プープーの罠
2008年12月27日(土)

placebo

私のパニック障害は
実は治ってはいない。

職場に着いてしまえば何ともないが
通勤電車は非常にナーバスになる。

得意先の打ち合わせは何やらと
理由をつけて行かなかった。



朝、電車に乗っていてこみ上げてくる
不安と吐き気に耐えられずに降り、
大量に人を詰め込んで
ひっきりなしに走る電車を何本も
ベンチに座ってずっと眺めていた。
乗りたいけど乗れない。
帰ろうにも帰れない。

ただでさえ薬が嫌いで
頭痛や風邪、生理痛など
があっても薬は飲まないのだけれど、
会社への迷惑を考えるとそんなことも言っていられず、
降りた駅で最寄りの病院に行ってみて
その場しのぎに診察を受け、薬をもらう。

起立性失調症症候群、
急性胃炎、
胃食道逆流症 。

医者が変わる度に
新しい病名が出てきて一貫性はない。
が、揃って
「ストレスですね」
と言われる。

占いのごとし、 "ストレス" という言葉には
誰しも思いあたるフシがあるだろう。
あぁ、あれが原因かな
などと何となく納得できる。

でも私は思い当たるフシがない。

原因の分からない具合の悪さにこそ
ストレスは感じる
にしてもそれは後からついたもので、
根本がストレスというのには
どうしても納得が行かない。

安易にストレスって言っときゃ、いいと思うなよ。



母親にはメンタル系の病院を勧められたが、
私は心療内科や精神科をよく思ってはいない。

それこそ"ストレス"以外の診断結果を
出してくれそうになさそうだし、
行ってしまったらきっと
投薬量の多さで悦に入っているような人達と
多分私は同類になる。
自分で自分にレッテルを貼り
自力で立ち直ることを放棄しそう。

しばらく実家に帰ることも考えたが、
社会から切り離されて
することが何もない状態でいることは
考え思い詰める時間が圧倒的に増えるだけで
リラックスどころか逆にプレッシャーがかかる。

"療養"という逃避は自分を決定的にだめにする。
それが自分での自己分析だ。



病院にいかずにネットで調べた
暴 露 療 法
要は慣れること

を繰り返すうちに私は広場恐怖に陥った。

仕事は楽しい。
なのに私は本当は会社に行くのが嫌なのだろうか。

そう思ったことも何度かあったけれど
帰りもやっぱりだめだし、
休日の友達との待ち合わせでも同じだった。

待ち合わせてもたどり着けなくてドタキャンになる。
約束が出来なくて自然と誰とも会わなくなり、
休みの日はただ家でじっとしていた。

アルコールが入ると恐怖に制御が効かなく
なるからお酒もやめた。

心拍数がおかしくなって
健康診断の結果もAからいきなりCに落ちた。



だから片道40分の電車通勤を短くしたい。
新宿あたりで働けば歩いても帰れる。

仕事の内容とはまた別にずっとそういう考えがあった。

一方で、
環境が変わるという不安が
これにどう作用するか
ということも不安になるし、
それには送別会だの歓迎会だの
飲まなければいけない機会が伴うこともしんどかった。
平穏に過ごしたくともどのみちつらい。


ともあれ期限は決まったのだ。
年が明けたらすべてがリセットされて
何事もなかったように
ケロッとしてたら
いいのに。

2008年12月26日(金)

世相と私

今年はカレンダーの並びが絶妙
で、仕事納めがちょっと早い。
お正月は9連休だ。

下請けではないので
年末に向かって忙しくなる
わけもなくタラタラと掃除したりして時間を潰す。


派遣会社からの連絡は
 せめて3月末まで延長してほしい
と言われたとのこと、

部内のぼんくらな人事担当が
何も考えずに
その場しのぎに
そう言ってるような印象。

所属しているチームのチーフは
まだまったく知らなそうだ。

という旨を派遣会社の担当に伝え、
やはり延長なしで再度交渉してもらう。

私の携帯に電話が来た数分後に、
部内の人事担当のところに入電があった。
が、驚いた事にその人事は居留守を使った。

あ の 人 な ん な の 。

本当に今日中に決まるんだろうか。



掃除も終わって夕方、
社内でささやかな納会があり
缶ビールで乾杯

すると、チーフがそばに来て、

 浅田さん辞めるんだってね。


…あぁ

決定事項としてすでに受け入れてるのか。
少しガッカリする。

大手企業だと中間管理職くらいじゃ何の権限もないか。



その日の夜遅くに派遣会社の担当から連絡があり
正式に1月末までと聞いた。

止めて欲しかった
わけではないけれど、

少し落ち込む。

2008年12月24日(水)

クリスマス2008

携帯を家に忘れて
会社に行った。


家を出て3分くらいした
ところで気付いたけれど、

仕事の後に待ち合わせがある

わけでもないし、

折り返して取りに行くほど必要

なわけでもないし
そのまま出勤した。


仕事は相変わらずヒマで、
時間潰しに携帯がないのは
ちょっと不便だったけれど。


定時近くになって急に
以前納品した案件の修正が入り、
いつも遅くまでいる人達すら
いそいそと定時に上がっていくクリスマスの中
残業と相成りまして、

まぁ家で一人でいる
よりは残業代を稼いだ方がいくらかマシだ。


いつにも増して手を繋いだカップルが多い道を
真っ直ぐ家に帰ると
携帯の不在着信のランプがピカピカと光っていた。

着信2件。
派遣会社とつじさん

派遣会社は契約の件だろう、
つじさんは辞めて以来ぶりだから4年半くらいになる。


今さら何の用だ?


