にゃんことごはん
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 たとえれば、ひとにあだなす妖怪は、ひとの仇か、ひとの業なのか

妙にもってまわったタイトルですが、なんのことはない、昨日、テレビで「シン・ゴジラ」を見たからなのでした。

ゴジラ映画は、けっこう見ました。初作品放映当時は、年寄りの私もさすがに生まれていなかったので、後にテレビで見たのだと思います(というか何度も観た記憶があります)。
何作目から映画館で見て、どの作品を、テレビ放映で見て、レンタルで見たのかも、定かではありません。でもリュウが子どものころ、よく見ていた記憶はあります。妹一家が遊びに来た正月にみんなで見に行った記憶もあるので、平成版の初期はほぼ、見ていたのではないかと思います。 

最近の作品も映画館まで足を運ばないまでも、テレビ放映されれば見ていたと思います、だって、大好きだから。ハリウッド版ゴジラを「あれは、ジュラシックパークの亜流ね」などと言っていた記憶もあります。

特撮好き(オタクというほどでもない程度)の私ですが、いくつのかの段階があって、ゴジラはその系譜のひとつの源流ではあります。
もうひとつの源流は、「サイボーグ009」でその流れの延長上に今の特撮(仮面ライダーや戦隊)があります。
でも、巨大な脅威、という「敵」の源流は、実はウルトラマンではなく、私にとっては「ゴジラ」なのだと、最近、つくづく思います。ウルトラシリーズは好きでしたが、むしろ「ウルトラマン」以前の「ウルトラQ」や「キャプテンウルトラ」が好きだったので、怪獣バトルもの的な流れのウルトラマンは、私が子どもではなくなってしまったころ(中学生ぐらい)に始まったからか、あまり思い入れがありません。
ゴジラもサイボーグ009も、小学生のころに出会った作品でした(サイボーグ009については、今回は関係ないので、触れずにおきます)。

さて、ゴジラです。

最初にゴジラ作品をみたのがいつなのかは、はっきりしません。
でも、私の記憶の中のゴジラは、実は悪役(という言い方もおかしいのですが)ではなく、地球人と真っ向から敵対する脅威ではなく、地球人に敵対する脅威に対して、立ち向かっていく存在、というのが原点です。別に、人間を大事に思って人間を守る、というわけではなく、ただ圧倒的な脅威が、自分の脅威を脅かす存在を敵視して戦い、それが結果的に、人間にとって都合がよかった、という、そんな感じです。

実際、1960年代ごろのゴジラは、けっこう可愛い顔をしていますし、子ども(ミニラ)に火炎放射の術(術じゃなくて技?)を指南したりしていて、人間的です。

でも、その辺のどこかで私は初代のゴジラ映画を見た。もしくは、初代ゴジラの出自を知ったのだと思います。つまり、水爆実験の申し子として生まれた、人類にとってただ脅威としかいえない、圧倒的な力を持った存在としてのゴジラと、どこかで遭遇したのだと思います。
だから、しばらくのシリーズ休止のあと、初代ゴジラを彷彿とさせるゴジラが登場したとき、わくわくしながら映画館に足を運んだのでしょう。それが、たぶん1984年の作品だと思います。

その後、何作か製作されていくなかで、ゴジラは再び、親子で楽しめる怪獣バトル映画となるのですが、私がリュウや、甥っ子たちと見ていたのは、おそらくこのあたりだと思います。
ちなみに、敵?怪獣として私が好きなのは、キングギドラとラドンです。敵?らしい美しい無駄のないフォルムが、その理由ですが、異論は受け付けます。

閑話休題。
今回、「シン・ゴジラ」を観ての感想が、政府の対応や日米関係にリアリティがあるとか、対ゴジラ戦闘兵器が凄い(いや、凄いのですが)ではなく、ひたすら「ゴジラがかわいそう」だったのが、われながらびっくりでした。

今までもゴジラはフルボッコにされてきました。本人(本獣?)に悪気はないのでしょうが、何せ巨大な歩く核兵器ですから、仕方ありません。ゴジラ的には普通に歩いていても、建物はなぎ倒すし、結果として人は死傷するし、下手すれば放射能汚染です。
攻撃されれば、放射線を発射して周囲を焼き尽くします。
か弱い人類としては、フルボッコにする以外に方法はないのです。

