無責任賛歌
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| 2002年06月09日(日) |
チキュウは狂気で回ってる。/『全日本妹選手権!!』1・2巻(堂高しげる)/『おごってジャンケン隊』5巻(完結/現代洋子)ほか |
昼過ぎまでみんな爆睡。 よしひと嬢も昨夜「ワールドカップまでに帰れたらいいですから」ということなのでゆっくり寝てもらう。風呂には入れてあげられなかったけれども(^_^;)。 天神を回りたいと言うので、1時にまだ寝ていたしげを叩き起こして車で送らせる。しげは近くの駅まで送って帰ってくるがそのまままた寝る。ホントによく寝てられるもんだ。
ネットサーフィンしている最中に、突然、よしひと嬢から電話。 「あれ? どうしたの?」 「あの、道に迷って……」 やっぱりかあ! いや、帰りまでは油断してたな、こちらも。 「今どこにいるの?」 「ショッパーズプラザです」 「行きたいのは?」 「ジュンク堂」 これもちょっと裏道に入るだけで、ほとんど一本道じゃん(-_-;)。 初めての道じゃないはずなのに、この子はなんというかもう。 なんとか道を教えたけれど、さて、ちゃんとたどりつけたかどうか。
アニメ、『サイボーグ009』第33話「結晶時間」。 原作短編の中でも人気の高い一作を内容を膨らませて初の映像化。 ある日、ギルモア博士に身体のメンテナンスを受けた009、目覚めた彼は、まるで時が凍りついたかのように静止しているギルモア博士や003の姿に気付く。加速装置の故障!? 一人取り残され、絶叫する009。 そんな中、彼は街中で今まさに大爆発が起ころうとしている事故を目撃して……。 爆発事故を阻止するエピソードはやや余計な印象も受けるが、止まっている人々を動かそうとすれば空気の摩擦で燃えてしまう、というのはシバリとしてはなかなか面白い。摩擦熱はスピードだけの問題じゃなくて移動の距離にもよるからそんなに簡単に発火しないんじゃないかとは思うけれど、要はいかに犠牲者を出さないかってことが眼目なんだから、アイデアとしては悪くない。 作画もよく動いてるし、ここしばらくのエピソードの中でも、佳作の部類に入るだろう。このレベルを落とさずにいてくれたら嬉しいんだけどもなあ。 サッカーワールドカップ、で日本がロシアに1‐0で勝利。 案の定、川に飛びこむバカや打ちこわしするバカや交通違反しまくるバカが全国で続出、もう日本中が狂い始めた。 あちこちの日記見てると、この状況に熱狂してる人、嫌悪してる人、いろいろだけれど、所詮は個人的な感想のレベルに留まっている。 本来は、数あるスポーツの中での一つに過ぎないサッカー、たいした規模のイベントになるはずもないものが、なぜか大々的に、それこそ歴史的イベントででもあるかのようにイメージ戦略が繰り広げられている異常さ、危険さについて指摘する人がもうちょっといてもいいんじゃないのか。 この狂気はいったい誰が何のために仕組んでいることなのだ。
ロシアでは負けた途端、暴動が起こったとか。ニュースでは「日本人はおとなしい方ですね」とか言ってるけど、負けてりゃ日本にもそんな奴が出るって。どうせそんな闇の部分は報道しないだろうが。 ロシアでは極右翼として知られるジリノフスキーというおっさん、日頃から「日本に北方領土は渡さん!」とか絶叫してたんだけど、「最も危険なサポーター」として来日、「日本が勝ったら北方領土返してやるよ」と豪語。こういうおっさんが堂々と政治家やれてるってことは、それだけロシアの反日感情も強いってことなんだろう。日本の政治家の失言だけが問題なわけじゃないね。 試合の前は「ロシアが負ける可能性? 有り得んね」とかハナで嗤ってたのが、ロシアが負けた途端、アタマ抱えて「オーノー!」とか(いや、ロシア人だからそうは言わないが)叫ぶパフォーマンスぶり。 で、政治家として公約は守ると言わんばかりに「一点負けたから島一つ返してやるよ」と約束。おう、今、ジリさんに政権取らせてあげたら北方領土帰ってくるぜ。誰かロシアに行って運動しないか(^o^)。
マンガ、堂高しげる『全日本妹選手権!!』1・2巻(講談社/アッパーズKC・各530円)。 岡田斗司夫さんがハマってたり、「ちゆ12歳」なんかで誉められてたので、つい買う。 おう、なかなかのアタリ(^^)。 オタクマンガとしては『濃爆おたく先生』をライトサイドとすれば、本作は全く逆のダークサイドへのベクトルを持っている。 第1巻の最初のマンガこそ、「理想の妹は?!」ってのをエロギャグ交えながら描いてたんだけど、ヒロインたちが漫研に所属してから、俄然「同人オタク女の生活と意見」って感じになってしまった。いや、この「意見」ってヤツがね……ムネにね……グサッと来るのよ(-_-;)。 現実でも、同人女のオタク男に対する嫌いっぷりは、同じオタクだと言うのに(だからか?)度を越してる場合が多い。けれど、そのホンネを聞く機会はなかなかなかろう。それを描いてくれてるのよ、このマンガは。……いや、だからって嬉しいわけではないが。 さて、この日記の数少ない読者(男性)のみなさん、多分全員がオタクであると思われるが(^^)、次のようなことを好きな彼女から言われたとしたら、果たして全く傷つかずに耐えることができるだろうか?
