無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2001年12月08日(土) レディのタメのオタクスベース/映画『おいしい生活』(監督ウディ・アレン)

 昨日、クッションに入れ損ねたビーズがぱらぱらと床に落ちている。
 踏んで痛いものでもないから、別に困りはしないのだが、昨日落とした量に比べていやに数が多い。
 ふとしげを見て、「……アレからまたこぼした?」と聞いたら「てへ」と笑いやがった。
 「てへ」じゃないだろう、片付けろよちゃんと。


 今日こそは映画に行こうと思っていたが、月に一度の通院日であることを忘れていた。
 ……忘れるなよ。
 しげを叩き起こして病院まで車で運んでもらう。
 「私がいないと病院にも行ききらんのやね」とか生意気なことを言いやがるのでそっぽを向いて無視する。
 検査の結果は、予想していたとおりではあるが、血糖値が退院時より100以上も上がっている。やっぱり運動量が減ってるもんなあ。
 時間に余裕があれば、食事だってカロリーきちんと計って調理できるし、もう少し運動もできるんだけど、今んとこそんな時間を捻出するのなんて、望み薄だしなあ。
 ううむ、これはまた来年入院しなきゃならんのかも(^_^;)。 


 先月福岡に進出して来た大阪に本拠を構える大手本屋のジュンク堂、今日ようやく足を運んでみた。
 確かに4階建て、地下にはDVDコーナーなどもあり、一見すると広さや本の種類は申し分ないように見える。
 けれどまず入口が表通りに面していないせいで目立たないし、中に入っても書架の高さが身長を越えて天井近くまであり、高すぎて見通しが利かない。しおやさんが「本屋じゃなくて図書館」と言ってたがその通りだ。どうにも動きにくくて、居心地が悪いんである。
 それに本があると言っても、紀伊國屋や丸善と比べて特に個性があるわけでもない。演劇の本なんかは博多座の紀伊國屋の方がよっぽど充実している。
 もう少し本屋としての個性を出していかないと生き残りは難しいと思うんだがどうだろうねえ。
 天神コアの「さぼてん」でトンカツを食べた後、福家書店に回る。
 相変わらずオタク色の強いこの本屋、こちらの方が私なんかはずっと落ちつくのだ。

 映画を見るまでの時間をどうつぶそうか、しげと相談。
 私は「まんだらけに行こうか? 映画館にも近いし」と言ったのだが、しげが「マツヤレディス」と断言。一瞬目を丸くする。
 福岡に住んでいない人には注が必要だろうが、その名前からもお分かりの通り、女性客をメインにしたデパートである。天神の中心街が三越の開店で南に移行したので、最近は苦戦を強いられているようだが、それでも土曜ともなればオシャレな若者たちが結構来店している。化粧っ気のないしげが積極的に行きたがるとはいったいどういう風の吹き回しか。
 「あのね、よしひと姐様に聞いたんだけど、8階が『おたくフロア』に変わってるんだって」
 「……はあ?」
 行ってみて驚いた。
 ビデオ、DVD、フィギュア、コスプレ、確かにオタクグッズがワンフロア、そこかしこで売られている。
 「『でじこ』の猫耳、今度の芝居に使えるかなあ」
 「……自分で作った方が早くねえか」
 しげ、「ガンダム」のTシャツをしげしげと眺めて(シャレかい)、「ああ、これほしいなあ」なんてことをブツブツ呟く。でも、まさかこんなところに来るとは思っていなかったから、そうそうグッズを買い込めるほどの資金は用意してきていない。
 ふと脇を見ると、ワゴンに山積になってる小さな箱が。
 わあ、こ、これは永井豪のギャグキャラクターのミニフィギュア!
 題して「永井豪マニアックス」!
 いや、実際何がマニアって、そのラインナップだ。有名どころもあるにはあるが、中には知ってる人は知っている、知らない人はこれ何? とキョトンとしかねないマイナーマンガのキャラまで取り揃えてあるのだ。
 『ハレンチ学園』からは、NO.01 ヒゲゴジラ/NO.02 パラソル先生/NO.03 オッピャイ先生/NO.04 柳生十兵衛みつ子。
 『けっこう仮面』NO.05 けっこう仮面/NO.06 サタンの足の爪。
 『れすらマン』NO.07 れすらマン(ジャントニオ猪場)。
 『よくふか頭巾』NO.08 よくふか頭巾/NO.09 冷奴。
 『屋台王』NO.10 やきとり魔人。
 『廃人20面チョ』NO.11 ポール玉玉/NO.12 イボ痔小五郎。
 『キッカイくん』NO.13 キッカイくん。
 『へんちんポコイダー』NO.14 へんちんポコイダー。
 『オモライくん』NO.15 オモライくん/NO.16 オコモちゃん。
 永井豪ファンならずとも、思わず「なんじゃこりゃあ!」と叫ぶのは必至であろう。……はっきり言ってチョイスのしかたがデタラメである。
 『ハレンチ学園』、十兵衛は当然としても、主役の山岸八十八、イキドマリ、アユちゃん、丸ゴシ先生、マカロニ先生と人気キャラを差し置いてどうしてパラソル先生、オッピャイ先生か。
 ジャントニオ猪場やよくふか頭巾やヤキトリ魔人を知ってる人間がどれだけいるというのか(私ゃマンガも持ってるけど)。
 他にも永井豪のギャグマンガはもっとある、『まろ』は、『あにまるケダマン』は、『おいら女蛮』は、『江ノ島ドジラ』は、『馬子っこ金太』は、いやいや、あの『あばしり一家』はどうしたのか。
 それとも第2弾を出すつもりでいるのか。
 ……売れねえって(^_^;)。
 で、結局二個買ったら、冷奴とヤキトリ魔人が出て来ました。感想はありません。
 隣のショッパーズプラザ、リーブル天神で、来年のカレンダーをいくつか買う。今年は『クレヨンしんちゃん』、『あずまんが大王』、『ヒカルの碁』の三つ。あとまだ買ってはいないが、しげに「猫カレンダー」は買わされる。
 できればエヴァもちょっとほしいかな。
 ともかく、今年もウチの中は狭いくせにカレンダーだけは豊富だ。


 映画、『おいしい生活』。
 ウディ・アレンの新作を見るのも久しぶり。しげは私に内緒で新作が出るたびに見に行ってたようなのだが、私ゃ下手したら『カイロの紫のバラ』以来じゃないか。二十年近くウディ・アレンから離れてるぞ。
 それはそれで当然と言えば当然なのである。ここ十年以上、メロに流されちゃってたからなウディは。乾いた笑いを求めていた若いころの私には、ウディの「変節」が許しがたかったんである。
 でも今回の映画には過剰な恋愛描写はない。定番通りのコメディーだが、まるでチャップリンの遺髪を継ぐような伝統的なコメディ演技を、ウディが披露していたのには我ながらびっくりした。


