かたほうだけのパンプス
敦子



 9月度女子会

今週は、群馬フェィスブック女子会に参加しました。
なんか女子高生みたいですが、ほとんどが40代よ〜。(ひとり30代)
彼女らは経営者やなにかのプロフェッシャルなんですよ。
私は、皆様のご好意で参加させていただいていますが、動くとなるといろいろあるものです。
そこが、健康でバリバリやっていける人との微妙な「差」なんですよ。
ラッキーなのは、女子会70人のなかでイラストを描いているのは私だけなんです。
一番多いのは、エステ。次いでマッサージ。けっこう多いのはスピリチャル。スピリチャルの人は滝に打たれに山にこもったり・・・写真みたいなことをやっているけど、けっこう真面目に修行してる人も・・・。
あんまりいないのは・・・忙しいからだと思うけど会計、FP(ファイナンシャルプランナー)系は少ないですね。


2012年09月28日(金)



 脳卒中、社会レスという悩み

私が呼びかけてつくった脳卒中の中途障害者のサークル「いきいきフレッシュ」
何度も書いてくどいのですが・・・。

毎日、考えても一向に動こうとしない私。
ひとつは、毎日が暑過ぎてみんなも私自身も体調が芳しくないから動けない。
もうひとつは、私が、招集する余裕がなく、なんの準備もできてないから・・・から。

私が言いたいことは
*病気・障害になっても自分の居場所、社会がなければ、治るものも治りづらい。
人間にとっては自分の生きる場「社会」が必要だ。
*障害者と高齢者を一緒くたにするな!

今、最も悩んでいることは、
障害者と高齢者の一緒くたの問題の方だ。

このところ私は友達がどんどん増え、なにも高齢者の場でなくても居場所は出来た。
でもそれは、最近のはなし。しかもネットを通じてのこと。
行政が、医療が、脳卒中協会が、地域がなんとかしてくるわけじゃなかった。
病気になって応急処置で頭手術してくれた、歩けるようにおトイレ、お食事ができるように最低限のQOLまではやってくれました。
QOLとは、クオリティオブライフといって生活の質という意。

でも、それだけじゃ生きていけないんだよな。
生きるって単なる「生存」ということではなくて生きていく「生活」をみんなは求めているんだ。

私がいきいきフレッシュを運営していけなくなった理由は、会のみんなとまったく合わないからなのだ。
みんなが嫌いなわけじゃない。
ただ年齢層や生活圏が違う・・・彼らはTV族、ネットはまったくしない。演歌好き、ほぼ群馬生活、年齢60代
私は、TV捨てた(TV断捨離)族、ネット中心生活、演歌大嫌い。東京出身、年齢40代


かみ合わないから、疲れてしまう。
行政、医療とかは脳卒中になった人の年齢層の生活、ライフに対して大雑把過ぎるわけですよ。
病気や障害者になると困るのは、身体がどうのこうのよりも社会レスになってしまうということなのです。



2012年09月24日(月)



 そういうことなのです

私は、絵や文書く以外のことはなるべくやりたくないんです。というよりも正確には出来ないと言ったほうがいいと思います。

私は、左手がマヒがあって片マヒとイメージだと思われますが、実は、利き手であり、マヒのない方の手は、大丈夫!だと思われがちです・・・が、実は、おかしいのです。
今から25年前の長男出産後2週間くらいした頃に軽く左脳内出血を起こしたらしいのです。その当時は、気が付きませんでした。なんとなく手がゆるくしびれて、力が入らなかったのでした。でもすぐ治って・・・というよりもまさか脳内出血を起こしているなんて夢にも思いませんでした。
というわけで、右手も弱いのです。昨日は、天気がおかしくて、右手がへんだった。
包丁でキャベツの千切りをしようとすると千切りなんてできません、短冊切りになってしまうのですが・・・そのとき、包丁の振動、握る。握りにくい。
食器等を片手で洗うのですが・・・あまりきれいに洗えません。食器等を洗うような手の動きはどうもやりにくいのです。でもね、絵を書くのは大丈夫なのです。だからです。

病気になったり、環境が変わったりすると出来ることに制限ができてくる。限られてくるわけです。

今の悩みは、手が動くだの、動かないだのではなくて予期せぬ状態になってしまってからどうしていくか?そういうことなのです。

そういうことなのです。


2012年09月22日(土)



