消えてゆく小さなこと


消 え て ゆ く 小 さ な こ と

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1923年09月30日(日)

窓から見える公園が面白い
子どもってたくましいね
今まで見たことない遊びをやってる

ラグビーもどき?
ボールでリレー?
バスケット?
鬼ごっこ?

数人がそれぞれボールを抱えて
アスレチック遊具の周りを
みんなでぐるぐるハイスピードで走っている
最後?どこかに投げつけている
そのあと足を投げ出して休憩
大きな息をしてるのがわかる
それを何度も繰り返してる

どんなルールなのだろう


1923年09月29日(土)

口をむすんでいるのは

ため息をつかないから


このご時世

ため息さえつけず

我慢して

控えています


1923年09月28日(金)

ローテーションを

うまく考えられないでいる

動線も決まらない

誰か何かヒント出してよ


1923年09月27日(木)

このところ
頭の中がとてもしずか

脳内無音
静まり返っている

言葉もメロディーもない
とにかく口をむすんでいる

つぶやきも歌もない
ずっと無言でいる

なぜだろう


1923年09月26日(水)

窓から見える二つの公園は
毎日元気な声

当初戸惑い気味に
何となく出てきてる風情だったのが
最近は張り切って遊んでる

集団遊びに慣れてきた感じで
パワフルになってる
スピードが違ってる

小さい子たちはとにかく鬼ごっこ
きゃあきゃあ走り回ってる
少し大きい子たちは
中当てやドッジがメイン
サッカー、バレーボールは数人でパス
バドミントン、テニスはラケット遊び
ラグビーとキャッチボールは見かけない
定番遊具もアスレチックもにぎわってる

男女年齢いろんなグループが
あちこちに楽しそうに遊んでる

今までこんなに出ていなかったから
ガキ大将なんていうのはまだいなさそう
というより
仕切る子がいるというわけではなく
お互い干渉しない陣取りでやってる

あの子達きっと新学期になったら
体力も運動神経もアップしてるだろうね
精神面もたくましくなってるだろうね


1923年09月25日(火)

蒼い月夜が好き

上村松篁の「月夜」が好き

しずかで清らか

近くに展がくれば

いつか前で見てみたい


1923年09月24日(月)

静かな気持ちでいる

どうすればよかったかでなく
これからどうしたいか

失敗から学べだけれど
後ろより前
過去より未来
フィードフォアード的に

どうするのがよいかでなく
どうしたいか

それが未来

先を思うこと


1923年09月23日(日)

わからないなぁ と
穏やかに思う

そのとき 
神がそばにいる気がした
隠れていただけだった
ずっと心にいた


静かな気持ちで思う

ごめんなさい
わたしがまちがった
みんなのために
ばんかいするわ


1923年09月22日(土)

かたづけながら
いろんなところを
ひらいてみる
あけてみる

ほんとうにたくさん
とじたものをもっているね

このとびら このはこ
ひみつでもないのに
ひみつにして
そしてわすれて


1923年09月21日(金)

今でもふと

何がいけなかったのかな

と 考えてしまう

でも わからない


ずっと答えのみつからないものだって

あるのだろうね


1923年09月20日(木)

正面に壁があるのと

正面に閉ざされた扉があるのと

どっちがいい?


立ちはだかるそれは

どちらだとイメージすればいい?


1923年09月19日(水)

筋肉をしつける
という言葉に出会った

なるほど
それならわかると思った


アスリートではないから
鍛えるという言葉には
おいて行かれた

体の弱い子どもに
バレーや乗馬を
というお話に ?だった


でもバレーや乗馬は
鍛えるというより
筋肉をしつけていたんだね

それは体を鍛えて
強くなれるということなんだね

そういうことなら
できそうな気がしてきた


1923年09月18日(火)

慣れてしまえばどうでもないことなのに

そのことをわからず

かわらぬカタチに拘っていたのだ


新しいものに対して

チャレンジとか
 
勇気とか

何かが足りなかったのだ


それはひとつの好奇心

生きる力かな


1923年09月17日(月)

本来の自分とはまるきり逆の
決断を下すことがある ということ

それは
白と黒であり
縦と横である

きっと後に
何を血迷うて 
と思うのだろうね


1923年09月16日(日)