 東京のこうたろうくんからお歳暮が来ていたので、あわててこうたろうくんへ電話。礼を述べてやっぱりオタクな話を延々1時間。
 さすがにつかれたので寝た。

2000年12月08日(金) ぐるぐるにゃーぐるぐるにゃー/映画『インビジブル』


2001年12月07日(金) なっまえっ、そっれっはっ、もっえっるっ、いっのぉちっ/『ガゥガゥわ−太』1巻(梅川和実)ほか

 新宮様の名前が敬宮愛子(としのみや・あいこ)に決まったそうな。
 常識のないやつはまた、「敬宮が名字で愛子が名前なのかな」とか、「え? 天皇家ってみんな名字が違うの?」とか言い出したりするんだろうな。
 当たり前の話だが、天皇家には名字がない。
 名字はあくまで天皇家が臣下に与えるもので、名字のことを「姓」とか「氏」とか言ったりするのは、まあ、神主さんが氏子を持ってるようなものだ。戦時中の「天皇の赤子(せきし)」って意識もこの辺から来てるわけやね。
 だから、未だに日本には差別が残ってると言う人も多い。「天皇制をなくせ」というわけだが、となると、天皇に「名字」を与えることになるのか? でもそれじゃ本当の意味での差別の撤廃にはならないよな。「名字」そのものが天皇を中心とした「家長制」の象徴なわけだから。
 だから、本気で差別をなくそうと思ったら、名字そのものをなくしちゃわなきゃならないのである。ただの「太郎」と「花子」になるわけだ。それじゃ何百人もの「太郎さん」「花子さん」がいて区別がつかない、と仰るなら、名字の代わりにセカンドネームをつければよろしい。「太郎=次郎」とか「花子=雪子」とか。
 え? 二人いるみたいで漫才コンビみたいだ? なら、「家」という継続性を無視した名字をつけていいってことにしたらどうだ。つまり親が子供に名字と名前の両方をつけるわけ。
 「私は山田太郎だったけれど息子は里中悟にしよう」とか。
 ……個別認識ができればいいだけなら、これで問題は生じないでしょう。

 それにもかかわらず、「差別反対!」を唱える人たちが「名字の撤廃」を唱えないのは、本気で差別をなくそうなんてことは考えてないからなんだね。
 「やはり家族の絆は必要だ」とか、「私も親の名前を継ぎたい」とか、名字を撤廃しないリクツはいろいろつけようとするけどさ、でもそれは結局「差別はなくせない」と言ってるのと同義なんだよ?
 名字が違ったくらいで壊れるような絆なら捨てっちまえ。
 名字を継ぎたいってことは結局自立したくないってことだ。
 たとえ具体的に親の七光りを期待してるわけじゃなくても、既成のものに依存したがる心が「階級」というシステムを温存してきたのだという認識があまりになさ過ぎないか。
 本気で差別をなくそうと言いたいんだったら、そこまで考えて主張しろ。

 もちろん、私は「名字をなくせ」なんて言おうとは思わない。
 もう、はっきり言っちゃうけど、本当のところ、ある程度の差別は必要だと思ってるからだ。
 私だけではない。
 全ての人がだ。
 差別をなくせと言ってる人も含めて、実は全ての人々が、意識的ないしは無意識的に差別を必要としている。
 それは、「誰かを差別すること」によってしか、人は自己のアイデンティティを確率できないからだ。
 「自分が自分であろうとすること」それは結局「他人は自分と違うこと」を認めることに他ならない。
 「アイツとオレは違う」……この判断の中に、自分の優越性を持ちこまずにいられる人間がどれだけいるだろうか。

 こういうこと書くとまた「差別主義者」とか言われちゃうから、また念のため付け加えとかなきゃいけないんだけどね、私ゃ別に「ユダヤ人虐殺」を肯定したりする気はサラサラないからね。
 「人間はいや、生命は基本的に他者を差別することでしか生きられない」って根本的なことを言いたいわけ。その前提を無視した差別撤廃論は、全て机上の空論にしかならないって言いたいだけなの。
 どんなに「差別すまい」と思ったって、自分を守るために他者をないがしろにしてしまうことは誰にだってある。自分が差別をしてしまうことの覚悟と、自分が差別されたときに他者を許す心との、両方を持とうとする意志のない人間に、「差別」について語ってほしくなんかないのだ、私は。

 まあ、それは余談であって、今回の命名でビックリしちゃったのは、出典が「孟子」からとは言え、「愛子」の読みが「あいこ」だったことなんだね。
 それのどこがおかしいの? と言われるかも知れないけれど、愛子ちゃんのひいひいばあちゃんにあたる大正天皇のご生母、柳原愛子は「やなぎはら・なるこ」という読みかただった。つまり、天皇家の子女は基本的に和音読みするのが普通だったんだよね(中宮定子とか彰子を「ていし」「しょうし」と読むのは通称で、ホントは「さだいこ」とか「あきらこ」とか読んでたとおぼしい)。
 そのへん、天皇家も「日本の」ってことに拘らなくなってるんだなあ、という感慨があったんである。
 それにしても、これで日本中に「敬子」ちゃんや「愛子」ちゃんって付ける親が増えたりするのかなあ。でも紀宮清子内親王ご誕生の時に「清子(さやこ)」って子供が増えたって話はあまり聞かなかったが。


 ネットではもう一つ、今月初めに起きた誘拐された子供の名前で話題が盛りあがっている。
 「騎士」と書いて「ナイト」と読ませる。
 親のナルシシズムをまんま子供に押しつけてる馬鹿さあたりがからかいの対象になっているのだけれど、こうまで極端でなくても親が子供に余計な思いを押しつけてる例は多くないか。
 例えば昔に比べて一段と増えた女の子の外人名前。
 「麻里安」だの「珠里」だの「恵美」だの「莉奈」だの(なんかみんな特撮・アニメ系で見たような)、指摘されなきゃ「あれ、それって外人名前だったっけ」と首をかしげられるくらい浸透してるものだってある。まあ、「迦芽崙」とか「如出依」とかいうトンデモナイつわものはそうそういないだろうけれども「日本人とも外人ともどっちでも取れる」という微妙な線を狙った名前はホントに増えたね。「めぐみ」なんかも、「メグ」って呼べばあっと言う間に『若草物語』の世界。
 それに比べて、男の外国人名前はなかなか作れない。
 どっちにも取れるって、「丈」、「譲次」とか「健」くらいだもんな。映画監督には「吐夢」ってのがいたがあれはあくまでペンネームみたいなもの。たまには「弁蛇民」とか「歩婆人」とか付ける馬鹿が出てくりゃ面白いんだけどな。
 そのことを考えると、この「騎士」くん、「当て字で読ませる」という行為がやっぱり「日本語」と「外国語」の妥協の産物なワケで、実はそれほどトンデモってほどでもない。だってローマ字で書いたら「NAITO」なわけで、「KNIGHT」にはならないもの。
 やっぱりこれから21世紀を担う子供たちにならば、親は、そんなどっちつかずの姑息な付け方するんじゃなくて、たとえどんな差別や迫害を受けようが、それをふっとばすほどの珍名・奇名をつけてってほしいとは思うまいか。
 アニメオタクならば、女の子に「アンシー」だの「セイラ」だの「クラリス」だの、堂々とカタカナのまんまでつけたいものだよなあ。
 ……うちにムスメが生まれたら「ヒルダ」にしたいな(^^)。
 ああ、息子はいらん。後のドキドキ感がないから(なんのだ)。


 昨日に続いて晩飯はゼイタクにスシ。
 しかし回転寿司のクセに「すし大王」のネタはバカ高。そうそう来れる店じゃない。こないだ来たのはいつだったっけ。もう半年以上前じゃないか。
 なのに結構繁盛してるようなのは、種類の豊富さによるところが大だろう。思いきって食ったトロが一皿850円。これだけで既におなか一杯だ。
 しげのここでのお気に入りは山盛りの卵サラダの軍艦巻きである。
 しげは卵好きだが、店によって、同じ卵焼きでも好きなものとそうでもないものに分れているようで、ここでは普通の卵焼きのスシは食べようとしない。別の店ではご飯なしの大卵焼きのみを食べたりする(それって既にスシじゃないじゃん)。
 要するに「スシの雰囲気」が好きなんだろうなあ、味音痴だし。ちなみにウチで卵焼きを作る時は必ず目玉焼きなんである。どういう拘りなんだか。


 夜は、部屋の中のクッションが大分ぺしゃんこになってきたので、しげが買って来たビーズを二人で入れる。これが意外と重労働で、1時間は軽くかかってしまう。
 それというのも、発泡スチロール製のこのビーズ、静電気のせいでやたらと服にくっついてくるのだ。袋を空けてクッションの中に落としても、ふわりと浮き上がってきて袋の表面を舐め、こちらの服に飛んでくる。
 これをいちいち小休止してはクッションの中にひと粒ひと粒入れていくのだから手間がかかってしょうがない。いいかげんで疲れてダウン。