でも今回、ゴジラよりも米軍や自衛隊のほうが強く見えるのです。
もちろん、ストーリー前半で日本の首脳が乗ったヘリがゴジラに追撃されて(つまり全員死亡)、臨時政府が設立されるというようなヘヴィな展開はありましたし、それより前に、ゴジラの幼形?が、街を破壊しながら進むという描写もあったのですが。
う〜ん。もっと破壊的な映像を見たいというわけではなく、なんというのでしょうか、ゴジラに敵対する側の絶望感が、感じ取れないというか。私の感受性の問題なのでしょうか?
たとえば幼形のゴジラが、ちょっと可愛くて、怖いというよりは、ただ、でかいが故に不本意に破壊せざるをえない、というようにしか見えず、よってゴジラの圧倒的な怖さが、最初の上陸のときには感じられず、再上陸で「きた〜」と思ったのに、あまり暴れないうちに、やっつけられちゃった、みたいな。

テレビ放映だったので、もしかしたら映画館では違ったのかもしれません。

でもフルボッコにされるゴジラを見て、普段、山の奥でひっそり暮らしているのに、うっかり間違えて里に下りてしまった熊を想像してしまったのでした。それだって、そんな熊と遭遇した人にとってはたまったものではありませんし、私だって、そんなことは御免です。
私は山を降りてきた熊と遭遇したことはありません。だから、熊よりもゴジラが怖いとは言えません。でも知識としては知っています、熊は怖がりで、普段は人間と遭遇すると逃げるのだ、と。

もちろん、何らかの事情があれば、人間は熊よりか弱いので、熊が攻撃してくればフルボッコかもしれません。でも、こちらが刺激しなければ、滅多に攻撃はしてこない、らしいです。
たとえば鮫も、よほど空腹か、血の匂いがあるかしなければ、人間を襲ったりしないとも言います。

ゴジラもほんとうは、静かに海底で眠っていたはずの古代生物を放射能汚染物質として目覚めさせた、それを「ゴジラ」という、その根底が、今作では明確に明示されていないのです。
あくまでも、ある島で言い伝えられれてた正体不明の生物、とされ、それ以上の、追求や分析はなされていなかったように、思います(私が見逃しただけでしょうか?)。

視聴者である私たちは、ゴジラ映画を何度も見てたり、前情報を持っていたりしますので、「ゴジラ=脅威」は自明の理ではあるのですが、何回かゴジラ映画を見てきた私にとって、今回のゴジラは、とても弱弱しく、哀れに見えました。

で、そのあと、少しばかりゴジラ関係の動画を検索していたら、MAD映像に遭遇しました。
進撃の巨人とゴジラ映画の(勝手に)コラボ画像です。

ゴジラの怖さって、進撃の巨人の怖さとちょっと近いかもと、そのとき気づきました。大きさとか、圧倒的な力とか。
でも、ゴジラは曲がりなりにも怪獣です、人間っぽいところは(1960年代に多少はあったにせよ、コンセプトは異なります)ありません、でも、巨人は見た目人間です、全然意思疎通できないし、どうやら生理活動も異なるようですし。

怪獣と、巨人(進撃の巨人のキャラ)、どちらが怖いか。
怪獣は最初から意思疎通のできるものであるという期待をしない存在、で、人型の巨人は、一見、人間っぽく見えるから意思疎通できるかもしれないと期待したうえで、最悪の形で(ある意味ゴジラが人を傷つけるよりもひどい形で)裏切ってくる、という存在なんだと、思います。

監督は、当然、アニメ化もされた進撃の巨人をご存知だと思うのですが、もしかして、従来通りの「怪獣」を描いても、「巨人」の怖さには負けるかも、と思ったりしたのかしらと、ちらりと思いました。

猫とは、なんの関係もない話です。すみません。

とりあえず、我が家にとって、練々と茶々子は、ほんとにちっちゃいけど、巨人ほどの存在感をもって、私を脅かす存在、ということで。

2017年11月13日(月)
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