無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2002年05月07日(火) この文も詭弁かもしれない(^o^)/アニメ『十二国記』第五話「月の影・影の海 五章」

 とりあえず、しげの足、跛は引かずにすむようになったようだ。
 舞台でうまく演技できるかどうかは分らないけれど、少なくとも日常生活に支障はない。
 「上から押さえない限り大丈夫」ということだけれど、スリッパはまだ履くと痛いらしい。それでも一応順調に回復しているようで、読者のみなさまにはご心配をお掛けしました。まだ医者からは「もしかしたら治ったように見えててもヒビが入ってるかも」と言われたらしいけど、気がついたらツイスト踊ってるから大丈夫でしょう。
 「オレって意外と頑丈?」
 とか言ってるけど、なんだかホントにしげって死なないような気がしてきたよ。


 山本弘さんのHP、『SF秘密基地』の特別掲示板、相変わらずトンデモさんに荒らされている。
 当たり前だけれど、トンデモさんは自分がトンデモさんだとは認識してない。 トンデモさんをトンデモさんたらしめる「トンデモ要素」ってのは、実は誰にでもちっとはあるんだけれど、そのことをしっかり認識してないと、「自分もまたいつトンデモさんになってしまうかも」という自分を客観視する視点が生まれない。
 一見、頭よさそうで、日常生活でもごくフツーに見える人が、「それゆえに」トンデモさんになっちゃうってこと、あるんだよね。掲示板の書きこみを見てても、論理的な文章書いてるつもりで、「ああ、この人、自分に酔ってるだけだなあ」って人がもう集まってきてること(^_^;)。
 余りにもトンデモさんの応酬が多かったのだろう、いちいち反論しきれなくなって、山本さん、『詭弁論理学』(野崎昭弘著)という本を紹介して、「トンデモ理論」というものが、どのように構成されるかを総括している。

 http://homepage3.nifty.com/hirorin/bookkiben.htm

 この本自体は読んだことないんだけれど、本当に「人と会話した」経験のある人なら、いちいち頷ける事例がたくさん載ってる感じだ。私も「二分法」でやられること多いし(^_^;)。
 その人の人格と意見の正当性とは別物ってこと、判断できない人間の方が世間にゃ圧倒的に多い。それこそ「論理的にものを考える」人間なんてこの世には存在してないんじゃないかって思えてしまうくらいに。
 私もつい、「所詮、○○○って○○○だからな」みたいな言い方することあるけど、それが非論理的な物言いだってことは知ってて使ってますよ。会話するためには相手に「突っ込ませる」ことも必要な場合があるんで、ワザと穴を作ってるのね。会話が進めば、ちゃんと自己批判してます。
 もっとも、そういうレトリックすら、「人を馬鹿にしてる」と勘違いされることもあるんで(会話シミュレーションで、あえていくつかのデータを無視して語ることはフツーなんだけどね)、最近はそれもしなくなった。実際、「会話のできる」人自体が年々少なくなってきてる気がしていて、もしかしたら私は将来誰とも語らず無言のまま過ごす老人になるのではないかと危惧するくらいだ(オマエにそれができるかというツッコミが聞こえてきそうだが)。

 けど、ここで紹介されてる「小児型強弁」のタイプの人間ってホントに多いよなあ。

(1) 自分の意見がまちがっているかもしれないなどと、考えたことがない。
 私もこう批判されること多いけど、たいてい、会話が進んで相手が反論できなくなって、こう言い出されること多いんだよな。「オマエ、自分がいつでも正しいと思ってるだろう」とか。負けそうになったからって、そんなこと言われても、私ゃ「そりゃオマエ自身のことだよ」としか言えないんだけどね。
 私は自分の意見が「絶対に正しい」と思って喋ったことなんて実はない。
 ある事実をもとに「仮説」を立ててるだけで、これは論理学の基本でもある。データが違えば別の結論が導き出されることもあるわけで、私ゃ、自分が勘違いしてるとわかったらすぐに訂正してるんだけどなあ。
 でも、そうやって私が「あ、間違えちゃった。ゴメン」と引いてるときの記憶って、相手はたいてい忘れてるのな。で、自分か批判された時の記憶だけで「アイツはいつも自分の立場だけ強弁してる」と思いこむ。妄想ですな。
 まず、会話を「勝ち負け」で判断してる時点で、トンデモさんだってこと。