ドイツからの交換留学生マリー(名前からすると女っぽいが男。しかもバリバリの超オタク)が漫研の女の子たちに詰めよって、「な……なぜオタクはそれほどまでに忌み嫌われてるんです?」。
「外見から中身まで、すべてが女に嫌われる要素のみで成り立ってるからに決まってるじゃない」 「まず第一に臭い!」 「身なりに気を遣わなすぎよね、ツメも真っ黒いし」 「2つ目にウザい!」 「理屈っぽいヤツが多いのよね、てゆーかほとんど」 「3つ! 女の好みがウルサイ!!」 「自分のことタナに上げて清純そーで童顔な娘にしか興味ないでしょ」 「その4! 人の顔は覚えんクセして声優の声は一発で聞き分ける!!」 「まあある種の特殊技能と言えなくもないけど」 「その5! アニキャラと声優を完全にダブらせてる!!」 「だから声優とヤルのを究極の夢にしている奴がやたらと多いって話よ」 「その6! 寝室には美少女キャラのカバーの等身大抱き枕!!」 「しかも汗やヨダレのほかいろんな液体で汚れてるからカビ臭いらしい」 「その7! そのカバーを何枚も持っている!!」 「自分の服より多いって話だわ」 「その8! 会話のふしぶしにアニメのセリフを入れたがる!」 「特に富野言葉は多いよね。『ボウヤだからさ』とか『認めたくないものだな』とかね」 「その9! 夏休みじゅう美少女ゲームやってただけでひと夏の経験をした気になってる!!」 「そんなインドアな夏の思い出があるかってのよ」 「その10! 現実と虚構の区別が極めてあいまいである!!」 「コナ○に電話して『し○りちゃんに会わせて』とかマジで言うからね……」 「その11! 自分の作ったキャラの設定や世界観を他人に聞かせたがる!!」 「自己満足の世界観を聞かされ続けるのってホント地獄よね」 「その12! 他人の価値観は認めない!!」 「自分の気に入らない作品を支持する人がいると親のカタキのように攻撃するわ」 「その13! 外ではおとなしいが実の親にはウルサイ!!」 「内ベンケーというやつネ」 「その14! 非常に自虐的である!!」 「開きなおっちゃって他人の迷惑かえりみないのよねっ」 「その15! アニメキャラでしかオナニーできない!!」 「……っていつまで続けんの、コレ?」
さあ、君はいったいいくつ当てはまっているかな? ちなみに私は四つだ! 意外と少ないみたいだが若いころはもっと多かったぞ! 全然威張れることじゃないけど! 散々男がバカにされてる感じだけど、これ、ちょっと設定変えれば、全部女側にも当てはまることじゃないのか。『サイボーグ009』に入れこんでた高校生のころのくらた○こと倉○真○美なんか、モロ全部クリアしちゃうんじゃないかね。男にいろいろ注文つけたりしてるからかえって軽く見られてだめんずに引っかかったりするのだよ。 モテる女がいい女とは限らない。 本人は「私ってそんなにステキ?」とか思ってて悦に入ってるけど、男から見たら「すぐヤラせてくれそうな女」「いくら虐待しても罪悪感感じずにすむ女」って思われてるんだよ、実際はよ! そのクセ、ヒトのこと汚いものでも見るような目で見下しやがってよう! 女のほうがよっぽど自分のこと棚にあげてるぞ! 女なんて女なんて女なんてなあああああ! ……って何かツライことがあったのか、私。 ……うん……。[壁]TT)
……ヤオイ同人誌作ってるお嬢さまがた、2巻は特に必読ですぞ。
マンガ、現代洋子『領収書不可の自腹お食事コミック おごってジャンケン隊』5巻(完結/小学館/スピリッツコミックススペシャル・780円)。 現代さん、やっと産休空けしたかと思ったらまた産休で結局連載終了。最後まで似顔絵下手なままだったなあ(どのキャラクターも表情のつけ方が全部同じなんだよね)。 全部で6ページのうち、前フリとかジャンケンの部分で数ページ使ってるから、純粋なインタビューの部分が正味2、3ページ程度しかない。1巻のころからそのあたりが不満だったけど、結局最後までページは増えないまま。おもしろくなりそうなのにいつも何かが物足りないまま連載終了って印象だったね。 でもこれは現代さん一人の責任じゃないような。増ページ一つさせられなかった編集の八巻さんの実力不足ってことになりはしないか。 ゲストの一人一人にはとても触れてられないが、映画『ウォーターボーイズ』の矢口史靖監督とヒロインの平山綾の話は面白かった。綾ちゃんは宇宙人を見た経験もサムライの幽霊を見た経験もあるそうである。イロもの系はともかく、アイドルでこういうトンデモ系のカミングアウトする子っていい味出してるよなあ。ヨコオさんやツチヤさんと話が合うんじゃないか(^^)。 『仮面ライダーアギト』三人組や『忍風戦隊ハリケンジャー』などオタク度も高く、篠山紀信をデジキシンとして呼ぶなど(しかも七万近くおごらせてやがるし)、なかなか面白い企画もあったのにこれで終わりってのはやっぱり惜しいなあ。まだまだいろんなゲストに会ってほしかったのに。 最後のゲストはちばてつや(&古谷三敏&高井研一郎)。 ……ちばさん、もうエッセイやイラスト、お偉いさんの仕事なんかでマンガ描いてないんだなあ。これもたった6ページしかないのが残念。『蛍三七子』のエピソード、もっと聞きたかったのに。 ……で、結局収支計算では儲かったの? 損したの?
昨日の疲れがまだ残ってて午後にはぐったりと寝る。風呂に入ってないせいもあるかな(^o^)。
2001年06月09日(土) イカレポンチ天国/映画『大菩薩峠 第一部』(1957東映)ほか
| 2002年06月08日(土) |
いろいろあって書ききれねー/『あずまんが大王』4巻(完結/あずまきよひこ)/映画『少林サッカー』 |
ホントは休日なんだけれども、珍しく出勤。 午前中ちゃちゃっと働いて、午後から職場の前でしげと待ち合わせ。 今日はよしひと嬢も一緒に、キャナルシティで『少林サッカー』を見る予定なのである。 丁度、よしひと嬢が仕事の関係で北九州から福岡まで出て来ているので、映画に、更には公演の打ち上げまでやっちゃおうというハードスケジュールを組んでいるのだ。 繊細で病弱な私のカラダが持つのかどうか心配だが、風邪だのなんだのでしばらくクサクサすることが多かったので、私も今日はいっちょ、ぶわあーっと行こうか、って気になっている。 もっとも今日は、昨夜も仕事であまり寝ていないしげのカラダの方が心配だ。今のところ本人は「ちょっと眠いけど映画見てる間は眠らないよ」と一応は平気そうなことを言う。 夫婦揃って今日は耐久レースになるかも。
よしひと嬢の仕事が終わるのも午後。 12時半ごろ、車の中からよしひと嬢の携帯に連絡を入れる。 まだ仕事が終っていなかったので、待ち合わせ場所のみ相談。 「キャナルシティに直接集合、でいいかな?」 「はい、いいですけど」 「んじゃ、時間は何時に?」 「あの、いいんですけど……」 「何?」 「キャナルシティまで、どうやって行けばいいんでしょう?」 そうなのであった。 よしひと嬢は何度福岡に来ても、その都度道を忘れる名人なのであった(治んねーよな、この病気も)。 仕方なく道順を説明したのだが、そのうちにだんだん面倒臭くなって来た。 「……今どこにいるの?」 「あ、国際センターですけれど」 年季の入った同人オタク女であらせられるよしひと嬢が国際センターに、と聞くと、すわコミケか? と錯覚するが、ちゃんと職業関連で来られているらしい。そうかそうか、国際センターって、相撲とコミケしかやらないわけじゃなかったんだ。 「それなら15分くらいで着くから、キャナルまで乗せて行こうか?」 「あ、お願いします!」 実は、国際センターからキャナルまではバスで一本(ただし、祇園で降りて10分ほど歩く)なのである。しかし、まず絶対に確実にキッパリと紛れもなく言えることだが、よしひと嬢だけで行かせたら、絶対に迷う。たとえ一本道でも(力説)。 ウチの身内はなんでこう、難儀な連中ばかりなんだか。
よしひと嬢のお友達二人も同乗させて、キャナルシティへ向かう。 お友達のうちのお一人は、先日の公演にも来てくださった方のようで、しげの声を聞くなり、「あ、ネコの人!」と驚いたような喜んだような声をあげる。 確かにしげはネコの役だったんだけど、道端でいきなリ「ネコの人」と言われちゃまるでしげが化け猫のような。……昔、私はおカマを演じたことがあったが、その伝で行けば私は、「オカマの人」と呼ばれることになるのだよなあ。 藤田くんなどは死人の役ばかり演じてるから、「死人の人」と言われるのだ。つくづく役者というのは因果なモノである。
キャナルに到着したのが1時過ぎ。 映画が始まるまで二時間ほど間が空いているので、よしひと嬢とは一旦別れて、あとで待ち合わせすることに。 福家書店を回って、ウェンディーズで買ったマンガを読みながら時間をつぶす。 ウェンディーズも若いころは好きな店だったのだが、トシを取ってあっさりした味の方が好みになってくると、ここのハンバーガーのチーズ臭さが鼻について仕方がない。ほかのバーガー屋よりもなんだか臭みが強いように感じるんだが気のせいか?