少し躊躇したけれど、折り返し電話をかけた。
全然変わらない声のつじさんが出て、
まるで旧友のように普通に話し始める。

 娘がね、中3になって、
 受験生なんだけど、
 かっこいい芸術家になるとか言って、
 何か浅田に似てきたの。
 それで浅田のこと思い出して電話してみた。
 何してるのかと思って。


 相変わらずぷらぷらしてますよ。

 結婚した?

 してないですよ。

 だろうと思った(笑)

ひゃっひゃと笑われて私の方も思わず笑みがこぼれる。
そんな風に私を笑ってくれる人と久しぶりに話をしたなと思った。


実際に一緒に働いたのはたった4ヶ月だったけれど、
私が今まで渡り歩いてきた職場の中で
きっと誰よりも私の人格をまるごとおもしろがって
人間性を好いてくれたのが つじさん だった。


つじさんは私が辞めてから今までの
自分の仕事をかいつまんで教えてくれ、
「今いるところはカタイ会社なんだけどね、」
と前置きしてから

 すぐにじゃなくて構わないんだけど、
 また一緒に働けないかな


と言った。


「年が明けたら飲みにでも行きましょう」
と約束をして電話を切ってから
つじさんの会社を検索する。

まさにオカタイ会社だ。
どんなに割のいい求人があっても
私が真っ先にスルーするような。

もしここで働くとしたら
内容はきっとつまらなくなるだろう。

でももう一度彼と一緒に働いてみたい。


"内容"で仕事する。
"お金"のために仕事する。
"人"とする仕事。


私はどれをやりたいのか。
そろそろ答えを見つけてもいいんじゃないのかと思う。

2008年12月22日(月)

飛び石連休の隙間に

師走なのにヒマだ。

今の職場に入って半年とちょっと経った。
3ヶ月ごとに更新があり、2回更新して、
1月末に3回目の交渉がある。

毎度のことながら長期でやるつもりはないので
というか、今の職場を選んだのは
短期派遣だったから
なのに当たり前のように更新は進み、

様子見の3ヶ月目をクリアし
契約当初の期限であったはずの半年目に引き止められ
時給を上げてもらいそれを飲んだ
けれど何にしろ
1年以上続ける
つもりは相変わらずなく、

それでもミーティングで今後のスケジュールを聞いていると
4月あたりに何だか大きなプロジェクトが動くので
それに片足を突っ込んだら辞められないのは必至、
くわえて今は ヒマ、それまでもきっとヒマ

となればやはり1月末の時点で終了としておきたい次第。


けれどそういうタイミングで現在の世の中は
派遣切り
という言葉が踊っている。

Web関係は業界的に慢性人手不足ではあるので
ブルーカラー派遣とはまた事情は違う
にしろ、全体的な募集枠が少なくなっているのも
仕事にあぶれて求職者が増えているのも事実。

さすがに少し躊躇している。

2008年12月15日(月)

マトリョーシカ

すこぶる寒い。


窓際の席は
しん
しん
と冷えるからマフラーを頭から巻いていわゆる
マチコ巻き
な出で立ちで
パソコンに向かっていた

ら、

木山君がそれを見て
「マトリョーシカがいる」
と笑った。

「中から小さい浅田さんが出てきそう」

「私は小さい方の浅田さんになりたいです」
と私は笑って答え、
それはまぁ私が170センチメートル以上あるから
小さい私になったら平均身長くらいかな

という
ほど何かを思って発した
わけでもなかったのだけれど、

そうしたら思いのほかまじめに、
「じゃあ横に大きい浅田さんが半分に割れていることにします」
と彼は付け加えた。


私を真ん中サイズにしてくれたのか。


やさしい。
けど、可笑しい。

2008年12月08日(月)

お笑いが好き

仕事中にメールの着信があり、

近頃の私のケータイはもっぱら
TSUTAYAの半額のお知らせくらいしか来ない
のですが、

それは何と
八木君
だった。



去年の12月1日にINFOBAR2が出て
私はその日にケータイを替えた。
それでメアド変更の連絡をして
その返事が返ってきて、

それ以来、ほぼ一年ぶりの連絡。
正確にいうならば362日ぶり。



そろ
 そろ

と覗いてみると
『M−1のメンツが決まったよ。楽しみ』


何かデジャヴのような
気がしないでもない
んですけど
も。


返事のしようがない。




彼が私のことを好きだった時、私はお笑いが好きだった。
八木君が録画したM-1のビデオを一緒に観た。
その時はアンタッチャブルが敗者復活戦でのし上がってきた。
共有したお笑いはそれくらいだ。

彼の中で私はお笑いが好きなままだ。
彼の中でお笑いが好きな私は色褪せていないのだろうか。


アンタッチャブルの柴田のズボンが何か変なカタチだった。
「変なパンツだね」と言い
ながら観ていたのを覚えてる。
床に座って
手をつないで
親指で私の手の甲を撫でる八木君に
ドキドキしながら観ていたのを覚えてる。


M-1が始まると
八木君は私を思い出す。

それってどういうことなの。




2008年いっぱい、連絡が来なかったら今度こそ
ちゃんと忘れると決めたのに
八木君はずるい。


返事をしなければ
しないでずっと気になって
無駄に深く考えてしまう。
字間も
行間も
時空間も
すべてに意味を求め
読み解こうとしてしまう。

返事をしたらまたその返事を待ってしまう。

そしてまたきっと明日もあさっても
(今日もメール来るかな)
なんて待ってしまうんだ。


『もうメールしないで』


そう出せればどんなにいいだろう。
メールアドレスも電話番号も削除して
着信拒否できたら。


でも私にはまだそれが出来ない。
4年目の12月。

索引
「プープーの罠」 written by 浅田

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