無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2003年03月19日(水) 言わずもがなのお話/『社会派くんが行く! 激動編』(唐沢俊一×村崎百郎)

 この日記、リアルタイムでお読みの方ならお分りだと思うが、更新がしょっちゅう遅れているのである。どれくらい遅れるかというと、ひと月くらいはザラ。あまりに遅れすぎて、途中すっ飛ばすこともあるのだが、するってえと、「飛んだ分の日記はいつ書くんだ」とお叱りを受けることもしばしば。
 しょうがないので、とりあえず掲示板を代理日記にしてチョコチョコっとその日に思ったことを書いたりもする。でも、簡単なメモ程度のものや、紋切型の文章だったりするものだから、改めて日記で記述を書き直したり加筆訂正したりしなきゃならない。二度手間でかえって苦労するハメになるのだ。
 だったらダラダラと長ったらしいだけで中身のない文なんて書いてないで、さっさと進めたらいいじゃん、とみなさんご指摘なさるでしょうね。ハイ、その通りです。なんも反論できまへん。でもそれができりゃ苦労はしない。誰から頼まれたわけでもないのに、気がついたら長ったらしい文を書いてしまう癖、学生のころから変わってないのだ。
 まあ、何とかしよう、という意志だけはあるので、その気持ちを汲んでいただけたらありがたいんですが、ダメですか。


 政治ネタはあまり日記に書きたないなあ、と思っちゃいたんだが、まあ、こればっかりは一応書いとかんといかんかな。
 ブッシュさんがついにフセインさんに最後通告出した件ね。
 とりあえず、掲示板に以下の通りの書きこみをする。

> 私ゃ、ブッシュとフセインのどちらの立場にも組みしません。戦争に賛成でも反対でもないです。
> 「無辜の民が死ぬから」という感情論だけで戦争反対を唱える人も好きにはなれません。そういう人は、ブッシュが勝てば沈黙するに決まってるから。
> 「人間の盾」なんてのも、どんなに命をかけようと、所詮は安っぽいヒロイズムでしかない。死ぬなら勝手に死になさい。命を軽視してるのは果たして誰か。
> 結局、戦争反対を唱える誰一人として今度の戦争を止められなかったのですから、個人の力なんて所詮国家の前では屁だということが改めて証明されただけではないですか。そういう無責任な人間が、過去の戦争の罪を断罪したりしているのは、あまりにおこがましいというもの。
> あの人たちがすっかり忘れているのは、最近初めて戦争が起こったように錯覚してますが、戦争は敗戦からこっち、絶えず世界中のどこかで休むことなく行われていました。カンボジア紛争にもコソボ紛争にも全く関心を示さなかった連中が、どの口で今更戦争反対を唱えるのか。これまでもずっと対岸の火事を決めこんできたんだから、今更正義派ヅラしなさんな、見苦しい。
> これからも今まで通り、「ヨソの国で誰が何人が死のうとかまわねえ」の姿勢を貫きなさいよ。

> あとは、沈黙。


 書きながら「まだまだ舌足らずだなあ」とは思うが、これ以上長く書くとなると、マジで『戦争論』でも書かなきゃならないハメになる。いや、書いても構わないのだが、その場合、日記の更新がまず確実に1年遅れになってしまうだろう。さすがにそれはちょっとな(^_^;)。
 けど、この「戦争に賛成も反対もしない」って態度、コウモリみたいでどっち付かずって捉えちゃう人いるんだろうなあ。ある意味その通りなんで、反論もできないけどな(^o^)。かと言って、明確な態度を取ったからって、それが何か意味のあることかどうかって気はするんである。
 「自分の意見を明確にする」って行為、自分の「社会的な立場」を考えなきゃならない場合以外には余計なことなんじゃないのかね?  


 晩飯はたまごかけご飯と冷凍からあげ。
 冷蔵庫のありものである。しげが一緒に食事する時間がないってんでこうなった。何だか独身時代に戻った気がする……というより、未だに私ゃ結婚してる気文になれてないんだが。
 メシ食いながら、アニメ『ヒカルの碁』を見る。最終回直前で作画もまあまあキレイだけど、結局、最後まで川上とも子さんのヒカルの声の演技には慣れなかったなあ。特にこう等身が伸びてきちゃあねえ。……もう、声変わりしてるだろう、ヒカル。


 シティボーイズのライブ『NOTA』のチケットが届く。
 今回は私としげの二人のみ。こうたろう君は残念ながら不参加だが、家族の手前、しょっちゅう芝居にも行ってられないだろうからなあ。もしギリギリで時間の調整がついたりして、当日券がキャンセルされてたりしたら、一緒に見たいんだがなあ。


