無責任賛歌
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| 2002年07月11日(木) |
灰色の巨人/『サトラレ』3巻(佐藤マコト)ほか |
杉浦太陽の無実が判明したとかで、『ウルトラマンコスモス』の再開が決まったそうな。番組自体は見たり見なかったり、見たときもそんなに面白くはなかったんで、これが『ウルトラ』シリーズじゃなかったらそれほど気にもしなかったと思う。 とにかく『ウルトラ』世代には「『ウルトラセブン』幻の12話事件」が未だに尾を引いている。私も本放送時に見たっきりだから、今や記憶は茫漠としているのだが、裏で出回ってるビデオを見た人はみな一様に「何でこれが問題にされたのか全く分らない」と語る。 「臭いものにフタはよくない」と主張しているいわゆる「人権団体」とやらが、こと小説や映画などの表現メディアに対してだけはただひたすら「絶版」「放送禁止」を要求してくる矛盾がなんとも理解しがたいと感じている方は多いと思うが、これって結局は自分たちへの差別を助長する結果にしかなっていないんだよね。 今回の事件は直接的には差別の問題とは関係ない。 しかし、「何だかよく分らないやつの訴えで理不尽な理由で放送中止に追いこまれた」という印象がしてしまう点は共通している。 厳密かつ正論に従って言うならば、「放送中止」って処断はいささか即断過ぎてはいた。恐喝容疑で逮捕、と言っても容疑段階ではまだ推定無罪なんだしね。もっともこんな原則が日々のマスコミ報道の中で守られたためしなんて全くない(芸能人が逮捕されてその名前が伏された例ってないでしょ。今回の事件だって、杉浦太陽が事件当時「19歳」だったから名が伏せられただけで本気で人権擁護なんて考えちゃいないよ)。おかげで我々もすっかり「逮捕=犯罪者」と洗脳されている。いや、私が「マジメそうな顔してエライことやってるなあ、杉浦太陽」、と思っちゃったのもそうだけど、今回はホントにマスコミに踊らされちゃったよね、みんな。 ここが微妙なところだけれども、たとえ推定無罪の段階でも、犯罪の立件が確実であれば、私は実名報道も構わないと思っている。けれどそれは警察だってバカじゃねーからあやふやな証拠で逮捕まではしないだろう、と一応の信頼はしているからだ。結果的に今回は警察がバカだったってことじゃん。 処分保留ってことは要するに恐喝があったのかなかったのか、結局は藪の中だ。ホントに太陽君が無実だったのかどうかも実はまだはっきりしていない。 こうごちゃごちゃとしてくるともう、これで生じた損害(この場合円谷プロも杉浦太陽もどっちも被害者になるんだろうなあ、加害者は訴えたやつ?)は誰がどんな形で埋め合わせるのかとか、映画は話題が出来てヒットするのかなあとか、DVDは完全版で出すのか、映像特典で編集版を収録するのかとか、どうでもいいことしか話題に上らなくなる。 でも、もともとこの事件がいったいなんだったのかってことは、もう誰も語れなくなっちゃったのではないか。本当は「放送中止にしなきゃならないような原因っていったいどんな基準があるの?」ってこと、もっといろんなとこで話題に出ててもよかったんじゃないかねえ。 役者が事件起こしたら即放映中止って、それってアリなのか? 主役はダメだけど脇役だといいとか、そういうことなのか? スタッフが罪を犯したら? 監督やプロデューサーだとやっぱり中止で、助監督や撮影技師だとOKか? そもそも作り手の罪と作品の質は別で、たとえ誰が事件起こそうと、関係ないんじゃないのか? 「罪を憎んで人を憎まず」って、そういうことじゃないのか? 作品自体を消し去られかけることに対する反駁がもちっとあってもよかったんじゃないのかなあ。今回の件、みんな、内心では面白がって見てたかもしれないけれど、ある存在自体がまるまる否定されるってとんでもないことなんだけど。
もういい加減、「王将」と「めしや丼」には飽きているのである。 別んとこ行こうよ、としげを説得して、「ザ・メシや」。 しげも喉が乾いてたいたので、「ドリンクバーがあるからなあ」と渋々承諾。オカズがセルフのバイキング方式なので、冷えてるのがしげの嫌うところだけれど、温めなおしもしてもらえるんだし、文句つけるほどじゃない。私は冷えてても平気だし。だいたいしげはネコ舌で冷えるの待って食ってんだから、どうして「冷えててイヤ」と文句をつけるのか理解に苦しむ。 ウナギに刺身。いつもはイカ天を取ってくるのだが、一つ150円というのが意外と割高になるんで、このへんで抑える。一皿自体はどれも300円前後で安く感じるんだけど、結局三皿くらい取ってくるからメシと合わせて千円くらいにはなるんだよね。そこもしげが嫌うところだけれど、だったら三更も四皿も取ってこなきゃいいだけの話で。 「だってあったら取りたくなるし」 結局、己の欲に勝てないってことじゃん(-_-;)。
食後、姉の店に寄って父に中元を渡す。 中元と言っても、しげの働いてるリンガーハットのノルマである。必ず知り合いのところに送らないといけないらしいが、それって、結局給料が目減りしてるってことじゃないのか。 父も「いきなりどうして中元」みたいに怪訝な顔をしている。 「中身はなんや?」 「さあ? 麺じゃない?」 贈り物の中身を知らないで渡すってのもシツレイ極まりないが、ノルマだしご勘弁。
そのあと、博多駅で紀伊國屋・メトロ書店を回って、帰宅。 仕事仕事の連日の強行軍に加えて、あちこち振り回したせいか、しげ、帰るなり倒れこむようにして爆睡。でも、また2、3時間したらまた仕事に出ねばならないのだ。 ……やっぱり毎日の送り迎え、相当負担になってるよなあ。できるなら、もうちょっと環境のいいとこに転職した方がいいかな、と本気で考え始めている今日この頃である。
マンガ、佐藤マコト『サトラレ』3巻(講談社/イブニングKC・540円)。 オビにあるけど、ついにドラマ化だそうで、でも主演がオダギリジョーに鶴田真由って、映画版のキャストをいかにも程よくテレビサイズに合わせましたって感じだねえ。特に見る気ないから文句つけてもしょうがないんだけど。 ただなあ、テレビの企画として考えた場合だよ、『サトラレ』ってどんなもんだか、って思ったやつ、テレビ局には誰もいなかったのか? マンガのドラマ化について云々したいわけではない。やっぱり見る気は全く起こらなかったが、『アンティーク 西洋骨董洋菓子店』などは、よくぞこんな原作を引っ張り出してきたものだ、と企画自体には感心したものである。 けれどねえ、『サトラレ』の場合はだよ、テレビスタッフがモノを考えて番組作ってるようにはとても思えないのだよ。というのが、原作の方はまだまだ物語の端緒を示しただけで、全く本筋に入って来ていない、と言える段階なんだから(映画の方も今思えばちと時期尚早だったね)。 自らの思念を周囲に「悟られ」てしまうと言う「サトラレ」の設定は実に魅力的だ。もしも「サトラレ」が本当にいたらどうなるか。自らがサトラレであったら、その事実とどう対するか。読者はもっぱらそういった具体的なケースを様々に想像するだろう。 即ち、作者は、あるいはドラマの作り手は、その読者の「想像力」をはるかに越えるようなドラマ展開を作り出すことを強いられるのである。『水戸黄門』のような予定調和のドラマを作るのとはまるで作り手の心構えが違ってくるのだ。 でも、果たして、そこまでドラマのスタッフが考えてるかね? 考えてなきゃ、初めから「駄作」になることが決まっちゃうと思うんだが、この私の想像、十中八九当たってると思うな。