 夜は某サイトでチャット。
 事情があってそのへんの詳しい事情は書けないが、とっても楽しい会話が楽しめたのであった。
 しげが一時期チャットにはまってたわけ、分るなあ。


 マンガ、梅川和実『ガゥガゥわ−太』1巻(新潮社・530円)。
 「コミック・バンチ」コミックス創刊第2弾。
 動物の言葉が理解できる主人公、というのは決して目新しい設定ではないが、その主人公が「言葉がわかるのに動物を嫌ってる」ってところに作者の工夫がある。
 社(やしろ)動物病院の息子、太助はモノノケの子孫(コマイヌ様とオイナリ様の間に生まれた……うわあ、スゴイ異種婚)。
 かわいい女子高生、船越みさとに連れられて病院にやってきたガウ犬(=すぐ噛む犬)・わ−太と触れ合った時から動物の言葉がわかる能力に目覚めた。
 人間と(特に女の子と)親しくなりたい太助にとっては、ドーブツの声が分るなんて力は邪魔なだけ。わー太を引き取ることになってもケンカの毎日である。
 けれどそんな中でいろんな動物たちと触れ合って行くうちに太助の心の中で何かが変わっていく……と、そんなストーリー。
 コメディタッチではあるけれど、実にハートウォームな話だし、絵柄もずいぶんかわいい。これが原哲夫の『蒼天の拳』なんかと一緒に「バンチ」に載ってるってのは相当違和感があるんじゃないか。
 まず線が細い。『山下たろ−くん』の1/20くらいかな(←適当)。細いだけじゃなく、動物のキャラ、相当に描きこんである。もちろんギャグキャラになることもあるが、基本的なデッサンは相当積んでる感じだ。黒目がちな眼、一本一本の毛の柔らかさ、そんな細かいところにまで気を配って描かれている。人間のキャラも繊細な印象なんだけれど、それ以上に「動物を描きたい!」という作者の気持ちが伝わってくるようだ。
 うまい新人さんはイマドキ珍しくなくなってるんだけれど、それにしても群を抜いたうまさだ。……ホントに新人か? この作者。
 で、この作者、どういう人かと気になって、ネットで調べてみた。どうやら女性らしい。しかも、今はどうだか知らないがもともと獣医さん。……動物を好きなのも当然か。
 マンガの中で、耳にイタズラでホチキスをつけられて血だらけになってる犬(わー太)が病院に運ばれるシーンがあるのだが、多分これ、作者自身の経験じゃないのかな。
 犬や猫の気持ちがわかったらいい。これは、マンガ上の定番だからということではなくて、作者自身の思いから生まれてきた自然な設定なのだろう。……だとすると、ますます、「定番」だけを追い求める“ジャンプのシッポ”、「バンチ」にゃ似合わない作品だよなあ。

 実際、新連載の予告ページには、たしか「かわいい女の子キャラマンガ」みたいな紹介のしかたがされてたように思う。……いや、そりゃヒロインのみさとはムチャクチャかわいいが、あくまでワキ。主役は太助とわ−太のデコボココンビだ。「女の子もの」と「ドーブツもの」とじゃ、全然ジャンルが違うやんけ。宣伝の仕方がデタラメだ。
 バンチ、もしかしたら雑誌戦略においてジャンプのクソなところだけ踏襲してるんじゃないか。
 作者の梅川さん、デビューはもともと「少年ガンガン」だったとか。そこから「バンチ」が引き抜いたってのは、やっぱり梅川さんの「絵柄」に魅力を覚えたからだろう。でもその理由が案外いい加減なものだったんじゃないかって懸念がしてならない。「メインが『蒼天』じゃ雑誌の色が濃いからさあ、フワっとしたかわいい絵柄の女の子マンガも載せようぜ、『マガジン』の『ラブひな』みたいにさあ」とか適当な理由で選ばれたんじゃないかな。
 そう言いたくなる理由はもう一つ、この連載、始まったばかりだというのに、どうやら一度打ちきりの危機を迎えたらしいのである。これもネットで知ったのだが、編集部がある種の路線変更を作者の梅川さんに伝え、それを拒否したところ「打ち切り」をちらつかされたというのだ。
 「売れるためだからと言って、そこまで話を壊す事は出来ないんです。なんだか壊れていく作家の気持ちが少し分かったような気もします(笑)。
 漫画を一体何だと思ってるんだ。打ち切りって言えばなんでもきくと思ってるんでしょうか。」
 というのが梅川さんのホームページに載せられた言葉。一体どんな要求をされたかは憶測するしかないんだけれど、どーせ「みさとちゃんのヌード出してよ」とかそんなレベルのことだろう。商業原理としてのジャンプシステムを評価しないわけではないが、バカに編集させちゃいかんよ、絶対。

 本作のエピソードの一つに、「自分が黒猫であるために飼い主に不幸を呼びこんでいるのではないか」と悩む猫の話がある。
 何気なく我々も見逃していることだが、これって明白な「黒猫差別」だよなあ。もしかしたら、こういう根も葉もない迷信をまともに信じてて、黒猫を捨てたり殺したりしてる“現実”もあるんじゃないだろうか。そういうことについても作者はずいぶん怒り心頭に発してるんだろう。
 話に固さは残るが、「定番」だらけの『バンチ』の中では、一番読んでて面白いマンガだ。『バンチの良心』と言ってもいい。こういうマンガ家さんが、つぶれていくようじゃ、日本のマンガシーンもジリ貧だろうと本気で思う。もし、ホントに打ち切りになっても、どこかが拾ってくれよ。意外と何でもアリの『チャンピオン』あたりが合ってる気もするが。


 マンガ、矢崎存美原作・安武わたる作画『ぶたぶた』(宙出版・730円)。
 徳間デュアル文庫シリーズの『ぶたぶた』のマンガ化。
 作者にゃ悪いが、原作のマンガ化としては可もなく不可もなくといったところで、こっちを先に読まれたら、原作の続きを読みたくなくなっちゃうんじゃないかって気もしてしまう。
 つまりはレディコミのコマ割りでファンタジーを描くことにムリがあるんだろう。説明が長くなりすぎるのではしょって書くが、レディコミのコマ割りの特徴の一つに、遠近感を曖昧にする、というのがある。出来るだけ背景をボカし、二人以上をコマの中に描き入れることをせず、モノローグを多用し、映画的モンタージュを持ち込んで、画面をファンタジックにしていく。
 確かに『ぶたぶた』は現代の御伽噺ではあるが、レディコミの持つファンタジー性とではあまりにも質が違ってやしないか。『ぶたぶた』の面白さはもっとリアルな現実の中にファンタジックなものが混じりこむ違和感 ――まさに演劇的な―― 点にあるんじゃないかと思うのである。現実そのものをファンタジックに描くレディコミじゃ、その違和感は表現出来ないのだ。
 ロボトロニクスがもっと向上して、「生きているようなぶたぶた」が作れるようになったら、映像化もいいかなと思えるんであるが(CGじゃダメだねアレは)、今は小説読んで想像力膨らませるだけで充分じゃないかなあ。
 あ、そうか、『シュレック』にあまり興味が湧かないのはアレがCGバレバレだからなんだな。