 雑誌『言語』四月号の「斎藤美奈子のピンポンダッシュ」で、「空襲」と「空爆」の意味の違いについての考察あり。
 つまり、「空襲」は被害を受ける側からの視点での、「空爆」は加害者側からの視点での用語ってことだけど、そう言われりゃ新聞・ニュースの類、最近の戦争については全て「空爆」を使ってるな。「空襲された」じゃなくて「空爆した」なわけだね(「空爆された」という言い方もあるが、やはり意識としては加害者寄りなんである)。
 なんだかこのあたりの言葉の使い方にも無意識のうちに「加害者寄り」になってる日本のマスコミの姿勢がありそうだよねえ。だから日本人そのものが「対岸の火事」を決めこんでんだから、きれいごとだけの「正論」吐いたって意味はないのさ。


 唐沢俊一×村崎百郎『社会派くんが行く! 激動編』(アスペクト・1365円)。
 表紙の作者表記を見て、「そうか、村崎さんの方がウケか」と思った方は私のトモダチです(平成ゴジラ『×』シリーズでも似たようなこと思った記憶があるな)。
 お二人の「鬼畜対談」第2弾だが、世間の良識、キレイゴトに対して悪口雑言の限りを尽くした前作には、全くと言っていいほどクレームがつかなかったそうな。
 でもこうして第2弾が出た以上は、結構な部数は売れたのだろう。読者の中に「識者」とやらが全くいなかったとは考えられないから、どうしてクレームをつけなかったかって言うと、クレームつけてかえって村崎さんにストーカーされたら怖いとか、あるいは「誹謗中傷してるように見せかけてて、実はこの人たち、社会の悪を糾弾してるんだわ」(←女言葉にしてるのにさしたる意味はあらず)、とか、勝手に脳内変換しているのであろう。
 まあ、大半の読者は「キレイゴト」は嫌いだろうから、喝采を挙げていたと思うが。
 「時事批評は古くなる」とはよく言われることだが、古くなっていいのである。それは「古典」になるってことだから。何度となくこの日記でも書いてるが、当時の出来事についての「キレイゴトの批評」しかなくて、「悪口」ってものが残されてないと、いったい庶民はこういう事件に対して本音でどんな感想を持っているのか、「時代の感覚」というものが分らぬのである。
 現在ならこういった「悪口本」は不謹慎かも知れないが、未来ならこれはまさしく第一級の資料である。西鶴が『日本永代蔵』や『世間胸算用』を残してくれていたことが後代の研究者にとってどれだけ助かったことか。お二人にはこれからもぜひ、プライバシーの限界に挑戦してほしいものである。
 特に、こういう対談本の類はあまりベストセラーになることが少ないし、なっても5年も経てばもう絶版、世間で忘れられることが多い。けれど、とにもかくにも書き残されてさえいれば、「時代の証言」として発掘することはできるのだ。唐沢さんの本が百年後の人間によって古本屋で探し出される風景って、唐沢さんにとっては本望だと思う(^o^)。
 
 唐沢さんも面識のあったアニメ作家・宮沢みきおさんが世田谷で一家揃って惨殺された事件、あれだけ遺留品があって、どうしてなかなか解決しないのかなあ、と思ってたけど、「そういうウラ」があったのね。やっぱり新聞とテレビのニュースだけ見てちゃイカンのだなあ。
 ……いや、この調子で内容の感想書いてったら、結構ヤバいことになりそうなのでこのへんで。実際、小心者なんスよ、結構。


 夜中にふと目覚めてテレビを点けたら、あ○○りさ○○の『らいむいろ戦奇譚
』をやっていた。前にも何度かチラチラ見てて、エンディングのケツ振り踊りに閉口してたんだが、なんか「今日はお兄ちゃんをずっと休ませて挙げる日なの!」とか言って、主人公の指揮を仰がずに、少女たちが戦闘に行っちゃうって話。もちろん少女はドジッ子なのである。
 これ見て殺意が過ぎらないアニメファンはアニメファンではあるまい。
 ……なんで夜中にこんなゲンナリする悪夢を見ねばならんのかなあ。いや、テレビ点けた私が悪いんだけどさ。

2001年03月19日(月) 文句ばっかり言いたかないけど/映画『ONE PIECE 〜ねじまき島の冒険〜』ほか


2003年03月18日(火) 第三セクター救済企画(^o^)/『ルパン三世 ある雨の日の午後(前編)』(大塚康生)

