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■ 許す気持ち
何があっても人のことを悪く言わないおばあちゃんでした。 もうずいぶんと前に亡くなっているのだけど、それは本当に優しい人で、私は怒られた覚えがありません。あ、しつけられたことはたくさんあるけども。それはマナーでありルールであったから、怒られたとは違うものね。
今日は近所に買い物にでて、その帰り道に思い出したのがおばあちゃんのこと。 たくさんの苦労をしたと聞いている。 夫である私のおじいちゃんにあたる人もいろんなことをする人で、それは波乱にみちた人生だったろう。お酒もそれはもうたーんと飲み、暴力も振るったらしい。子どもたち4人も、それぞれがいろんな人生を送っているから気苦労もたくさんあったろうし。 そんなおばあちゃんだけど、いつも文句など言わず、にこにことそれは本当に優しい人だった。いつもほめてくれる人だった。弱音をはいたところも見たことはないし、聞いたこともない。
だけどそんなおばあちゃんが唯一弱音をだしたのは、病気になってもうかなり病状が進行しているときのこと。 おばあちゃんは息子である私のおじさん家族と同居していたのだけど、一番遠いところに住んでいるうちの母に、ある日の夜遅く電話してきたそうだ。 「さみしいよ、れこちゃん(母の名)、すぐきて、すぐきて」 と言ったそうだ。 すぐにいけるところではない。それはおばあちゃんにだってわかっている。なのにそんな電話をせずにいられなかったおばあちゃんの気持ちを思うと、私は本当に泣けてくる。 そして、すぐに行ってあげられないことがうちの母にとってもどんなにつらいことだったろうか、と思うともっとギュっとした気持ちになる。 それ一度きりだったというが、一度きりだったからこそたまらない。
おばあちゃんの最後にはうちの母がそばにいてあげることができた。それだけは本当によかったと思う。最後の数週間は一緒にすごしてあげることができたのだけど、その中のある日、一緒に病院にいくときだと思うのだが、うちの母が羽織っていたショールを見て、 「それきれいだね、いい色ね」 とおばあちゃんが言い、 「じゃあおかあちゃんにあげるよ」 と、母やおばあちゃんにそのショールをプレゼントした。 おばあちゃんは嬉しそうに、そのショールを羽織っていったそうだ。
おばあちゃんが亡くなったあと、部屋を整頓していたらそのショールがきれいたたまれてしまわれていたのをうちの母が見つけたのだが、それはきれいなままで、きっとその後使わずに大事にしまわれていたんだろう、と。 母は、それをそのまま持って帰り、そしてそのまましまった。 あの時、一度だけ身に着けてしまったのかな、と思いながら。 そしていろんなことを考えて、そのまま使わずにしまったのだろう。
この話は前から聞いていて、ほとんど記憶の奥底に沈んでいたのだけど、なぜか今日鮮明に思い出された。 言葉にできない想いが渦巻いているように感じて、晴天のクリスマスソングが流れるのんきな地元道を歩きながら、私は本気で泣きそうで、でもなんとも優しい気持ちになってしまって、きっとおかしな顔で歩いていたことだろう。
メリークリスマス。
2006年12月24日(日)
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