マンガの3巻は、作者の佐藤さんの「がんばり」が随所に見られる。 ただ、その「がんばり」がウソの上にウソを重ねるだけの無理なモノになってるところもあるような。 サトラレの息子が同じくサトラレであったら、この二人に自分がサトラレであることを気づかせずに生活させることができるのかどうか。この課題を解決するのに、「父親と息子のそれぞれに代役を立てる」ってのはいくら何でも不可能じゃないか。父親が単身赴任している時ならともかく、「親子で一緒に暮らしたい」と双方が思ったらいったいどうするのだろう。それはそのときになって考えれば、というご意見もあろうが、もう一つ、結局、父親も息子も全くの他人を自分の肉親と信じて一生を過ごさせることに対して、「そこまでしてサトラレに自分がサトラレであることを知らせないこと」の是非は問われないのだろうか、という疑問が湧く。自らの思念が他人に筒抜けであることにサトラレは耐えきれないだろうという判断は妥当だが、彼らを救う方法が真実を遮蔽することに限定されているのはなぜか。そこに設定の無理が生じているのだ。 それでも佐藤さんはサトラレが直面するであろう様々なケースを作り出していく。 サトラレを憎むサトラレ研究家、山田教授。 彼の登場こそが次巻以降の展開への最大の事件だろう。 彼が企んだ木村浩と白木重文の接触が、山田教授の思惑通り、サトラレ同士傷つけあうことになるのかどうか、もちろんそれを乗り越えていくことを読者は期待しているのだけれど、常識的に考えてもそれは簡単にできることではない。 佐藤さんがどこまで「がんばれる」か。途中でリタイアしないで描ききってほしいんだけど、こちらも安易なところで妥協されそうなんだよなあ。
2001年07月11日(水) 変と変を集めてもっと変にしましょ/『コミックマスターJ』7巻(田畑由秋・余湖裕輝)
| 2002年07月10日(水) |
憑かれた女/『新宿少年探偵団』(太田忠司・こやま基夫)ほか |
あなたは霊の存在を信じますか? 私は信じません。 これまでに、霊現象と言えるような経験をしたこともないではないのですが、全て気の迷いだと思っています。 祖母の死も母の死も私はその日の朝に予知しましたが、ただの偶然だと思っています。 そうです。時折、寝室で蠢いている黒い、得体の知れないものも、目の錯覚です。その黒い闇の中に、青白く光る瞳のような物がはっきりと見えていようと。
今朝、というか、夜中の3時すぎのことです。 私はぐっすり眠っていました。 玄関でドアが軋むような音を聞いたような気もしますが、多分、耳の錯覚でしょう。私はそのまま眠り続けていました。 いきなり、どさりという音がしたかと思うと、急に私の胸が苦しくなりました。なにかが寝ている私の上に乗っています。 「うげえ、うげえ」 それは何か人語を喋っているようにも聞こえましたが、私の耳にはそんな呻き声のようにしか聞こえませんでした。もそもそと動くそれは、だんだんと力が抜けてきたのか、少しずつ、少しずつ重くなってきました。 ああ、これはいつもの黒いあれだ。 そう直観した私は、思いきりそれを跳ね飛ばしました。 先ほども書きました通り、私は一切の霊現象を認めません。 金縛りは半覚醒状態の筋肉疲労にすぎません。そこに何かがいるように思うのは錯覚です。絶対にそうです。 私の上の黒いものはまた、どさりという音を立てて私の脇に落ちました。 「きゃー!」 なんだか悲鳴のようなものが聞こえたような気がしますが、無視します。これはただの夢なのですから。
元ディズニーのアニメーターのウォード・キンボール氏が、8日に死去、享年88。死因は明らかにされていないとか。 キンボール氏は広島国際アニメーションフェスティバルの審査委員長として来日されたことがあるが、あれは第何回のことだったか。私もそのとき、キンボール氏を見かけていたはずだが、英語が堪能であれば図々しい私のことだから、何か迷惑なことを喋りかけていただろう。実際には客席から審査員席を仰ぎ見るばかりで、「はあ、あれがミッキー・マウスに白目を入れたキンさんか」とか思ってるだけだった。日米友好を思えばつくづく英語が喋れなくてよかった。 御伽話しか作れないディズニーの中でキンボール氏は異端で、その本領が最も発揮されたのはあの怪作『ふしぎの国のアリス』であったと聞く。ことあるごとにディズニー批判してる私だが、誉めたい作品もないわけではない。キンボール氏のイカレた作風は、『アリス』のようなイカレた原作(『ふしぎ』だけでなく『鏡』も中に取り込むイカレ具合である)を料理するにはうってつけだったろう。キンボール氏ほか、創世記のアニメーターが大挙してディズニーを出た後、ディズニーは明らかに失速した。再びディズニーが脚光を浴びるには、宮崎駿に影響を受けた新世代の台頭、『リトル・マーメイド』や『ビアンカの大冒険 ゴールデン・イーグルを救え!』などの作品を待たねばならなかったのである。 ……しかし、死亡記事の小さいことったらない。 日頃ディズニーにあらずばアニメにあらずみたいなこと言ってる連中は日本にも多いけれど、所詮あいつらが興味持ってるのはキャラクターにであってアニメ自体にじゃないんだよな。鬱鬱。
晩飯はもういい加減飽きてきた「めしや丼」にお出かけ。 車の運転中、しげが盛んに「疲れた疲れた」と連発する。 なんだかシフトが変わったせいか、やたら仕事が忙しくなったらしい。 どれだけ疲れているかというと、仕事中、しげの頭の中を杉良太郎の『君は人のために死ねるか』がエンドレスで流れているのだそうな。しかもしげは原曲を聞いたことがなく、カラオケでぴんでんさんが歌っているときのバージョンでしか知らない。 ぴんでんさんの声は渋い。歌唱力ももちろん立派なものなのであるが、やはりAIQの一員だけあって、巧まざるユーモアがコブシを利かせるあたりに自然と漂う。杉良なら延々と聞いたりしてられるもんじゃなかろうが、ぴんでんさんの声なら、なんとなく耳を傾けたくなる、そんな雰囲気がある。 けどね〜、いくら聞きなれてるからってね〜、勤務中、夜7時から朝3時まで8時間、ぴんでんさんを聞きっぱなしって、それはさすがに拷問ではないのか(ぴんでんさんゴメン)。 それは「疲れている」のではなくて「憑かれている」のだ(^_^;)。 仕事から帰って、昼間はゆっくり寝ているはずなのだが、いくら寝ても疲れが取れないって、そりゃエンドレスで聞いてりゃ神経はボロボロになるって。自分で止めろよ、しげ。 ハンドルを握りながら、「ホラ、これ以上腕が上がらない」とボヤいている。ちゃんと運転できるのかよ、と心配になる。 「何か重いものでも持ったのか?」 「そうじゃなくて、ともかくキツイと!」 そりゃ、運動不足でカラダが鈍ってるからなんじゃないのか、と思いながら、ふと、今朝の「黒いもの」のことを思い出す。 「お前さあ、今朝何時に帰ってきた?」 「3時くらいかな?」 「そのとき、俺の上に乗った?」 「うん」 「なんで乗るんだよ!」 「疲れてたから」 「オレが重いだろ!」 「あんたをまたいで行こうと思ったんだよ。けれど疲れててまたいで行けなくて乗っちゃったんだよ」 言っちゃあなんだが、私はマジで呼吸が止まりそうになったのである。 もちっと年寄りだったら血管がぶち切れてたかもしれないのである。 それほどにしげの体重は重い。とことん重い。言い訳が利く状況ではないのだ。 これは何らかの形でし返しをしてやらねばなるまい。 とりあえずは「怖い話」をいろいろし込んでおくことにしよう。しげが油断したときに何の気なしに止める間もなくサラッと言ってやるのである。 「あ、そこの曲がり角だけどね……」
