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2010年02月05日(金) ■ |
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漢たるものかくありたい・・・ |
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2月5日
かつて、日本一(ひのもといち)の兵(つわもの)と言われた男がいた その名は
天下人豊臣秀吉没後、次期有力者徳川家康に諸侯が靡く中、義を貫いた一人 当時の情勢が直江状の、「世上の朝変暮化には相違候事」に表れているよう、多くは徳川方に組した
長いものには巻かれるご時世、いや現代のような義理人情の薄い時代であるがこそ、真田幸村に興味を持ち
を訪れたのは2007年のこと・・・
その時!境内を探索していると、なんと!
「幸村公の像建立のお願い」
と寄進を募っておりました
こういう漢の逸話は途切れることなく伝承されねばならん!と一口寄付・・・
それから数年後・・・・ 「建立のお礼書状」が来ましたので、再度安居神社を訪問☆彡
どれどれ、二度目の安居神社探索を行っていると、本堂右側に立派な銅像がおました 犬伏の別れ、真田丸、赤備えの幸村隊が徳川本陣に切り込むさまを思い起こさせます・・・
刀を横に置き座っておりましたので、ひょっとして今際の時のシーンなのでしょうか?
関東勢百万候え、男は一人も無く候!
その左には
幸村公銅像寄進者御芳名
全体はこんな感じです
上から順に見ていくと、何と!ワシの名も有りました(笑) いや、これはこれは凄い名誉なものに協力させていただきました めっちゃ嬉しいワシ(爆
知謀の将と呼ばれた幸村の父昌幸は、幸村が幼き頃から「人は利に弱い」ということを教えていた 戦国時代では、親兄弟ですら信用のならん時代(-_-;)であり、当然の哲学であろう・・・ では、利によって人を支配できるのであろうか?
答えはNoだ
利によって寄り易いものはその逆もしかり それでは、強固な人間関係を気付くにはどうすればよいのか? それは上杉謙信から景勝、兼続へと伝わるあるいは三成、刑部の義という志
幸村は人の弱さを分っていたからこそ、人のあり方を行動で示したのでしょうね そして心の弱さを破り、利に踊らされなくなったときに人は光輝くと 好きな武将のアンケートをとると上位に挙げられるのも納得♪
折角、建立に立ち会えましたので、真田幸村のような生き方
漢たるものかくありたいですな〜
と安居神社をあとに・・・
おや?まだこの時分には、ボーイスカウト運動はおまへんが、ちかいとおきても同じことを言ってますな 古今東西、人の心をつかむものは同じなのかもしれない・・・
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