無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2002年03月08日(金) ○○○○が長いのね♪/『笑うクスリ指』(唐沢俊一)/『ぶたぶたの休日』(矢崎在美)ほか …“NEW”!

 タイトルに「新」とつけとかなきゃ、あとから更新されたヤツだってわかんないよな。
 そのあたり、あとから読む読者の方にはピンと来ないだろうけど、ご容赦。


 今日で職場を辞める同僚の女性に、花束をみんなで贈る。
 勤務時間も間際だったので、10分ほどしげを駐車場で待たせた。
 遅れた理由を話すと、しげ、「その花束って、『やめてくれてありがとう』って意味?」と聞いてくる。
 ああ、またアホまるだしの発言。
 これが皮肉とか僻みとかだったら、相当な根性曲がりだし、本気だったら知能レベルは幼稚園児並だ。
 しげの場合、どうも後者に近い。
 ただの「反射」と言ってもいいかもしれない。自分の知ってる「コトバ」自分が喋ってることの意味すら考えてない。
 どうせ三十秒後には忘れちまう言葉になんか、いちいち反応してやるだけ時間の無駄なんだが、無視すると僻むのである。
 で、僻んだ理由を忘れて、ただ無意味に僻み続けるのである。
 ……神様なんていないよな。
 少なくとも全知全能でないことだけは確かだと思う。


 マルキョウで買い物をしたあと、近所のベスト電器で冷蔵庫を見る。
 実は先日、沸かしたお茶を冷やそうとペットボトルに入れて冷蔵庫にぶちこんでおいたら、熱が充分に引いてなかったせいか、どうやら冷蔵機能に過負荷がかかってしまったようで、全くモノが冷やせなくなってしまったのだ。
 冷凍庫はかろうじて動いているものの、これも製氷機能はオシャカ。
 ううむ、この冷蔵庫を買った知り合いの電器屋さんに頼んで、修理を頼むべきかどうか、と考えてはみたものの、実はコトはそう簡単にはいかないのである。
 実はこの電器屋さん、決して裕福とは言えないヒトで、たとえ知り合いであろうと安いものを高く売り付けちゃう人なのである。
 それが好景気の時であっても(-_-;)。
 ましてや今の不況である。こりゃ、どんな暴利を貪りとられるかわかりゃしない。修繕頼むくらいならチト高かろうが、冷蔵庫を新しく買ったほうがいい、と思って、しげとブツを下見に来たのである。

 さて、ここでちょっとしたカルチャーショック。
 なんと殆どの冷蔵庫の冷凍室、これが一番下についていたのであった。
 ……いや、いつ頃からそうなってたのかわかんないけどさ、少なくとも、冷蔵庫に冷凍室がついて発売されて以来、私ゃ「冷凍室は上」とインプリンディングされていたのだ。
 冷気は下に溜まるからそっちの方が便利なのかもしれないが、違和感ばかりが先に立つ。
 今日はとりあえず下見だけである。
 

 アニメ『クレヨンしんちゃん』「優ちゃんのオーディションだゾ1&2」。
 30分一本だと、やっぱり見応えがある。
 原作は短いから、間を取ったり別のエピソード付け加えたりするのだけれど、それがウマイのだ。……東映アニメーションは、シンエイ動画を少しは見習え。


 その『しんちゃん』に、「ぞ〜うさん、ぞ〜うさん」というお下品ギャグがある。
 あの、アソコんとこに象さんのラクガキをして、腰振るやつね。
 アレを自分でもやってみたい、とお考えのオトナのヒトもいるであろう(いるのか?)。
 しかし、アレは子供だからこそ許されるギャグだ。
 たとえアナタが彼女を喜ばせようと、アレを実行したとしても、残念ながら「きゃー、すけべえっち、へんたい!」と言われて、警察の御世話になるのがオチだ(たまに喜ぶ彼女もいるかもしれんが)。
 いくらギャグだと言い張ろうと、あなたの純情は田代まさしの寒いギャグ並に、決して理解してはもらえないだろう。
 しかーし!
 ここに福音が!
 えっちでなく、アナタの願望を実現してくれる魅力のアイテムがついに!
 そう! 「象さんパンツ」!

 あー、買って来ちゃったんスよ、しげが、箱崎の「ドンキホーテ」で(-_-;)。
 これね、コトバで説明するのが難しいんだけど、要するに、パンツが象さんの顔になっててだな、ちょうどパンツの穴にあたるところが象さんの長い鼻になってて、あの、男性のナニをだよ、そこに入れられるようになっていると。
 で、まあ、ナニが元気になると、象さんも鼻をもたげて「パオーン!」って……。
 ばかだねー。
 誰が考えたんかね、こんなの(井出らっきょが番組で使ってたらしい)。
 で、しげはそれを私に履けと。
 抵抗しましたよ。
 しましたとも。
 なんたって、その鼻の部分、30センチもありやがるし。
 いくらナニがナニしたからって、「パオーン」なんてなるわけないじゃん。
 だから、抵抗はしたんだってば。
 あとは聞かないで……(T∇T)。

 「よしひとねえさまも見たがってたよ?」
「見せるかああああああ!」


 宮崎駿監督の『千と千尋の神隠し』が第25回の日本アカデミー賞最優秀作品賞に選ばれる。けれど、監督賞、主演男優賞他の主要賞は殆ど『GO』が独占。
 ……作品賞を除けば『キネ旬』ベストテンと殆ど同じだね。つーか、アニメ作品に関しては、作品賞以外のノミネート自体がそもそもされないらしいからな、この賞は。
 もし、ベルリン映画祭グランプリを取ってなかったら、作品賞も取れてなかったんでないの?
 出来レース色の強いこの賞だけど、今回はその批判をかわすために姑息な手を使ったような気がするな。