 マンガ、石ノ森章太郎原作・MEIMU漫画『キカイダー02』3巻(角川書店・5670円)。
 世間ではご批判もいろいろあるようなMEIMU版『キカイダー』だけれど、21世紀に石ノ森作品をフィーチャーして行くプロジェクトの一貫として考えれば、色々な試みがあっていいと思う。
 ハカイダーの脳が光明寺博士のものでなく、兄、イチローのものであるという改変も別にいけないとは思わない。ドラマ上の変更は演出の範囲内だし、その改変があってなお、石ノ森ワールドが壊れていなければ、それはその世界の幅広さを証明することになるからだ。けれど、やっぱりハカイダーの眼には表情があって欲しかったな。俯くと不敵な笑いに見えるところがよかったんだから。
 「ダーク」が滅びてもいないのに、早くも名前が語られた「シャドウ」の存在、どうやらジローたちの味方でもないらしい風天(「瘋癲」と改名……いいのか?)和尚による“六体”の01の開発。この怒涛のアレンジはどうだ(と言われても困ろうが)。
 となると、「イチロー」としての01は登場しないのか。それどころか結末も大巾に変わるのだろう。ジローの破壊やミツ子の死なんてことも考えられる。こうなると自分でも空想を膨らませて「こういうキカイダーもありか」なんてストーリーを作りたくなってくるなあ。いや、私にはキカイダーのメカ描くだけの画力はないけどさ。
 ……それに、それって「同人マンガ」って言わんか(^_^;)。

2000年12月07日(木) 仕事三昧、遊び半分/『虚無医院』2巻(林光默)


2001年12月06日(木) 他人の日記ネタ。Aさんすみません(^_^;)/『ナジカ電撃作戦』MISSION 009/『韃靼タイフーン』2巻(安彦良和)ほか

 昨日の日記、短く書くと言っておきながら長いじゃね−かとお叱りを頂いたのだが、実はあれでも短くなっているのである。
 つーか、読んだ本の感想、書いてないしな。
 実際、一番行数を食うのは読書の感想なので、それを省いたら、この日記、多分、中身はほとんどスカスカになる。
 ホームページを立ち上げたら、読んだ本の感想は別枠にして……とか考えてたんだけど、そうなるとこの日記を『エンピツ』の「アニメ/漫画」のジャンルに入れておく必然性がなくなってしまうのだよなあ。
 いい解決方法がないものだろうか。


 今日も今日とて、しげの車で行き帰りのお迎え。
 車の中で、しげ、いきなり「ねえ、○○さんの日記、読んだ?」と聞いてくる。
 「日記っていつのだよ」
 「昨日の」
 「……今まで仕事だったのにどうやって読めるんだよ」
 「それがね、すごく面白かったんよ!」
 ご当人に許可を取っていないので、あえて本名は伏せて仮にAさん(♂)としておこう。
 このAさん(♂)、私の知り合いの中でも最強の部類に属する超オタクである。オタクであるが故の運命ででもあろうか、30ウン歳の今日に至るまで、浮いたウワサ一つない。いやあるのかもしれないが、多分、イタイ思い出が多そうなのであえて聞いたことがない。
 日頃から「いいんですよボクは。独身のおかげでこんなにオタクライフがエンジョイできるんですから」と言い放ち、海外のB級SF収集をライフワークとし、輸入DVDの山に囲まれて暮らしているのである。
 さて、そんなAさん(♂)なのだが、実はなんと、ただいまお見合いの相手Bさん(♀)との甘くアツイ関係が進行中なのである。とは言え、純情を絵に描いたようなAさん(♂)のこと、Bさんとお知り合いになってからのデートはほんの数回、恐らくは、まだ手を握ったことすらない清い清い関係であろうかと推察される。
 で、Aさん(♂)の12/5付けの日記に、最新のBさんとのデートの様子が描かれているというのだ。
 「て、なんて書いてあったの」
 「Bさん(♀)を映画に誘ったんだって」
 「何の映画?」
 「それがね……うぷぷ」
 しげの目がカマボコの断面のようになった。
 「じらすなよ。何見たんだよって」
 「……『ハリー・ポッター』だって!」

 「ぶわはははははは!」

 二人して笑いをかみ殺すのに苦労したした。いや、結局笑ったけど。
 ただし、この笑いには多少、補足説明が要る。
 以前、かなりこのお見合いの進行に本気らしいAさん(♂)を囲んで、「恋愛指南術」みたいなことを話したことがあるのだ。
 「映画はね、デートに誘う方法としてはよくないんだよ。映画にばかり見入っちゃって、相手をほったらかしちゃうから。だから映画に行く時には、よほど慎重にタイトルを選ばないと」
 ある人がそう仰るのをAさん(♂)、大きく頷きながら聞いていたが、『ハリー・ポッター』がその成果か。
 
 しかもAさん(♂)、そのBさん(♀)が「『ハリー・ポッター』、人が多くて見られなかったらどうしよう」と心配しているので、わざわざ指定席のチケットを買ってあげたというのだ。
 「けなげでしょ?」
 「けなげだねえ。教えを守ってるねえ。フラグを立てているんだねえ」
 「で、映画が始まるまで、ハードロックカフェでお話ししてたんだって!」
 これはもう、我々夫婦に笑ってくれと言っているようにしか思えない。
 実は、ウチの劇団に、女の子にもててもてて仕方がないが、必ず振られる因果なヤツがいる。で、今回のAさん(♂)の行動、「ファンタジー系の映画」といい、「ハードロックカフェ」といい、そいつの行動パターンとバッチリ一致しちゃってるのだ。
 大丈夫かなあ、Aさん(♂)。
 もちろん私は、Aさん(♂)の幸せを切に望むものではあるが、禍福はあざなえる縄のごとし、好事魔多し、渡る世間は鬼ばかり、世の中どこにどんな落し穴があるか解らない。
 日記を読むかぎり、そのAさん(♂)の嬉しさというか、幸せそうな笑顔というかニヤケタ表情っつーかが浮かんで見えて、もう、我々夫婦は顔を見合わせるしかないのだが、そこにAさん(♂)の油断が生じないとも限らない。
 ここはぜひ慎重な態度を崩さず、慌てないで、しかし進めるところは進めて、確実にフラグを立てて行ってもらいたいのである。
 だってこんな面白そうなネタ、我々もずっと楽しんでいたいもの(^^)。

 で、帰宅してAさん(♂)の日記を読んでみたら、『ハリー・ポッター』見に行ったことについて、こんなコメントが書かれていた。
 「あー、今笑った人、前に出てきなさい、怒らないから、ただ、耳を片一方殺ぎ落とすだけだから、正直に言いなさい」

 「ぶひゃははははひ、うひうひゃははははは」
 ああ、Aさん(♂)「本気」だ。
 人生って、なんてステキなんだろう(^^)。


 このように私は妻との日々の会話をセキララに書き綴っているのであるが、意外にしげのウケがいい。
 こんな万年健忘症の生活無能力者のどこがいいのかわからんが、「かわいいですねえ、奥さん」何ぞと言われたりするのである。
 何か書きかた間違ったかなあ。
 しげと面とむかって話ししてると、本気でイライラしてきて、ベランダから逆さ吊りしてやりたくなることもしばしばなのだが、まだ筆が甘いのかなあ。
 もちろん、日記に書くにあたって、しげの言動をそのまま逐一、移し書きしているわけではない。冗長なところは省略しているし、逆に主語や目的語がはっきりしていない部分を補ったりもしているのである。実物のしげに比べると、1.8倍増しでリコウになっていると言ってもいい。
 しげ本人は、この日記を読んで、「なんか、独身男が、自分には妻がいるって思いこんで書いてる感じだね」とか言ってやがるが、じゃあ、「しげの日記」を書いているのも私ってことになるのか。
 どんなに知性を捨ててもあそこまで前頭葉が欠落してるような文章、書こうったって書けるもんじゃないぞ。