「めしや丼」ではチキン南蛮と焼肉定食、それに期間限定のそうめん。二人揃って全く同じメニュー。 庶民はとかくこの「期間限定」というやつに弱い。考えてみればたかがそうめんである。スーパーで買って自分ちで作ったほうが安上がりだし、味も調整できるし、量も自由自在ということは解りきってるのだが、「今ここでしか食べられない」となると、なぜか引っかかってしまうのである。 もっとも、実は引っかかってるのはしげだけで、私ではない。 私は別にそうめんなんか食わなくてもよかったのだが、しげ一人が宣伝文句に踊らされてバカになってるのは余りにかわいそうなので、私も付き合って同じものを注文してあげているのである。 実を言うと、私が糖尿にもかかわらずしげと同じ量か、少し多めに食事を取ってしまうのも実はしげに対する心遣いである。しげが私より余計に食べると、自分が大食いだということを自覚しなければならなくなる。しかし食べたい、でも食べたら太る、どうしたらいいのか、そんなしげの心の葛藤を軽減してあげるために私はひと品ふた品余計に食べてあげているのだ。 これこそまさしくしげへの「愛」にほかならないと思うのだが、しげはなかなか気づかないし、気づいてもなぜか喜ばない。なんでかなあ。 実際、しげって贅沢っつーか愛に貪欲っつーか、なんだか夢物語みたいな愛を求めてるらしいんだが、そんなもん、成就するわけないじゃん。 まず、目の前の現実を見て、部屋片付けろよな。
DVD『必殺必中仕事屋稼業』4・5話。 第4話「逆転勝負」のゲストは故・菊容子。これだけでもこのDVDを買っただけの価値はあろうってもんだ。清楚にして妖艶。この人くらい、女性の陰と陽を同時に表現しえた女優さんというのもそう滅多にはいない。ほかに思いつくのは後の故・夏目雅子くらい……ってどうして私はこう早世した女優にばかり入れこんじゃうかな。 思えば『好き! 好き!! 魔女先生』で星ヒカル先生に憧れていた小学生の私は、多分そこまで敏感に感じ取ってファンになっていたと思う(ホントかよ)。 昼は処女の如く夜は娼婦の如くというのが男の理想らしいが(相当勝手だけどな)、菊さんはそれを見事に演じていた人だった。菊さんの不幸はそこにあったようにも思う。バカバカしい話だが、演技上の姿を現実の人となりと錯覚するのーたりんは時代を経てもなお一定の割合で存在しているのである。 本当の菊さんはそんな人ではなかったんだろう(どんな人だったかは知らないが)。今ある映像作品に残された菊さんの姿に我々がどんな妄想を抱こうとも、菊さんはどこかで静かに笑っているだけだと思う。
マンガ、太田忠司原作・こやま基夫作画『新宿少年探偵団』(秋田書店/少年チャンピオン・コミックス・410円)。 まあ、これも『金田一少年の事件簿』同様、噴飯ものの設定と言えば言えるんだけれど、あまりそこまでの印象がないのは、明智小五郎四世とか小林芳雄三世とかを出してこなかったおかげだろう。羽柴壮一三世って、誰それってな感じだものな。 もちろん、ちゃんと江戸川乱歩の『少年探偵団』シリーズをちゃんと読んでいれば、羽柴壮一が誰かなんてことは初歩の初歩。ほかでもない、彼こそが怪人二十面相最初の事件の被害者であり、少年探偵団の創立者であるのだ。小林くんはね、羽柴くんが作った探偵団の団長として後から招かれたんだよ。その彼を「鎌倉の老人」として、新・少年探偵団の後ろ盾に置いたアイデアは悪くはない。少なくとも原作に対して敬意のカケラもない『金田一少年』より遥かにマシだ。 かつての二十面相の存在とは、関東大震災後、復興し変貌していく街並みのその表面的な静謐さの陰に隠されてはいるが、時おりチラリとその正体を垣間見せることのある、いわゆる「時代の怨念」のようなもの――魔都・東京の二重性の象徴であった。 現代、少年探偵団シリーズを復活させるとすれば、まさしく、「現代の怨念」、これを描き出さなければなるまい。「髑髏王」という今回の敵キャラクター、美しい人間の骸骨の収集家、なんてところは確かにそれらしくはあるのだが、ここまでドギツイキャラにしてしまうと二十面相より人間豹みたいだ。もっともそれほど陰惨な闇を現代の新宿が潜ませているとすれば、こういうキャラクター化はかえって一つの禊となっているとも言える。 原作の小説の方は未読なんで、こやまさんによる続編のマンガ化も期待したいところだ(ラストに出て来てるのは大鴉博士か?)。
2001年07月10日(火) 踊れば痩せるか/『ちょびっツ』2巻(CLAMP)ほか
| 2002年07月09日(火) |
何がこの悪いガイで上がっていますか/『たま先生に訊け!』(倉田真由美)/『ワンピース』24巻(尾田栄一郎)ほか |
山本弘さんのHP『SF秘密基地』の掲示板で、海外のウルトラマンのサイトが紹介されているので覗いてみる。 特に、ウルトラソングを英訳してあるのが面白い、というので見てみたが、なるほどなるほど、こりゃなかなか侮れないオタクだ。『怪獣音頭』は“Monster Ondo”。「音頭」だけ日本語のままってのがいいやね。 試しに、この英訳文をニフティの翻訳サービスに掛けて再日本語化させてみたが、これがもう、あほとゆーかしょーもないとゆーか。 全部はとても紹介しきれないけれど、まあ、ちょっと、いくつかその比較を見てみてちょ。
<原詞>怪獣音頭 <英訳>Monster Ondo <再訳>怪物Ondo
1.
ガバッとでてきた怪獣は The monster who came out like "gabbah" 「gabbah」のように現われた怪物 手にも負えない暴れもの An uncontrollably rowdy one, 抑制できずに乱暴なもの、
アーストロンでございます It's Arstron. それはArstronです。
それでどうした暴れもの So what's up with this rowdy one? そうすると、何がこの乱暴なもので上がっていますか。
コブラのように恐ろしい As dreadful as a cobra, コブラと同じくらい恐ろしい、
何でも引き裂くバカぢから A brute strength that rips apart anything. 何でも別々に裂く獣的な強さ。
2.
ズルッとでてきた怪獣は The monster who came out like "zuru" 「zuru」のように現われた怪物
知恵の優れた悪いやつ A bad guy who excels at intelligence, 知能において優れている悪い奴、
キングザウルス三世だ It's King Sasurus III. それはキングSasurus IIIです。
それでどうした悪いやつ So what's up with this bad guy? そうすると、何がこの悪いガイで上がっていますか。
ウランを食べて大暴れ Eating uranium and going on a big rampage, 食べるウラニウムおよび大きな暴れ回りの上で行くこと、
ついでにバリアで身を守る In addition, he protects himself with a barrier. さらに、彼は障壁で彼自身を保護します。
三番以降は省略。英訳でも「ガバッ」や「ズルッ」は訳せんのか、ってところも面白いが、情けないの翻訳ツールね。悪いガイってなんなんだよ(^_^;)。中学生レベルの連語もわかんないし分詞構文も全然ダメって、それってそもそも翻訳ツールとしてまるで役に立ってないってことじゃないの? 面白いからもう一曲(^o^)。
ウルトラマンレオ Ultraman Leo Ultramanレオ 1.