 障害者差別禁止法

昨日のラジオは「障害者差別禁止法案」がテーマだった。
私は、今回のアメリカ旅行で、放送内でも語られていたアメリカのADA法の資料を見せてもらった。
このブログでいくつか紹介しているが、アメリカでは車イス生活OK!なのだ。
私は、現在車イス使用ではないが、杖使用なので車椅子に準ずる状態だ。
むこうは、いいよー!コンビニのカウンターも車イス用に低い、コンビニのトイレももちろん車イスがすいすい入れる広くスペースとってある!

ラジオで気になったのは、やっぱり日本人の低さだった。
実は私自身も障害者を低く見ている。
それは、自分の要求を堂々と言えず、申し訳ないというお願いスタイルなのだ。
この間ある人から、こう言われた
「あなたは、絵や文を書くので夢を売る仕事だから、障害者ということを前面にだすな!」と
それは嘘をつけと言う意味ではなくて、価値を下げるということになるらしい。
でも、障害者って低いの?と思ってしまう。
ここで考えるよね。
私としては、障害者も健常者も同じ人間だから、どっちが上とかしたとか、価値が高いか、低いはないと思う。
でも、こういうことなのだ。
例えば、おいしい食べ物をプロが「おいしい」と言えばおいしいとみなが納得する。
でも味オンチの人が「おいしい」と言ってもそれがおいしいとはみなは納得しがたい・・・。ということと同じような受けとめ方になるというのである。

私の作品、フェィスブックとメールマガジンでショートストーリーやイラストが閲覧できます。作品にわざわざ作者が障害者という情報は不要だときっぱり言われた。
確かに私のショートストーリーは、都会で働く若い女性の戸惑いや、都会の主婦の戸惑いが多い・・・20〜30代東京在住だったから。
新宿副都心のスターバックスコ―ヒ―でコーヒーを飲みながら悩む女性のストーリーに関係のない情報は付加しない方がいいというのだ。

で、私は、今現在車の運転が出来ない。
もう「てんかん」の薬を飲んでいないから運転してもいい!と医師に言われたが、とてもじゃないが運転するほどの集中力はない。
今、うちでの生活は絵を書いたり、パソコンしたり、猫みたいに床にゴロゴロしたり・・・それが精いっぱいなのだ。
運転なんて想像の外なのだ。無理だ!東京まで二時間くらい集中力が途切れずに運転するなんて・・・というよりもひとりで車に乗れる?車によってはドアが閉められないときもある。

要するに出来る範囲内での生活なのにそれを他者に遠慮して生きる生き方しかできない社会とはなんぞや?ということなんですよ。

これは、介護してるときも、育児のときも、女性という「性」。私はいつもぶちあたる壁を見てしまうのだ!

「障害があるので出来ないことが多いので申し訳ありません、お手伝いください!」とわざわざ、頭を下げてやってもらう。他人に障害者ですみません。というような考えになる日本社会がおかしい!というのだ。

でも、よく「うるせーな!障害者のクセに」ってよく言いますよね。
そう思われているんだから深々と頭を下げてお願いしなくては〜と思ってしまうのだ。
でもこういうふうに考えることが本来ナンセンスなのだ。

日本中に点在して暮らしている私と同じような悩みを持つ諸君は、辛いけど、厳しいけれども、実は高尚な悩みなのだ。

私は、病気で障害が出ちゃったけども考えるレベルが高くなったようで、そう意味ではよかったと思う。
厚顔無恥な・・・というよりも身体に悩むけれどもその悩みの行きつくところが「豊かな」ことだという時点に立たされているんだ!と思うと。

ラジオの内容は、アメリカのADA法のように日本もやって行くべきだという意でした。


2012年09月20日(木)



 脳内出血VS脳梗塞

脳卒中の世界では、二極化が起こっている。

脳のなかの血管が切れて脳内に血がドクッ、ドクッと流れ出た・・・「脳内出血」派

脳の中の血管内で血栓がつまってしまった・・・「脳梗塞」派

脳内出血は脳梗塞に比べて少ない。

PCでいうと圧倒的なウインドーズ派の脳梗塞に比べて








2012年09月17日(月)