 唐沢俊一『笑うクスリ指』(幻冬舎・1300円)。
 『薬局通』の姉妹編みたいだなあ、と思ったら、医薬品卸売会社「秋山愛生舘」ってとこの「愛生会月報」に連載されていた正真正銘のクスリ本なのである。
 クスリというものを信頼しない人間は意外と多い。クスリというか病院も行きたくないって御仁だ。
 私の母がそうだったし、妻のしげもちょっとそういう傾向がある。
 要するに高い金払わされてクスリ飲んでも、必ずしも確実に治るわけでもなく、下手をすると副作用に悩まされる、という結果になることもあるからだ。
 漢方薬は副作用がないと一般的には言われるが、その代わり、いったいどの成分がどう効くか判然としない面もあるようである。だいたい雑草食って健康になるなら森の小動物は人間より長生きしてて然るべきって気もするが。
 ともかく「クスリ」はどこか胡散臭い。
 胡散臭いのに我々は何となく「信じて」しまっている。クスリが効いたように思うのも、半分以上はプラシーボ効果の可能性もありそうだ。
 そんな風に余り信じちゃいないのに、我々は風邪を引けば医者に行って解熱剤を貰ったり注射を打ってもらったりする。
 これってもう、宗教なんじゃないか。

 つまりこの本、宗教の「解説本」として読むと凄く面白い。
 人はなぜ宗教にハマるのか。
 クスリばなしを読むことで、それが見えてきそうな本なんである。
 
 
 矢崎在美『ぶたぶたの休日』(徳間デュアル文庫・620円)。
 ああ、ぶたぶたはいいなあ、やっぱり。
 前作を知らない人のために、ちょっと一言だけ言っとくと、表題の「ぶたぶた」ってぬいぐるみなんである。もちろん、ぶたの。
 けど、このぬいぐるみは喋る。喋るだけでなく、どうやら中年であるらしい。しかも妻持ち子持ち。妻と子はれっきとした人間。社会人……社会豚?として働いてもいるようだ。その時々で、占い師だったり定食屋の手伝いだったり刑事だったりするけど。それも全部、同一“豚”物らしい。
 どうして? と言いたくなるが、そうなんだから仕方がない。実際、そういうことで世間に受け入れられてるようだし。
 初めてぶたぶたに会った人は驚くが。
 この小説が面白いのは、各話の主人公が、生きて動いてるぶたのぬいぐるみがいることについて、自分以外の人間が何の疑問も抱いてないことを知って、とまどうところだろう。
 自分だけがこの世界から取り残されたんじゃないか。……そういう疎外感が先にあるからこそ、ぶたぶたの存在を認めたあと、主人公たちは一様に世界に受け入れられた安堵感を持つようになるのである。
 ……一言で終わってないな(^_^;)。

 この第2作(ホントは『刑事ぶたぶた』ってのがあるけど、文庫シリーズではなぜか発行順序が逆転)、前作同様いくつかのエピソードで成り立ってるのだけれど、注目なのは『女優志願』。
 ……まさか『ぶたぶた』で本格ミステリやられちゃうとは!
 いやあ、ひっかかったひっかかった。
 冷静に読んでたら多分引っかからなかったとは思うんだけど、だって『ぶたぶた』だし。そもそも本格ミステリだなんて思わずに読んでたんだよ! それが一番のミスディレクションだったなあ。
 ここしばらく、ミステリ読んでキレイに騙されるなんて経験なかったから、なんだか久しぶりに新鮮な気分。ミステリファンのみなさん、ここで先にヒントは言ってるんだから、これからこの本読む人はトリックに騙されないようにね。
 しかし毛色の変わった名探偵も数あるけれど(中にゃ「三毛猫」なんてのもいたが)、「ぶたのぬいぐるみ」なんて名探偵がいてたまるかい。個性的と言えば、ここまで個性的な名探偵もないだろうな(^_^;)。

2001年03月08日(木) ゴジラ対バラゴン。……地味だ(-_-;)/『Heaven』2巻(佐々木倫子)ほか


2002年03月07日(木) ヤァ〜クソクしたジィ〜カンだけがカァ〜ラダをすり抜けるゥ〜♪/『ヒカルの碁』16巻(ほったゆみ・小畑健)ほか

 シャレにならんほど更新が遅れてる上に、せっかく書いたこの日の日記、キレイさっぱり消えやがった。
 保存してたのになぜだ? 原因不明。何かの祟りか。
 とゆ〜わけで、もう一度書きなおすとどうしても文章にトゲがあるんである。
 更には短くなるんである。
 そのヘン、あまり気にしないよ〜に。

 体調を崩して仕事を休む。
 具合が悪くてもがんばって行こうと思ってたんだけど、どうもここしばらくのストレスで不眠が重なってたのが祟ったらしい。
 もっとも初めは無理してでも仕事に行こうかと思っちゃいたのだ。
 会議もある予定だったし。
 でも、しげに「もしも寝こんじゃったら、朝起こしてくれ。一人じゃ職場に行けそう見ないから」と頼んでおいたのに、無視してしげもぐっすり朝寝してやがった。
 仕方なく職場に連絡を入れて休む。こんなに仕事休んでたら来期は確実に閑職に回されるな。
 ……ハッ、さてはしげのやつ、それが狙い?!
 日頃唐突に「仕事なんかやめてずっと二人でいよう」とか「このまま逃避行に出よう」とか、半ばマジで言い出すヤツだからなあ。意外と本気で私の仕事の妨害をしているのかもしれない。
 でも、閑職どころかクビになったらどうすんのよ。
 ともかく眩暈が収まらないので、夕方までひたすら寝る。


 アニメ『七人のナナ』第9話「甘い誘惑!恋と秘密とカンニング」。
 実は前回放送分でこの作品の底が見えちゃったんで、急激に興味がなくなっている。受験云々はサブで、あくまで「七人のナナ」のドタバタがメインだろうと思ってたのに、マジでずっと試験ネタでいくつもりなのか? なんだか説教くさくなってきて、感動の押しつけに近い感じになってきてるんだよな。
 そう言えば『ジャイアント・ロボ』でも今川監督、後半に行くほどせっかくの横山光輝キャラを説教の道具にしてたものなあ。
 とりあえず8話まで見たしなあ、と今回も見たが、「カンニングネタ」ですかあ。