あずまきよひこ『あずまんが大王』4巻(完結/メディアワークス・電撃コミックス・714円)。 え……? もう完結? ああ、ちゃんと進級してたんだなあ、ちよちゃんたち。 4コマものは登場人物たちがトシを取らない、というのが不文律のようになっているが、別にそうしなきゃならないと決まったものではない。もともと日本の場合、4コマは新聞掲載を中心に時事漫画としての性格を強く持っていたので、最大公約数的なキャラクターを必要としていた登場人物のトシを取らせるわけにはいかなかった。 けれど、そういう制約のない雑誌媒体の場合、人物のトシを取らせるか否かは本来自由のはずだ。なのに、現実にはキャラが無自覚なままに10代や三十路前を過ごしているのーてんきなマンガがどれだけ多いことか。中には、キャラの性格上、トシを取らせた方がいいマンガですら、十年一日の生活を続けているものもあるのだ。 それが、ちよちゃんたちはしっかり卒業してくれた。 そのことだけが原因ではないが、あずまんがのキャラたちには、見事に「命」が吹きこまれている。大きな事件も起こらず、まったりとした時間が流れていくだけの物語に、微笑し、突っ込み、切なくなるドラマがぎっしりと詰めこまれている。 ネコが好きで好きでたまらないのに、どうしてもネコからは嫌われてしまう榊さん。修学旅行先の西表島で、イリオモテヤマネコのヤママヤーに初めてなつかれた時の榊さんの表情(37ページ・ラスト)、あれは4コマ漫画史上最高のヒトコマだ。驚愕と、困惑と、歓喜が固まったあの顔。あんな絵を描ける4コママンガ家が、これまでに誰がいたというのか。これはいしいひさいち以来の4コマの快挙と言ってもいい。 凡百の4コママンガ家たち、あずまきよひこのマンガを読んで刮目せよ。
完結を記念して、キャラクターたちに勝手にファンからのヒトコト。 美浜ちよちゃん。 私がゆかり先生の立場だったら、やっぱりあなたを苛めます。飛び級なんてナマイキだぞ。けど、髪を下ろしたあなたは好きでした。 榊さん。 ヤママヤーと仲よく。多分かみねこくんも、ほんとはあなたを好きです。4コマ読んでて初めて泣かされました。 おーさか(春日歩)。 うちの妻に一番近いのがあなたでしょう。雨の日もあなたがいれば教室はお天気。人気投票1位おめでとうございます。 よみ(水原暦)。 唯一の眼鏡ッ子なのにねー、性格がも少しよかったらねー。でも、ともと付き合ったりしてたら、確かにマジメな人は性格歪むよねー。 とも(滝野智)。 意地悪だけど、男の子が一番付き合いやすいのはあなたみたいな人です。でもホントはちょっとくじけやすいところがあると見た。がんばれ。 神楽。 体育系の女の子は実はちょっと苦手。でも最後にやっぱり泣いてたねえ、女の子なんだねえ。遠くから応援してます。 かおりん。 好きな人には気付いてもらえないしヘンなやつからは好かれるし大変でしたね。いいことあるさ、きっと。 谷崎ゆかり先生。 あなたは教師の鑑です。本気でそう思います。私も学生のころ、あなたみたいな先生に教わりたかった。 にゃも(黒沢みなも)先生。 体育教師ってやっぱりバカなんですか?(^o^) 木村先生。奥さんにもう一回再登場して欲しかった(^^)。
……入れこんでるなあ、私。
3時40分からAMCで映画『少林サッカー』。 オープニング、少林寺の修行僧たちの線画が、どんどこどんどん、どどん、と太鼓のリズムで乱舞する映像がいかにもチープなツクリで、そこが映画のバカバカしさを予感させていて期待させられる。 かつて八百長試合で引退を余儀なくされたサッカーコーチが、起死回生を図って、少林寺拳法を広めようと街に出て来た青年“鋼鉄の脚”シン(監督・主演兼任の周星馳<チャウ・シンチー>)をスカウトして、最強のサッカーチームを作るってお話。 ストーリーが単純なのだから、ギャグを畳みかけるように連発して勢いをつけなきゃならないのに、前半はそれがイマイチ。伏線の張り方がミエミエなのと、説明的になりすぎてクドくなってるところが多いのだ。 シンが蹴った缶が、空の彼方に消えてキラリと星になる。高橋留美子のアニメで散々見慣れたこのギャグ、香港映画のギャグセンスが十年一日で進歩してないことが分ってちょっと落胆。日本で今これをやったら、センスを疑われることは必定だけれど、向こうじゃまだ新鮮なんだろうな。 それはまあ仕方ないことだとしても、あとでコーチのファン(呉孟達<ン・マンタ>)が、壁にめり込んだ缶を発見するシーンで、もう一度さっき缶を蹴った時のシーンをインサートするのはクドイだけで無駄。観客がそんな説明的なシーンがないと判らないとでも思ってるのかね。もしそうなら、香港の観客って、世界の映画を全然見てないんじゃないか。 太極拳を使って饅頭を作る少女ムイ(趙薇<ヴィッキー・チャオ>)とシンが出会うシーン、シンが「君の太極拳には音楽がある!」と絶賛すると、突然何の脈絡もなく異様にデカイ坊主頭の少年が立ち上がって、「ワタシもそう思う!」と主張するや否や、その場でクネクネダンスを踊り出す。 それになぜか触発された通りすがりの人々、「実は俺もダンサーになりたかったんだ!」と目の中に火を燃やし、踊り出す。ここまではいい。 シンもムイも踊りだし、路上で一大ミュージカルシーンが展開されるかと思いきや……いきなり饅頭屋の女主人が怒鳴って、「アンタたち何やってんだい!」。 途端にみんな日常に帰ってしまう。 ……何それ?(・・;) ミュージカルシーンのネタ振りだけしといて、踊りがナシって……意味ないじゃん。それに、あの坊主頭、てっきり少林チームに入るための伏線だと思ってたら、このシーンのみの出演で、あと全然出て来ないんでやんの。 なんのためのシーンだったんだ? と思っていたんだけど、あとでパンフ読んだら、このシーン、『少林サッカー』がヒットしたんであとで撮り足したボーナスシーンなんだそうな。道理で前後の流れを中断してる。 