糸で風船みたいにハート

A4 全身をオーラのようなハート型で囲む


いつも思う
ひとはどんな絵を描くのだろうと


1925年05月22日(金)

漢方が処方された
気休めなのか
効いているのか
よくわからない
効いている気もする

漢方って
すぐには効かないよねと
なぜか思ってしまう

きっとしばらくして
役立ってると感じるんだろうね


1925年05月21日(木)

春の風も
いいけれど

ふるえるような
春の兆しの風に

いいね!を


1925年05月20日(水)

しがみついている

両手を離して

あたらしい風を抱け

あたらしい夢に向かえ


1925年05月19日(火)

自粛しています
暴れ回らないようにしています

でも何だか
何やってんだー!と
自分を叱るパワーさえ
抜けた気がする

大人として
自分を叱ることを
思い出せ

寝ぼけ眼を見開いて
自分を叱るを
決行しよう


1925年05月18日(月)

この頃反省しなくなったと思う
後悔ばかりするのに

いやな気持ちになって
暗くなっている自分を
わかっているのに
反省しようとしない自分がいる

悪かった点をさらして
どうするかを考えようとしない
自分の反省会を開こうとしない
そのまま投げやりな自分がいる

気持ちがかわいて
涙も出ない

気づいているのに
わかっているのに
するーしてるよ
どうする自分

ひとを
悪く思ってばかりいて


1925年05月17日(日)

その人は
自分の一番嫌な部分を吐き出したくて
そのカタチを選んだのだと思う

そして
身動きできなくなったのだと思う

そして
カッコよくいこうとする人も
同じに見える


1925年05月16日(土)

プロが仕事で編んだ言葉ではない


ふつうの人それぞれの思いの言葉

心打たれるし 頭が下がる

みんなそれぞれに

一生懸命生きている

項垂れたりもがいたりがあっても

生きることにつなぐ

その発露だと思う


1925年05月15日(金)

ツギハギなんですね

しょうがないよ

気まぐれだから

それでも楽しめればね


1925年05月14日(木)

山歩きの夢を見た

大きな山を背に

ふたりで写真を撮る

晴れやかに笑んで


夢の記憶は

しまう場所がない


1925年05月13日(水)

春になってくると
白飯回帰

ふっくら御飯が美味しい
白いお握りがいい

ご馳走より
元気をくれる

おだやかな気持ちの
源だと思う

飽きる要素がない
おなかの底から平和な気持ち


1925年05月12日(火)

春になると
信じる気持ちがまた生まれる

信じれば叶う
そう思える

人は人を助けることができる


1925年05月11日(月)

なんとなく思っていたけれど
カメみたいな人だ

慢心か諦めかこのままで十分
自分を高める意欲はない
面倒なら首をすくめればいい
いつもそう

早く進む気もないし
高い枝に手を伸ばす気もない
ジャンプなんて考えもしない

ウサギに勝ったと自慢しても
ウサギが自分で負けただけ
相手を見て勝てる勝負しかしないものね
というか見下し発言多いね


1925年05月10日(日)

春一番ときく

そうなんだね

気持ちがはずむ

気持ちは冬には戻さない

進めの気持ちで決行

春の光は真珠の首飾り


1925年05月09日(土)

風に陽ざしがキラリと入る

2月だもの


マチガイを怖れるな

決行しよう

どんどん進もう


そう言ってる


1925年05月08日(金)

今日の夕焼けは

燃えるオレンジ色でなく

静かなばら色だった


胸いっぱいの郷愁でなく

静かな天使の色だった


1925年05月07日(木)

新しいドラマがあまりにもひどくて
ホンキかと疑うほどの欺かれ感
ふざけてるのかと思うほど
というか
それを目論んでる?と思うほど

として視聴者を集めてる?
噂は噂を広げるから

それも一つの手法としての
テストかもしれない


1925年05月06日(水)

決心と行動がずいぶん間延びしてるから

決心しても動かないことが多いから

決心したら行うように

自分の気合い言葉を 

「決行する」 に設定


1925年05月05日(火)

完敗
あなたはエースばかり
わたしはダブルフォールト連発
やっと拾えばスマッシュされる
手加減されるのは面白くないけれど
ラブゲームは早く終わりすぎる
わたしのラケットは古いの
でも呼んでくれてありがとう


1925年05月04日(月)

子どもなら
真っ直ぐすくすくでいい

大人はそれだけじゃない

ひねりもないと強くないでしょ
裏側もぐるっと回って
しなりながら天へ向けばいい

たとえまっすぐでも
スカスカは折れる


1925年05月03日(日)

もう節分の足音
それは春の音

たくさんの球根類が
知らぬ間に小さな葉を出していた

淡い緑でなく
しっかり濃い緑は元気そのもの

野良さん除けのネコイガをはずして
小さなフェンスに替えた

葉っぱが茂って
たくさん蕾をつけるまで
あっという間だ

気持ちが明るくなって
がんばり続けられる気がした

今日は暖かだった
公園で男の子たちが
声を張り上げて遊んでいた
夕暮れには大声で
だるまさんが転んでた


1925年05月02日(土)

とりあえずのままから脱すること
これがベストだという思い込みから脱すること

新しいことを模索すること
やってみること
試すこと
チャレンジすること

行動を起こせと
午後の陽射しが背中を押す

やっぱり北風と太陽だ


1925年05月01日(金)

闇を求めているのではない

一縷の光を求めてここにいる
一条も一点も一粒も
灯る光のまぶしさはきっと同じ
胸に届くあたたかさもきっと同じ




天窓より          


−ともすれば消えそうになる自分を見失わぬよう−       

* * * * * * * * * * * *        
* * * * * * * * * * * *        

− ささやかに −          

*  **  ***  ****        

日付は通し番号として記しています         


 *