宇宙にきらめくエメラルド [エメラルド] Twinkling in space, the emerald, [emerald] スペース、エメラルド、[エメラルド]で光ること
地球の最後が来るという [来るという] Earth's end is coming, it is said. [coming, it is said] 地球の終了は来ます。それが言われています。来て、[それは言われている]
誰かが立たねばならぬとき When someone must taketh a stand, 誰かがしなければならない場合、takethする、1つの、立っている、
誰かが行かねばならぬとき When goeth someone must. いつ、goeth、誰かがしなければなりません。
今この平和を壊しちゃいけない Now, this peace must not be broken. さて、この平和は壊されてはなりません。
みんなの未来を壊しちゃいけない Everyone's future must not be broken. 皆の将来は壊されてはなりません。
獅子の瞳が輝いて ウルトラマンレオ [レオ] The eye of the lion shines, Ultraman Leo [Leo] ライオン光、Ultramanレオ[レオ]の目
レオ レオ レオ レオ レオ Leo, Leo, Leo, Leo, Leo レオ、レオ、レオ、レオ、レオ
燃えろレオ 燃えろよ Burn on, Leo, oh burn. 燃え続ける、レオ、おお、燃えます。 ウルトラマンが訳せないというのは不可解だけれど、これは“ultra”が接頭語で単独では訳せないかららしい。間にハイフンをつけて“ultra-man”にして翻訳させると「超人」になることも判明……ってヒマだよな、私も。 しかし、再訳してみると妙に丁寧で落ち着き払った言葉遣いになっちゃって、なんだかゾロアスター教の主題歌(^o^)。“Now”は「さて」かい。そうですね、皆の将来は壊されてはなりませぬぞ。これだと大奥か。 でもtakethとかgoethが訳せないのは俗語だから? 覗いてみたい方はこちらをどうぞ。
http://www.waynebrain.com/ultra/index.html
外は小雨。 しげが「喉が乾いた」と言うので、今日の晩飯はドリンクバーのあるガスト。 何か月か前から、ガストにはディスプレイが置いてあって、ネット配信でいろんな情報を提供してくれてるのだが、いちいち50円から100円が掛かるのがなんとなくもったいない。いや、金を全く払わんでいいとまでは言わないが、100円は高いよ。いい加減、見古した『トムとジェリー』の短編アニメ一本見るのに100円か?10円でいいじゃん、これくらいなら。 「唐沢俊一の一行知識」ってのも50円で配信だけれど、コンテンツ一つ一つが別料金ってのがやっぱりボッてるよ。全部見てたら何百円もかかるじゃないか。それなら文庫本一冊買った方が安上がりじゃないか。 それでも好奇心に惹かれて、一応覗いてみたけれど、まあ、ソルボンヌK子さんのツッコミが加わってる分だけがおトクな感じかな。 前回も食べて気に入ってた激辛ダッカルビを注文。私の食べるものは全てピンハネするしげが、さすがにこればかりはツマミ食いしてこない。いや、別にしげに分けたくなくてこれを頼んだわけじゃないけどね。
アニメ『最終兵器彼女』2話「私、成長してる……」。 第1話はいきなリ本編から始まってタイトルがラストに出るという斬新な構成(って原作もそうだったんだか)だったけれど、今回からはオープニングつき。 うーん、凝ってることは凝ってるけれど、イメージ映像に走りすぎちゃうかな。 これじゃまるでトレンディドラマ。……って、SF性がなけりゃ高橋しんのマンガは簡単にトレンディドラマに置き帰られちゃうけどね。でももう少しキャラクターを見せてくれる構成にしてくれてた方が、初めて見る人も入りやすいと思うんだけどなあ。 うーん、演出ががんばってるのはわかるけれど、第1話より「ふつー」になっちゃったね。シュウジがちせを押し倒すラストシーン、原作はその瞬間、画面がふわ〜っと広がる印象があって、シュウジとちせのそれそれの悲しみが伝わって来るように感じたものだったけど、アニメは意外とあっさり流されちゃったって感じ。原作を大事にする気持ちはわかるけれど、マンガのコマ割りとアニメは流れが違うんだから、アングルやカメラ位置を変えたり、工夫する必要はあったんじゃないか。パンするだけじゃありきたりで、まだまだちせの押しつぶされそうな孤独感ってものが伝わってこない。13話しかやらないんだったら、2話でもう息切れしてるんじゃないぞ。
マンガ、田巻久雄『獣世紀ギルステイン』3巻(小学館/サンデーGXコミックス・560円)。 ……あー、劇場アニメのほうはやっぱり2週間で打ちきりでしたね。 『デビルマン』プラス『エヴァンゲリオン』で行こうってのがバレバレだしねー、ウリが韮沢靖のクリーチャーデザインのみってのも弱過ぎるしねー。しかもそのデザインがイケてないし。韮沢ファンの鴉丸嬢ですら「ちん○頭」と言ってたし(言いえて妙だが、言葉遣いには気をつけよう、鴉丸さん)。 マンガの方はそれなりに面白かったんだけれど、メディアミックスの不協和音に田巻さん、やる気なくしちゃったんじゃないか。やっちゃいけないことをやっちゃいましたねー。 ギルステイン四人衆を出したとこまではいいですよ。でも、そいつらの作戦ってのが、自分たち人間の中にギルステインが紛れこんでるんじゃないかと疑心暗鬼にさせてだよ、踊らされた人間たちに「ギルステイン狩り」を始めさせて、ヒロインの久美がその「狩り」にあって死んでさ、その怒りで暴走した主人公の伊織が人類を破滅に追い込もうとするって……。 まんま『デビルマン』じゃん。ここまで似てると「模倣」とか「オマージュ」なんて便利な言葉じゃ誤魔化せないね。盗作だろ? これ。 マジで永井豪がこれ読んだら訴えるんじゃないか。いや、読んでる可能性はあるよな。韮沢さん、「デビルマン」をフィギュア化してるし。それとも永井さん公認のマンガなのか? だとしたら「これは『デビルマン』の現代的リメイクです」って、明言しとかないと、在らぬ疑いかけられるぞ。
マンガ、倉田真由美『たま先生に訊け!』(双葉社・900円)。 読みました。 ……いや、それ以外に感想のしようがないんだよ、これ。だって読者が倉田真由美に人生相談するってだけのマンガだし。だめんずうぉ〜か〜のくらたまさんに相談する時点で読者が何も考えてない(かくらたまさんをからかってる)ってことがわかるしね。 「巨乳の女に飽きたけど」なんて相談、本気のはずがないし、ネタとしてもつまらない。そんな芸にもなってないくだらん質問、無視すりゃいいのに、くらたまさんは何をマジメに相手してマンガ化までしてやるのか(そんなバカ質問しか来ないんだろうけど)。……そうなんだよ、このマンガが「イタイ」のは、くらたまさんがこれをギャグとしてではなく、半ば本気で書いてるらしいところなんだよ。 相談者と被相談者との間で、暗黙のうちに「これはギャグだ」という協定を結んで芸にしたものと言えば真っ先に『中島らもの明るい人生相談』が思い浮かぶが、くらたまさん、最初はこのセンを狙ったんじゃないか。でもね、これって回答者がよっぽど冷静でないと、相談者の手にかかって踊らされ振り回されることになっちゃうんだよ。いかんせん、くらたまさん、とても冷静になれるタイプじゃないからねえ、完全に踊らされてるんだよねえ。……つまり、相談しているように見えて、しっかりくらたまさんの自己告白マンガになってる。でもって、未だに「だめんずうぉ〜か〜」であることを露呈させられちゃってるのである。 「だめんずうぉ〜か〜」ってね、わかりやすく言うと、だめんずから見て、「弄んだ末に捨てても全然痛痒を感じない女」なのよ。ああ、くらたまさん、こんな連載続けてたら、まただめんずに引っかかったりしないか……って、心配したってどーなるものでもないが。