ギャグシーンをワザワザ足しといて、笑いを堰き止めてどうするかな。せめてあそこでランチキミュージカルをたっぷり見せてくれてたら、すっげーいいシーンになってたろうに。なんだか高校の映画部あたりがノリでギャグ映画作るけど、詰めが甘いって言うか、そんな感じね。 そんなこんなで、前半は相当辛かったんだけど、後半、試合のシーンになるとバカっぷりが本領発揮。ようやく画面に躍動感が生まれてくる。 “鉄頭功”一番上の兄弟子(黄一飛<ウォン・ヤッフェイ>)。 “旋風脚”二番目の兄弟子(莫美林<モー・メイリン>)。 “鎧の肌”三番目の兄弟子(田啓文<ティン・カイマン>)。 “魔の手”四番目の兄弟子(陳国坤<チェン・グォクン>)。 “軽功”六番目の弟子(林子聡<リン・ヅーソォン>)。 それぞれのキャラクターが明確なので、そのコンビネーションが楽しい。 いやもう、デブは飛ぶわ地面にめり込むわ、オヤジたちが華麗なフットワークを見せるわ、炎のボールを跳ね飛ばすわ、その見た目と技とのギャップと言うか違和感が見ていて心地よいのよ。 ドーピングで強化人間(^o^)と化した敵(こいつがまた、いかにも憎々しいヤツでいいね)の卑怯な手に、続々と倒れていく少林チーム。もはや放棄試合か、というピンチの起死回生策がなんと……! ……うまかったねえ。 それまで伏線の張り方がデタラメだったから、かえってこの手があるとは気付かなかった。もしかしたら前半、とことんタルかったのは、この結末を予測させないためにワザとやってたの?(んなワケないな) 嵐を呼ぶシュートがホントに嵐を呼んで(^o^)、試合は少林チームの優勝。敵のチームのボスを倒すのにもう一つアイデアがなかったのが惜しかったけれど。 大ブームを呼ぶことになった少林寺拳法、バナナの皮で転んでも、少林寺で宙がえり、植木を刈るのも少林寺、バスに飛び乗るのも少林寺、オチとしては予測がつく上に、これを全てCGでやってるのがバレバレだから、ちょっと白ける。けど本物の少林寺でも植木は刈れないと思うから、これは仕方がないか。どうせCGでやるならもっと派手な動きをさせてもよかったと思うけど。 前評判ほどにスゴイとは思わなかったけれど、バカ映画としては『オースティン・パワーズ』よりよっぽど面白い(ミュージカルシーンだけ負けてるけど)。 何より、三段変化する(^o^)ヴィッキー・チャオの魅力! 饅頭屋に勤めてる時には吹き出物だらけでブサイクなのに、シンは「君は美人だ」と言う。まさしくその通り。「痘痕もえくぼ」でも「主観的には美人」でもない。あのブサイクさが本物の女の美しさなのだ。あのヴィッキーを「美しい」と思えない男は、一生、女には縁がないと思え。 ……え? あなた、既婚者だけど、ヴィッキーをあまり美人だと思えなかったって? それはいずれ奥さんに愛想つかされますね。断言します。 ヴィッキー・チャオ、例の旭日旗ドレスで顰蹙買って、アイドル生命も危うかったらしいけど、この『少林寺サッカー』ですっかり持ち直したんじゃないかな。
見終わって、よしひと嬢、「笑いすぎて涙が出た」と言いつつ、まだ涙を拭っている。こういうバカ映画が彼女の笑いのツボらしい。 例のミュージカルなりそこないシーンが面白かったと言うので、「アイデアはいいけど、もっと踊らせなきゃ」と率直に意見を言う。 映画を見たあと、人と意見が異なることはあるけれど、これはどちらが正しくてどちらが間違ってるということではない。笑いの感性も一人一人違うのは当然なので、私が面白いと思ったものを人が貶しても別に気にはならないのだ。 多分、よしひと嬢も、面白かったシーンが私と違ってたからと言って、別に傷ついたりはしていないだろう。しげもそうだが、自分の感じたことを遠慮せずに言える相手がいるということは心地よいことである。
公演打ち上げまでもう少し時間があるので、よしひと嬢ともう一度、福家書店を回る。 「いつも本屋ばかりで悪いけれど」とよしひと嬢は謝るけれど、私が「本屋に行くぞ」と言うと「え〜、またぁ?」とふてくされるしげがヒトコトも文句を言わない。差別だ。 でもしげに文句言えばきっと「差別して何が悪い」と言い返すに決まってるんだよな(-_-;)。
よしひと嬢の話によれば、ワールドカップの会場近くのコンビニが、一日で一年分以上の売り上げを記録したそうである。 試合の勝敗より、こういうゴシップの方が私にはよっぽど面白い。 これだけ日本全国が騒いでくれてれば、バカ話の一つや二つは絶対出てくるはずで、そういう騒動がニュースになることをワクワクしながら期待している。 我ながら悪趣味なことだ。
飲み会の会場のある場所については、ちょっと差し障りがありそうなので、書かない。 なぜ書かないかは最後まで読んでいただければ判ります(^_^;)。 1次会はカラオケ居酒屋で、参加者は、私、しげ、よしひと嬢、鴉丸嬢、桜雅嬢、其ノ他君、つぶらや君の七名。鈴邑夫妻、ハカセこと穂稀嬢はドタキャン。ハカセは突然ウチの中でコケて捻挫したとかで、「部屋の中でどうやったらコケられるんだ」とみんな口々にここにいない穂稀嬢の悪口を言う。 みんな、つくづくいい性格をしていること(^_^;)。 藤田君はまたもや音信不通。人生転落街道を着実に降りて行ってるなあ(^o^)。
桜雅嬢が髪をシャギーにしてちょっとアヤナミレイ風にして、眼鏡もコンタクトに変えてきたので、印象が随分変わった。 「いやあ、雰囲気違うねえ」 と言ったら、「どう違うんですかあ?」と聞き返されたので、思わず返答に詰まる。 すかさずよしひと嬢が、「普通の人になっちゃったよ」と落胆したような突っ込み。 それを聞いて桜雅嬢、「普通の人って???」とキョトンとする。 ああ、桜雅嬢がニブくてよかった(´。`;)。 しかし、よしひと嬢もさりげなくスゲエこと言わはりまんなあ(^_^;)。