 サンドイッチをほおばりながら

ものごとを角度を変えて見てみませんか?
みんな目的は同じだけども捉え方や行動が混乱しているのでうまくいかない。うまくいったのは、たまたまうまくいく流れに乗ったとき。なかなかうまくいかないから、うまくいった先人の導きなどを得て、HOW to本などで近道をみつけようと。本は地図のようなもの。

私は、ものごとがなかなか前にすすまないが、それでもちょっとずつ進んでいる。
本来なら、こうやってくすぶっている毎日は、無駄なわけだ。
時間に余裕があるのなら、気付いたことを前にすすめる活動をやらなければならない。
でもどうだろう、現実はこのとおりだ。
このモヤモヤを燃やしてしまいたい。

さっき、夫にコストコで買ってきてもらったパンでサンドイッチして食べた。もちろんコーヒーもコストコで買ってきてもらったもの。
私が、口に入れ、噛み砕いている間も世界中では飢えで死んでいく人がたくさんいる。
電気料金が、原発の有無や等々の諸問題のゆえに値上がる。
でも値上がるだけで、電力の供給はされていく。
要するに困らないのだ。最低限の暮らしは確保できる。
だから私の不満、満たされるぬ思いとかは飢えで死んでいく地域の人たちの暮らしと比較すると贅沢なことなのだ!

私たちが、いや私が幸せになる努力が必要なのか、幸せが行きとどいていない人の幸せのための努力をしていくべきなのか?立ち止まって考えてしまうのだ。


本当は、イラストと脳卒中のこと中心のブログを何度も分けて作っていたが、どうしてもこのブログ以外の方のブログの運営がままならず、結局このブログ一本にまとめた。
分けた方がいいよー!とまわりの人によく言われるが、結局、手がまわらなくなってしまうのだ。ようするに私は不器用なわけだ。
ある人は、7本のブログを運営しているという。どれも適度に更新していると言っていた。が、何年も続かなかったらしく今は、基本の一本のブログの運営のみになっていた。

私は友達に内容、コンテンツではなく、その出会いがなぜ今なのか?ということに気づいてほしかった。
人は目の前のことに追われる。
でも目の前に現れる出来事がなにも今でなくてはいいわけで、10年後でも、10年前でもいいのではないか?
ものごとは変わらないのだ!

例えば、ドーナツ。10年前の同じドーナツ、今日はじめて食べる場合がある。10年前も10年後も同じ材料、製造でまったく同じ。
ものは、変わらない。時間がだけが変わっている。要するにこっち(自分)が変わっているのだ。10年前なら一個といわずに二個食べられたかもしれない。でも10年後なら半分食べるのがやっとかもしれない。

今、私にくれる情報をなぜ10年前にくれなかったのか?他の友達は25年以上前にくれたのに・・・。
人によって出会いの位置、時点は様々なのだ。

時間とかそのときに置かれている立場とか・・・タイミングがものごとはいかせるか、否かなのだ。


2012年09月16日(日)



 リハビリに必要なものは

私は、倒れてから6年が過ぎていきました。
最近では、足が以前とはチガウ感覚で、気持ち悪かったり、そうは言ってもそのたびに目覚めていくようなかんじです。

最近発見したのは(おそいよ〜)、身体と心の関係で身体は・・・
心が身体を愛するということ。
けっして身体が心を愛するのではないと思います。それは、投薬とかで無理に身体を起こそうとするとカンフル剤としては起こせますが、きちんと気が入って起きて維持し続けることは無理。

リハビリの起点は本人の治りたい意志による一歩からですから〜。
だから、中途障害者の社会参加の場が必要だと思うのです。
人がいるから会いに行きたい、そういう思いが歩かせるわけです。

でも医療従事者や医療機関や福祉、行政に必要!だと言いに行っても聞いてくれない。
このあいだカチン!ときたのは、
「そういうのがないのはニーズがないからよ」と普通の人との会話ででたこと。

本当は潜在的なニーズはものすごいあるのですが、うちら脳卒中は、なにせ頭がやられちまった病なので、意欲がなかったり、他者に理解を得られるようにアピール、プレゼンテ―ションなんてできない。
なかには、口が利けなくなった失語症になちゃった人もいる。
*ニ―ズを言いに行っても受け付けてくれない。
*ニーズにこたえられるものがないから
*ニーズを記録してニ―ズに対応する努力してない(もんなー!)
*ニーズがカウントされていないから・・・ないことになっている
よって世の中では中途障害者の(主に脳卒中の機能回復の軽スポーツや交流の場)はニーズがない!ということになっているのだ。クソっ、ふざけんな!脳ってほっておいて勝手に治ってリハビリがどんどん進んで回復できると思うなよ!

