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■ 無題3
今日は、日中、少し汗ばむほどの気温になりました。 用事があったので出かけて、ついでにコンビニで遅い朝兼昼をすませました。 なんか午前中が駄目みたいです。 ずっとニャンを見守っていた時間帯だからかもしれません。 昨日、せっかく朝食用に用意した作り置きを食べる気にならず、といって、当然のことながら、作る気力もなく。 最近のコンビニのいくつかには、食事をするスペースがあります。 購入した小さめのパスタを暖めてもらって、やはりそこで購入したもずく酢とチキンの唐揚げで食事と相成った次第です。 帰宅したのは昼過ぎでした。
形、というのは不思議です。 たとえ死んでいても、そこに体があるときには、喪失感はまだ薄いのです。 ショーが亡くなった時、剥製にしてでも残したいと思いました。 しませんでしたけど。でも切実に思いました。形だけでいい、いてほしい、と。 魂がなければ意味がないとは比ゆ的な意味でよく言われますが、形も大事なのではないかと、思います。 体と言う形がなくなると、とたんにとてつもない喪失感に襲われるという経験を、何度もしていますから。
ニャンはリュウが小学校2年生の年末に我が家にやってきました。 推定、2ヶ月半ぐらい。 猫は生後1年で人間で言うところの成人だそうです。その後は、1年に4歳ずつ年をとると聞きました。 では、その最初の1年は人間で言うと、どれぐらいの年齢になるのでしょうか? メスは生後半年で発情期が来て妊娠したりもするそうで、そう考えると成人が20歳としてもその半分の10歳では、少し発情妊娠は早いようにも思います。
なんとなくニャンは、リュウと同じぐらいの年頃だったのでは、と思っています。 ところが成長の遅い人間と異なり、ニャンはどんどん成長します。すぐにリュウより大人になります。 そう思うのは、ニャンがリュウのことを、弟分だと思っていた節があるからです。弟だから、リュウに何をされても「仕方ないなぁ」と受け入れている、そんな感じです。 私に甘えるのとは別の情を、リュウに抱いていたニャンは、ある意味、子育てという場面で私の戦友だったのかもしれません。
ニャンのもう一人(一匹?)の弟分がショーでした。 ショーは、学年があがって帰宅が遅くなるリュウの代わりに、ニャンが寂しくないように、と探し、私と運命の出会い(笑、でも本気)をして迎えた仔でした。
ショーが来た日、とりあえず、奥の和室をショーの部屋にして、少しずつ慣らしていこうとリュウと話しました。 が、帰宅後、10数分でその目論見は瓦解したのです。 ご機嫌で廊下を歩いていたニャンが、突然和室に突進し(出入り口の襖は閉めていました)、そこでにゃーにゃー鳴きだし、ふすまを引っかき、とうとう開けてしまい、ショーちゃんが飛び出し、ニャンちゃんがおっかけ。 阿鼻叫喚にはなりませんでした。 しばらくじゃれているんだか、もみあっているんだかの2匹でしたが、なぜか、寄り添って落ち着いてしまったのです。 当時、我が家にケージがなく、ケージもないのに新入り猫を迎えた私も猫飼い初心者でした。
ニャンはいつもショーに寄り添うようになりました。 「おいらの立場、なくなった?」とリュウがぼやいたものですが、リュウが玩具を振って、ニャンとショーが競って狩をするという光景が、我が家の日々の行事となりました。 ショーは、ニャンよりもずっとマイペースで、わが道を行く、というタイプの仔でした。ときどきニャンの寵愛がうっとおしくなると、私の仕事部屋に逃げてきました。私のトレーナーの裾に包まったりして。 不思議なものでニャンは、私のことを疑いはせず「おかしいなぁ、この部屋に逃げたはずなのに」という雰囲気でうろうろして、部屋を出て行くのでした。
私も当たり前ですが今より若く、リュウも子どもで、ニャンもショーも元気だったあの時代、とても幸福できらきら輝いていた日々だったと思います。 そのときも大変なことや悩みはありましたが、でも振り返ると眩しい、そんな感じ。
そんな時代をニャンと共有していたんだなぁ、と思います。
そういえば火葬のあと、「ニャン太郎くんというのは、ありそうでなかなかない名前ですね」と言われました。 猫がくる、と大喜びしたリュウが「絶対、名前は僕がつける」と言い張って、母なる私はどんな素敵な名前を考えてくれるのだろうとわくわくしていたら、「命名・ニャン太郎」 え、と思いました。ええ? ニャン太郎? でも息子は胸を張って宣言してますし、私も「いいよ」と言った手前、それを取り消すことはできません。
かくして、ニャン太郎として我が家の一員となったニャン。 18年を生きて、死んでいったニャン。 ありがとう、我が家に来てくれて。 君のおかげで、この18年、とてもとても楽しかったし、嬉しかったし、幸せだったよ。 20年でも25年でも生きてくれて、尻尾が二つに分かれても、全然、問題なかったんだけどなぁ。それだけが、ちょっと残念。 でも、ありがとう。
2017年10月09日(月)
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