刺身だの揚げ物だのミニおこわだのを食いつくしながら、大カラオケ大会。 けれどつぶらや君、どういうわけか順番が回ってきてもなかなか歌おうとしない。 理由を聞いたら「今日悲しいことがあったんです」と言う。 詳しく聞いてみると、なるほど、悲しいことであった(^o^)。 「そりゃあ悲しいなあ」とかなんとか私もますますつぶらや君の心の傷をエグるようなことを言う。 本人が落ちこみたいときはどんどん落ちこんでもらったほうが親切だろうという判断なのだが、なぜかつぶらや君、急に「……歌いたい気分になってきました」と熱唱し始めた。 なんだ、ホントは元気だったのか(^o^)。
其ノ他君のリクエストで、最初から『グレートマジンガー』なんか熱唱させられてテンション高い。私と其ノ他君の二人に挟まれてる鴉丸嬢、「両脇が熱い〜」とメゲている。 途中から、カラオケに点数機能がついてることに気付いて、ボタンを押す。 途端に鴉丸嬢、「誰だよ、点数機能押したのは!」と文句をつける。「遊びでいいじゃん」と答えると、「歌手本人が歌ってもカラオケって高得点出ないんだよ」とか一生懸命言い訳しながら歌う。 ……なるほど、低くはないが、そんなに高くない点数。私より歌はずっとうまいと思うんだが、機械は非情だ(^^)。 どうやら鴉丸嬢、ホンネは負けず嫌いな性格だな。 カラオケではできるだけアニソンシバリをしているので、『めぐりあい』を歌ったら、85点でその日の最高点数。更に『乙女のポリシー』をダミ声で歌ったら(以前、ZUBATさんが歌って受けてたのでパクりました)、みんな抱腹絶倒。其ノ他君などは腹を押さえて倒れている。……いや、みなさんの耳に悪いものを歌ってしまいました(^_^;)。でもこれで持ちネタが増えた。 つぶらや君、「『乙女のポリシー』にだけは負けたくない!」と熱唱するが、どうしても勝てない。「すげー口惜しい!」と未練が残るうちにオヒラキの時間。
よしひと嬢の「もう一軒行こう!」の鶴のヒト声で2次会に雪崩れこみ。 明日が仕事だという其の他君だけ、ここでお別れ。 このあたりは鴉丸嬢のシマなので(^^)、「あ、安いとこ知ってるよ」の言葉を信じて、なんだか細くて暗い階段の上にある秘密クラブみたいなところに入りこむ。この階段がまた悪趣味で、階段踏むたびに不気味な音がびいーん、びいーんと鳴る。 おかげで階段昇ってる間、オバケ屋敷の類が大の苦手のしげ、よしひと嬢に手を引いてもらって、目をつぶりながらビクビク昇っている。 登りきったドアの向こうもムチャクチャ悪趣味。壁はどす黒い洞窟風だわ、髑髏だの化け物だのがディスプレイされてるわ、床は死体検分の跡が白線で描かれてるわ、カラオケボックスとしてのコンセプト勘違いしてないか? 値段を聞いてビックリ。三時間で千円って……、どうしてそこまで安い? 「ここねー、こないだレイプ事件があったのー。女の子が彼氏と来てたんだけどー、男二人で彼氏の方押さえつけてー、そのスキに女の子のほうやっちゃったってー。だからこんなに安くなったんだよー。でもやっぱり客来ないのー」 そんなとこ連れて来るなよ、オイ(-_-;)。 鴉丸嬢もわざとのほほんとこんなこと喋ってみせてるけど、こういう自分はしっかりしてるつもりで実は全然無防備なところが悪いヤツにつけこまれやすい点なんだってこと、まだ気付かんのかな。 でも来ちゃったものはしょうがないので、3時間歌いっぱなし。 私はやっぱりアニソンシバリだし、桜雅嬢はなぜかラテンな歌ばかり歌うし、部屋のムードに合わないことったら。別にレイプ魔が襲いかかってくることもなく、散会。時間はもう夜中の2時。
しげ、もう眠くてフラフラだが、後部座席にみんなをムリヤリ押しこんで、それぞれの住まいに送る。 「大丈夫だよ〜、居眠り運転、まだ2回しかしたことないから〜」ってオイ(・・;)。 鴉丸嬢、桜雅嬢、つぶらや君と送って、ウチに向かうころにはもう、よしひと嬢は後ろで舟を漕いでいた。コンビニで簡単な食料を買って帰宅。我々もさすがに疲れ果てて、グッスリ寝る。 ……なんとか持ったな、今日一日。ほっ。
2001年06月08日(金) 子供の命は地球より軽い/映画『ハンニバル』
| 2002年06月07日(金) |
野良犬は革命ごっこの夢を見るか/映画『血とバラ』 |
まだ月初めだというのにもう貧乏。 仕方なく晩飯は買い置きのコンビニ弁当を食う。 コンビニの弁当のメニュー、どこでも一定の割合で中身を切り替えてるみたいだけれど、最近は幕の内の値段が高くなってきてやしないか。 同じ幕の内でも昔は300円くらいのと500円くらいのと、に、3種類はあったものだが、ウチの近所のコンビニでは500円程度のものばかり。けれど栄養のバランス考えると、これしか食べられるものがないんだよなあ。
椅子の肘置きに寄りかかりながらネットを散策していたら、突然、その肘置きのネジが外れる。どうやら私の体重を支えきれなくなっていたらしい。 慌ててねじ回しを探すが、しげが思いついた時にいきなリ間取りを変えたりしてるので、どこにあるんだか解らない。 しげは帰宅そうそう、グーグー寝入ってしまっているので、場所を聞いても寝惚けてフガフガ言ってるだけである。 なんとかプラスのねじ回しを探し出して、ネジを嵌めたが、なんだかそれでも椅子が心持ち傾いているように感じる。 やっぱり体重が増加してきてるんだろうか。
岡田斗司夫さんの「オタク日記」、4月29日(月)に、押井守についての記述があるのを見つける。 『うる星やつら』以降、私は押井守作品はアニメ・実写を含めて、見られるものは可能な限り見てきている。『パトレイバー』や『攻殻機動隊』のような有名どころはおろか、必ずしも押井守の個性が出ているとは言い難い『ダロス』や『ニルスの不思議な旅』や『レムナント6』あたりまでチェックしているから、一応、「押井フリーク」と自認しても構わないだろうとは思っている。 ただし、「ファン」ではあっても、「信者」じゃないことは先に明言しておく。でないと、あとあといろいろとモンダイが生じそうなんで(^^)。 さて、やたらテツガクしたがる押井作品が、オタク的エンタテインメントに徹するアニメを作り続けてきたガイナックスの元社長である岡田さんのシュミに合わないことは予め容易に想像がつくことである。果たしてどんな悪口を展開してくれてることやら、とワクワクしながら読んでみたら……。 うーむ、意外にもある程度感情が抑制されてるきちんとした批評。押井守信者から攻撃されることを懸念して舌鋒を緩めたのか、まだなにか含むところがあるけれども口に出せない事情でもあるのか。 ちょっといくつが疑問もあるので、引用しながら考えてみる。