私は、冒頭に書いたとおりガンガン回復してきていますよ。でもそれはたまたまであって私もタッチの差で重度の高次機能障害になっている可能性あった。タッチの差で死んでいた。タッチの差で生涯車イス生活になっていたかもしれない。だから他人の障害が他人事と片付けられないだけなのだよ・・・。
こういうふうに思うのって間違ってるかなー?
気付いた人が、それに対して能動的にはたらきかけしたらダメですかね―?


多少歩けてパソコンもこの程度なら活用できる私がなんとか小さく動き始めた。とにかく、以前作って現在中断している「いきいきフレシュ」サイトはこちら
でも、私が動こうとしても限界・・・みんなの連絡取り等、送迎(ほとんどの人が自分で車運転できない、自宅近くに無料バス停がない・・・バスの本数が少ないので利用しづらい等々
とにかく私のキャパシティ超えてんどー!

どうして「必要」を言ってもその分野でお給料もらってる人がやらないで、病気で障害持って体力のないあたしが動かなくちゃならないのか?
それって医療や福祉、行政の怠慢じゃないですかー。
私が必要!必要!と言っているのは、このまま中年層の中途障害者がおうちでくすぶっていると要介護予備軍を増やしつづけているにすぎないからです。

60歳以上の男性は、幼稚なことをさせている高齢者向けディサービスに行きたがっていない。
抵抗があるという人が多い。あんなのに行くくらいなら早く死んだ方がましだ!くらいなことを言っている人がいる(健常者の60代の男性たちのはなし)。

高齢者問題の問題点は「介護」となってるけども、厳密に言うと「独居老人」がネックらしい。独居老人すべてを在宅見守り介護するためには多くのスタッフ確保と、非常ブザーのようなものや遠隔テレビのようなもので見守リ道具の設置が必要となってくるのだそうです。

だから、身体のリハビリには心が動くようなことがまずは必要なんじゃ!
というか、まとめになっていない・・・


2012年09月14日(金)



 NHKバリバラ「障害者の性」

障害者TV「バリバラ」長崎圭子さん出演の放送の回を再放送するという情報をゲットし見ました。
複雑な気持ちで見ました。
 
長崎圭子さんは元ヤンキー19歳のときに事故で右足に障害が残る。以後障害者人生。
彼女は、恋愛したいし、SEXしたいことに苦し悩む経歴のラジオキャスター。
番組は彼女を中心にすすんでいった。
その後、出演者の恋愛&SEX事情や、収録スタジオには出演していなかったが取材VTRで登場した障害者の恋愛も放映された。

出演者の中途障害者は、長崎さんをはじめとしてけっこうカワイイ女性なんですね。
障害者だから恋愛ができないとかまったく関係がない。というのは、彼女らがいい女だからですよ。
長崎さんも言っていたし自身も言ってたが、脳性マヒの人の場合は、ちょっとキモい印象。脳性マヒの人はそういう意味で損しているということと、外見が邪魔しているという切実な事情を具体的なことを取り上げていた。

だから障害者だから恋愛できないとかSEXはない。というふうに最後はきれいにまとめていた。

でもやっぱ出演者の女性がみんなかわいい。あれなら普通の健常の男の人も惚れちゃうよ!というレベルの人ばかりだった。
でも、脳性マヒとか知的障害の人や外見上の障害者の場合はちょっと無理かも・・・外見は関係がない、関係ない。やっぱ最後は中身だよね。なんて言ってたけども、やっぱどうみても出演者はつきあっていけるレベルの人じゃないすかー!

