消えてゆく小さなこと


消 え て ゆ く 小 さ な こ と

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1923年08月31日(金)

容れものを小さくしてゆくこと

落ち着かない場所であるからこそ

自分をしずめてゆく工夫


1923年08月30日(木)

ホームセンターで
帽子をかぶってコートを着て
マフラーをマスクがわりに
ぐるぐる巻いて手で押さえてる女性がいた
テニスの日焼けしたくないおばさんたちの
覆面みたいなのを思った
ナイスでしょ
洗濯ができるし

マスクのないまま暑くなったら
手ぬぐいでやってみようかな
日焼け止めストールみたいに


1923年08月29日(水)

とても静かな気持ちで

大片づけをしている

書棚から本を全部出して

部屋の模様替えをしている

読んでない本も出てくる

読もうと思う


1923年08月28日(火)

今日の雨は少し冷たくて
でもなんかほっとしている
狂騒を少し鎮めてくれるような

熱い紅茶をいれましょう
何もないので
クラッカーにママレード

マグカップにいれて
両手で包めば
じんわり熱くて

みんなぁ がんばろうや 
と誰かが言ってたセリフを思い出す
なぜか被災に近い気持ちになる

インフルエンザが猛威 とかでも
こんな気持ちにはならないのに
政府のコントロール不足でしょ


1923年08月27日(月)

マスクが手に入らなくなった時
即うがい薬と薬用ハンドソープと
手指アルコールをたくさん買った
騒ぎになる前だったので
まあまあ買えた

マスクが出回るまで
買い物に出る回数を減らすため
トイレットペーパーも
花粉症なのでティッシュも
籠城的備蓄

きっとこういう人間が
騒ぎの種を作ってしまった
少し反省

いろいろバカですから
マスクに懲りたので自衛した
マスクさえあれば
不安も減ったのにね
政府は頼りにならないし

必要な病院にさえマスクが不足って
たかがマスクを作れない国って
滅びても仕方ないかも


1923年08月26日(日)

公園がヘン

わらわらと児童さんたちはいるのです
なんか遊んでます
でもあまり歓声は聞こえません
じみ〜に遊んでる
いつもはワーワー言ってるのに

先生から言われてるのでしょうね
朝っぱらから外で遊ぶないように とか
騒がないように とか

行くとこないしすることないから
公園でたむろってる感じが
子供にさえ出てる

いいんだよ 元気に走り回って
外は空気がいっぱいだからね
両手間隔にさえ離れてればね
おしくらまんじゅうはやめとこ

普段よりこどもは多いけれど
案外ママさんも出てるのですね
幼稚園もお休みなのかも

なんとなく
春を感じるのどかさ ではないのです
つまらなそう退屈そう手持ち無沙汰感
気のせいかな
いつも見える公園と違う感じ


1923年08月25日(土)

晩に出かけたとき
行きも帰りも
その家の前で
ふわっと花の香りを感じた

暗くて門の中はわからなかったけれど
この時期ならそこに沈丁花があったと思う

もう咲いてるんだ
うれしかった

滅入るニュースばかりだけれど
自然はすごいね

明日は昼間に確かめてみよう
公園のはしっこに見える
ぼんやりピンクの樹も確かめて来よう

梅はなかったと思う
桜なら少し早い
何だろうね
杏はなかったと思うし
桃かもしれない


1923年08月24日(金)

あなたは わたしよりえらい

あなたも わたしよりえらい

あなたも 

あなたも

みんな わたしよりえらい

そうおもう

みな すべきことをこなしている


わたしは 

こんなことしているばあいじゃない

すべきことあるでしょう


1923年08月23日(木)

俳句の番組で 
たのしいな俳句 というコーナーが
とても面白かった

崖を翔ぶ仮面ライダー が大受け
楽しかったです
無邪気に笑い転げてしまった
ただ愉快だった


1923年08月22日(水)

雨の一日ほっとする

しっとりおだやかな空気感に包まれる


花粉のアレルギーが楽になる

ピリピリ感がなくなる


1923年08月21日(火)

自分を大きく見せたいんだな

高く見せたいんだな

それがその人の言葉に表れて

少し嫌

己への鼓舞かも知れないけれど


もちろん

甘えて小さく見せる人はなお嫌だけれど


等身大の言葉で伝える人は

輝いて見える


1923年08月20日(月)

