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■ 猫の居る小説求め 夜な夜なに 活字におぼれ夢に漂う
25年ぐらい前に読んだエッセイに、小説を読みたいときというのは何がしか心が傷ついていてそれを修復しようとしているときなのだというような意味合いの一文がありました。 それは、シングルマザーで一人息子を育てている文筆家の文で、息子が小説を読んでいる時期、漫画を読んでいる時期を客観的に観察した結果、得られた結論という感じでした。選択肢にゲームがなかったのは、まあ、時代、でしょう。
私に限って言えば、小説も読みますし、漫画も読みますし、もちろんテレビドラマも見ますし、最近はゲームもしますけれど、逃避したいときは、活字が一番。
1週間ほど寝付いたあと、今度は難聴がひどくなって、またヨレヨレしていました。 これは眩暈も伴うので、安静にしているしかなく、でもじっと寝ているのも気持ち悪く、けっこう本を読みました。眩暈がしている真っ最中は無理でも、そこまで症状がひどくないとき、でも起き上がるのは少し不安なとき、私の場合、本は読めるのです。さすが活字中毒。 そして本だけは潤沢にある我が家なので、しばらく読み返していなかったものを再読したり、くらくらと眩暈がするときは、途中で放り出しても経過も結末もよく知っている本の活字を眺めつつ、転寝したり。
そんなこんなするうちに、体調のいいときについつい猫が出てくる小説を見つけてしまいます。知ったら読まずにいられません。 本屋に出かけるのは無理でも、今はネットで本を購入しPCの画面で読めます。凄い。 10代のころのように、貪るように読みました。 ついでに猫とは関係ないのですが、書店に足を運んでいなかったために読みそびれていた好きなシリーズものや好きな作家の新作も読みました。
もうゲップが出そうなほど。
そうやっていても、ふとニャンちゃんの不在を思い、目を閉じてしまいます。目の前にニャンちゃんがいないことが、とても理不尽なことに思えて。
そして練々と茶々は、入れ替わりで甘えに来ます。なぜか、必ず入れ替わり。 まるで、練々は「ボクとママの世界」に生きていて、茶々は「アタシとママの世界」に生きていて、二つの世界は決して交わらない、とでもいうように。 彼らも万全な健康体ではないので、投薬や療法食やケアが必要です。 交わらないなら、いっそ別々でいいのに、なぜか練々は茶々用のフードを食べたがり、茶々は練々用のフードを食べたがるのです。
部屋を分けることも考えたのですが、分けた部屋に私が等分に居る、という点について試行錯誤しています。 だいたい、どちらも自分が甘えたいときだけ気まぐれ寄ってくるので、私的には等分のつもりでも、彼らにとっては甘えたいときにいるかいないか、で。 マイペースに寝ていたり、まったりしていたりする合間に、気まぐれに甘えにくる相手に、どう等分のペース配分をしろ、と、という状況です。
まだまだ寝込んだままではいられません。
2017年11月06日(月)
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