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■ 書くということ
私は小学生低学年のとき、いま思えば非常に「恥ずかしいんじゃ・・」と思うくらいの詩を書いていた。 そしてそれは、そのときの担任の目にとまったようで、なにか保護者が集まるような発表の場で模造紙に書き出して教室の中に張り出され、発表された。
それ以降、私は心の底から思うことを文章にできなくなった記憶がある。
最近、文字を綴る楽しさを思い出して、だからこそこうやってエンピツに書いて、「楽しーい」なんてやっているのだけど、もともとなんで書くことが重要だと思い込んでいたのかを思い出すと、それはあの小学生低学年のときの思い出にたどりつくのです。
それまで、私は読書感想文を書いたら学校ナンバーワンといわれたいた。小学生低学年の段階で。感想文という分野だったけど、私は書くことが話すことよりも簡単で自分の想いを綴るものすごく身近な、当たり前のツールだったのだと思う。文字を読むことも同様に、おしゃべりすること同じく、いやいや、むしろおしゃべりすることよりもより正直に自分をそのままの自分の心をさらけだせる、そして相手にそのままを誤解なく伝えられる手段だったのだと思う。
それが終わったと思うのは、冒頭に書いた「詩の発表」だった。 小学生低学年が書く内容ではなかったのかもしれない。 なぜかそこから「文章を書くことは話すよりもあたりまえで楽なこと」という私の感覚が途絶えた。 そのことを最近思い出すことがあり、でも小さいときのことで記憶がおぼろげだったので母親に聞いてみた。
答えはこうだった。 「なんだか担任の先生が言ったことにあんたががっくりきて、それから書かなくなったのよね」 と。
はっきりと思い出せた。 「年のわりにませたことを書きますよね」 と言われたのだ。 ませたこと。 なぜか、とても悪いことをしている気がして胸が詰まって涙が出そうになったあの感覚がまず先に思い出せた。 ませたこと。
今はね、ませてなにがいけないのー?なんて思うこともできる。むしろ気にしない。だけどそれは私が私としてのなにかを、今まで生きていた人生で得てきたからだ。 まだ一桁の年齢の子供、しかも私なんて本当に甘えん坊でだらけた子供だったから、そんな一言であっというまになえたのだと思う。
大人が言うことだから、しかもあんな言い方をするなんて。 「私はませていて、かわいくないよくない子供なんだ」 そう思うのは、ほんの一瞬ですんだのだと思う。
いま、それを思い出して「ああ、なるほど!」と思った。 そして、それから何十年もたっているけども、まだ私は書くことが大好きでたまらないことと思える。思えることが嬉しい、と、これまた思える。
小さいころ、意識せずに楽しくて仕方なかったことは誰にでもあるはずだ。 それはきっと忘れがちなことだと思う。 だけど、忘れても思い出すことが人にはできる。 そう思ったら、いま思い出せたことがとてもうれしく思えて、ついついお酒を飲みたくなったりする(あたりは大人になった証拠でしょ?)。
思い出すってことは、つらいことばかりやただひたることじゃないね。
2006年10月21日(土)
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