そう言えば、私も、人から「恋愛相談」を受けることがたまにあるが、私の悪いクセで、相手が望むような答え方をしない。というのも、「本気で」相談を受けてしまうので、たいていは嫌われてしまうのだ。 「あの、彼が余り乱暴をふるうんで別れようかと思ってるんですけど」 「でもこうやって相談して来るってことはホントは別れたくないんだよ。どんなに乱暴されても彼がいいんだよ。ホントは心のどこかに苛められて嬉しい気持ちもあるんだよ。マゾなんだよキミ。男もそれが判ってるから苛めるんだよ。君もホンネじゃ楽しんでるんだから、そのまま殴られてなさい」 ……くらたまさんなら「さっさと別れろ」と言うところだろうな。だから私に人生相談なんて持ちかけるんじゃありませんよ。
マンガ、尾田栄一郎『ONE PIECE ワンピース』24巻(集英社/ジャンプ・コミックス・410円)。 オビに「日本出版史上最高・初版252万部達成!!」の文字が燦然と。一時期のジャンプ黄金時代を彷彿とさせるねえ。毎年のように、○○○部達成って本誌の表紙に踊ってたけど、確か600万部越したあたりで頭打ちになったんだったかな。『マガジン』に抜かれたことが結構大きなニュースになってたものな。 けれど単行本でこれだけの部数が出せるってことは、往時の記録ほどではないにしても、ジャンプの第2期黄金時代は始まってると見ていいのかも。
本編のほうは新章突入で、またまた連載が長引きそうな気配。 なんか巨神兵みたいなのも出て来てるし、「どこかで見たような」イメージは未だに続いているものの、今巻はここしばらくの予定調和的な展開の中ではワリに面白かった。これはひとえにミス・オールサンデー(ニコ・ロビン)の参入によるところが大きいだろう。いやはや、さすがにこの展開は予想してなかったな。まあ、仲間がクラリスから峰不二子に代わったって印象ではあるけれど、ビビとナミのキャラが部分的にかぶってたことを考えれば、この対照的なヒロイン配置のほうがずっと自然でいい。サンジのやつ、いきなりロビンにコナかけてもう二股かけてるけど、こいつ、ナミさん一筋のヤツじゃなかったのか(^_^;)。これでナミがロビンに嫉妬しないってことは、ハナからサンジの性格見ぬいてたんだなナミ。ううむ、侮れないやつ(・・;)。 これはもう、ロビンをこのままホントにレギュラーにしちゃわなきゃウソだぞ。これでまたビビみたいに最後はそれぞれの道を歩くとか、安易に死なせたりしたら、それこそ二番煎じ、三番煎じの謗りを受けても仕方がない。 何号か前の『ダ・ヴィンチ』では「感動できるか否か」で意見が両極端に分かれていたけれど、ワンシーンワンシーンごとの演出自体は確かに上手いからそこで感動しちゃうのもわかるんだよね。大ゴマとか見開きの使い方とか、まるでみなもと太郎だし。けれど、通しのドラマで見ていくと、前後の脈絡が繋がらなかったり設定に矛盾があったりで、相当破綻しているから、白ける人はそこで白けるんだろう。 今巻のミソは「人の夢は終わらねえ」ってとこだろうけれど、確かにここだけ見ると感動的なんだけれど、実は「出す拳の見つからねぇケンカもあるもんだ」ってセリフに説得力がないんだよね。ルフィの今までの性格からすれば、「夢」をバカにする相手とは真っ先にケンカして来たんじゃないのかね。 もちろん「負けるが勝ち」ってことをルフィが学んだってことなら納得できなくもないけど、既に「成長しない」キャラとして固まっちゃってたから、「何を今更気取ってやがる」って印象の方が強い。 長期連載の中で、作者のほうは成長したんだろうけれど、かつての設定が足を引っ張ってるんだよなあ。ドラマがこれだけ複雑化してるのにキャラがいつまでも単純なままだといろいろと不自然なところが出てくる。こうなったらルフィも「悩める」キャラにしないと収まりがつかなくなるんじゃないか。第1話以上の「涙」を流させないと、次へ進めなくなるのではないか。 ……だからって、絶対キャラ殺すなよ。それやったら、『ドラゴンボール』の二の舞だぞ(ラスト近くはいい加減でホントに死ねよ悟空と本気で思ってたもんな)。
2001年07月09日(月) アンケート募集/『押井守 in ポーランド』ほか
| 2002年07月08日(月) |
えすぽわ〜る、とれびや〜ん/『ブラックジャックによろしく』1・2巻(佐藤秀峰)/『アグネス仮面』2巻(ヒラマツ・ミノル)ほか |
自宅の近所に、「エスポワール」という名前の「パスタとコース料理」のレストランがある。 近所と言ってもこれが大通りに面してるとか、そんなんじゃなくて、路地裏の、しかも小さな町工場とか民家の間にポツンとあるのね。ある意味、目立ってるんだが、いや、これを目立ってると言っていいのかどうか。「浮いてる」と言ったほうが正しいかも。 ともかく、一度行ってみたいと前々から思ってたんだけど、何しろ違和感がすごくってさあ、夜なんか電飾キラキラしてるし。ショーウィンドーのマネキンって、たいてい西洋人じゃん、その中に一人だけ侍が混じってる感じ? 違うか。 でもまあ、何となく入るのが怖い感じはあったと思し召しくだされい(口調まで侍になるなよ)。 だけど、ついに今日! その店にぃっ! 「でいなあ」を食べるためにぃぃっ! 入ることにぃぃぃぃっ! したのだああああああ〜んあんあんあんっ!(コブシつき) ……アホか。
ところがしげが浮かぬ顔をしている。 しげも前々から、この店には興味があって(通りがかった人間は多分みんな「なんでこんなところに?」と興味を覚えるだろうが)、行きたがってたくせに、いったいどうしたというのか。 「あのね、おなかいっぱいと」 「なんで腹いっぱいなんだよ。なんか食ったんか」 「うん」 「なに食った」 「たこやき」 タコ焼きと言うのは、先日、スーパーでお徳用冷凍パックを買いおきしてたやつだろう。しかし、タコ焼きをつまみ食いしただけで腹いっぱいとは、いったい? 「で、いくつ食ったんだよ」 「全部」 「ふーん、全部。……って全部ぅ?!(←ダブルテイク)」 「うん」 「全部って、あれ、25個入りだったろ!? あれ、全部食ったんか!」 「あ、でも間を置いて食べたよ」 「でも今日のうちに食ったんだろ?!」 「うん」 「オレの分は?!」 「え?! あれ、アンタの分もあったん?!」 「当たり前じゃあああああ!」 味見一つできないまま全部タコヤキを食われたことは別に惜しくはないが(ちょっとはあるが)、この「好きな食いモノは必然的に全て自分のもの」って感覚はなんなんだ。子供のころの貧乏はここまで人間の心を蝕むのか。一度荒んだ根性は一生変わらないのか。飽くなき貪欲。まるでアシュラか銭ゲバか。 つつしんで「肉ゲバ」の称号をあなたに送ってさしあげるわ、おほほほほξ^▽〆。(c.江戸川乱歩) それにしてもよく25個も食えたな。どこが「最近少食になった」だ。 「じゃあ、食べるのやめる?」 「食べる」 底無しだよ、こいつ。
で、その「エスポワール」。 中に入ると、照明をやや落としてシックな雰囲気を演出した、本格的レストランという印象。ますますこんな人通りのない路地荒になは似合わない。客も我々だけだ。 テーブルや窓のところにはロウソクのランタンが置いてあって、アレですな、恋人どうしが向かい合って話してると薄暗いんで思わず身を乗り出してしまい、顔と顔が近づいて……って、そういうムードを演出してるわけね。 メニューもアレだね、ファミレスみたいに写真つきのわっかりやすいのじゃなくて、文字だけ横書きの、でもって下にいちいちフランス語だかイタリア語だかが書いてあるやつ。仕事帰りに気安く立ち寄ってんじゃねーよ、この小市民がって威圧感をヒシヒシと感じる。 ボーイさんももう、腰捻りながら歩いてきて、もういかにも「ギャルソン」って姿勢ね。路地裏のギャルソン。それってギャグだよ(^_^;)。 肝心の料理だけれど、パスタと肉のコース料理、2300円なりを注文。 これが実に美味い。 隠れた名店、というのはウワサにゃ聞くが、ここホントに隠れたところにあるよ。なんで博多もハズレのこんなところに店出してんだ。もったいね〜っつーか、いつか潰れるぞ、絶対。 鴨肉はまんべんなく火が通っていてしかも柔らかく舌の上でとろけるようで実にジューシィ。パスタの種類も豊富で、イタリアっぽい(名前忘れた)の頼んだけど、スパゲティをピザにしたみたいなんだが、チーズの質がいいのかシツコイ感じがしない。 ううむ、あまりに美味くて思わず会員カード作っちまったぞ。カードが溜まると一色分タダになるそうだから、あまり早いうちに潰れんでくれ。