 某所よりハウステンボスの割引チケットを入手。
 1割2割どころではなくほぼ半額。これは結構な大盤振る舞いだとは思うが、無料招待券もやたら出回っている今、これで普通なのかも。どっちにしろ、正規の値段は泊まりがお一人様24000円(税別)である。
 大富豪じゃあるまいし、そんなカネ出せるか。んな暴利を貪ることやってるから潰れるのだ(って、アチラはこれでもカネ取ってないから潰れたんだって言いたいだろうが)。
 まあ、半額と言っても二人で行けばやっぱりそれだけのカネが吹っ飛ぶのである。交通費、食費を考えれば、やっぱり五、六万の出費は覚悟せねばなるまい。東京行きも近い今、これだけの出費は正直イタイのだが、でもこの半額チケットがこれまた四月末までの限定チケットと来ている。
 今しかないんだよなあ。
 しげはやっぱり行きたがるんだろうなあ、と不安に思いながら、仕事帰りに車の中で相談してみると、「父ちゃん誘って行かん?」。
 ああ、なるほど、それなら旅費くらいはオヤジにタカれる……って、そうじゃないっつーの(~_~;)。
 どうもしげが前々からハウステンボスに行きたい行きたいって言ってたのは、親父と一緒に家族で行きたいってことだったらしい。考えてみたら、ここ数年、オヤジと一緒にどこかに泊まるってこと、なかったからなあ。休みが一緒にならないから仕方ないんだけれど。

 せっかくだから、父の店に寄って、半額チケットを見せて誘ってみる。
 父、ハウステンボス自体には行きたがってたようだが、やはり休みの日を合わせられない。行くとしたら別々になるだろう、ということで断念。
 この日記をお読みになってる方には、私より糖尿病のヒドイ父を私がほったらかしてることに「なんて親不孝なヤツなんだ」と憤ってらっしゃる方もおられるかもしれないが、生活時間が父と私では全く違っちゃってるので、一緒に住むことはおろか、たまに合うことだってそう簡単にできることではないのである。
 その分、父の世話は全部姉に押し付けた形になっちゃってるんで、ますます私はヒドいヤツなんであるが、お詫びってわけでもないけれど、父の財産(そんなモノは多分ないが)、全部姉に譲っていいと思ってる。姉とは血が繋がってないんで、その辺りは法的には難しいのかもしれないけれど、何とかならんものかなあ。やっぱ人間ってさ、血よりも縁だと思うんだがなあ。

 夜、珍しくしげが早めに帰ってくる。
 12時過ぎで早上がりってのも生活逆転なんだけれど。滅多にない機会はできるだけ利用しないと損なので、諸岡まで夜のドライブ。と言っても寄るとこって深夜営業の本屋とロイヤルホストなんだけど。
 夜も遅いんだからカロリーは控え目にした方がいいんだが、ハンバーグとロースカツ定食なんて濃いものを頼む。だって新製品だったし(なんでこういう「お試し企画」に弱いかなあ)。


 モンキー・パンチ原作監修・山上正月作画『モンキー・パンチ責任編集 ルパン三世公式OFFICIAL magazine WEEKLY漫画アクション4月14日増刊号』(双葉社・500円)。
 今号の目玉は、大塚康生描く『ある雨の日の午後(前編)』。
 過剰な期待はしなかったけれど、まあ、コマワリがヘタなのはマンガはシロウトだってことで仕方ないかなとは思う。でも、絵自体はねえ、かつての大塚さんの流麗な線を知る者としては、こういう線を見せられるのはチトサビシイ。
 銭形、あれじゃ『侍ジャイアンツ』の長嶋だよ。でも「WEB峠の茶屋」の掲示板の大塚さんの書きこみなんかを見ると、試行錯誤しながらの作画の模様である。もうアニメーターを辞められて何年も経つのだから、温かく見守ってった方がいいのかなあ。
 あと、おおすみ正秋の『パール・ハーバー』評は映画ファンなら必読。ただ「アメリカ人はバカ」って言い放つだけじゃなくて、「どうバカか」「なんでバカになったか」って、ちゃんと「映画のカット割り」から例証してるんだものなあ。当たり前だが、映像作家としての視点がなきゃ、どんな批評も個人的な感想に過ぎないんである。「ああ、そういう意見もあるね」で終わっちゃうし、説得力ってものはない。「ダン・エイクロイドが出てるから傑作」なんて感想をまかり通らせちゃイカンのである(^o^)。
 もうそろそろ『パール・ハーバー』、ちゃんと見るかなあ。

2001年03月18日(日) めおと変態/『セクサドール』(石ノ森章太郎)ほか


2003年03月17日(月) 納豆の光に!(ねば〜)/『TELESCOPE 〜テレスコープ〜』(古川登志夫)

