< 親子の前に築ける絆でしょうか >
例え其れが、 形式上の繋がりであっても。
錦の御旗を有すると言う、 事実が在れば。
言葉は威力と成り得るけれど。
形式的な繋がりすら、 其処に無い以上。
正しい言葉であれ、 重みの在る言葉であれ、 血の繋がりを上回る想いであれ、 越権行為なのだ。
目の前でがなり合う、 母と息子。
教育方針と、 住環境と、 互いの苛立ちと。
複合要因を多分に含んだ、 目の前の親子喧嘩。
第三者を求められた奴は。
踏み込めぬ想いに、 戸惑い、 躊躇して。
「結局息子には。」 「言うべき事を言えなかったんだよ。」
奴の彼女にのみ、 意見を伝えた形に留まった。
「言うべきだったよな。」 「どうやったら言えるんだ?」
「俺に聞くなよ。」 「お前が俺に教える方だろ。」
「きっと情けない奴だと思われたな。」
「ま、大丈夫だろ?」 「信頼されてるんだよ。」
奴は不安で堪らないかも知れないけれど。
奴の彼女と其の息子だ。
自身の彼女に対してなら、 少なくとも、 雄と雌の一対一に持ち込める。
其の位の事は、 きっと十二分に理解して居る。
精神的な繋がりが。
形式も、 血も、 超越し得る物が。
其処に育って居るから。
だから二人は、 奴に意見を求めたんじゃないのか。
---------- References Jan.01 2004, 「腐れた縁に想いを託して良いでしょうか」 |
2004年01月11日(日)
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