しばらくして、四人連れの女性がワラワラと入って来る。 しげが「あれ、この店のウワサ聞いてやって来たってよ」と言う。 「なんでわかるんだよ」 「だって、『こういう店』とか一人が紹介してたもん」 その四人連れが入って来てすぐ、店の奥にあった大きな液晶テレビに、突然映画が映し出され始めた。青い海の映像、なんか見たことある絵だな、環境ビデオか? と思っていたら、これが何と『グランブルー』。うーむ、合ってるんだかいないんだか。まあ『アルマゲドン』とか流されても困るが。 「窓の外に送迎バスがあるよ!」 しげが驚くやら喜ぶやら(なして?)。 私の席からは角度的に見えなかったが、交通の弁の悪いところにあるから、電話一本で送り迎えして差し上げる、ということだろう。確かにそれくらいのサービスしないと、客があるとはとても思えないものね。 天神あたりにあるのであれば別に不思議でも何でもないけれど、こんな場末にあるとまさしく掃き溜めにツルの印象。ホントにツルかどうかはわからんが。
岡田斗司夫さんのオタク日記、5月17日(金)の記述に、宮崎駿についての辛辣な意見が。 そもそもは、DVD『千と千尋の神隠し』に予約特典として付く「お握りフィギュア」に対する憤りから始まっている。確かにアレは怒る人が出てもおかしくないよなあ。もっとも、私ゃアレは宮崎さんの悪ふざけだと思ってたんだが。 宮崎さんの性格考えてみりゃあね、そもそもが「アニメは作品(だけ)が勝負だ」って思ってる人だからね、「予約特典」みたいな「売らんかな」根性丸出しなモノを付けること自体、大嫌いなのに決まっている。 それをムリヤリ「なんとか特典を」と言われて、「オニギリでも付けとけ」とか言い放ったんじゃないか。多分、あんなど〜しょ〜もないモノでも押しいただいてありがたがるバカファンはいるんだよ。だから宮崎さんも「これでハクと千尋の手の温もりを感じてください」とか表面では言っときながらハラん中じゃ「勝手にありがたがってろバカどもが」とか思ってんだよ、腹黒ジジイだから。 昔から私は宮崎さんの作品は好きでも本人は嫌いだから(このへん、手塚治虫と似てるなあ)、今更オマケに何が付こうがどうだっていいのだが、岡田さんは多分、宮崎さん本人のことも好きなんである。庵野秀明さんが『ナウシカ』で宮崎さんの下で働いてたりしたのがとても羨ましかったりしてたと思うんである。 だからこんなファンをバカにした行為が許せない。「言行不一致」とまで言いきる。ただねえ、岡田さんの怒りはもっともなんだけれど、これって、亭主に浮気された女房の愚痴みたいなもんじゃない? 「あのヒト、優しいひとだと思ってたのに、ホントは私を裏切ってたのよ!」って感じ。そりゃ、ある意味、宮崎さんの資質を見抜けなかった岡田さんの一人相撲じゃないかとも思うんである。
声優の起用についても、岡田さんは、「でも、『となりのトトロ』あたりから、このアニメの神様はちょっとヘンだ。声優に糸井重里や立花隆を使い出した。シロートだろ、彼らは? アニメーターにはあそこまで職人技を求めるくせに、なんで声優は素人芸でも平気なのか」と書くが、さて、岡田さんはホントに宮崎さんのアニメをちゃんと見てきたのか。あの人選は、昔からの宮崎ファンなら「必然」であったのだが。 つまり、宮崎さんは(だけでなく高畑勲さんや大塚康生さんほか、東映動画系の人の多くがそうだが)、声優の声優声優した演技が大嫌いなのである。誇張された現実にはありえない演技の声を聞くくらいなら、シロートの方がよっぽどマシ、そう考えてるのはほぼ確実だろう。 実際、『トトロ』どころか、『カリオストロの城』のころから、テレビシリーズと声優を全部入れ替えたい、と大塚さんと宮崎さんが相談してたことは有名だ。石田太郎と島本須美だって、あの当時は声優としての認知度より、舞台俳優としてのキャリアを買われての起用だったろう。「声優離れ」は、宮崎さんの本質だとも言える。「なぜ声優は素人芸でも平気なのか」ではない。「声優の芸そのものが素人だ」と思ってるんである。
ただし、こう書いているからと言って、私が宮崎駿を弁護していると思ってもらっちゃ困る。私はただ、岡田さんが「宮崎駿は言行不一致」と言っている点は違う、と指摘してるだけで、声優起用の仕方がデタラメじゃん、ということについては、その通りだと思っている。 声優が決まりきった喋り方、固定されたイメージでしか喋れない、という批判は、当たっている面があるだろう。上手い声優は、役柄を変えれば全く別人の声のように聞こえる。例えば山寺宏一の演技には実際、私は舌を巻くことが多かったりする。しかし、ヘタな声優は何を演じても誰の声だか一発でわかってしまう。声質で聞き分けられるのではなく、演技の仕方が全く同じなのでそうなってしまうのだ。しかも、そんなド素人演技が、有名なベテランの声優にも結構多く見受けられる。 だからと言って、全て声優を排除したキャスティングを行うというのはやりすぎではないか。黒澤明が『影武者』のキャストをオーディションで決めたときのように「プロアマを問わず」としたのならまだわかる。けれど、「声優は入れず、俳優と素人だけ」というのは、ただの差別にしかなってないのではないか。 実は私は、糸井や立花がそんなに悪いとは思っていない。キャラクター自体がケレン味を必要としない、というより排除した設定になっているから、声優声優した演技は確かに向かないのである。逆に、一応はプロの役者、例えば『もののけ姫』の石田ゆり子、田中裕子、森繁久彌はいただけなかった。前の二人はキャラクターの持つ深みを表現するには演技が未熟過ぎていたし、森繁には申し訳ないが、さすがにトシを取り過ぎている。こんな素人役者に演技させるくらいなら、どうして声優を起用しなかったか、高山みなみじゃダメだったのか、榊原良子じゃダメだったのか、羽佐間道夫じゃダメだったのか、とどうしても思ってしまう。 その点で言えば岡田さんの「どんなに『プロの声優』を侮辱し傷つけているのか。その結果、アニメ文化を自分自身で貶めていることが、宮崎さんにはわかっているのだろうか?」という指摘は全く正しい。素人をキャスティングしたっていい、舞台俳優を使ったっていい、要はそれが映画の完成度に貢献していればいいことなのだ。 しかし、ここで宮崎さんを批判したところで、あの人が心を入れ替えるはずもない。恐らく、アニメ文化を自ら貶めて構わないと思うほどに、あの人の声優不信は大きく深いのだ。「アニメなんてなくなっていい」発言をしょっちゅう繰り返していることを考えれば、確信犯でやっていることは断定していいだろう。……もっとも、かつて山田康雄の手抜き&ヘボ演技につき合わされたことを思えば、それも仕方がないことかと納得してしまうが(山田さんが『ルパン』で手を抜いていたことは本人も宮崎さんたちに告白し謝罪している)。 逆に、私が思うのは、声優たちはどうして宮崎さんに対して直接怒らないのかってことだ。更に言えば、どうして「私を使ってくれ」と売り込もうとしないのか。宮崎さんは堂々と声優差別をしてるんである。その偏見を打破しようという声優がただの一人も出て来ないというのは、自ら「私たち声優はフツーの俳優より格が下でございます」と認めていることになるのだぞ。 『耳をすませば』を見ればわかる。宮崎さんは「好きだ」程度の告白じゃダメで、「結婚しよう!」と言わないと人として認めないのである。多分、宮崎さん自身も、声優を外したけれどもこのキャスティングは失敗した、と思ってる面はあると思う。だからこそ、今、声優はもっと自己主張していいと思うのだ。宮崎駿を一番「神様」に祭り上げてるのは、沈黙している声優たちじゃないのか。