 その通り。
 信じられないかもしれないが、あのへんないきもののしげは、実在するのである。


 焼肉の2割引券を手に入れたので、また「一番カルビ」で食事。
 私もしげも、ロースは食うがカルビは脂っこくって、あまり食わなくなっているので、セットを頼むより単品で頼んだほうが安上がりだと気付く。
いつものロース、ホルモン、ハラミのほかに、今日は牡蠣の味噌漬けを頼んでみるが、食わず嫌いのしげは、やっぱり味見しようともしない。充分焼いてもまだ汁が中に残っていて香りがよく、ちょっと食べてみる価値はあると思うんだがなあ。
 精算時に、店員の女の子から、「二度目ですね」と言われて、割引チケットをたくさん貰う。たった二度にして、なんか顔を覚えられてしまったらしい。
 「そりゃ、あんたみたいな浮浪者顔、目立つもん」
 と、しげは言い腐ったが、自分が目立ってるって発想はないのか。
 一見して年齢不詳、性別すらやや怪しい、首が据わってなくてもしかしたらちょっとアブナい人かもって印象のやつなんて目立ってしょうがなかろう。


 帰宅してオタクアミーゴスのパティオを開くと、唐沢俊一さんの書き込みがある。
 先日のオタアミの打ち上げの2次会で、唐沢さんの発言をいくつか私が日記にUPしたのをたしなめられたものであった。
 うわあ、し、しまった、アレはまずかったのか。
 確かにそうかもなあ、アレを書かれたってことは、アレがアレする可能性もあるわけだから唐沢さんはお困りになるかもなあ。でもかえってアレしてくるナニも現れる可能性があるわけだから不利益にはなるまいと考えたんだけど即断だったのかなあ。
 早速削除しようかとも思ったのだが、ちょっと困ってしまったのは、十中八苦、それは私のことだろうと思えるのだが、名指しはされてないので(それはもちろん唐沢さんの気遣いであるのだろうけれど)、かえって身動きが取れなくなったことである。謝罪しようにも謝罪できない(^_^;)。

 オタアミのことに限らないけれども、自分の見聞きしたことで、「これは書けるな、これは書けないな」と判断して取捨選択している基準、一応、自分の中に設けてはいるのだ。
 要するにそれを書くことで、「その人が不利な立場になるかどうか」ということなのである。

 先日の宴会でも、ぴんでんさんから「アレは書かないのですか?」と聞かれたあるコトがあったのだが、「いや、アレはさすがに」とあえて書かなかった。
 アレは確かに面白いネタなのだが、アレをアレのままで書いてしまうと、ナニがナニだというように誤解されてしまう危険性が大きいのだある。
 もちろんナニはナニではありませんよと説明することは可能なのだが、それがまた更なる誤解を生じさせる危険もあるのだ。
 私はコトナカレ主義は大嫌いだし、アレを書くことはアレに対する理解を深めるきっかけになると思うので、別に書いて不都合は生じまいとも思うのだが、少なくともそれを書いたあと、それに対処する立場に私があるのならばともかく、現実にそうではない以上、私が書くべきことではないという結論を出さざるをえない。
 だからアレは書くまいと決めたのである。
 さっきから、何のことだかよく分らないだろうけれど、そういうことなんだってば。

 うーん、こういうときはハッキリと「アレは困ります」と名指しで仰ってくださったほうが助かるのになあ。そのことで私がAIQの中での立場が悪くなるなんてことはないのである。モトから私はこういうヤツだし。
 唐沢さんの懸念がどこにあるのかについても、先ほどアレだのナニだのと書いた通り、だいたいの見当はつくので、件の記事の一部は削除するのが当然だろうとは思う。
 これは、以前、職場から難癖つけられたときとはケースが違うので、裏日記を作って記事を保存しておくこともしないつもりだ。
 ただ、ビミョーなたしなめられ方をされた以上は、こちらもビミョーな対応をしなければならんのかなあ、とか余計なことを思って悩んじゃったのである。
 ……ああ、腹芸ってムズカシイよん(+_+)。
 結局、散々悩んだ末に、結局、素直に当該の記事は削除することにした。
 頑固に「削除する」「削除しない」どちらにも拘っているわけではないということはここに明記しておかねばなるまい。
 ……こんなこと書いてて、アレが私のことを指してるんじゃなかったら、私も相当トンマだな(^_^;)。
 いや、そんなことないよな、アレは私だ。すみませんすみませんすみません(ToT)。

 ついでですから、みなさん、これまでの記事で、「これはダメだよ」ってのがあったら、どうぞ遠慮なくメールででも掲示板ででも、お知らせ下さい。ただの難癖などではなく、明確に根拠があると思われるものについては、誠実に対応させていただきます。


 CSキッズステーション『ナジカ電撃作戦』MISSION 009「勇壮なる砂漠の獅子は女神と共に」。
 またまた新タイプのヒューマリット、エリスが登場。
 ギルダ王国の反政府組織の首謀者アテナに仕えるエリスは、アテナの忠実なるコピーだと言える。
 そのアテナが理想を捨て、政府軍への投降を決めた時、エリスはアテナをアテナとして認めずに殺害する。
 うーん、所詮、ヒューマリットはヒューマリットで作りもの、と言いたいのかな、この話は。でも、実はナマの人間だって、こんなことやっちゃうヤツは多いんだよね。
 「君がそんなやつだとは思わなかった」
 そんなこと言うヤツ多いでしょ? 人間がいつだって一つの色に染まってると思いこんでるやつ、あるいは他人もそうだと決めつけたがるやつ。
 自己同一性がないのが人間の正体なんだけど、そう言いきっちゃうと自分のことも他人のことも見えなくなる。その恐怖から逃れるために、人は「人間とは」「私とは」と自問自答する。でも、そんなことしたって、結局自分自身の曖昧さは事実としてあるわけだから、不安から逃れることなんてできやしないことなのだ。
 意外とハードな終わり方するのかな、『ナジカ』も。
 でもこれで「ナジカも実はヒューマリットでした」って結末になっちゃったら、まんま『ブレードランナー』なんで、それは避けてほしいんだけれども。
 いや、展開が似てきたので気になっちゃったのよ。


 マンガ、安彦良和『韃靼タイフーン』2巻(メディアファクトリー・540円)。
 1、2巻で描かれた「函館事件」の5年後、今度は前巻ではヒロインには違いはないが、ワキの印象があったデコ=近藤日出子を主役に据えて、激化するロシア内戦を描く。
 まあ、あれだけの「クーデター」を「函館“事件”」と表現しちゃうあたり、安彦さんの歴史認識の冷徹さが見て取れる。
 実際、十年前の中国の「天安門“大虐殺”」だって、日本も中国も「事件」ですませちゃったって現実があるもんな。もし、本当に日本国内であんなことが起こったとしても、それを素直に「革命」とか「クーデター」とか、日本の政府及びマスコミは報道しないような気がする。結局はただの小さな「事件」。日中戦争を「日華事変」と言い張ってたのと同じ発想だ。現在だって、何かにつけ、コトナカレなんだよなあ。
 安彦さん、それを念頭に置いて1、2巻を書いたんじゃなかろうか。60年、70年のシッポを引きずってる安彦さん、多分、平和ボケの日本に相当怒っているのだ。政治色が強くなって、エンタテインメント性が薄くなってしまいそうな気配があるのはちょっと気になるのだけれど、あくまで物語を主人公が引っ張って行く展開にしていってくれたら、つまんなくなることはないと思うんである。


 マンガ、佐藤竜雄原作・滝沢ひろゆき漫画『学園戦記ムリョウ』5巻(NHK出版・500円)。
 アニメの方、ずいぶん見逃してるので、ほとんどマンガ版でカバー。刊行ペースが早いので、カットされてるエピソードは意外に少ないんじゃないかな。
 物語はいよいよ佳境と言うことで、反銀河連邦が「宇宙連盟」という、これまたただの反乱軍ではないような設定らしいことが見えてくる。
 敵をただの敵として描かないその姿勢、『ナデシコ』でもそうだったけれど、実はごく初期からの日本のアニメの王道なのだ。『ナデシコ』のあとだとどうしてもコツブに見えちゃうのがネックだけれど、うまくオチをつけられたら、『ムリョウ』もそこそこいい出来になるんじゃないかなあ。
 劇中劇をやたら挿入したがるのも佐藤作品の特徴だけど、モモエ様主演の『こゆるぎ野郎』の全編、見てみたいぞ。『ゲキガンガー』みたいに1話使ってやってくれんかな。NHKじゃムリかもしれんが(^^)。