(2) 他人の気持ちがわからない。
(3) 他人への迷惑を考えない。
 これも、本人は「相手のこと考えている」気になってるのな、たいてい。
 論争中は確かにこちらだって、相手の気持ちを考えてやる余裕がないことは多い。会議の最中、今、現実に討議すべきことがあるのに、遠慮ばかりはしてられないから。たとえ、論争の相手が常軌を逸していて、とても冷静に討議できる状態になかったとしても、批判しなければならないことは最低限しなければならない時もあるよねえ。
 それでもこちらは自分の「引け時」くらいは考えて喋るけどな。
 トンデモさんは、それ考えないで、どんどん理不尽なことを言い出す。こちらが困った顔してると「私を無視してるのか」なんて言い出す。
 日常の会話だったら、「今はちょっと、時間がないから」とか適当なこと言って断れる時でも、会議だとそうもいかない。相手の不毛な説明や難癖が延々と続いていても、それ、ずっと聞いてなきゃなんない(-_-;)。
 どーせーってんだろうね。
  
(4) 世間の常識など眼中にない。
 「常識」という言葉使いたがる人間にかえって多いね、これ(^o^)。
 現実には「常識」なんてものは、時代によって国によって文化的環境の違いによって、いかようにも変化するものだから、絶対的かつ普遍的な「常識」なんてものはないってのは「常識」だ(^o^)。
 だから、実のところ、その「常識」という言葉を使う時には、それがどの程度社会的に通用するものなのかどうか、やはりデータをきちんと解析した上で考えていかなきゃいけないんだけれど、「常識だろ? そんなの」と言いたがる人って、余り考えてない場合が多いんだよなあ。
 だから、「常識」という言葉を使う時には、その常識のバックボーンが何であるかを明確に示さなきゃいけないわけだ。
 「ミステリーを人に紹介する時には、トリックや犯人をバラさないことが常識」とかね。限定された状況でなきゃ、この言葉、使っちゃいけないとか、これも人と話した経験があれば、先刻ご承知のことなんだけどなあ。
 この常識が通じないヤツ、多いよ。

(5) 自分が前に言ったことさえ忘れてしまう。
 それだけならまだしも、記憶を捏造するヤツもいるし。
 ここまで来ると、ホントに会話が出来ない。
 「オマエ、前にそう言ったろ」
 「覚えてない」
 だもんな。で、こっちが言ったことだけは曲解して覚えてるし。
 「オレ、もうオマエとは会話せんわ」という結論を私が出したとして、誰が私を責められようか。

 で、この(1)〜(5)の条件にバッチリ当てはまってる例が、この十年、私のウチにいるのです(^_^;)。「アンタのモノイイって、人を鼻で笑ってるように聞こえる」とか文句言ってるけど、自分がトンデモさんだって自覚、持てよな。
 身近に実例がいるだけに、山本さんのご苦労はイタイほど察せられる。
 「柳田理科雄の人格まで批判するのはどうか」とか言って、不快感を表明する人は多いけど、「柳田理科雄に科学的文章を書く才能がない」というのは冷静な分析結果による「批判」であって、ただの「悪口」ではない。「不快感」を示しているほうこそ、非理性的な感情を発露しているだけの「難癖屋」なのだ。
 どんなにコトバが悪かろうが、根拠が広範囲なデータをもとに示されていれば、それは純粋な批判たりえるってことが分ってないのだな。そんな人間が多いってのも、「仲よきことは美しきかな」って美徳が歪んだ形でこの国に根差しちゃってるからなんだねえ。もう冷静な批判だろうがなんだろうが、「人のことを悪く言うのはよくない」と思いこんでる。で、そんなやつに限って、自分が同じことしてることに気づいてない。「ケンカが嫌い」と言ってるやつが率先してケンカしてどうする(^_^;)。
 もちろん、批判の前提となっているデータに漏れがある可能性は常にある。山本さんを批判するなら、見逃しているデータを見つけ、それを指摘するだけで充分なのだ。
 トンデモさん、ホントに狭い範囲のデータだけで、鬼の首でも取ったかのように批判するからなあ。
 けれど、山本さんも覚悟の上でHPを開いたんだろうからなあ。たとえ、一人のトンデモさんをつぶしても、第二、第三(既に第百以上になってる気はするが)のトンデモさんは現われるだろう。今後も山本さんの苦労は絶えないものと推察する。
 私には「がんばってください」としか言えない(^_^;)。せめてシロウトが不毛な書きこみはしないように気をつけるくらいの謙虚さは持つようにしましょうかね。