DVD『必殺必中仕事屋稼業』、昨日途中まで見てた2話を見返し、3話まで。 第2話のヒロインはジュディ・オング。時代劇のヒロインにしちゃ、ちと顔がケバすぎる気がするが、菅貫太郎に「よいではないかよいではないか」と帯を解かれる役だからいいか(何がいいのだ)。 キャストクレジットに「坂口徹」ってあったから、てっきり仮面の忍者赤影の坂口祐三郎さんのことかと思ったが(そういう名前で出演してたこともあるんである)、いくら画面を探してみてもそれらしい人は発見できず。同姓異人か? 同姓と言えば、3話登場のお袖役の山口朱美って、テレビ版『じゃりん子チエ』のチエのおかあはんの人? これも偶然の名前の一致かもしれないからなんとも言えないけど。 3話のヒロインは桃井かおりだけれど、当時の桃井さんの役と言ったら九分九厘、アタマの弱い女の子の役だった。あまりにそんな役ばっかりだったので、いい加減食傷して、当時の私は桃井さんの顔が画面に映るたびにチャンネル変えてたものだった。今はそんなことしてません、桃井さんはいい役者ですがね、ハイ。 ……しかし私ゃやっぱりヒロイン中心にドラマ見てるのかね、時代劇でも(^_^;)。
マンガ、佐藤秀峰『ブラックジャックによろしく』1・2巻(講談社/モーニングKC・各560円)。 オビに「脅威的反響! 医療界騒然!!」とあるけど、これ、決して興味を煽る為だけの誇張表現じゃないような気がするよ。 研修医の「一日平均労働時間が16時間、月給三万八千円」って、労働基準法に違反してないのか。というより、そもそも深夜勤務がほとんど研修医に任されてる実態って、問題にならないのか。 確かに、私も夜中に救急車で病院に担ぎこまれた経験とかあるから、夜中の救急病院がむちゃくちゃ手薄だってことは実感としてわかる。大都市であっても、一つの病院に救急患者が三人も来た日には、それだけでもうパンク状態だろう。実際、そこにいたやつ、言っちゃなんだが素人に毛が生えた程度にしか見えないやつらばかりだったし。 マンガは『白い巨塔』よろしく、学閥に左右され翻弄される主人公の姿を描いていくのだが、これもまた多分事実であろう、と感じさせる。「大学病院は診療だけを目的とした病院ではない」ということ、これも私自身、経験として実感していることだ。福岡にはね〜、遠藤周作の『海と毒薬』でとっても有名な大学があるんだけどさ〜、ここの評価って完全に二分してるのよ。私ゃ一回行っただけでそこの客あしらいにむちゃくちゃ腹たって、二度と行かないって決めたけどね〜。ごく庶民に生まれてさあ、「エリート意識持ってるやつ」ってのに会った経験がない人は大学病院に行くといいよ、マンガみたいにカリカチュアされたお方にたくさん出会えるから。 ……このマンガ、それこそ「事実無根」とか「名誉毀損」とかでどこぞの病院から訴えられたりしないかなあ。 一応、シリアスになりすぎないようにギャグ交えたりさ、ドラマとしては「大学病院を見限った患者を、民間の名医が救う」って、なるほど『ブラックジャック』っぽい「感動の物語」に持って行くことで、これはあくまで「マンガ」なんですよ〜って感じも出して、攻撃の手を和らげようってしているみたいだけど、果たしてその程度でかわせるものかどうか。 作者の真の目的がそんなとこにはないってことはもうバレバレだしな。『白い巨塔』は、やはり「善意の敗北」で終わっていた。果たしてこのマンガのほうは何巻続く……いや、続けられるんだろう。 心配だよ、マジで。
マンガ、ヒラマツ・ミノル『アグネス仮面』2巻(小学館/ビッグスピリッツコミックス・530円)。 ……冗談ではなく、このマンガ、平成の『タイガーマスク』になる気配を見せ始めてきたぞ。もちろんギャグ交えつつの展開だから、マンガの性質は全然違うんだけれど、「プロレス漫画の王道」になるんじゃないかって「ニオイ」を漂わせ始めたのだ。 これはもう、今巻新登場のアグネス仮面の相棒、「マチルダ仮面・本名町田」(おい)のキャラクターがムチャクチャ立ってるからにほかならない。 もと相撲取りのくせにこいつがもうすげー根性なし。マーベラス虎嶋社長から いきなり「君には生き別れの兄弟がいることが判明した」ってタッグ組まされたはいいものの、何しろ最大の必殺技が「蚊のさすようなツッパリ」。で、当然初戦でいきなりギブアップするんだが、なんのワザでやられたかっていうと、「ヘッドロック」。……小学生のケンカかああああ! でも、なぜそんなギャグキャラが「王道」になれるかっていうと、このあとの展開でホントの「見せ場」を見せてくれるからなんだよね。弱いけれど、マチルダ仮面、実は「黄金の関節」の持ち主だったことが判明。関節を逆にキメられてもすぐにもとにもどせる。そしてツッパリにこそ威力はなかったが、そのキックの威力は絶大。 二人、マットの上で血塗れになりながら、「兄」が「弟」に語るヒトコト、「己の弱さを知った者だけが強くなれる!! 俺のタッグパートナーは、マチルダ仮面、お前だ!!」……うおおおお、カッコイイぞおおお! 燃えるぜ友情おおおおお! ……と思ったら、いきなり現れた虎嶋社長、「なあ〜んだ、やっぱり君ら兄弟仲いいじゃないか、マチルダ仮面は『キックの鬼』として再デビューね。じゃあそういうことで」。……あの、そのキャッチフレーズ、プロレスのじゃないんですけど(^_^;)。 小林まことの『1、2の三四郎』は途中で失速しちゃったからなあ。ギャグが混じろうと、ラストはシメてくれそうなこのマンガ、やっぱり「平成一番のプロレスマンガ」になるかもしれないぞ、今のうちにツバつけとこうぜ。
仕事に出かけるしげから、ゴミの片付けを頼まれるが、残りメシでドライカレー作って食ったら、睡魔に襲われてそのまま寝てしまう。カレーって、普通目が冴えるんじゃないのか。 後でしげから悪態つかれることは目に見えているが目を閉じているのでもうどうでもいいのであった。
2001年07月08日(日) 夫婦で暑気あたり?/『昔、火星のあった場所』(北野勇作)ほか
| 2002年07月07日(日) |
叶わぬ願い/DVD『風のように雲のように』/『映画欠席裁判』(町山智浩&柳下毅一郎)ほか |
ああ、七夕だな。そう言えば。 先日、職場に笹が飾ってあったので(去年もあったが、よくそんなことやってるよな、ウチの職場も)、一応私も短冊を下げた。 去年はたしか「妻が家事をしてくれるようになりますように」。 もちろん願いは叶ってない。牛引き男も機織り女も、一年に一度のラブアフェアに熱中していたらしく、一顧だにしてくれなかった。考えてみりゃよう、神様でも何でもない、たかが天界の下僕に願ったってどうなるもんでもないわな(何をそこまで恨んでいるのだ、私)。 今年の願いは、「妻がナイスバデーのセクシーダイナマイツになりますように」(^o^)。 去年より遥かに望み薄だが、まあいいや、どうせオレ、人生投げてるし。