 知恵熱で倒れたナナの代わりに、急きょ登校したナナりん、トイレに隠れてナナレンジャーのコスチュームを着替えているところを、クラスメイトの杉山茜に見られてしまう。
 その日の抜き打ちテストで、今度は、茜がカンニングするところを見てしまうナナりん。放課後になって、ナナりんがそのことを注意すると、茜は「もしもカンニングのことを言ったら、ナナレンジャーのことをバラす」と言い始めて……。
 
 結局、茜の「改心」という形でハッピーエンドってのもお定まりだし、都合が悪くなったキャラを転校させるって始末のしかたも安易。
 子供向けアニメだからって、「カンニング」なんてハードなテーマ扱うんだったら、1話で適当に終わらせるなよ。金八先生だってもう少し時間かけたぞ。ギャグにするならギャグにするで、『ザ・カンニング』くらいのネタにしろよ。
 こういう中途半端なマジメぶりっこが一番始末に悪いや。
 なんかもー、来週から見る気なくしたので、ナナレビューはこの辺で終わり。


 夜までぐっすり寝ていたしげ、今朝のことを謝りもせずさっさと出て行く。
 先日外に閉め出されたばかりだというのに、この三日、家事も全然していない。
 いちいち叱るのも面倒臭いので、鍵をかけてまたしげを外に閉め出す。
 三日前閉め出されたばかりだから、少しはしげも学習している。
 今度はすぐに「ごめん」と謝って来たので中に入れてやるが、今度は送り迎えをサボったり、約束したことを守らなかったら、罰金を取ることをしげと約束する。
 ……でもどうせしげが約束守れるはずなどないよな。守れてればこの十年、まともに家事しない状態でいるはずないし。
 来月は給料1銭も渡さないことになるのは必然だろう。
 それを承知で約束するのはなんとなく詐欺のようだが、しげが家事をしさえすればなんの問題もないのだ。しげを寄生虫のままで置いておかないためにはこれくらいの荒療治は必要だろう。


 マンガ、ほったゆみ原作、小畑健漫画『ヒカルの碁』16巻(集英社/ジャンプコミックス・410円)。
 連載中は中だるみしているように思えた「伊角編」だけれども、こうして単行本に纏まっているのを見ると、なかなか読みごたえがある。初めはヒカルを碁の世界に呼び戻すのが伊角じゃ弱いかと思ってたのだけど、そんなことはなかったな。単にファン人気だけで伊角がクローズアップされたわけじゃないということが伝わってくる。
 この辺になると、ヒカルを始め、登場人物の殆どが小学生時代と違って、等身も伸び、顔も下膨れの印象が全くなくなっている。ヒカルの悲しみの表情には凄愴さすら漂っていないか。
 だから、碁盤に佐為を見たヒカルの涙の重さが読者にも伝わってくる。
 ……大人になったなあ。ヒカルくん。

2001年03月07日(水) 優しい妻ごっこ/『てきぱきワーキン▽ラブ』6巻(竹本泉)ほか


2002年03月06日(水) 夢のビル・ゲイツ/『金田一耕助の新冒険』(横溝正史)

 今朝見た夢。
 例によって例のごとく、私は入院している。場所はどうやら一番きれーな看護婦さんがいたときの病院らしい。
 正直だなあ、夢って(^o^)。
 糖尿病は、治療しながら授業も受けなきゃならんのだけれど、その講義をどこでやってるか、よく分からない。
 廊下にいる看護婦さんに聞こうとするが、あいにく患者さんに点滴打ちながら移動している最中で、ちょっと声がかけにくい(どうして廊下で点滴打ってやがるんだ)。
 諦めて病室に帰ってもいいのだが、既に退路は断たれている(どういう意味だ)。
 もはや私には講義を聞くしか道は残されていないのだ。
 時間は既に過ぎている。焦って廊下をウロチョロしていると、それらしい講義室がようやく見つかる。
 ……なんだか大学の講堂みたいだな、と思いつつ中に入ると、ありがたいことに基調報告が終わっただけで講義には入っていなかった。
 糖尿病の基調報告というのも意味不明だが、夢だから仕方ないな、とか思っている。
 ちょうど降壇しようとしていた講師は、ビル・ゲイツだった。
 紛れもなくビル・ゲイツなのだが、彼が糖尿病の講義などするはずない、と冷静な判断を下した私は、彼を「ニセモノ」と決めつけた。
 降りて来て私とすれ違ったビル・ゲイツをよく見ると、ニセモノである証拠が確かにあったのだが、それが何なのかはヒミツなのである。

 ……いつにもましてよく分らない夢である。
 夢語りが本人に狂気を呼ぶというのも一種の都市伝説じゃないかと思うんだが、どういう脈絡でそんな夢を見たのか、自分でも説明しきれないからなあ。
 単純に「もう入院はいやだ」と思ってるだけかもしれないけど、かといってどうして講師がビル・ゲイツでなけりゃならんのかって説明にはならんし。
 夢分析を今一つ信用する気になれないのは、それが一応のココロの分析はできても、必ずしも正解とは限らない、という不透明性があるせいだろう。
 結局、「人の心は闇」というところに落ちついてしまう。
 なのに、テレビとかに出ている精神分析学者がたいてい自信たっぷりに「この夢はこういう意味」と断定している。その明瞭さがかえって胡散臭い。
 あれも一種の宗教ではないのか?
 