2000年12月06日(水) 人は年6回風邪を引く/『冒険配達ノート ふまじめな天使』(赤川次郎)


2001年12月05日(水) おばさんのタイホ/『おさんぽ大王』2巻(須藤真澄)ほか

 実は先日から仕事の形態がムチャクチャ変化してしまったのだが、これがもう、実に生活のリズムを崩してくれてるのである。
 職業がバレると困るんで、具体的には書けないのだが、これがもうまんま「朝三暮四」で、全然仕事が楽になってないのだ。
 しかもなあ、なんだかなあ、年末も正月も仕事がありそうな感じなんだよなあ。
 年末のスケジュールを考えただけでちょっと眩暈がしてくるんである。

 数少ない読者のみなさんへご報告ですが、体調も最近よくなったようなまた沈滞気味のような微妙な状態が続いているので、ちょっと日記の方、短めに書いていきます。更新も一週間分遅れてますし(これ書いてるの、もう11日なのよ)。
 短いと面白くないや、と言われるとツライけど、短くなったおかげで読みやすくなったと言われるのもちょっとサビシイかな。
 いや、ゼイタクな悩みで。

 朝方、カラダの自由が利かずに遅刻。
 仕事サボりたいわけじゃないんだが、起きられないときゃ起きられない。
 同僚の顔が笑っていながら引きつってるのを見て恐縮。

 一日ダルくても溜まった仕事は片付けにゃならぬ。
 何の因果か会議の司会なんてものもやらにゃならなくって、最悪の体調で臨む。案の定、長引く長引く。
 結局しげを1時間待たせる。

 しげ、ここしばらく、時間通りに迎えに来てくれなかったのに、今日は鬼の首でも取ったようにヨロコブ。
 「結局、意味ないやん。二人はすれ違い夫婦」
 怒りながら、こっちを責める口実ができたとばかりに笑ってんじゃないよう。(ToT)。

 保険の配当金が○万円出たので(伏字にしたってしげの日記でバレバレなんだが)、それでロドリゲス(何度も言うがしげが買った車)の代金を一括で払っちゃおうと言うのだ。
 基本的に私もしげもローンは嫌いなので、払える時に全部始末をつけておきたいのである。
 あるカネはいつ消えるかわかんないからパッと使っちゃえって人間でもあるのだが。おかげでローンもないが貯金もない(^_^;)。

 車中での夫婦の会話。
 「食事はどうする?」
 「うーん、『ポナペティ』で惣菜買って帰ろうかなあって……」
 「……今、通りすぎたじゃん」
 「悩んでるうちに曲がりそこなうんだよ!」
 「じゃ、どうする? スーパーかコンビニに寄るか?」
 「いいけどぉ」
 「……って、なにまた通りすぎてんだよ!」
 「ここは車通り多いから一度入ったら出られないんだよ!」
 「じゃ、どうすんだよ、メシは!」
 「あんた、帰ったらなんかあるんやろ?」
 「……レトルトカレーが」
 「じゃ、いいじゃん、それで」
 「……お前、生き方自体が間違ってるよ!」

 で、実際その通りの食事(T△T)。
 レトルト暖めてる間、『テニプリ』見損ねる。


 アニメ『ヒカルの碁』第九局「目ざわりな奴!!」。
 伊藤・小島・奥村の三人が塔矢アキラを「目隠し碁」で苦しめるエピソード。
 この「目隠し碁」って言葉、本当にあるのかなあ、と日本国語大辞典を見たけれど載ってない。まあ、専門用語まではカバーしきれないのも仕方ないだろうけど。
 ……いや、もしかしたら昔は「めくら碁」って言ってたんじゃないかと思ってね。どうも最近、この手の言葉の言い替えに敏感になっちゃってるもので。
 アキラの窮地を救う日高先輩、原作では某アニメの綾○レイソックリなんだけれど、微妙に髪が頬にかかりすぎないように気をつけて、印象がダブらないようにしてあるのが芸コマ(^^)。
 このキャラも好きだったんだけどねえ、当たり前の話ながら、海王中編にしか登場しなかった。
 葉瀬中囲碁部を後に背負って立つことになる金子さんも初登場。
 思うに意外と隠れファンが多いんじゃないかな。アニメ版は原作よりもちょっと細めに、かわいらしく描かれてるのであかりがちょっと嫉妬するのも何となく納得。
 声は「ゆきじ」さん? 誰かと思って検索してみたら、『ゲンシくん』の声の人だった。……あのアニメ、何回かしか見てないからあまり印象に残ってないなあ。でもちょっとハスキーで声優向きな声でなかなか好ましい。
 新谷真弓さんもそうだが、私はちょっとダミ声系の女優さんに惹かれるところがあるのだ。今後の演技次第ではゆきじさんもごヒイキになるかもな。


 さて、世間は「サッチー」逮捕で揺れている。
 脱税ったって、そりゃやってるだろう、あの人ならって感じで私にはあまりにも当たり前過ぎてインパクトがない。
 でもマスコミはホントに喜んでるよなあ。
 いかにも悪役然としたキャラクターが、いかにもな犯罪を、世界情勢が混沌としているさなかに、実に卑近な例としていかにもなタイミングで起こしてくれたのだ。
 これを喜ばない手はないよねえ。
 国税局もとうの昔に脱税に気付いてたのを、金額がデカくなるまで取っといたんじゃないか。経歴詐称だの、契約不履行だの、その程度のコツブな犯罪でこれだけのキャラクターを逮捕しちゃ申し訳ないって理由でさ。

 でも、ホントにそんなに大層な人か? 「サッチー」って。
 もともとスキャンダラスな人だったのかもしれないけれど、所詮は市井のオバチャンでしょ? あのヒト。
 「有名人」ってことにいつの間にかなっちゃったけど、あの人、実はタレントでもなんでもない、ただの「野村克也夫人」じゃないの?

 確かに本人が「有名人っぽく」、ノって振る舞ってたってこともあるんだろう。でも、どうしても驚嘆しちゃうのは、よくもまあ、これだけ「悪役」然としたキャラクターを作り上げることができたよなあ、ということだ。
 ある意味スゴイか? マスコミも。
 まさに筒井康隆の『俺に関する噂』。
 三浦和義事件以来、現実に「ただのヒト」にニュースバリューを付与して「事件」をデッチ上げる手段をメディアは学んでしまったのだ。「でもあの事件は本当にやってんじゃないの?」と思われてる方、私が言いたいのは事件そのものじゃないのよ、事件の周辺まで「事件に仕立て上げられていく」ことを言いたいわけ。……だって、あの時は三浦和義を悪役にし立てるために「過去のスワッピング」の事実まで報道してたぞ。そんなん事件に関係ないやん。
 でも、これならいくらでも「ニュース」が作れる。実に効率的な方法なのだ。そして、「なんの関係もない周辺の事実」が、じわりじわりと三浦和義の「悪役」像を作り上げていった。今度の「サッチー」騒動と似てないかな?

 果たして、我々一般人がマスコミの「洗脳」にうかうかと乗っちゃっててもいいものなのか。
 既に彼女を「サッチー」なんて呼んでること自体、マスコミに心理的に誘導されてしまってる証拠だ。これ、池田小学校乱入事件の宅間守を「タクマ君」と呼ぶ心理と共通してないか。
 だからあの人、ただの「野村佐知代」って普通の人なんだってば。
 普通の人だから、普通の人の感覚で脱税をし、当たり前の結果として逮捕されちゃったのだ。
 新聞にまでデカデカと載っけなきゃならんようなニュースじゃないよ。
 でも、どうせまた「ミッチー」も出てくるんだろうね。
 マスコミに躍らされて。

 ……ま、みんな踊りたいなら踊れば?