 アニメ『十二国記』第五話「月の影・影の海 五章」。
 初めて見たけど、OPには素直に感激しましたね。
 音楽もいいし、演出もいかにも「歴史モノ」って感じで壮大な雰囲気だし。
 脚本が會川昇、キャラデザインが山田章博ってのも「おお!」と思いましたからね。あの独特のラインをどうアニメにするのかって、否が応でも期待が盛りあがろうってもんじゃありませんか。
 で、本編。
 ……山田章博じゃないじゃん(-_-;)。
 作画監督は田中比呂人か? 『キイ』の時のキャラのまま、山田章博やってどうすんだよ。アニメ創世記ならいざ知らず、イマドキゃ、原作の絵柄を忠実に再現できるアニメーターだって増えてきてるってのに、どうして山田絵を再現しようとしないか。
 いや、テレビシリーズでそれだけ手間かけるのムりだってことは分ってるんだけどねえ。ちょっと期待が膨らんじゃった分、落胆も大きかったのよ。
 筋は途中から見たんでまだよく分らん。
 しげが原作を全部買ったのはいいものの、そこいらに適当に置いてくれてるからなあ。1巻どこにあるんだよう。


 しげは今日も何やら練習らしい。
 大詰めでちょっと煮詰まってるか?
 『十二国記』を見終わったちょうどそのとき、しげから電話がある。
 「父ちゃんへの土産、もう持って行った?」
 「いや、まだだけど。どこに置いてるんだよ」
 「風呂場のノブに袋に入れて下げてるよ」
 なぜ風呂場に? 今更、そんな常識的ツッコミをしたって、意味ないので、やり過ごして「メシはどうする?」と聞く。
 「『五風』に行く!」
 ……あー、もう、「肉」に関するツッコミもしない。某所で「肉しか食わないヤツ」と感嘆されたしげだ。もはやこれはしげにつく冠詞であろう。「肉好きしげ」、略して「肉しげ」。おお、ちゃんとシャレになっている!
 ……このままだと私もコワレそうなので、しげの帰宅を待って、父に東京の土産を持っていく。


 『五風』で焼き肉、今日はメニューにサザエの壷焼きがあったので、頼んでみる。……ハッと気付いたけど、ツボ焼き食うの、これも20年ぶりくらいじゃないか?
 中学か高校の頃、呼子で炭火焼きしてるの食って以来って気がする。
 ガスの火で食うのは味気ないけど、垂らした醤油の匂いがプンと漂うのはいいなあ。
 帰り道、本屋に寄った頃から、土砂降りの雨になる。

 夜中も11時を過ぎて、いきなり鴉丸嬢、其ノ他君、C−1こと藤田真也君、公演の打ち合わせに来訪。
 来た者は断れないけど、ちったあ時間っつーものを考えろ……って公演が近いとそうも言ってられないんだよなあ。今日は早寝しようと思ってたのに、そうもいかなくなってしまった。
 それにしても藤田君と会うのは一年ぶりくらいである。
 「やあ、いろいろ噂は聞いてるよ」
 「え? 何の噂ですか?」
 「○○○○で○○○○して、○○○○になっちゃったとか」
 「どこからそんな噂が!」
 「私から」
 とりあえず生きちゃいたか。早いとこ○○○○○(しかし伏字多くしなきゃならないような生活してるんじゃないよ)。
 公演には仕事で来られないそうだけれど、リハには来るそうである。何か役割があるのかどうかは知らないが。
 舞台で流す音声の収録を始めて、私にも協力を依頼されるが、体力がないと断って寝る。藤田君が何やら叫んでいたが、これで藤田君も一応、出演したことになる。……とゆーと、藤田君のウチの公演連続出演記録も未だに途切れていないことになる。
 藤田君のウチでの演技力は、一番ヘタというのが衆目の一致するところなのに、運がいいような悪いような。


