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■ この瞬間は続くと
あーひふみよツアーが終わる!未練がましくつらつらと。
結局神戸1回だけしか行かなかったな〜。 ツアー後半戦参戦したかったけど、立て続けの出張でどうしようもなく。 ツアーまわってる方のレポとか読むと脊髄反射で「行きてえぇぇ!」と悶えていました。 けどまっくらやみで流れ星ビバップが鳴ったときの、小沢君の声が響いたときの、客席から爆発した歓喜は今でも覚えてる。 最後の曲、順に楽器隊がハケてった舞台で小沢君が一人静かに歌って、音楽がやんで、スポットライトが消えたあとのまっくらやみも覚えてる。 大事なことは忘れないし、思い出すだけで幸福で泣けるから、たった1回だけをずっと抱えているのもいいかなと思う。 これは比べたり並べたりしないで置いておいてもいいこと。 唯一無二のまま、もらったチョコレートを大切にかじりながら毎日を暮らしていこう。 私が行かなかった席分、どこかのだれかが見れたんだと思うことにしよう。 でももしいつかまたライブツアーがあるなら、もうちょっと貪欲にフットワーク軽く追っかけようと思います。 何年先だってわたし待ってる。 たった一度でも叶ったら、待つことはこんなにも気楽。
1980年生まれの私はあの当時の小沢君のスピードにまったく追いつけず、活動停止したあとも悔やみ続けてきた。 これまでいくつか好きなバンドが休止したり解散したりしたけど、あんな理不尽な気持ちになったことはあんまりない。 どこかで「あー終わるなあ」と予想がついていたり、続けるより終わらせるほうが必然で、彼ら自身にとっていいんだと思えたり、最後のライブに行くことができたり、私がもうおとなだったりして、自分の中で落としどころがあった。 でも小沢君の場合は本当にそういう容赦がなかった。 あれは休止や解散ですらなくて、テレビやライブ、どころか日本から姿を消したんだった。 間に合わずに置いていかれて13年、たぶんずっと迷子だったんだろうと思う。 今回のツアーのお客さんはみんなそうだったんじゃないかな。 だからみんなどの歌も完璧に歌えるし、踊れる。 親に捨てられた子どもが、それでも親の形見をすりきれるまで手放さないみたいに。 13年以上も前の大衆音楽の1つを。
小沢君は今回そんな迷子たちを拾いに来てくれて、「いつか僕ら外に飛び出すよ」と歌った。 この部分はいろんな人のレポを読んでも出てこなかったので、おそらくわたしの曲解なのですが、ラブリーの「いつか僕ら外に飛び出すよ」のときに小沢君は客席を煽って、客席を指さすようなジェスチャーをした。 今度はあなたたちの番だよ、あなたたちが飛び出すんだよ、というように。 今思えば単に客席に歌うように振っただけだと思うけど、それまで泣いてた私は「あ、もう泣いてちゃダメだ」と都合よく解釈した。 むかしあの独特の言い回しで「ねえ仔猫ちゃん?もう僕の言ってること分かんなくちゃいけないよ」とさとされたみたいに、私はもう次の場所に連れてってほしかったんだと思う。 そういえばおとなになってから、誰にも諭されたり導かれたりしないね。
小沢君は前より優しくなったとなんとなく思う。 祈りが前より強くなったからかもしれない。 だとしたら、裏の絶望が強くなったのかも、とも思う。
ここのところ立て続けに濃くて心揺さぶられるものをみて、心がそれだけで占められて他ごとがお留守です。 そういえば小沢君が活動を休止したのは29歳のときで、私はいま同じ年。 そう思うと、あの歌たちは怖いくらいの勇気と祈りで、改めて鳥肌が立つ。 ひふみよとカリカの魔王コントが妙に親和して溶けあって、「13年」前の1997-1998年がどんな時代だったか、今さら考えたりする。 もういいかなと思った次の瞬間にまだ絶対死ねないと思ったりもする。
朗読のなかの「笑い」で言われていたことについても、ぼんやりのんびり考えています。 狭くてローカルなネタであればあるほど人は大笑いする。 人にわからない笑いで大笑いするのはなんだかその人を排除してしまうみたいだ、と小沢君は言った。 たしかに「わからない奴はわからないでいい」と言ってしまうことはとても恐い。 そう言って他人を排除することで排除されるのは結局自分自身だから、わからない人にしかわからないことを大声で笑うのは憚られる。 で、笑ってしまったあとに反省して、ひとりで寂しくなって言い訳したりする。 でも小沢君はその笑いを否定していなかった。 わかる人たちの共同体のなかの絆、連帯感を肯定してるみたいだった。 誰にでもわかるような笑いばかりじゃ世の中はつまらない。 共同体のなかでしか伝わらないものが伝わる感覚を「嬉しい」と言ってた。 フリッパーズ時代の「わかりあえやしないってことだけをわかりあうのさ」よりも、ずっと剥き出しの。 あのライブ会場は、「笑い」を「音楽」に置き換えれば、まさにそういう符牒の場だったような気がします。
そういえば、ある知り合いに大阪追加分チケとれたら一緒に行こうって言われてた。 オザケン好きだったの?ってメールで聞いたら「LIFEがすごい好きで高校の登下校で聞いてた」って返ってきた。 犬キャラと、8cmシングル時代の曲と、活動休止後の曲は知らないらしい。 そういうファンがいて、そういうファンが今でもツアーに行きたいって思うのはなんかいいよね。 結局大阪追加はダメだったけど、でももしあの人があの会場にいたら、やっぱり疎外感を感じてしまったかもしれない。 対-他の客では勿論そうだし、対-小沢君ですらそうだろう。 小沢君は、みんながどの歌でもそらで歌えると信じていた。 「今夜はブギーバック」のスチャダラのラップパートすらそうだった。 私たちはそれに応えられることが子どもみたいに嬉しかった。 でも本当のところはどうなんだろう。 熱狂的じゃないかつてのオザケンファンがあの場にいても楽しめたんだろうか。
お笑いであれば、二層にしちゃうという方法もある。 誰にでもわかる笑いを表層に出して、その裏にくすぐりで一部の人にしか受けない笑いをすべりこませる。 でもあのライブはそういう構造にはなっていなかったと思う。 というよりわかる人たちの狂喜がすごすぎて、わからないかもしれない人はかき消されていた。
でも結局、小沢君はこういうニュアンスのことを言った。 「自分にわからないことで大笑いしてる人がいる。 その笑いは自分にはわからないけど、笑ってる人をみてると楽しくなってくる。」 それはやっぱり理想論なんだけど、彼の話すことはいつも簡単で強い。
狭くてマイナーでローカルな共同体の力を信じることは、グローバリズムや資本の拡大の対立項なんだろうか。
うちの会社に私より年下の熱心なオザケン好きがいます。 その子もひふみよに行って、次の日にちょっとだけ話した。 「ぼくはなんかあの映像ダメでした」って言ってた。 あの90年代のハッピー全開なオザケンの歌に、貧しい国々の映像が入る違和感が許せなかったらしい。 じゃあ映画の「モーターサイクル・ダイアリーズ」を観るといいよ、とだけ言ったけど、どうかなあ。 伝わらないかもしれない。でもいつかわかるといいな。
2010年06月25日(金)
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