 今日こそは本屋で『マニア蔵』を見つけようと思っていたのに、しげ、また迎えに来ていない。電話を入れると、「気分悪いから、一人で帰ってきて」と言う。
 「そうなるから、昨日、一昨日のうちに行きたいって言ったんじゃないか。もう二日も待ってやったんだから来い」。
 怒って迎えに来させるが、やっぱりしげは、謝らない。

 博多駅の紀伊國屋と、福家書店を回る。
 紀伊國屋にはナビがあるので、『唐沢商会』で検索してみたが、もう入荷はしていたらしい。
 けれど、既に「品切れ」のマークが。
 何冊入れたかは分らないけど、ともかくもう売り切れちゃったのだ。
 キャナルシティの福家書店も、オタク系のコーナーはフタ棚もあるのに、1冊もない。ちょうど平積みのあたりが何ヶ所か空いているので、ついさっきまでそこに置いてあった可能性は大。
 えいくそ、昨日のうちに来れていれば、としげへの怒りがフツフツと湧き上がってくるが、腹を立ててまた拗ねられるのも面倒臭いのでグッと我慢する。
 ああ、胃に悪い。


 夕食はマクドナルドでてりタマバーガーセット。
 なんだかもう、食事作る気ないんだよなあ。
 『ヒカ碁』録画仕掛けただけで見ず。なんか疲れているのだ。

 
 横溝正史『金田一耕助の新冒険』(光文社文庫・700円)。
 三十年、ファンであり続けた金田一耕助シリーズ、読めるのはこれがもう最後になっちゃうのか……。
 タイトルに「新」なんて付けるなよう。これで終わりなんだから(エラリー・クイーンの顰に倣ったってのはわかるんだけど)。
 長編化される前の原型作品ではあるけれど、『帰還』と同様、荒削りではあっても、横溝正史のエッセンスはギッシリと詰まっている。作品によっては、長編よりもはっきりと金田一耕助の個性が描かれていると言っていいかもしれない。
 『百唇譜』の中で、作者が「金田一耕助は滅多に汗をかかない。そういう意味では冷血的なのかもしれぬ」と語っているのは珍妙な論理だ。しかし、本来、金田一は優しい人間などではない。人間は観察するだけのものとしか思っていない。事件もエログロ味の濃いものが多いし、金田一自身、自分のことを「猟奇の徒」と呼んでいる。まさしく初期の明智小五郎に近い存在なのだ。
 『魔女の暦』では、事件に関わるためとは言え、浅草六区のストリップ劇場に出入りしている。しかも結構楽しんでるぞ金田一。
 「目玉を奪われた魔女がめくらめっぽうまごまごしながら、いちまいいちまい脱がされていって、ストリップになるというだんどりもおもしろかった」
 ……仕事で来てるんだろ、おもしろがるなよ、金田一。
 それにしてもこの事件の舞台になった「壽楽館」っての、どこがモデルなのかな。フランス座しか名前知らないし。

 これらの短編、『獄門島』や『女王蜂』のような、ロマンチシズム溢れる作品だけを読んで、金田一を「優しく暖かい人柄の人間」と勘違いしている読者には認識を改めてもらうきっかけになるかもしれない。

 これで、金田一と言うか、横溝正史について書くこともしばらくなかろうから、この際勝手に、私のベスト・オブ・横溝正史をあげとこう。
 本当なら一作一作レビューしたいところだがそこまでの体力はない(^_^;)。

 <長編>
 1 獄門島
 2 本陣殺人事件
 3 蝶々殺人事件
 4 悪魔の手毬唄
 5 真珠郎
 6 犬神家の一族
 7 悪霊島
 8 八つ墓村
 9 迷路荘の惨劇
 10 悪魔が来りて笛を吹く
 11 びっくり箱殺人事件
 12 白と黒
 13 病院坂の首縊りの家
 14 仮面舞踏会
 15 女王蜂
 16 髑髏検校
 17 夜歩く
 18 不死蝶
 19 迷宮の扉
 20 三つ首塔
 次点 悪魔の降誕祭

 <短編>
 1 蔵の中
 2 鬼火
 3 面影草紙
 4 探偵小説
 5 百日紅の下にて
 6 車井戸はなぜ軋る 
 7 蜃気楼島の情熱
 8 首
 9 鴉
 10 黒猫亭事件
 11 蝙蝠と蛞蝓
 12 湖泥
 13 かいやぐら物語
 14 あ・てる・てえる・ふいるむ
 15 上海氏の蒐集品
 16 女怪
 17 幽霊座
 18 人面瘡
 19 暗闇の中にひそむ猫
 20 山名耕作の奇妙な生活
 次点 金田一耕助の冒険(短編集)

 番外(エッセイ)
   真説・金田一耕助
   探偵小説五十年

2001年03月06日(火) 優しい夫ごっこ/『真・無責任艦長タイラー2 奮闘編』(吉岡平)ほか


2002年03月05日(火) さよなら半村良/ドラマ『盤嶽の一生』第1話/『かりそめエマノン』(梶尾真治)

 終日土砂降り。
 しげが車で迎えに来てくれてなかったら、帰りは濡れ鼠だなあ、と思っていたが、職場の玄関脇に車を停めてくれている。
 しげがこうやって気を遣ってくれることなんて、千年に一度くらいしかないことなので、やたら嬉しい。
 けど、嬉しい様子を見せるとしげは絶対に図に乗るので、ポーカーフェイスで過ごす。
 職場の近所の本屋に寄ってもらうが、目当ての『マニア蔵』、小さな本屋なので置いてない。
 やっぱり昨日、紀伊國屋に寄ってもらってたらなあ、と臍をかむがいたしかたない。
 しげに、「明日は絶対紀伊國屋に寄ってくれよ」と念を押す。
 でもなんか裏切られそうな予感がするなあ。。


 しげ、「シティボーイズのチケット取れたの、夢かもしんない」なんて言い出す。
 しげの杞憂は今に始まったことではないが、それにどう返事をしてやればいいのかね。
 「夢じゃないよ」と言ったって、それで納得できるくらいなら、初めから妄想自体抱かないわけだし。
 ホントに夢だったら泣くだろう。自分で自分が悲しくなるような妄想、抱かなきゃいいのになあ。
 

 仕事帰りに寄ったうどん屋、初めて入った店だったが、中が広くて、感じがいい。
 しげは何となく気分が悪そうだ。余り寝ていないと言うが、しげの「寝ていない」ってのは「6時間しか寝てない」とかだから、余り同情したって仕方がない。確かに目の下にクマができて気分は悪そうだ。
 そういうときに、普通頼むのは、ウドンとか、あっさりしたものだろう。なにのにしげが頼んだのはロースカツ丼。
 値段も良心的で、味も普通、何より種類がたくさんあるのがいいので、ここは結構通いやすいかな、と思ったのだけれど、しげ、「熱くて食べられない」だの、「脂身が多くて気分悪い」だの、わがままばかり言う。
 ……この値段ならたいしていい肉は遣ってないと判断するのが常識ってもんだろうに。第一、気分が悪いなら、こってりした物頼むほうが悪いに決まってる。
 私はそのそばで焼肉オムライス定食を食べていたのであった。
 しげ、帰宅して「眠い」と言ってそのまま寝る。
 クスリ飲むとか、栄養剤飲むとかすればいいのに。