 夜食にレトルトカレー。
 レトルトでも、すき焼きのタレと醤油と牛乳をちょっとずつ混ぜて(たくさん入れると水っぽくなるので注意)焦がすと、メチャクチャ美味い。
 みなさんも、ぜひ、おためしあれ。

2001年05月07日(月) フライド・エッグ・ムーン/『三毛猫ホームズの恐怖館』(赤川次郎・竹内未来)ほか


2002年05月06日(月) やっぱり類友(^_^;)/DVD『シティボーイズライブ』/DVD『ブギーポップは笑わない』ほか

 GWの連休最終日。
 チマタでは博多どんたくとかもあってたらしいが、知らん(^o^)。
 もう今日は一歩たりとも外には出ないぞと決めて、昼間はひたすら寝る。

 夕方からDVDでシティボーイズライブを通しで見る。
 『真空報告官大運動会』以前の舞台はDVD化されていないので、これから見始める人にはいささか不親切だ。
 それ以前の舞台を見ておかなければ分らないギャグが随所にある(『恋人たちのリス鍋』は、『恋人たちのゴム脳』を見ておかないと唐突に見えるし、『走る男たち』も、『Not Found / 非常識な青空』中のスケッチの続編)……というか、これがシティボーイズ+中村有志+いとうせいこう+三木聡(演出)の集大成かつ頂点を極めているからだ。ここから見るとかえって「ついて来れない」部分があって、楽しみにくいのである。
 シティボーイズライブは、ここで一端転換を迫られることになる。大竹まことが「今年で最後」発言を繰り返すようになるのもこの頃からだ。
 『夏への無意識』、シティボーイズのみの舞台。原典回帰、ということで、シマリのいいスケッチが多かった。
 『ウルトラシオシオハイミナール』。
 野宮真貴(ピチカート・ファイヴ)と本田久就がゲスト。ちょっとスケッチがお三方と噛み合ってない印象。どうして『まぬけの殻』が収録されてないのだ。
 『シティボーイズミックス ラ・ハッスルきのこショー』。
 演出の三木聡さんが降りる。新しい演出は坪田塁。しかし、中村有志といとうせいこうが復活した。けれど、究極の名スケッチ『ラ・ハッスル智恵子ショー』が放映&DVDに収録されていないのは、今でも痛恨。
 斉木しげる指揮、いとうせいこう・きたろうアカペラによる伴奏と、大竹まこと(高村光太郎)の詩の朗読が、ぶつかり合うようなアンサンブルを見せる中、ベッド上の中村有志(高村智恵子)が、桜の舞い散る中、踊り撥ねるというモノスゴイスケッチ。精神障碍者に対するサベツが問題だってんだろうけど、そうやって障碍者を特別視する方がサベツなのになのに。
 ……とかなんとか考えながら、始終ウトウト。


