結婚と言う形に拘るより、 二人の精神的繋がりを重視するべきだ。
結婚と言う形に拘るあまり、 二人の精神的作業に蓋をして、 二人の精神的作業を避けて通っても、 本当の繋がりは得られない。
極めて受け入れ易い考え方。 俺は正しいと思って来た。
ある例外を除いては。
「ずっと側に居て良いの?」
そう問われても、 解答する権利は問うた相手の方にのみ、 与えられている。
「ずっと側に居て良いの?」
そう問われても、 奴は解答権を有する事すら許されていないのだ。
二人の将来に、 二人の未来に、 幾ら彼女が不安を抱こうと。
奴の年齢に、 奴の若さに、 幾ら彼女が不安を抱こうと。
今も彼女には、 法で決められた相手が居る。
奴はどんなに逆らっても、 時間を戻す事が出来ないのだ。
配偶者と言う見えない敵。 法律と言う見えない敵。
別居している事なんて、 何の根拠にも、 何の力にもならないのだ。
「怖くて何もかも聞けないんだ。」
そう吐き捨てる奴の怖さが、 俺には良く理解出来てしまった。
幾ら精神的に距離を近付けたとしても、 婚姻関係と言う物理的な壁は、 何の変化も無く其処に聳え立ち続けるのだ。
「大人になるしか無いよ。」 「彼女に自分の成長を見せるしか無いよ。」
怖さを跳ね除けるには、 何かに縋って、 何かを信じて、 それに打ち込む事しか無い。
俺もまた、 その位しか答えを持ち合わせないけれど。
幾ら彼女が不安を抱こうと、 二人は対等で無い。
別離を選択していない彼女の方が、 結局立場は強いんだ。
何が不安だよ。 何様なんだよ。
---------- References
Nov.23 2002, 「脅威を感じているのか」 Jan.29 2003, 「何を言えれば良かったですか」 |