 テレビ、『盤嶽の一生』第1話「わが愛刀よ」。
 全く、知る人ぞ知るって作品を映像化してくれるから、市川崑って侮れないんだよなあ。
 白井喬二の『盤嶽の一生』が新作で見られる日が来るなんてねえ!
 白井喬二って誰だって?
 あのさ、いやしくも時代小説ファンなら、国枝史郎の『神州纐纈城』、中里介山の『大菩薩峠』、白井喬二の『富士に立つ影』くらい読んでないとファンとは言えないぞ。全部文庫で手に入るし。
 もっとも私は全部途中で挫折してるが(^_^;)。
 けど『盤嶽』はなあ。見たくて仕方なかったんだよ。
 愚直なまでに実直、ために逆に世の中のウラオモテも機微もわからず、剣の腕が立つにもかかわらず右往左往する羽目になる浪人、阿地川盤嶽。
 何度か映画化もされ、大河内伝次郎や小林桂樹が彼を演じているが、映画の方も残念なことにお目にかかったことがなかった。
 ……お目にかかりようがないよ、だって大河内版はあの天才、山中貞雄の失われた一本なのだもの。
 今回のテレビ版は、市川崑自身による脚色だが、ベースはあくまで山中貞雄版に準拠するという。
 なるほど、ラストの「騙されて また騙されて 盤嶽よどこへ行く」の字幕テロップは、盤嶽が徹底的に野暮天なだけに、かえって粋だ。
 このテロップの声は誰の声か。登場人物の声でもなければ天の声でもない。
 我々の声だ(音声が出ないとこがまた粋だよ)。
 このへんが山中貞雄テイストと市川崑演出の融合なのだろう(フカサクは、少しはこういうテロップの出し方覚えろよ)。
 主演の役所広司、『どら平太』の時も思ったが、ちょっと力みすぎ。
 ウソに対して過敏に反応して激昂するのはわかるが、いやしくも盤嶽は武士だ。武士としての怒りかたってものがあるはずなのに、どうもどこかチンピラくさい。もう少し固さが取れてくれりゃあなあと思うんだけどな。
 そのあたりを割り引いても、時代劇でこれだけ面白いものに出会えたのって、初期の必殺シリーズ以来じゃないか。
 ……やっぱ、昔の原作、もっと掘り起こそうよ。
 若い脚本家に時代劇、マジで書けなくなってんだから。


 SF作家・半村良氏が4日死去。享年68歳。
 期待しちゃいなかったけど、『太陽の世界』はやっぱり完結しなかったな。『妖星伝』を完結させただけでも立派なものだけど。実はどっちもまだ読んでない(^_^;)。せめて『妖星伝』くらいは読んでおかないとなあ。
 でも私が最初に好きになった半村さんの作品は『収穫』だったのだ(って、デビュー作じゃん)。『サイボーグ009』の『天使編』のもとネタになったヤツ(よくあるネタではあるんで「盗作」とは言えないけど)。
 あと、『H氏のSF』。
 後の長編伝奇SFの流れを作った経歴からすると、半村さんの短編ばかり好きになるというのはご本人には申し訳ないことかもしれないけれど、なんだか半村さんの長編って読みにくくてねえ。

 実は一番好きなのは、NHKでドラマ化もされた『およね平吉時穴道行(ときあなのみちゆき)』。

 コピーライターの「私」が、江戸時代の戯作者、山東京伝の文献を調べて行くうちに見つけた岡っ引平吉の「こ日記」(「こ」の字は変体仮名)。それには京伝の妹、およねへの恋心が切々と綴られていた。
 しかし、ある時、およねは神隠しに遭う。しばらくして、平吉の日記はいきなリ明治に飛ぶ。平吉は、その記載を信じる限り、百数十年生きた計算になる。
 この不可解な二つの事実は何を意味しているのか。
 「私」はその意味を突き止めかねているうちに、ふとしたことから、歌手の菊園京子が、誰も読んだことのないはずの「こ日記」の内容を知っていることに気づいた……。

 SFを絵空事とバカにする人にはこのドラマも「ありえないこと」で片付けられてしまうのだろうか。
 しかし、基本的にSFはメタファーなのである。いや、虚構自体が現実のメタファーなのだと言っていい。
 だから、物語が現実に即しすぎては逆に読者はそれを「他人事」としか思えず、感情移入を妨げることにもなる。
 時代を越えた恋。もちろん、現実にそんなことはありえない。
 しかし、我々は結局、自分たちが生きてきた「時代」に束縛された形でしか生きられない。
 育った環境が、国が、文化が、年齢が違うことが「壁」となって、二人の恋を引き裂くこと。
 それを最初に教えてくれた小説はこれだったように思う。
 あ、それから古い東京人が「向う岸」のことを「向こう河岸(がし)」と呼ぶこともこの作品で知ったな。こういうディテールも、すごくよくできてるんだよねえ。

 これは、もう、私のフェバリットSF短編の筆頭だ。
 原作もよかったが、ドラマもすばらしくよかった(1977年。ついこのあいだだねえ)。
 主人公と、この字平吉の二役を演じたのは寺尾聰。およねには由美かおる。山東京伝に西沢利明。朴訥で冴えない平吉に寺尾造聰はハマリ役だったし、時代を越えた美少女(というトシではなかったが)というムードを当時の由美かおるは確かに醸し出していた。うん、これ以上はないって配役だったなあ。
 原作にはない平吉の「そりゃねえよ」というセリフが繰り返される演出、実に印象的だった。杉山義法の脚本、スバラシイの一語に尽きる。
 つい何年か前にも再放送があっていたから(録画し損ねた!)、ビデオ化は可能なはずだ。……やれよNHK。