 夜、8時を過ぎて、しげ、つぶらや君を連れてくる。
 いきなりテレビデオを運んで来たので驚く。
 私「……どしたの、それ?」
 しげ「練習に使ったんだよ」
 そう言われれば、寝室に置いてあったウチのテレビデオだ。
 私「よく運べたなあ、それ」
 つぶ「ベランダ通したんスよ」
 私「ベランダ通したあ?!」
 一瞬、ベランダから地上へ(ウチはマンションの三階である)、ヒモか何かで吊り下げて降ろしたのかと思ったがそうではないらしい。寝室の入口にモノを積み上げていて通し難くなっていたので、いったんベランダに出して、それから居間に入れて、出したとか。
 ……そんな手間かけるより、入口の荷物どかした方が早かったんじゃないのか。
 私「で、なんでテレビデオなんか持って行ったんだよ」
 しげ「みんなで、演技の様子をテレビで見たかったから」
 私「……ウチに連れてくればいいじゃん!」
 しげ「だって、めんどくさいし」
 私「練習場おカネ出して借りて、ただビデオ見てるだけって方がモッタイナイだろうが!」
 演出がなんのためにいる。
 クロサワじゃないが、「ビデオで自分の演技を見たいから」なんて抜かす役者には、「オレが見てるんだ、それで充分!」と言ってやりゃいいんだ。……第一、本番まで一週間切ってるんだぞ。今更もう、ビデオ見て演技プラン立ててる時期じゃなかろうに。

 それでも、今度の舞台練習、しげも様々なパターンを試みて、よしひと嬢を笑わせているらしい。
 「つぶらや君、テレビ運ぶためにわざわざ来たの?」
 「ゴロちゃん(つぶらや君の愛称)、公演会場の照明プランの、ファックスが届くのここで待つんだよ」
 察するに、つぶらや君のウチにはファックスがないらしい……って、もしかしたら、あるのはウチとよしひと嬢のところだけじゃないのか。全く、ローテクな劇団(^_^;)。
 「食事はどうするんだ?」
 「『ジョイフリャー(しげは「ジョイフル」をこう発音する。「仮面ライダーブイスリャ〜!」のノリらしい)』でいいかな?」
 「ファックス待つんじゃなかったんかい」
 「すぐには来ないから、今のうちに食事するんだよ」
 本当は日記を更新したかったのだが、つぶらや君ともまだそんなに話したことはないし、せっかくの機会だからと、つきあうことにする。
 演劇の経験がどの程度あるかと聞いてみると、どこぞの地元劇団の幽霊メンバーらしい。板の上に立ったことは、高校のときだけ、ということであるが、それでもウチでは充分な経験だ(おいおい)。
 経験の多寡は、実のところ演劇の才能にはあまり関係がない。
 基礎的な訓練が不必要だと言いたいわけではないが、初舞台で天性の才能を発揮、というのは演劇の世界ではよくあることだ。要は「カン」なのよね。
 会場との折衝も担当しているそうで、「胃に穴が空きそう」とホントに顔を歪めているが、当日になって倒れなきゃいいが。

 しげのロドリゲス(車のこと)、後部座席をフラットにして大道具を詰め込んでいるので、一人はその隙間に入り込まなきゃいけない。
 つぶらや君をそこにはめ込んじゃうのは申し訳ないので、私が乗りこんだら、つぶらや君、「ホントはそっちのほうに乗りたかったんですけど……」と残念そう。……コイツもちょっとヘンなところがあるなあ(^_^;)。

 ジョイフルで、しげがトイレに入っている隙に、練習の様子をつぶらや君に聞いて見る。
 「……あいつ、足、ムリしてない?」
 「してます。本人は『平気だ』って言ってますけど」
 荷物も自分で運ぼうとしたがるらしいし、自分の立場を考えてない。
 でも、周囲がしげを止められないというのもわかる。
 普段の生活は、運動神経も悪いし、とっさの反応だって鈍いくせに、人の油断をついてチョロチョロっと動くのだけは抜群にウマイのだ、しげは。つーか、運動準備ってのがないので、いきなり動き出すのな。こちらの予想がつかないことをいきなりするのである。
 こうなると、もう、足のケガが悪化しないことをただ祈るばかりである。

 トイレから戻ってきたしげ、唐突に「ゴロちゃんにオタクをレクチャーしてよ」と言い出す。
 何のことかと思ったら、舞台でアドリブでオタクな会話をしなきゃいけないんだけど思いつかなくて困ってるとか。
 「オタクな会話って、例えば、“今度の『ガオ』さあ、敵にセクシー系と萌え系揃えるっての、いかにもでアザトイよなあ。でも実はオレ、ちょっと『萌え』好き(はあと)”……とか、こんなんでいいのか?」
 と、思いつきで言ったら、つぶらや君に「おお!」と感心される。そんなたいしたもんかい、これ。ともかく古いネタは入れないように、とだけクギを刺す。旬でないネタは舞台上ではかえってアザトク見えるのだ。

