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■ ニュース
テレビでもネットでも、もちろん新聞でも。 落ち込むニュースや悲しいニュース、憤りすら感じるニュースが溢れていて、テレビをつけることやネットをすること、新聞をなにげなく読むこと、情報となるものすべてに触れることがおっくうになることってないかなあ。
家につくと自然とテレビをつけていたり、PCの電源を入れていたりする。 朝だって、起きたときにふと新聞を開いていたりする。 通勤途中でも、目の前に新聞を広げているひとがいれば目に飛び込んでくるし、電車内のモニターにだってニュースが繰り広げられる。
私たちって、特に東京で生活していると否が応でも情報に晒される。 逆に、音のない世界やなにも考えずにすむ空間を探すことが相当難しいことになっていると思うし。
私が小さいころは、自動車も少なく、クーラーをつけているおうちはあまりなかったし、すぐそばに一緒に駈けづり回って遊びほうける友達は男女・学年を問わず溢れていたけども、いまってそれは望めないのかもしれないのかな。
情報は少ないけども選択肢を自分次第で増やせる子供時代をすごしてきたことが、選択肢がありすぎる今、底力といいましょうか、根本を支える力として私の根底で息づいているように思えるそんな今日この頃。
2006年10月22日(日)
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