 マンガ、須藤真澄『おさんぽ大王』2巻(アスペクト・893円)。
 しげがいきなり、「ねえ、こうたろうさんの家って、『千社札博物館』?」と聞いてくる。
 まだ『おさんぽ大王』の2巻を読んでなかった私は思わず「なんやそれ」と言ってしまったが、目にしてみて、なるほどそうか、と納得。以前、こうたろうくんが「『おさんぽ大王』にうちのことが載ってる」、と言ってたが、確かに絵で見るかぎり、家の間取り、中の様子がそっくりだ。
 須藤さんが地元墨田区の「小さな博物館運動」を探訪するってものだが、このマンガ、基本的に「旅にロマンはない」というつげ義春の『リアリズムの宿』路線で書かれてるものだから、常に須藤さんの「来て見てみりゃあ、こんなもんかい」という、「挫折」が描かれている。
 でも、せっかく取材してもらっても、描かれる内容が「挫折」じゃあ、取材されるほうにしてみれば多少イヤーンな感じになっちゃうところがあるのだ。
 けど、読むほうにしてみれば、だからこそ「そういうところに行ってみたい」と思うものであって、どんなに「コペンハーゲンの人魚姫像ってつまんないよ」と言われてもやっぱり実物を見てみたくなる。
 なんか私もこうたろうくんちを隅々まで見たくなっちゃったぞ。悪趣味なのは承知してるが(^_^;)。

2000年12月05日(火) NOT THAT IT MATTERS/アニメ『鉄腕アトム・ミドロが沼の巻』


2001年12月04日(火) 「ピー」って口で言わんでも/『ワンピース』21巻(尾田栄一郎)/『うまんが』1巻(新井理恵)ほか

 映画『ハリー・ポッターと賢者の石』が、公開二日間で興行収入の16億円を抜く新記録を達成したとか。これまでの1位が『スターウォーズ エピソード1 ファントム・メナス』の15億円、というから、抜いたと言っても大した差はないが。
 「あれ? 『千と千尋の神隠し』は?」という疑問が出そうだが、子連れが多い『千と千尋』は入場者数で勝っても興行収入はおっつかないのである。……だって、子供二人分でもオトナ料金に届かないんだぜ。
 となると、『ハリー・ポッター』、どの程度『千と千尋』に迫れるか、ということだけれど、結構、抜いちゃう可能性はあるんじゃないか。今んとこ、口コミで入ってくる情報は「まあまあ」。試写会時の提灯記事よりこの「口コミ」ってのの方がよっぽどアテになる。少なくとも退屈するってことはなさそうだな。
 原作を買ってるけど、「映画見るまでは」と未だに読んでないんで、どの程度原作と違うかも分らないし、本当に「画期的なファンタジー」なのかどうかも見ないことにはなんとも言えない。


 今日は定刻に仕事が終わる。
 なのに、しげの携帯や自宅に何度コールを入れても、呼び出し音がなるばかり、ウンともスンとも返事が帰って来ない。
 「ただいま、電話に出ることができません。“ピー”という発信音の後に、メッセージをどうぞ」
 留守電なのは仕方がないとしても、なんかこの「ピー」というコトバを聞くと、ただそれだけで、なんだかむかっ腹が立っちゃうのは私だけかな。
 あんちくしょう、朝、送ってきた時に、「帰るときは連絡入れてね、きっとだよ」とか言っときながら、しっかり寝入ってやがるな(-_-メ)。
 「……迎えに来れないみたいだけど、今から帰るよ」
 どうせメッセージ入れたって、聞いてやしないんだろうなあ、と思いながら、それでもピー音の後にヒトコト入れないといけない気がするのは、留守電のマナーを守れる人間が世の中にムチャクチャ少ないことがわかったからだ。
 以前はウチの電話も外出する時は必ず留守電を仕掛けていたのだが、最近は全く仕掛けなくなった。ともかく、メッセージ入れずにそのまま切っちゃうやつが多いんだね。どうせセールスの類だからだろうな、と思ってたんだけど、ある時父親もなにも言わずに切ってることがわかって、留守電仕掛けるのをやめた。
 なんで肉親から無言電話かけられなきゃならんのか(`m´#)。

 しかたなくタクシーで帰ると、やっぱりしげは巨大な大根足をほっくりだして寝汚なく寝ている。声をかけても「んがっ」とイビキを返すばかり。
 腹立つな−(`m´#)。せっかくコンビニでハンバーグを買ってきてやったというのに。しげを気遣う自分のほうがバカバカしくなって、レトルトカレーを温めて、買ってきたハンバーグを乗せて食う。
 ストレス&暴食って、糖尿に一番悪いんだよなあ(ーー;)。


 ようやく、アニメ『しあわせソウのオコジョさん』をマトモに見られる。
 今日は、第10話「雪とゆうたとカラアゲと」「オコジョ番長!登場編」の2本。
 なんだなんだ、この「オコジョ番長」ってのは、と思ったら、この原作、完全な続きものじゃなくて、オコジョさんがいろんなキャラクターに扮して、たくさんの別々なアナザーストーリーを作ってるわけなんだね。
 『パタリロ』と『猫間天狗』と『パタリロ西遊記』の関係みたいなもんか。ってタトエが古いな(^_^;)。
 スゴイ番長が来ると思ったら、ちびっこいオコジョだったってのはギャグとしてはあまりにミエミエで笑えない。教師がやたらと生徒を見捨てて逃げたがるのも、よくあるパターンだから、もう少しキョーレツな演出を考えないとねえ。
 まあ、無理して早く帰って見なけりゃならんほどのものでもなかったなあ。


 『FF:U ファイナルファンタジー・アンリミテッド』第10話「屋敷〜サギソウのおもいで」。
 「サギ」のキャラクターデザインがなかなか面白い。FFもずいぶんたくさんのシリーズがあるようだから、毎回こういう形でゲストキャラが出てくるんだろうなあ。
 しげに言わせると、世界観がデタラメ、ということだけれど、つまりだからこそタイトルが「アンリミテッド」っていうことなんだろう。もとのFFがどんなものか知らないから、かえってこのシリーズ、CGの使い方の下手さ加減を除けば、結構楽しめてるのである。


 マンガ、尾田栄一郎『ONE PIECE ワンピース』巻二十一「理想郷」(集英社・410円)。
 カバーを外すと、クロコダイルがパンダマン(^o^)。ジャンプコミックス系でこの手の遊びは昔はさせてもらえなかったのに、太っ腹になったなあ。とゆーことは、古本屋にカバーが外れた状態で並ぶ時はパンダマンが背表紙(^u^)。
 初めて読むやつが、「このキャラはどこに出てくるんだ〜!」とか騒いだりしてな。こういうお遊びはメチャクチャ大好きだ♪
 ジャンプ本誌の方は、どうやらやっとこすっとこアラバスタ編が終わってるみたい。
 どうせなら、ビビとここまで旅してきてるんだから、彼女を音楽家ってことにして、フネに乗せてもよさそうだけれど、なにしろ相手は王女だしなあ……。
 パターンとしては、次代の国を支えるために、ってことでルフィたちとはお別れってことにしちゃうんだろうけれど、そうなるってーと、確実に話がつまんなくなるのな。キャラクターがパターンに殺されちゃうってことなんだよね。
 本気で面白いマンガは、キャラクターが作者も予想外の行動を取って、パターンをぶちやぶるくらいのパワーを見せるもんなんだよね。

