|
|
■■■
■■
■ たまにはこんなことを叫びたい
藤原です、こんばんわ。
たまにはオタクトーク以外のこんな話もいいだろうと思うから言ってみる。 私には大好きなものがある。 特にこの季節になると、がぜん激アツになる。 何かもう、私だけじゃなく世界があいつをイチ押しに押し上げている。 誰もがアイツに夢中なのさ。
そう、何を隠そう私はかぼちゃが大好きなのである。
そんじょそこらのかぼちゃ好きと侮るなかれ。
まず、純粋に食べ物として好きだ。 おかずとしても好きだし、オヤツとしても好きだ。 昼休み行ける範囲のスーパーが数件あるのだが、かぼちゃの煮物を日替わりで別のスーパーで購入し、それを昼飯にしている。 今日はカスミ、今日はヨークベニマル、など地元密着型のスーパーだ。 それぞれかぼちゃの風味を生かして味付けは薄め、しょうゆで少しアクセントをつけてその分砂糖で甘さを足したこってり満足系、ホクホク系、しっとり系、全く別の食べ物であるかのようにバラエティーに富んでいるので全く飽きない。 それぞれに良さがあるのでどこが一番などと決める野暮なことはしない。 ぜんぶかぼちゃだ。 そう思えば全部が愛しい。
オヤツとしてとても好きだ。 残念ながら今年はウチの畑のかぼちゃはあまり出来がよくないので作れないが、いいかぼちゃがたくさんできた年にはパンプキンパイなどをよく作る。
焼き立てもおいしいが冷やして食べてもうまい。 かぼちゃの神秘である。
先日はロマンドーロールへ行って、季節限定のパンプキンロールを食べてきた。 作っている姿を見ているだけで興奮である。 かぼちゃのペーストを絞り出す姿に軽くエクスタシーを感じた。 ああ、あのオレンジ色のニクいやつ…!
あれをそのまま私の口内に絞り出してくれないだろうか、と妄想した。
あまりにもガン見していたら催促していると思われたらしく、「もう少々お待ち下さい」と言われてしまった。 誤解のないよう言っておくが、私は「早くしろ」などという目線を送っていたわけではない。 確かに私より後に頼んだ人のものが先に出来ていたが、作る工程上仕方ないし、かぼちゃペーストをその場で機械にかけて作るところから始めていたのでむしろ大興奮だった。 軽く感動していた。
許されるならスタンディング・オベーションだ。
かぼちゃのためならいくらでも待つし、苦にならない。 ここは生地も生クリームもおいしいので本当にいい。 東京に店舗がないろいうところも、初めて都会人に優越感を持った点である。 どうだ、うらやましいだろう。
そして今日、ハーゲンダッツのパンプキンを買って食べた。 普段あまり冷たいものは口にしないのだが、かぼちゃと聞いては捨て置けない。 しかもハーゲンダッツ。 約束された勝利の味、おいしいこと間違いない。 期待通りおいしかった。 カチカチに凍った状態ではなく少しとけてクリーミーになった状態で食べたのだが、幸せの味とはこのことかと思った。 完全なるかぼちゃ味とは言い難いが、いいかぼちゃ風味で甘味として申し分なかった。
とにかく私はかぼちゃが好きだ。
緑とオレンジという相反する色のコーディネートも素敵だ。 かぼちゃ君、きみのセンスには脱帽だ。 野菜のくせにビタミンEがとれるというすぐれものであることにも、みんな血ヘドを吐くほど感動すべきだ。
パンプキン、という発音と字面もなんだか悔しいほどカワイイ。
何か素敵な、小さな幸せの魔法のようではないか。(真顔)
もちろん、かぼちゃ、カボチャ、という表記にも奥ゆかしさがあり、とてもキュートだ。
形もかわいい。 顔型にくりぬかれた姿など、愛しい以外どんな言葉も見つからない。 クッキーの抜き型でかぼちゃ型というのを見たこともある。 とても素敵だ。
そらシンデレラも馬車にするわい。 ピーマンやアボカドが馬車になりますか?いえならないでしょう。(反語) かぼちゃなのです。 その素晴らしさに国民はひれ伏すべきだ。
この季節になるとハロウィンということで、あらゆるところでかぼちゃ味のスイーツなどが出始める。 とてもいい傾向だ。 3月ごろの猫も杓子もいちごいちごの、イチゴ祭りの時期に訪れる地獄を思うと雲泥の差である。(イチゴ嫌い)
クノールなどのかぼちゃポタージュもおいしい。 お湯の量を加減して少なめにして、ペースト上のものを食べるという食べ方を試みたこともあるのだが、絶妙においしかった。
かぼちゃ。
世界にかぼちゃという野菜をもたらした人を、神、と呼びたい。 それくらい尊敬する。
私はお前が大好きだよ。 かぼちゃ!
2010年10月01日(金)
|
|
|