よく名前が出される乙武さんなんかもイケメンなわけだし・・・脳性マヒの人は、手足ノ動きがへんなだけで顔はイケメンでなくても頭のよさそう顔でつきあっていくに困らない程度の雰囲気の人に限られる・・・。
まあ、すべての人にすべてが平等でということは無理なわけだ。
そうしたら健常者の人でも生涯、恋愛に縁のない人もいるわけだし・・・。

重度の脳性マヒの坂口さんという男性が外見にこだわらずに自分をみてほしい!女性にいきなり
「僕とSEXできますか?」と聞いてしまうなどといかに切実な悩みを言っていたが、当の坂口さんに
「女性なら誰とでもSEXできますか?」と聞くと
「出来る人と出来ない人がある・・・」と長崎さんが、
自分のことは受け入れてほしいくせに自分は相手を選ぶのね!と笑いながらもあきれていた・・・。
でもそれがリアルなんですよ!と司会の山本シュウは言っていた。

ネットが発達し、世界中にいろいろな病気や障害者の人と交流しやすくなった今、障害者だから無恋愛という言い訳は通用しない。そう思った。
障害者でもそれなりのカッコよさを持ち合わせている男性、チャーミングな女性もたくさんいる。
もう恋愛に身体障害は障害じゃないのかもしれない。


2012年09月13日(木)



 脳卒中、麻痺からの復活

9月に入ったのにいい加減暑いです。
このところ、私を心配してくれる人からお電話やメールいただきました。ありがとうございます。

私、ちょっと考える時間がほしかったわけです。
だいぶ落ちついてきました。

今いいことは、相談する相手がたくさん現れているということです。

何にもしなかったら、何も前に進みません。
進んで転んでも、いいんです。進まないよりは・・・。という状態です。

今、日毎に足が治ってきています。
毎日、足の指の中がかゆかったり、動いていて神経か、何かが動いていて違和感の連続です。
以前と違って治った感が強いのは、それまで薄れていた感覚が触ったときに感じるのです。

麻痺は、普通の人は「しびれてるのー?」って聞いてくる。
しびれを感じるなんてかなり治ってきている。私はいまその段階。

倒れて頭を手術した直後は、左手足の存在感がなかった。
だからよく看護師さんに「手、忘れてるよ!」と言われた。
要するに、手や足があるということがどういうことなのか?
いや、そんなことまったく頭にないのだ。
麻痺ってそういうこと。
まずは、リハビリで
「あなたには、手と足が有るんだよ」
「動くよ」
どうやって動くかをリハビリしていく。
動かし方を忘れたのではなく、手を動かしていた神経がなくなってしまったので、
新しい神経に新たに教えている。・・・それがリハビリ。
よく部活で先輩が引退する。新入生が入ってくる。新たに新入生に一から教える。そういうことを脳の神経で行っているのだ。
新入りには、毎日毎日腕立て伏せ、腹筋。空気椅子。基礎体力をつけさせる。そんなイメージで、麻痺の足の神経に早くレギュラーになってもらうために特訓する。
これを脳の神経の世界で毎日やっている。というイメージ。私の場合は、健常者に戻るのが究極のゴール地点だから、アスリートの世界でいえばオリンピックにのぞむような感じなのです。
脳卒中で麻痺がひどかった人はまずは、歩るいてトイレに行けて自分でできるようになるのが第一目標!私の場合は、まずは、車椅子で行って一人でできて、リハビリ病院でさらに歩行で行けるまで。

今の目標は、やっぱ、杖なし。今、歩けないのではなくて、バランスが取れない。麻痺側の左足に体重がかけられない。あとは、天気状況に左右されてしまうので、それを自分で調整できれば(?)・・・これは難しそう。健康の人も天気に影響されているから。でもそうはいってもかなりイケテルンンデスよ!

どっちにしても身体に自分の身体を覚えてもらうのだ(?)そうなのよ、自分の身体のことを自分が忘れている。それが脳卒中の麻痺なんだ。

それと麻痺ってしびれじゃない。しびれはかなり回復しているか、弱い麻痺だ。
ほんとうの麻痺は、存在感を失ったことなのだ。

一度折った折り紙をもとの一枚の紙に戻してしまった。それを新たに折り直すというイメージが麻痺の回復だ!
だから神経が記憶が残っていたら回復しやすいが、まっさらになった人は新たに一から教え込まなければならない!

障害者になったのではない、健常者に戻っている途中なのだ!


2012年09月05日(水)
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