 梶尾真治『かりそめエマノン』(徳間デュアル文庫・500円)。
 宇宙の誕生以来の記憶を持つ少女、エマノンシリーズの最新作。
 って、ネタバレいきなりカマしちゃってるけど、これがシリーズになってなかったら、当然、エマノンの正体、この日記にも書かずにすましてるよ。
 うーん、難しい評価になっちゃうけど、このシリーズはもう、第一作が最高傑作なのはこのエマノンの設定にかかってることなんで、あといくらシリーズ続けても第一作を越えられない仕組みになってるのね。エマノンの魅力にトリコにされちゃった読者の方々には悪いんだけど。
 だってさあ、三十数億の記憶を有する少女の苦悩なんて、たかだか数十年の記憶しか持たない人間に想像なんてできるわけないって。
 いかに梶尾さんの才能をもってしたって、それを描くことが不可能だってことはわかるじゃんよう。
 だから、1作目はそのあたりをぼかすことで小説として成立し得てたわけ。
 常人には計り知れない苦悩を抱えた少女がいる、ということで、その「誰にも分らない苦しみ」が読者の共感を得たわけよ。
 でも、シリーズを重ねてエマノンを描けば描くほど、彼女の苦悩が卑小化されていくことになっちゃうんだよねえ。
 つまり、「エマノン、お前数十億年の記憶持ってるわりにはつまんねーことで悩むなよ」ってな感じ?

 「どうしても、ときどき自分の心の重みに押し潰されてしまいそうになるときがあるの。そのときに求めてしまうのが、これ……」……って、タバコかよ(^_^;)。スゴイなあ、三十数億年の苦悩がタバコ一つで和らぐってか。するってえと、人類の一番偉大な発明はタバコか?

 この3作目の最大の特徴であり、最大の美点であり、最大の欠点でもあるのは、エマノンに「兄」がいるという設定なんだけど、「なぜ兄がいるのか」って理由もだよ、「え? その程度?」ってなもの。こんな「誰にでも思いつく」理由でいいの? いくらなんでも陳腐過ぎる。SFのセンス・オブ・ワンダーのカケラもないぞ。
 ……だったら、エマノン、今まで「兄が必要」な状況に出会ったことがないってわけか? 三十数億年も生きてきて?
 実は世間知らずなだけじゃね〜のか、エマノン。それはそれでスゴイけどよ、三十数億年間箱入り娘。……SFだなあ(←皮肉)。
 ああ、あの1作目の感動はどこへ行ったんだよう。なんであれだけの傑作がこんな愚作にまで落ちるのかなあ。シリーズ化の難しさをつくづく感じちゃうよ。

 一気に書かれたせいか、設定上の細かいミスもある。
 物語冒頭で「兄」に会おうと決意するエマノンだが、それがラストシーンに繋がるものだとすれば、エマノンの言う「何故、今回得た生にだけ兄がいるというのか」というセリフと時間的な矛盾が生じる。
 ……言いたくないけど、梶尾さんもついに老境に入っちゃったのかもね。

2001年03月05日(月) SMOKE IN MY EYES/『銀河帝国の弘法も筆の誤り』(田中啓文)ほか


2002年03月04日(月) 愛のタコ焼き情話/『八戒の大冒険 2002REMIX』(唐沢なをき)/『ダルタニャンの生涯』(佐藤賢一)ほか

 マンガ、唐沢なをき『八戒の大冒険 2002REMIX』(エンターブレイン/ビームコミックス・756円)。
 えっ、『八戒の大冒険』、初版は1988年?!
 そんなに経つのか本当に。
 つーか、『少年キャプテン』掲載時から読んでるから、1987年から数えてもう15年じゃん。……何となく唐沢さんってまだ新人のような印象あったけど、冗談じゃない、ベテランもベテラン、ひと昔前なら老境に入っててもおかしくない年だったんだなあ。
 ギャグではなく、本当にギャグマンガ家の命脈は持って十年なんて言われてたんだよ。往年のギャグマンガ家で、今も活躍中って人がどれだけいるか。
 だから、このデビュー作の傑作群を読みながらも、正直なところ「ああ、この唐沢なをきって人、こんなに才能を浪費してたら、3年でつぶれちゃうだろうなあ」なんて思ってたのだ(逆を言えばそれだけ面白かったってことになる)。
 私自身は、表題作の『八戒の大冒険』が雑誌に載ったときの反響、結構大きかったと記憶してる。なんたって、三蔵法師のお供が3人とも八戒なんて、誰が思い付くか(^o^)。私はもう、雑誌を何度も読み返し、それでもまだ、げらげら笑っていたのだ。なのに、とりさんの解説によれば、「読者ウケも編集ウケも悪いとなをき氏自身がこぼしていた」とか。今の唐沢さんの隆盛を考えると、なんだか信じられない話である。
 とり・みきさんや唐沢さんは「理系ギャグ」なんて評されることが多いが、文型も理系もない、理詰めでこの素っ頓狂な発想が出るものではないことは見当がつきそうなもんだ。今回のREMIX版、前半は旧版からのセレクションなのだが(傑作『忍法十番勝負』は残念ながら「カスミ伝」の第1話にあたるので今回はカット)、毎回毎回、設定を変えてよくこれだけのギャグを実験できたものだと今読み返しても感心する。
 赤塚不二夫が実験性を持ち出したのは『天才バカボン』の後期だったし(『おそ松くん』のころはシチュエーションコメディを描いていたのであって、純粋なギャグマンガではない)、他の作家も、実験性を帯びたマンガを描けば描くほどウケが悪く、消えていく運命にあった。
 だから「唐沢なをき、3年持つかなあ」と当時危惧したのは多分私だけではあるまい。ウケが悪いからではなくて、こんな濃いギャグを続けていたら身が持つまい、という心配ゆえにである。なにしろ、作品によっては、「これを面白がる感性が果たして読者の側にどれだけ用意されているのか」と心配したくなるようなモノまで混じっているのだから。……「解剖図人間」って、やっぱり「改造人間」のシャレから思いついたのかなあ。こんなのなんか、「どうして解剖図の人間が存在するのか」なんて疑問を抱いたら、笑うことすら不可能だろう。理詰めで考えて笑えるギャグではないのだ。