 こないだケンカした時に、しげは「ちゃんと家事はやります」と約束したはずだったが、当然もちろんやっぱり間違いなく全然やらないので、今日もメシは私が作るのであった。
 しげに好き嫌いが多いのは(っつーか、肉しか食わない)、この日記で何度も書いていることだが、もう10年も「偏食はやめろ」と言い続けているのであるから、そろそろオトナになってくれてもいいと思うんである。
 だもんで、今日はしげの嫌いな納豆をあえてヤキメシの中に混ぜて炒めた。炒めたんだからあの納豆のネバネバはもうきれいサッパリ取れているのである。香ばしさはあっても臭みはない。
 でもやっぱり食べないのだ。
 「納豆の入ったメシなんてイラン」
 と、こうである。
 もしもこの世から食料がことごとくなくなってしまって、納豆しか食えなくなったらしげはどうするのか。それでも「納豆は臭い」と食わないのか。「だってアレ腐ってるじゃん」というのはしげの言いぐさだが、そんなこと言い出したら、人間はみんなハラん中で食物を腐らしているのである。そんなに腐ったものが食いたくないなら、テメエがクサい屁をこかなくなってから文句をつけろ。
 しょうがなく、私はまたもや二人分のヤキメシを食うハメになったのだった。だから食いすぎだってえの(-_-;)。


 コンビニで「週間文春」を立ち読み。
 小林信彦の『人生は五十一から』、3/10の東京大空襲についての文章だが、小林さんの筆致、すっかりヒネクレまくっている。
 この「3/10」という日付けを聞いても何のことか分らない人も増えたろう、という言い方もなかなかキツイのだが、指揮官のカーティス・E・ルメイ将軍の非道ぶりを微細に追及しながら、ただの一度も「東京大空襲」という語句を本文中では使わないあたり、小林さんの「小言幸兵衛」ぶりにもいよいよ磨きが増して来ている感じだ。もう「イチゲンさんお断り」みたいだ。
 「東京大空襲」の事実を知らない若い人は、小林さんの文章を読んだだけでは「何についての記事なのか」、今一つピンと来ないだろう。もちろん、ネットなどで「3月11日」のキーワードで検索すれば、その事実は容易に掴めるだろう。けれどこの文章、「若いヤツらがそこまでの手間をかけて調べるわきゃない」と踏んで書いてることが明白である。もう小林さんは徹底的に若いヤツらをバカにしちゃってるんだね。
 でもって情けないことにねえ、若いヤツらは自分たちがバカにされていることにすら気づいてないだろうってことだ。行間を読むチカラ、本気でないし。


 演劇雑誌『テアトロ』4月号、声優兼劇作家の古川登志夫氏の新作戯曲、『TELESCOPE 〜テレスコープ〜』を掲載。
 スチールも一葉、巻頭グラビアに載っているが、古川氏と奥様の柿沼紫乃さんが仲睦まじく写っておられる。この二人、結構年齢差あるんじゃないかな。
 以前、唐沢俊一さんが実際の舞台を観劇されて、「芝居は古川さんの弟子たちの若手発表会という感じ」と簡単に書かれていた(『裏モノ日記』2月15日)。そのときは、ハテ、なして芝居の筋そのものについての記述がないのかいな、と思ったけれど、まあ読んでみると確かにこれはどういう話かってのを批評しようと思ったら、すごく書きにくいのである。唐沢さん、取材で行かれていたのだし、楽屋にもおじゃましていたのだから、正直なところは書けなかったのだろうな(^o^)。
 私はそんな遠慮は全くないのでズバッと言っちゃうけれど、戯曲そのものはまあ、押井守の(『うる星やつら2』『御先祖様万々歳』の影響強し)ヘタな模倣なんである。
 ホームレスたちのコロニーを、世俗から離れた都会のユートピアのように描く舞台設定もなんだか安易だけれど、実は彼らはめいめいに手前勝手な夢を見ていただけで、主人公の男も潜入ルポライターだったし、厚生労働省のイヌもいたし(室戸文明ですな)、可憐な少女は変質者に刺されて死ぬし、って、状況のひっくり返し方がストレート過ぎるのである。押井守と言ったが、ゴーリキーの『どん底』でもあるね。
 実際の舞台はマジックあり歌と踊りありでバラエティーショー風だったらしいが、このウスい内容で2時間40分の上演というのは長過ぎたんじゃないか。
 神様が「わしゃ全能なんじゃ!」って言ったら、「全国農業協同組合?」「そうじゃコシヒカリが……違うって!」って寒いヤリトリは好きだったけど。
 

 しげが円谷くんから『ちょびっツ』のゲームを借りてきている。
 「ちい目覚める」ってタイトルで、なんかこのちぃにいろいろ言葉を教えて育成するソフトみたいなんだけれど、何だかその育ち方がイビツなんである。どうイビツかは、原作マンガを読みゃわかるんで書かない。っつーか、恥ずかしゅうてよう書けんわ。
 でよ、勝手に私の名前で登録してゲームするなって(~_~;)。

2001年03月17日(土) 嫌煙権を振り回す気はないけど/『風雲ライオン丸』(うしおそうじ・一峰大二)ほか



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藤原敬之(ふじわら・けいし)