 まあ、それはそれとして、21巻の内容。
 バロックワークスなんてものを出しちゃったおかげで、今まで積極的には戦闘に参加してなかったナミまで「対決モノ」のパターンにハマっちゃったんだけど、面白いことは面白いのな。
 果たして作者がそういう方向の作品を書きたかったのかどうかは別として、『リングにかけろ!』あたりから始まったジャンプお得意のグループ対決形式、これは誰が書いても確実にウケる。『幽遊白書』なんて、作者が手を抜いててもウケてたんだから悲惨なものだ。
 ビビとミス・ダブルフィンガーの戦い、話としてはよく工夫されている。ウソップからもらった「天候棒」が最初は役立たずか、と思わせる展開も楽しい。「まあっきれいなお花(はあと)」には笑ったし。
 でも、「せめてみんなに迷惑かけないくらいの強さは欲しいし……」とかいうキャラだったか? ナミは。いや、ナミも成長してるんだって言い訳はできるだろうけれど、結局、ナミを対決ものに巻き込むための後付けのリクツなんだよね。
 ナミだけじゃない、主要キャラクターの性格がここんとこパターンの中に取りこまれて、どんどん「薄く」なってることに気付いてる読者がどれだけいるのだろう?
 このパターン、一回やると後の話も全部それでいかなきゃならなくなるって大きなリスクがあるのよ。下手をしたら次の連載まで……。
 つい最近も、『るろうに剣心』の和月伸宏が、『ガンブレイズウェスト』でツブれてるだろ? このままいけば尾田さんも確実にツブれるぞ。どんなに面白くっても、編集部に強要されようが、「グループ対決パターン」は絶対やっちゃいかんのだ。
 ……ホントに尾田さんのファンなら、これから先、似たような話の拡大再生産が続いて、どんなにツマラナクなっても、決してファンをやめないくらいの気概が欲しいんだけど。それが「作家を育てる」ってことでもあるんよ。


 マンガ、新井理恵『うまんが』1巻(小学館・590円)。
 カバーを外すと続きマンガ……って、『× −ペケ−』でもやってたな、この人。きょうは「表紙めくりマンガ」ばかりだ(笑)。
 まあ、私も唐沢なをきと椎名高志のマンガを買う時には必ずカバーを外すようにしているのだけれど、買った全てのマンガ、いちいちそんなことしないものな。これもふと思いついてめくったらあったし。
 気がつかずに見逃してる表紙ウラ漫画、まだまだあるかもしれない。

 それはそれとして、相変わらず性格の悪いキャラばかり出すマンガを描き続けている新井さんだけれど、4コマよりこっちの続きものマンガのほうが合ってるとは思う。
 しかし一歩間違えればエロになりそうなギリギリの線で成り立ってるよなこのマンガ。まあ、謎の幻獣(って馬のぬいぐるみじゃん)「まくまく」がどこから来たかなんてのは実はギャグマンガなんだからど−でもよかったりする。ともかく主役の皐月がどれくらいまくまくに振り回されるかを見るのが眼目なんだから、もっと舞台を町内だけに留めずに広げていったら面白くなるんじゃないかな。
 

 CSファミリー劇場『火曜日の女・ある恋人たち』第1回。
 なんつ−か、こーゆー昼メロっぽいの、そうそう見ないんだけどね。
 ふとタイトル字幕見たら、原作がノエル・カレフじゃないの。『名も知れぬ牛の血』なんて、読んだこともない。
 どうやらこの『火曜日の女』シリーズ、知る人ぞ知るミステリーシリーズだったらしい。アンドリュー・ガーブ、ウィリアム・アイリッシュ(コーネル・ウールリッチ)、ビル・S・バリンジャー、シャーロット・アームストロングという海外作家(しかしアイリッシュを除けばマイナーどころばかりだ。原作権料が安いからかな)、松本清張、夏樹静子、笹沢左保、小峰元、横溝正史などの日本作家の原作を脚色したものと、オリジナル作品とで構成、ほぼ5年に渡って、今で言う「ミニシリーズ」を製作している。
 しかも、オリジナルの脚本家たちも、現在の目で見ると驚くようなラインナップである。
 生田直親、松木ひろし、石松愛弘、佐藤純弥、松田寛夫、小山内美江子、菊島隆三、池田一朗(隆慶一郎)、鎌田敏夫、市川森一、山田正弘、佐々木守、津田幸夫、降旗康男、澤井信一郎、倉本 聰、中島丈博、松田寛夫、池田一朗、桂 千穂。
 なんちゅーゼイタクなシリーズ。当時もう少しトシ行ってたら絶対ハマってたよなあ。

 しかし放映されてたのが昭和46年じゃ、さすがに私もまだ子供で、大人向けのミステリー番組を見るにはムリがある。このころはせいぜい乱歩の少年探偵団シリーズくらいしか知らなかったし、横溝正史に出会うのは翌年だ。多分、クリスティーだって読んじゃいない。NHKの『明智小五郎事務所』も、何回かは見ていたが、ちょっとオトナのムードについていけなかった。
 それがいきなリノエル・カレフに惹かれるわきゃない。
 主演の大空真弓の息子役が竹尾智晴なんだが、これってバイキンマンの中尾隆聖だよな。この手の番組って、結構、昔の声優出演度が高いんで、なんかそっち方面で見てしまう自分がちと情けない。
 なんか大空真弓の息子が事故にあって、それから家庭に不協和音が……って感じの出だしだけど、第1回だけじゃまだ先が見えないので、筋の感想は全話見てから書こう。


 『ファミリー探検隊』 金子修介。
 ああ、しまった、もうパート3だ。前2回、金子さんが何を話してたか、聞き損なっちゃったなあ。
 もうあちこちのメディアで語ってるとおり、「今回は悪役としてのゴジラをキチッと書こうと」とか「前々から新山千春を狙っていた(主演女優としてね)」とか、なかなか挑戦的な喋りを披露してくれてるが、肝心の特撮映像の紹介が少ない。
 特に今回、「あまり見どころを見せすぎても」って判断なのか、それとももう「ゴジラの取材なんて」という反応なのか、メディアへの露出が少ない気がするんだがどうだろうか。イメージが固定化してる作品をヒットさせるには、「以前とどれだけ違うか」ってことをガンガン宣伝していかないといけないと思うんだけど、その辺、東宝はよくわかってないんじゃないか。


 『劇画ゴルゴ13』第7話「キャサワリー」。
 これは、実写の高倉健版でも千葉真一版でもなく、ましてやただ角ばっただけのヘリコプターが飛んでた自称CGアニメとやらのヘタレ作品でもない。
 劇画の原画にコンピューター処理を施して、セリフや効果音などの文字部分を消して背景を書き足し、さらにコマを彩色した上で、テレビ用に撮影したっていう珍品なのだ。
 まあ、大島渚の『忍者武芸帳』に近い作りだね。アニメにするより安上がりって発想で作ったのがミエミエだ。
 でもゴルゴの声が小川真司ってのは外れすぎてないか。
 平田博士だぞ幻夜だぞプロフェッサーギルだぞ(実写のチョイ役、数知れず)。あまり骨太な役は似合わないよ。
 「キャサワリー」とは、ヒクイドリのことで、ゴルゴの命を狙う女殺し屋の仇名。ああ、そう言えばこんな話も原作にあったなあ、と思い出す。死んだお袋が『ゴルゴ』好きだったんで、多分百巻くらいまでは原作読んでたのよ。
 原作でも比較的、早い時期の作品なんで、もう絵が荒い荒い。脚本も今見るとチャチで「ゴルゴでなくてもキャサワリーがレズだってこと、誰でも見ぬけるぞ」って気になってしまう。
 どうせこういう形で映像化するなら、もっと絵が安定したころの作品を選んだほうがよくはなかったかなあ。


 CS見続けるうちに気がついたら深夜。『秘密戦隊ゴレンジャー』で、一つ目仮面が「交通ルールを守らない虫は?」とか「目で見ないで舌で見るものは?」とかしょーもないクイズばかり出してるのを見ながら寝る。
 ギャグがつまらないほど、脱力感がドッと得られて睡眠には役立つのだな(^o^)。

2000年12月04日(月) 仕事休んでマンガ三昧(^_^;)/映画『戦場のメリークリスマス』ほか



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藤原敬之(ふじわら・けいし)