人が右往左往して殺到して
何が何だかわからなくなってきた
出遅れてるのか正常なのか

必要なものが必要なところへ
必要なときに必要なだけ
手に入ることが当たり前だったけれど

今まるで内戦の国のようで
必要なものが手に入るのかどうかが不明
なぜこれがなくなるのだろうという意味不明

戦争は知らないけれど
疑似体験みたいでそら恐ろしい

国の底力って何だろう
このパンデミックが収まったとき
自分の価値観は変わっていると思う

日々の暮らしで大切なものが
変わるような気がする


1923年09月15日(土)

お取り寄せスイーツも
物産展の伝統銘菓も
駅ビルの無印も成城石井も
コンビニプライベートブランドも
何にでも手を出す
私お菓子でできているのか

お菓子の家のおはなしは
ひょっとして 
大人への警鐘かと

お菓子の家に住んではいけないよ
お菓子だらけの家になってはいけないよ
こわい魔女になってしまうよ

くわばら 気をつけよう


1923年09月14日(金)

どこに重心をとるか
どこに体重をかけるか

楽な体勢は安全だ

位置取り スタンス

どんな場合も

すべてはつま先の向きだと感じる


1923年09月13日(木)

だれが許してくれるかではない。

誰が止めてくれるかだ。


と 日めくりにあった


1923年09月12日(水)

慣れたこと 決まったやりかた
熟知していること
効率的でさっさとうまくやれる

そこから離れて
本当の初の新しいこと
やってみないか

その刺激で
目をあけ呼吸し
鼓動を感じてみないか

そして目を閉じ

ゆるく踏み出す


1923年09月11日(火)

古い写真を持っている

満天の星に 一本の松

祈りが空へ昇ってゆく


1923年09月10日(月)

開いた頁の詩に

すぺいんささげ という言葉があった

注に 実在せず作者の創作の植物名とあった


きれいな響きだ

こんな風に自在に植物名をつくれること

当たり前なのに新鮮だった


そうだよね

お話の中の 

村の名も 橋の名も 

みんなそうだものね

きっと鳥の名も


1923年09月09日(日)

大人になってから
脳で生きている感じ

生まれたときは
感覚で生きていた

今意識すればできるだろうか

脳に頼りすぎない生き方を
できるだろうか

感覚をもっと頼る生き方を
できるだろうか


1923年09月08日(土)

イマデショウ という言葉が流行ったね

今ならいう

イマデナクテモ イイデショ


1923年09月07日(金)

まるい手摺のその階段は

ゆっくり上ろう

足元の花を愛で
灯は月明かり

上りきって
落ち着かないなら

弾めばいい


1923年09月06日(木)

無目的という目的もある

常に 目的的であることはシンドク
多目的となるとさらに辛く

目的で名づけることは
限定し、断定し、指示し、強要する
少なくとも暗示することになる

無目的であってよい場所について
そんな内容の文だった


1923年09月05日(水)

桜っぽかった 寒桜かな
見上げるとすぐ上で
メジロが2羽
ずっと花蜜を吸っていた

ゆるやかにいきる
やわらかにいきる

かわのようだね


1923年09月04日(火)

苦手意識のあった新しいセンセイ(医師)の

ほころんだ笑顔で

いっぺんに垣根が解けて

これからはたぶん

ファン


1923年09月03日(月)

ゆるく生きる

許すとか 許せるとか
受け入れるとか
そういう気持ちでなく

自分がゆるく生きればいい
脱力すればいいのだと
そう思った

ゆるく生きれば
気にならなくなる

逃げではなく
ポジティブです

片づけをして
それは自分片づけで
自分をゆるめる作業だと思った

キチキチに生きないこと


1923年09月02日(日)

あたたかなオーラ
ほっとするオーラ
やさしい気持ちになって
にっこりするオーラ
そのオーラを感じるのは
自分にとって大切なもの

大切にシナケレバイケナイものとは別
苦いオーラを感じるものはいらない


1923年09月01日(土)

やっぱり一番たいせつなのは
ユルセル ってことかな

心が広いとか器が大きいとか
寛大とかやさしい とか
いろいろ言葉があっても
ただひとつ
ゆるせる

うけいれることができなくても
ゆるせればいい

そこに在ることを
ゆるせるきもち




天窓より          


−ともすれば消えそうになる自分を見失わぬよう−       

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− ささやかに −          

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日付は通し番号として記しています         


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