>「僕はオシイストではない。かと言って、自分をアンチ・オシイストとも思わない。」
立場を最初に明確にしなければならないと言うのが、ファン(あるいはファンでない人)に「気を遣っている」んじゃないかと感じるところ。 いや、特に気を遣ってるわけではなくて、単に「私は押井作品を完全否定するような偏狭な人間でもないし、かと言って絶賛するほどのバカでもないよ」と言いたいだけかもしれない。けれど、私自身の経験から言っても、「信者」のいる人に対して、自分の立場を明確にせずに何かを語ると、それがちょっとした否定(肯定でも同じだけど)であっても、肯定派否定派の両方から拡大解釈されてヒステリックな攻撃を受けてしまうのである。 わかりやすい例が「小林よしのり」について語ること(^_^;)。「いくらなんでも三十万は殺してないよな」と言っただけで、私ゃ職場で「南京大虐殺否定派」の「軍国主義者」と見なされた経験があるからね。 要するにノンポリがウヨクサヨクの対立に巻きこまれる苦労を想定していただければいいわけなんである。アニメファンにとって押井守はなぜか「思想」を語るための作家になっちゃってるのだな。だから「押井のどこがいいんだよ。似たような映画しか作れねえクセに」とか言おうものなら、ヘタすりゃ一時間がかりで読まなきゃならないようなメール送りつけられちゃうことになるのである。世の中、粘着質の人も多いから。 私ももう一度繰り返しますが、押井「ファン」ではあっても「信者」じゃありません。だから、私が誉めたり貶したりしたことに対して、過剰な同意、ないしは反論を寄せられても返事のしようがないからね。
>「UFO信者は、信じない人をすべて『否定派』と括ってしまう。しかし実際に議論してるのは『信者』『否定派』『懐疑派』の3種であろう。この意味で僕自身は『押井懐疑派』だと思う。押井作品の素晴らしい部分を褒め称えるにはやぶさかではないけど、だからといってダメな部分までも『確信犯だから』とイイワケしてやる気にはなれない。
ああ、私も「押井さんのアレは『確信犯』だから」と擁護することあるなあ(^_^;)。 例えば、いつものあの「もしかしたら、今、私がここにいる現実の世界は現実の世界ではないのかもしれない」というヤツだけどね。一度や二度ならともかくも毎回に近いからねえ。「しつけ〜ぞ」という声が出てくるのも判る。 ただ、ここで考えておかなきゃならないことは、批評するにあたっては二つの立場があり、批評者自身、自分がどちらの立場でモノを語っているのか、ハッキリと自覚しておかねばならない、ということだ。 一つは、自分に確固とした思想信条があり、その視点で対象を批評する立場。 もう一つは、自分の思想はともかく、作者の意図を分析して、その意図通りに作品が成立しているかを批評する立場。 どちらが批評として有効性を持つかというのは一概には言いきれない。 しかし大事なことは、片方の立場のみで対象を判断すれば、それは明らかに「方手落ち」な批評になってしまうということだ。 前者のみの立場でものを見ると、極端な話、「私はアニメが嫌いだから全てのアニメを否定します」「私はSFなんてクダラナイと思うから」「私はミステリなんてツマラナイと思うから」なんて偏見が「批評」として成り立ってしまう。 後者のみだと、ヒトラーの『わが闘争』なんかも全面肯定しなければならなくなる。文章の論理性、という点でのみ評価すれば、あれも「名著」と評価しなけりゃならなくなるからねえ。 特に前者の批評方法は、まずもって作者の心には響くものではない。 「そりゃアンタは自分の見方でモノを言ってんだろうけど、俺には俺の見方があるんだから」で一蹴されてしまう。押井さんが同じような作品ばかり続けていること自体を批判したって、屁とも感じられはしないのだ(誰かスタッフが「また犬か鳥を出すんでしょ」って言ったら怒ってたそうだが)。 私は、押井さんが「似たような」モチーフばかりを使ってはいても、その表現効果については『うる星2』のころと『アヴァロン』とでは格段に上達してるなあと思ってるので、全く気にはならないんだけども。岡田さんの言う「ダメ」な部分には多分に前者の見方に偏ってる気がするな。
>「映画作家としてみれば、僕にとっての押井守は『バランスが悪いけど才能が凄いので、そんな欠点は無視できる』というあたりだろうか。才能、というのはケレンみのある、ハッタリのきいた絵を作らせればおそらく世界一、という部分だ。ハリウッドの監督たちがインスパイアされるのもムリはない。とにかく『圧倒的にカッコいい!』のが押井作品の特徴だ。 バランスの悪さ、というのは、たとえば音響設計のセンスが悪いというところ。『攻殻機動隊』のタイトル見たときは笑った。超精密機械であるはずのアンドロイド組み立てシーンで、鳴るSEが『シャキーン』『ガシャコーン』だもんなぁ。」