昼まで寝て、ゆったりとDVD鑑賞。 まずは懐かしのアニメ、『風のように雲のように』。 うひゃは、これも1990年の制作って、12年も前かよ。荒淫……いやいや、光陰矢のごとし(c.筒井康隆)。 第1回ファンタジーノベル大賞を受賞した酒見賢一の『後宮小説』のアニメ化なんだけれど、当時はいろんな意味で話題になったものだ。 多分ね〜、主催者の読売とか三井はね〜、「ファンタジー」って語感からよ、お子サマ向けのぽわぽわ〜っとしたふわふわ〜っとした投稿があるだろう、それをアニメ化してよい子の善導をとかなんとかアホなこと考えてたんだよ。 でも審査委員に荒俣宏選んでる段階でもう大間違いっつーか、無知だよ(^o^)。そりゃ、世の中にはさ、ぱよぱよ〜って感じのファンタジーもあるけどよ、ほとんどは「幻想小説」なんであって「悪夢」を描いたモノがほとんどだぜ? 企業のトップにいる連中が、基本的に芸術とか文化的教養の皆無なバカってことがハッキリわかるよな。 で、受賞したのが『後宮小説』だ。 読んだ人はわかると思うが、中国(?)皇帝のヨメさがしの話である。ヨメったって、皇帝のことだから何千人単位な。国中の適齢期の女集めまくって、みんなを妃としてふさわしい女に教育する。中には閨房術の指南まであるのだ。 さあ、これをどうやったら「子供向けアニメ」にできるのか。 ……って、できるわけないじゃん(^_^;)。 というわけで、結局とんでもないアニメができちゃったのである。 さすがに原作の露骨な描写は相当カットされた。しかし、ストーリーそのものを全て改変することはできない。後宮の女を目指して、反乱軍が「女〜!」と叫んで突進して行くシーンなどはしっかり残ってるし、何より、クライマックスでヒロインの銀河が、今まで「子供だから」と言って彼女を抱こうとしなかった皇帝にすがりついて、「もう子供じゃない……!」と泣き崩れ、そのまま契りを結ぶ描写、さりげなくではあるけれど映像にしているんである。いや、これはどうしたって外せねえやな。 何がマズイって、主催者が予め用意していたキャラクターデザイナーが、『となりのトトロ』『魔女の宅急便』などの近藤勝也。あの丸っこくてか〜い〜キャラですがな。これじゃどうしたってマジもんのロリコンアニメになっちゃうよねえ(^_^;)。まあ、あれっスね、「サツキやキキとヤリてえ!」ってヘンタイなヒトにはすっごく萌え萌え〜! なアニメになったんとちゃいますやろか。 あ、脚本は宮崎駿の兄さんの宮崎晃だ。兄弟そろってロリコンアニメばかり作ってやがるなあ(^o^)。
DVD『必殺必中仕事屋稼業』上巻。 必殺シリーズ第5弾、名作の誉れも高い全26話のうち、14話までを収録。 当然一気に見切れるものでもないので、今日は第1話、第2話を見る。 ああ、1話はいいなあ。よく『必殺』シリーズは時代劇のワクを越えたところに面白味があると言われてるけれど、ちゃんと時代劇の描写してくれてるよ。賭場で政吉役の林隆三が、知らぬ顔の半兵衛の緒形拳に向かって啖呵を切るあたりのセリフがいい。 「上潮の木っ端だい、あっちへふらふらこっちへふらふら」 「冗談ぽっくり日和下駄、滑って転んでぺったんこだい」 「見上げたもんだよ屋根屋の褌」 「上潮の木っ端」ってのは知らなかったな。こういう江戸弁が混じると、いかにも「らしく」なる、というより、こういうのがなくてどうするかってなもんでね。 1話はねえ、ほんとにちょっとした言葉の端々、半兵衛が利助の岡本信人を怒鳴る「奴(やっこ)!」って言い方にまで気が配られてていいんだよねえ。なのに、2話になるといきなり「積極的」なんてセリフが出て来て一気に興醒め。 脚本の出来も、1話が人物描写、構成ともに凝っているのに対し、2話はややおざなり。これ、1話の下飯坂菊馬と2話の村尾昭の素養の差だろうね。 後にはもう何人いるんだかってくらい増え続ける仕事人に対し、この『必中』は、半兵衛と政吉の二人だけ。これはシリーズ第一作、『必殺仕掛人』が梅安と西村左内の二人だけだったことへの原典回帰だろう。第一作と同じ緒形拳をキャスティングすることで、シンプルに、人物描写に深みを与えるための措置だと思われる。 それでも1時間は短い。 特に殺し屋としての技術を磨いていたわけではない半兵衛と政吉が仕事人になっていく過程、葛藤が余りに少ない。いくら「晴らせぬ恨みを晴らしてほしい」というおせいの草笛光子の説得に共感を覚えたとしても、義理も縁もない相手頼みを引き受けるには、なんとしても根拠が弱い。一度断るくらいの描写は必要だったろう。できれば二時間くらいのスペシャルでじっくりと見たかったものだ。 定番になってて今更文句つけたってしかたない感じになってるけど、平尾昌晃の音楽、ちょっと軽過ぎないか。
4時すぎ、夕飯に「肉のさかい」まで出かけるが、5時から開店、ということでまだ閉まっている。もう30分ほど待つことも考えたが、しげが早めに帰って、仕事までの間に少しでも寝ておきたいというので、「浜勝」に回る。 味噌カツ定食にとろろと角煮つき。カツには予めタレがかかっているので、自分でゴマダレを作れなかった。あのゴマを擦るのが楽しいのになあ、ちょっと失敗したなあ。 しげはヒレかつ定食なので、ゴマを擦ろうと思えば擦れるのだが、なぜかいつもタレにゴマを入れることを絶対にしない。辛いもの嫌いなくせに、どうしてゴマを入れて味を和らげることをしないのが不思議なんだが、舌や口蓋にゴマがペトペトつくのが嫌いらしい(だから海苔も嫌い)。食べ方にいちいち妙な順位をつけてるよな。 本屋を回るころからしげが「眠い」を連発し始める。 しかたなく、マルショクで買い物をして帰る。
町山智浩&柳下毅一郎『ファビュラス・バーカー・ボーイズの映画欠席裁判』(洋泉社・1575円)。 批評書の批評をするのも屋上屋を重ねる感じだけれども、漫才形式でふざけてるように見えて、ちゃんと批評になってるからいいよ、これ。しげは「語り口が気に入らない」みたいなこと言って文句つけてるけど、しげは庶民ぶってるけどスノビズムに毒されてるところがあるから、こういう俗に徹した批評には嫌悪感示しちゃうんだろう。 もちろん、この著者の二人だって自分の知識ひけらかしちゃいるから「サロンのバカ」だと言えはするのだが、そのことを自覚した上でボケとツッコミに役割分担して語ってるんだから、これはこれで立派な芸だ。映画語るのにどうしたって背景となる知識に触れないわけはいかないし、そもそもお堅い映画批評からの開放がこの本の目的としてあるんだから、その目的自体に文句つけたってしようがないやな。 要は中身だ。語り口は導入に過ぎない。批評自体が的を射ているかどうかを読まなきゃな。 オビにいきなり「『千と千尋の神隠し』が国民的大ヒットだって? 10歳の少女がソープで働く話だぞ!」には笑ったが、言われてみりゃ、その通り。湯婆婆のキャラ設定に遣手婆が入ってるのは否定のしようもないものな。 映画を見るのは所詮主観の問題だし、大なり小なり誤読は常に生ずる。しかし、例えば『千と千尋』を見た100人の人間が全員、「感動の傑作」と呼んだとしたら、そりゃいくら何でもちゃうやろ、という意見が出てこなければおかしい。ましてや、柳下さんが指摘している通り、宮崎監督自身が「風俗産業の話」と語っているのである。だったら、それに基づいていない批評は全てクズだと言うことにはならんか? あれを見た日本国民の9割が清らかな感動を覚えたとすれば、スタージョンの法則はまさしくここでも合致していると言えるのである。 で、映画の作り手や批評家は残り1割の側にいないと、マシなモノは作れないんだよね〜。 ここで語られてる映画批評の全部に触れることはできないので(私が見てない映画も多いし)、ヒトコトだけ。 映画を見て、それで感動して、けれど他人がその映画を貶しているのを聞いて傷つくような脆弱なメンタリティしか持ち得ない御仁はこの本は読まない方がよろしい、っつーか、人前に出て来ずに引きこもってろ。映画は全ての人間に開かれているのであって、アンタのためだけにあるのではないのだよ。
2001年07月07日(土) オタクな××話/『こんな料理に男はまいる。』(大竹まこと)ほか
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藤原敬之(ふじわら・けいし)
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