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■ Bit竹富
沖縄県竹富島與那國(よなぐに)邸 (屋号)マイユニュンヤ
なぜこのブログタイトルが「てーどん三世」なのかについてお伝えします。
私は東京都渋谷区広尾にある日本赤十字病院で生まれました。当時は、オリンピック直前の日本が戦後から復興する高度経済成長期真っ只中。 今の日本の状況とちょっぴりかぶるところありますよね。
画像は竹富島からお偉いさんが出たとされる昔の竹富独特のカタチを残しているということで文化財になっています。 私の誕生が今ここに関係しているのです。 與那國家とはまったく関係はございません。 ここのうちに引っ越すことになった女性とのことです。
今、ここは通称「まっちゃおばー」というまっちゃとは幼い時に先祖の誰かから継いでもらった童名です。
竹富島は教育制度が整うまで時間がかかったので、文字がわかる人は少なかったそうです。 人頭税という苦しい制度のなかでの耐え難い理不尽に思いを歌にして伝えつづけました。 名前も同様に伝え続けたそうです。 その名残りで今もニックネームとして呼ばれている人がごくわずかいらっしゃいます。 そのまっちゃおばーの旦那さんが私が生まれた後しばらくして急逝したのです。
この旦那さんは、私の祖母の従弟だったのです。 本来、土地を直系の子孫に継いでもらいたものなのです。 そういういきさつで私が竹富島に移住することを決意したのです。
でも現実は厳しい! 竹富島は建築基準が厳しく、普通の家よりも多くのお金がかかります。
私はここで書いていますが、脳内が破裂し身体に障害がでた身体、働けません。 しかも家建てるなんて全然想定してませんでしたから、リストラ三昧だった夫、自力で大学進学していった子供たち、建築費用なんてまったくなく、しかも竹富島で何の仕事ができるのか?
*参考画像として=有名な歌「安里屋ユンタ」のクヤマに王府から与えられた農地今現在はクヤマの弟の子孫が管理しています。 :ちなみにうちの裏にあたります。
竹富島のウリというか、不幸なことは土壌が最悪なので農作物が育ちにくい現実。 なので神に農産物の実りへの感謝、お願いのために「種子取祭り」を大大的に行っているのです。 その祭りが観光のひとつになっているわけです。
私にとって身体の障害を乗り越え、経済状態が芳しくない現状からなんとしても先祖からの叶わなかった子孫によって繁栄していくというおもいを現実のものとしようとがんばるのです!
当ブログはそのがんばりかたの模索と公開に値する日々の記録です。
そんなわけで無料で(5/31)ゲットした1.000円が 1.000 円は(6/6現在)前日比 85円ついて1,190円となっています。
わー、すごいわ〜。 こういうのやったことなかったから、たった1.000円でしかも無料でゲットしたにもかかわらず上がっちゃってえー。
竹富島の親戚はその昔、人頭税が終わったあと農作物をまとめて石垣島へ売りさばく仲買人として成功していったのです。 そんなふうに現代のあちょーろー(八重山での方言で商い人のこと)のごとく、作物が咲きにくい土壌にろくに動けない身体で仲介的なことで得るべきなのか・・・?
アメブロより
2017年06月06日(火)
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