 その意味で、後半の単行本初収録の短編群、これと前半の作品を比較してみるのも面白い。そこには「なぜ唐沢なをきはギャグマンガ家であるにもかかわらず生き残ったのか」という疑問の答えが提示されていると思われるからである。
 『うずまきくん』はタイトルだけを見ると『うずまき』のパロディのようだが、実際には唐沢さんの自画像を自らパロディにしたものである。
 絵を文章で説明するのはすんごく難しいのだが(^_^;)、唐沢さんはトマトのような輪郭に、うずまき目と小さなメガネを描いて自画像としている。鼻や口は省略。このデフォルメと省略を記号として受け入れることは、マンガを読みなれている人間にとっては別段、難しいことではない。
 ところが、世の中、そんなマンガ読みばかりではない。これは実話だそうだが、あのメガネを鼻の穴だと思ってたり、口をイーッてしてる形だと思ってたというファンがいたそうなのだ。
 ……これ、トポロジーっつーか、「騙し絵」の応用なんだよね。ある線や面の集合体が、人によっては別のものに見えることがあるってアレ。「これ、何に見える?」と言われて、二つのものに見えて面白がった経験は誰にでもあるだろう。「女の人の後姿かお婆さんの顔か」とか。それの応用ギャグをどれだけ提示できるかってのを「うずまきくん」では実験しているのだ。
 「実験」ではあるけれど、これは今描いた通り、「マンガの記号に慣れているファン」と、「マンガを読みなれていないファン」の両方を視野の中に入れている。だからこそ、唐沢さんは「マニアウケに留まらない」立場に立つことができたのではないか。
 ともかく、唐沢なをきの原典と発展を考える上でも、徳間版、白夜書房版、どちらも持っているという人もこれは買いである。おカネを惜しまずに買おう。 
 

 『八戒』の巻末に、「唐沢なをき著作リスト」が載っていたので、買い漏らしはないかと確認してみたら、同内容の再刊を除いて全部持っていてホッとする。 けれど、もしかして再刊のやつも気がつかない書き下ろしが入ってたりしたらやだなあ、とか思って、ほとんど読んだことある作品集でもつい買ってしまいたくなるのがファンの「サガ」か、はたまた「業」か。
 ふとラストの所を見ると、『唐沢商会 マニア蔵』のタイトルが。
 あっ、これは確か、唐沢俊一さんの「裏モノ日記」に書かれていた、唐沢商会の落穂拾い(^^)マンガ集だな。2月末の発売とあるが、まだ店頭では見かけていないぞ。もしかして見逃してるだけか?
 こりゃ、仕事帰りに本屋に寄ってみねばみねばと、いつものごとく、定時退社するやいなや、玄関を飛び出して、迎えに来てるはずのしげの車を、駐車場で待っていたのだが。
 来てねえよ、しげ(--#)。
 また、寝坊してやがるな。
 電話を入れると、やっぱり予想通り寝惚けた声で「もひもひ?」。
 「ごめん」のヒトコトもないのも、いつも通りだ。
 20分遅れてしげが来るまで、寒風吹き荒ぶ中、バス停でひたすら待ちぼうけ。
 側にたこ焼き屋の屋台が出ていたので、コーラと一緒に買う。やや大きめの6個入り400円はまあ、こちらでは普通の値段か。
 地方によっては、たこ焼きもカラカラになるまで揚げて、食感がパリパリしてるやつとか、ソースのみを塗ってるやつとかいろいろあるようだが、福岡のたこ焼きはたいてい、皮はフニャフニャ、ソースの上にマヨネーズとカツブシを乗せるものばかり。
 マヨネーズはともかく、カツブシはアゴの裏に張りついて私は嫌いなのだが、乗せないたこ焼き屋って、この近辺では見かけたことがない。これも定番になってるのかなあ、工夫がないぞ。
 自分一人だけ食べるのもなんなので、しげにもひとパック買っておく。
 「遅れてきたのに、こうして土産まで買ってもらえるなんて、申し訳ない」……そういう気にしげがなってくれればいいな、という淡い期待なのだが、まあ、たいてい淡い期待は淡いままで終わるのが世の常というものだ(-_-;)。
 案の定、迎えにきたしげ、遅れてきたのに謝ろうともせず、たこやきを見せた途端に目を輝かせ舌なめずりして(ホントにだ)ぱくついて、礼も言わない。
 腹が立つのをぐっと抑えて、しげに頼む。
 「本屋に寄ってくれない?」
 「どこの?」
 「博多駅の紀伊國屋」
 「遠いやん!」
 「けど、大きな店じゃないと売ってそうにないし」
 「休日に行けばいいやん!」
 「売り切れてたらどうすんだよ。たくさん入荷しそうな本でもないし(こらこら)」
 「行く時間なんてないよ。行って帰って、1時間以上かかるやん」
 「時間がなくなったのは、おまえが遅れたせいだろ?!」
 「……わかったよ、行くよ。行けばいいんやろ!!」
 「いやなのに無理して行かなくていいよ!」
 毎度毎度の売り言葉に買い言葉のケンカであるが、私ゃ別にこんな会話をしたいわけじゃないんだがなあ。ごく普通の夫婦の会話がしたいんだが、しげの知能では、まず「普通の夫婦」というものを理解すること自体、あと百億万年はかかりそうなので、今生ではちとばかし無理っぽいのである。
 無理だからと言って、放置するのも業腹なので、遅れて来た分、お詫びと言うことで、マクドナルドでしげにおごらせる。
 てりたまバーガーとビッグマック。なんだかムナクソ悪いんで、もう一つ二つ暴食したい気分だったが抑える(まあ、この二つでもカロリーオーバーなんだが)。