「ケレンみのある、ハッタリのきいた絵」というのがどのあたりを指してのモノイイか分らないから、「世界一」と言われても、逆に「そりゃどうかな?」という疑問が湧く。 映像作家は基本的にみんなそういう絵を作ろうとしてるんだからねえ。バスター・キートンは? オーソン・ウェルズは? スタンリー・キューブリックは? フランソワ・トリュフォーは? 黒澤明は?(キリがないからやめよう)そういう人たちは「ハッタリの利いた絵」を作ってきてはいないの? それともこれは「現役作家」に限定されてのモノイイ? それなら、ジャン・リュック・ゴダールは? リュック・ベッソンは? 宮崎駿は? 私は「押井さんらしさ」が出ている「絵」と言われると、『御先祖様万々歳』や『パトレイバー2』他でも頻繁に使う「凸レンズ越しの映像」が真っ先に思い浮かぶんだが、あれは「圧倒的にカッコいい!」かね。覗いてる方が実は覗かれてて(映画の中での役者と観客との関係が置換される)そのおかしな姿が曝け出されてる状況が面白いのである。そういうのって、どっちかっつーと、「適度にダサくて情けない」からイイと思うんだけどね。 だから、『攻殻』のSEが「ガシャコーン」でも一向に構わない(もっとも私には「チュイーン」と聞こえるけど)。いや、「ガシャコーン」のほうがずっといい。押井作品ではリアルに見えるもの全てが実は現実じゃなくて、寓意なんだから。でなきゃ、それこそ近未来SFのテーマソングに「祝詞」なんて古臭いモノを使うわけないし。 押井さん自身が巧む、あるいは巧まざるに関わらず、押井作品においては、現実との「違和感」はあったほうがいいんである。
>「これは個人的な好き嫌いになるけど、押井作品の小児的なところは苦手だ。 たとえば『パトレイバー2』というアニメ。 映像は素晴らしい。もうセルアニメの頂点じゃないか,と思う。 しかしシナリオというかキャラクター造型がいただけない。柘植という登場人物は映画冒頭、『部下を見殺しにしなければいけなかった』という事件で、心に傷を負う。しかし彼は『日本に復讐する』なる心情的というかロマンチックな革命ごっこを実行し、当然ながらそれは破綻して逮捕される。行動原理がダダっ子というか、全共闘世代特有の『甘え』に満ちているので、僕は感情移入できなかったのだ。 (彼の主張を良し、とできるなら、上層部の理不尽な命令でリストラをしている人事課長には,すべてテロルの権利があることになる。バカな。甘えるのもいいかげんにしなさい。こういう理屈をこねるヤカラと、それに同調する自称『弱者の味方』があんがい多いから、ゆうきまさみ版『パトレイバー』では、内海課長は倒れなければならなかったんだけどね)」
柘植、主役じゃないから感情移入できないって言われてもなあ。 だいたい「小児的」だからこそクーデターなんてことを起こすわけで、そんなこたー、三島由紀夫や麻原彰晃を見てればよく分る。 この雑然としていて混乱の象徴でもある東京って街を、いっぺんぶっ壊してみたいってのは、多分いろんな人が思ってることで、それは例えば怪獣映画という形になって表れているわけだ。『ガメラ』シリーズの脚本家である伊藤和典さんは、『パト2』を明らかに「怪獣のでない怪獣映画」として構成している。 東京を破壊したい。 破壊できるものがあるとすればそれは自衛隊である。 自衛隊にクーデターを起こさせる動機はなにか。 そう考えていった結果があの動機なわけで、脚本としては全く問題がない。 もっとも、この部分の感想は岡田さんも「個人的な意見」と断ってるから、物語上の人物造型としてはあれでいいってことはご理解されているのだろう。 確かに感情だけで言えば、私も「南雲さん、アンタ男を見る目ないよ、柘植見たいなバカより後藤さんのほうがよっぽどイイじゃん」と言いたくなるけどね。もっとも「南雲さんに男を見る目がない」というのも、設定にあることだから仕方がないんだけど。 だからあの映画は後藤さんと荒川さんを見て楽しまなきゃ(^^)。
>「僕の感じる違和感は『なんか尾崎豊みたいでイヤ』、といえばわかってもらえるだろうか。 『中間管理職の恨みをロマンチックな革命ごっこでウサ晴らし』、というのと、『管理社会が嫌だからといって、夜に校舎の窓ガラスを割る』というのは、同種の小児的甘えである。熱狂的な『信者』が多いのも共通している。 いや、尾崎の音楽や押井の映画を全否定しようとは思わない。そういう音楽や映画が必要な時期は誰しもあるし、そういうものに傾倒する人は人一倍感受性の強い人だというのも理解できる。しかし、周囲に迷惑をかけることによってのみ自己をアピールし、しかもそのダメさ加減を『確信犯』と言い繕うことでなにか弁明した気になっている。そういうメンタリティを僕は共有できない。要するにそのあたりで僕は『押井信者』になりそこなっているのだろう。」
押井守が死んでも、葬式に長蛇の列はできんと思うが(^o^)。 「中間管理職」ってのがつまりは「犬」ってことなんだろうけれど、さて、押井さんは「犬」であることにウラミを持っているのかな。押井作品の大半が「革命の挫折」から物語は始まっているので、「革命」自体がまさしく「ロマン」というか「幻想」に過ぎなくて、そんなものじゃウサバラシにもならないってことを描いてるのが、押井作品だと思うけどな。 『紅い眼鏡』でも、繰り返される百々目紅一の「帰還ごっこ」に対して、「全くいつまでこんなことが続くんだ」と室戸文明に言わせてるし、『人狼』でも革命家の「赤ずきん」は二人とも狼に食われるし、「革命ごっこ」してる連中への「制裁」は厳しい。 もちろん、イマドキ「革命」を描こうとしている作家活動自体、押井さんの心の隅のどこかに、チラリと「この平和ボケの日本で革命が成功したらいいな」という「甘え」があることは事実だろうけれど、形の上で一応は否定しているものを「実はホントは革命好きなんだよな、押井さん」と言っちゃうのはどうか。 それに「心の隅」ということで指摘するなら、「犬でいいじゃん、革命なんかしなくっても」って相反する思いも押井さんの中には確実にあるんで(っつーかそのアンビバレンツが押井作品のモチベーションになっている)、そちらの方を無視して、一方だけを掬い上げるのは、批評としてはどうだろうか。 そんな中途半端な批判のしかたが成り立つなら、「岡田さん、ホントはあなた、押井さんが羨ましいだけなんでしょ」ってのも批評としてアリになっちゃうけど。 「周囲に迷惑をかけることによってのみ自己をアピール」というのも、果たして本当に「迷惑」かけてるのはどっちなんだってことを考察しないと、意味ないと思うけどね。既成の概念に疑義を差し挟む(あるいはひっくり返す)のがSFの普通の手法なんだし。