音のない日

人の気配なく
往来の気配もなく

気づかぬほどに
細かな雨

大騒ぎをやめませう
時間をとめてやり過ごしませう

その言葉だけで
なにも動かない


1923年08月19日(日)

見ないようにしているところ

そこにはきっとガラクタがある

ゴミなら捨ててる

捨てられないのがガラクタなんだと思う


1923年08月18日(土)

自分は近づいていかずに
自分に引き寄せている
自分に合わせている

自分を合わせてゆく
というのができない

カスタマイズするの
好きだものねぇ

でもそればっかじゃねぇ

型を受け止めることと
何かの型に自分をはめること

大事な作業だと思う


1923年08月17日(金)

おちぶれ感が出てる

おいぼれ感が出てる

みすぼらしくしないで

溌剌颯爽がいいよ


1923年08月16日(木)

スタンスを変える

角度をかえて立つ

胸を開いて立つ

受ける明るさが違う


どう動くか何をするかが

また違って見えてくる


1923年08月15日(水)

人に腹を立てていると
自分の周りが見えなくなる

まわりを見回してみてよ

腹を立てないようにして
ゆっくり周りを見てみると

そのままになっているものが 
たくさん

願っているように見える
待っているように見える
にっこりしたようにも見える

そうだ きみたちにも
してあげないと

そういうことを
発見できる


1923年08月14日(火)

破壊 というより

解体だと思う

組み立て直すという作業


1923年08月13日(月)

まだ高い位置に

とても細い月が輝いていて

でも調べると三日月だった


三日月って

クレッセントって

もう少し太いかと思っていた


1923年08月12日(日)

この時期に
この寒風の中で
戸外で思い出作りって
ちいさい人たちは
ほんとにエネルギーの塊
大人たちはそのパワーを
もらってるんでしょうね
賑やかそう


1923年08月11日(土)

未来に目を向けて時間を過ごすと
脳を活性化させることができるが

過去に目を向けて時間を過ごすと
脳の創造的能力が低下してしまう

という内容の文章があった

検証してみたい文章だった


1923年08月10日(金)

片付け指南書にありがちな
持ってるもの皆ゴミ発想には
そう言われても何だかねぇ と
思ってしまう

この本はそういうのでなく
自分の奥を見つめなおすもの

読んでよかったと思う
それ以上も以下もない

だから文章もキーワードも
あまり覚えていない

おしゃべりしながら
いっしょに散歩しましたね 的


1923年08月09日(木)

意識が変わると
今まで見えなかったものが
見えてくる
見てなかったというか

ガラクタといっても
我楽多だ
ゴミか宝か人それぞれ

自分にとっては
ゴミではなかったけれど
もう宝ではないもの

成長する子供の
おもちゃに似るのかも

わかったことは
今ならそれを
拾いますか
もらい受けますか
安価なら買いますか
高価でも欲しいですか


1923年08月08日(水)

ポジティブに
前向きに進もうとすると
イライラしてばかり

もう進むのやめた
このままでいいと放り出すと
なぜかほっとしている

それは心のガラクタのせいです
それが壁になっているのだと
そう言われるのでしょうね


1923年08月07日(火)

年寄ぶらない
若ぶらない

分別はいる
鮮度もいる


1923年08月06日(月)

幻の海を見た

雲の向こうの
山の向こう

遠い海を見た
見えぬ海を見た

春の海だった


1923年08月05日(日)

読み終える前にわかっていた気がする
すでに自分で書いていた

ガラクタに気づけば
平和に気づく

何がガラクタとなるのかを


1923年08月04日(土)

ちょっと手間暇かけて

ロスしてもいいから

大切なことだ
丁寧にすることは


1923年08月03日(金)

その騒々しい場を離れ
自分の時間を取り戻す

逃げるという手があったのに
なんで今まで気づかなかったかな
ずっとその場に我慢していた


1923年08月02日(木)

見られぬように
奥へ奥へと隠した
もう手の届かぬ
自分の思い


1923年08月01日(水)

自由だけれど
手入れをしていないみすぼらしさは
イケナイと思う

大切なものを大切に扱う
それは真心だと思う




天窓より          


−ともすれば消えそうになる自分を見失わぬよう−       

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− ささやかに −          

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日付は通し番号として記しています         


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