 マンガ、徳光康之『濃爆オタク先生』1巻(講談社/マガジンZKC・580円)。
 いやあ〜、濃い濃い。暑苦しさでは島本和彦とタメ張るんじゃないか、このマンガ。なんたって表紙がいきなり劇場版『機動戦士ガンダム』ポスターのパロだよ。しかもコスチュームは黒い三連星でドム背負ってるし。
 でもいるよな、おたく教師。授業中に関係なくアニメの話題振ったりするやつ。それで生徒の歓心を買えるんじゃないかとか考えてるのがミエミエなのがお笑い種だけどさ。
 いっそのこと、このマンガの主人公、暴尾亜空(あばおあくう……なんだかなあ)のように「おたく話しかしない」ってとこまで振り切ってくれりゃかえって楽しいのにな。すぐクビだろうけど(^^)。
 ……はい、ここでテストです。
 次にあげる10個のセリフのうち、四つ以上になにか「響くもの」を感じた人、あなたは立派なおたくです♪
 1、「知識を語るな愛を語れ!」
 2、「みやむー!!」
 3、「ジオンは負けてないから」
 4、「愛の前に体型なぞ無関係」
 5、「ごめんね普通じゃないんだよ、オレドムおたくだもの」
 6、「ロボットじゃない、モビルスーツと言いなさい」
 7、「アニメおたく全員がロリコンってわけじゃないぞ……まあ100人中99人はロリコンだ」
 8、「生身の女性に興味ないんだオレ」
 9、「人を好きになるのにジオンもロシアもないだろう」
 10、「お前を変態にしてしまうその衝動こそ創作者の真の資質」

 ああっ! 全部響きまくりっ! オーマイガッ! 
 ……墓穴掘りだよな、私って(-_-;)。

 では追加テスト。
 次のセリフで連想するセリフを答えよ。
 「諸君らが愛してくれたガルマ・ザビは死んだッ!! なぜだ!!」
 答えを知りたい人は単行本、買うようにね。自分をおたくだと認識してる諸君、意外と外れるかもしれないぞ(^_^;)。 


 佐藤賢一『ダルタニャンの生涯 ―史実の「三銃士」―』(岩波新書・735円)。
 アレクサンドル・デュマの『三銃士』シリーズで有名なダルタニャンが、実在の人物である、程度の知識はあった。三銃士のアトス、ポルトス、アラミスも同様であることも。
 しかし、その実像については全く知らなかったので、作者が作家の佐藤賢一というのが気にはなったが(作家はたいてい実録であっても粉飾するから)、ともかく読んでみる。
 確かに、ガスコーニュの「現在の」田園風景の描写(当時のでなきゃ意味ないじゃん)や、ダルタニャンを「我らが主人公」などと呼ぶ気取った書き方に、むだな粉飾を感じないではないが、史実を堅苦しく感じさせないための脚色、ということで、うるさく感じる一歩手前でなんとか留まっている。やはり気高き「銃士」を描くには、それなりの文体が必要だというところだろうか。

 ダルタニャンは実はダルタニャンではない。
 それは母方の姓、勇気あるガスコンの名家であることを謳うためにあえて名乗った偽名であって、ダルタニャンの本名は「シャルル・ドゥ・バツ・カステルモール」。
 アトス・ポルトス・アラミスもそれぞれ本名は違うし、まるで『三国志』の「桃園の誓い」を真似たかのような4人の友情も、どうやら史実ではなかった模様だ。彼らが同時期に銃士隊にいたことは事実のようだが、4人がともに行動したエピソードが全く残されていないからである。
 さらには、フィクションでは王権を揺るがす悪の権化であるリシュリュー枢機卿(史実のリシュリューはさっさと死んでいて、ダルタニャンの時代にはマザラン枢機卿に代替わりしている)と対立し、あくまでルイ14世のために働くその颯爽ぶりとは正反対で、なんとダルタニャンはマザラン枢機卿の子飼いの部下として働いているのである。
 『三銃士』ファンはそれを聞くと、虚構と現実の落差に幻滅してしまうかもしれない。しかし、史実は、本当に虚構に比べて「夢のない」ものであるのだろうか。
 大岡越前は天一坊事件を直接担当してはいない。しかし、彼が江戸の火消し組を編成し、防火対策を取った名判官であることは事実である。
 水戸黄門も諸国漫遊などはしていない。しかし将軍綱吉の生類憐れみの令に真っ向から反発し、水戸藩中では実施しなかった慈愛に満ちた人物であることは事実だ。
 虚構は確かに虚構であるが、それを生み出す「素地」があったこと、それは紛れもない事実。ダルタニャンについて言えば、それは「フーケ事件」で彼が取った態度に表れている。
 自らの親政にあたって目の上のコブであった財務長官、ニコラ・フーケを失脚させたルイ14世は、彼の護送を銃士隊長ダルタニャンに任せた。バスティーユへ馬車でフーケを護送している最中、沿道にフーケ夫人が現れる。法的にはフーケと夫人を合わせることは叶えられることではない。しかしダルタニャンは、馬車の速度を緩めた。二人はそこで最後の抱擁を交わす。
 これが史実のダルタニャンである。
 ある意味、王に反逆する行為ではあったが、王の信任厚い彼は、自分に咎めはないと踏んで行動したのだろう。実際、ダルタニャンはその後も順調に出世街道を歩んで行く。したたかな計算とも言えるが、計算だけでできることでもない。彼が「英雄」となったのはこの瞬間からだった。
 もちろん「史実」であるから、ダルタニャンの名誉を傷つける不都合な事件も紹介される。妻との不仲、リール城砦建築に関しての失態などである。
 しかし、それらもまた、「人間」ダルタニャンの姿であることにほかならない。それこそ、「我らが英雄は『人間』であった」と語り継ぐことができるのは、彼が笑い、怒り、泣くその姿を想像することができるからだ。
 『三銃士』のダルタニャンもすばらしい。
 しかし史実のダルタニャンも、やはりすばらしいのである。

 あ、でもダルタニャンの肖像画を見て、「え〜?! こんなニヤケタおっさん?!」とか思わないようにね。ダルタニャンはクリス・オドネルでもガブリエル・バーンでもジャスティン・チェンバースでもないんだからさ。

2001年03月04日(日) 一日が短い。寝てるからだな/アニメ『ソル・ビアンカ』1・2話ほか



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