>「じぶんなりにまとめると、押井監督はアニメ監督としてはベスト3とは言えないだろうが、充分ベスト5に入る、と思う。りんたろうより上だけど、富野カントクより下、というあたりだろうか。」
押井さんはアニメより演劇やったほうがいいよな、とは私も思う。 けれど「オウム真理教は自分が生み出した」と責任感じてる人よりも下かねえ。 いや、作品と作者の信条は別、とご批判される向きもあろうが、『ブレンパワード』みたいなノーテンキ「話しあいましょう」アニメを誉めるくらいなら、私ゃ押井アニメの方をずっと見たいぞ。まあトミノさんが壊れてく様子を追っかけるのはそれはそれで楽しいけれども。『∀ガンダム』、途中までしかまだ見てなかったなあ。DVDは全巻揃えてるのに。
>「ああ、こんな金にもならない原稿を延々と書けるなんて、本当に鬱が治ったんだなぁ。」
そう言えば個人のHPって、みんなホントにカネにならないのに気を入れて書いてるよなあ。 私もこれだけ書き続けてる以上、口が裂けても自分が「鬱」だとは言えない。時々言ってるけど(^_^;)。
録画ビデオで映画『血とバラ』(1960・仏=伊合作)。 言わずと知れたジョゼフ・シェリダン・レ・ファニュのゴシックホラー『吸血鬼カーミラ』のロジェ・ヴァディム監督による映画化である。 ゴメン、こんな有名な映画、今まで未見でした(^_^;)。小説の方も実は子供のころにダイジェスト版でしか読んだことない。あとは『ガラスの仮面』の劇中劇か? 姫川亜弓がカーミラだったねえ(鴻上尚史はこの乙部のりえがとっちめられるエピソードが大好きらしい)。 「カミーラ」とか「カーミラ」とか、日本語表記は一定してないけれど、発音を聞いてみると、「カ(ル)ミーラ」(アクセントは「ミ」にあり)って感じ。 こりゃ表記不可能だわな。フルネームはカーミラ・フォン・カーンシュタイン(カーミラ・フォン・カルンスタイン)。なんだか名前だけ聞くと吸血鬼の系列より人造人間の系列みたいに聞こえるね。 冒頭、いきなり飛行機の滑走路か現れて度肝を抜かれるが、これ、なんと現代(第2次大戦後のローマ近郊)の物語にアレンジしてあるんだね。けれど、古いカーンシュタイン家の描写が始まると、これってホントに現代? と言いたくなるような屋敷、衣装、風俗がバンバン登場してきて、監督がやはりこの映画を現代の「御伽話」として描こうとしているのだということが伝わってくる。 語り手はカーミラ(アネット・ヴァディム<ストロイベルグ>)自身。このあたりも原作を脚色。原作はローラという少女の一人語りなんだけれど、これが映画ではジョルジア(エルザ・マルティネリ)という女性に置き換えられて、彼女の婚約者・レオポルド(メル・ファラー)を、この二人の女性が奪い合う展開になっている。 カーミラはこの争いに敗れて、失意のうちに先祖のミラーカの墓に赴くのだけれど、ここでかつての吸血鬼の悪霊に乗り移られる……ということになるのだね。「表面的」には。 「表面的」と言ったのにはわけがあって、実はこの映画、明確な吸血シーンは全くないのだ。 カーミラが「血が欲しい」と言って召使の少女を追いつめる。迫るカーミラのアップで画面は切り替わる。あとで崖から転落して死んでいる少女が発見され、首筋に傷が残っていることが確認されるが、「崖から落ちた時に付いたのだろう」と判断される。 作男は、森で「自分の体をすりぬけて行った女の幽霊を見た」と騒ぐが、実際はカーミラは横を通りすぎただけだ。 カーミラは自らの衣服についた血に恐怖するが、それは鏡に映った時にしか見えない(つまり、本当は血などついていなくて、それが見えるのはカーミラだけ)。 つまり、カーミラが吸血鬼であった証拠はどこにもないのだ。主治医は、最後に判断し、レオポルドに告げる。「君が彼女の気持ちに答えなかったことが彼女を追いつめ、自分を吸血鬼だと思いこませた」と。即ち「吸血鬼」とはカーミラ自身の妄想だったというのである! しかし、カーミラは最後に語る。信じようと信じまいと、自分はこうして長い年月を生きて来たのだと。新婚旅行に旅立つ飛行機の中で彼女はそう呟いたのだ。ジョルジアのカラダに乗り移って。 この結末も、心理学的には「カーミラを死に追いやった罪の意識から、ジョルジアは自分がカーミラ自身だと妄想するになった」ということなのだろうか。そう取れなくもない結末ではある。しかし、だとしたら女はなぜ永遠の命を夢想してしまうのか。それは女が「愛」という「無形」のものに自らの命を賭けているからだろう。少なくとも、カーミラとジョルジアという二人の女性に関してはそのようにしか見えない。 ジョルジアは、カーミラがレオポルドを愛していると知りながら、「でも、私、カーミラのこと嫌いになれないの」と呟く。果たしてそれは真実の言葉であったか。もしや、無意識のうちに発せられた勝者の余裕の発言ではなかったか。 その言葉を聞いたカーミラがどのような思いに駆られるかを想定すれば、到底口に出せないはずの言葉であるからだ。 一つだけ、「吸血鬼=妄想」説に疑問を抱く余地のある描写があった。カーミラの持ったバラが、一度だけ色褪せ、散ったのだ。……これだけは「妄想」では片付かない。それとも、これはただの偶然なのだろうか。
2001年06月07日(木) MURDER IS EASY/『詩的私的ジャック』(森博嗣)ほか
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藤原敬之(ふじわら・けいし)
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