 私はコロッケと焼肉定食、しげはハンバーグ、つぶらや君はカレーみたいなの(忘れた)を注文。
 「チキン南蛮がメニューからなくなってる〜。ジョイフリャーに来る意味がなくなった〜」とベソかくしげ。ジョイフルはチキン南蛮一つで持ってるってか。単に自分が偏食なだけだろうに。

 帰宅してもファックスとやらはなかなか来ない。
 しげは殆ど寝てなかったらしく、ダウンして寝息を立て始める。
 ずっとつぶらや君を待たせたままなのも悪いので、「何かDVDでも見る?」と誘う。
 「じゃあ、『ブギーポップ』を……」
 ……うっ。もしかして「オタク演技が出来ない」とか言っときながら、それってフェイクか?(・・;)
 しげの話じゃ、「役の上ではオタクでも、本人はそんなことない」ということだったが、やっぱり「類友」だったのか?
 (((((((`◇´;)サササササッ……。

 まあ、リクエストがあったなら仕方がない。
 まずは劇場版のDVD『ブギーポップは笑わない BOOGIEPOP AND OTHERS』を掛ける。
 一部のキャストや脚本、演出に瑕瑾はあるものの、ライトSFファンタジーとしては、なかなかいい出来だし、映像・構図、ともに凝っている。
 見返してみて、最初劇場で見たときは「ちょっとアレはどうかな」と思っていた「宇宙」のシーン、それほど違和感なく見られた。
 間を置いているとしても、二度見てそう退屈しないということは、結構いい出来なんじゃないか、この映画。
 末間和子と新刻敬の俳優は、今でも逆の方がよかったと思うけれども。
 つぶらや君、「宮下桃花がいいっスねえ!」と感嘆している。
 確かにこのときの吉野紗香、『タオの月』の時よりずっといい。もう二度とこんな名演は見られないのではないか(^o^)。

 続けて、続編のアニメシリーズ『ブギーポップは笑わない BOOGIEPOP PHANTOM』を第一巻から見せる。
 「やっぱり霧間凪はロングヘアーがいいっスね!」と、紛う方なきオタク発言。……やっぱり類友(-_-;)。
 つかれたので、つぶらや君に残りのDVDを渡して先に寝る。時間はもう1時過ぎ。結局、ファックスが来たのかどうか、私は知らない。 

2001年05月06日(日) 襟足に寒気/『仮面ライダーSPIRITS』1巻(村枝賢一)


2002年05月05日(日) トンデモさんの系譜/『こんなにヘンだぞ!『空想科学読本』』(山本弘)ほか

 しげの足、「圧迫されなきゃ大丈夫」と本人は言う。
 整形にかかるの連休明けだからな〜。それがホントならいいんだけどな〜。


 「日本人のメンタリティは、戦前から変わっていない」とは、『人生は五十一から』で、小林信彦氏が語っていることである。
 戦後生まれである私が「戦前」がどうであったか、ということを語ることはまさしく愚挙ではあるが、「戦前を知る人」(ま、私の亡母なんだけど。実は小林さんと全く同い年だ)の言をモトにして考えることはできる。
 「敗戦によって、日本人や日本の社会が完全に一変したというのはフィクション」=「大衆は権力者に常に騙され、大新聞とテレビが権力者に寄りそう」というのはまさしく母の意見とも一致する。変わったのは表面的な「マスコミの意見」であって、日本人の「中身」ではないのだ。
 「大衆操作なんて簡単だよな」とは某氏の言葉であるが(この人の本音だろうけれど、公共の場での発言とは必ずしも言えないので、名を秘す。でも誰のことか分る人も多かろう)、実際、権力者に「洗脳」されているのは宗教がかった人々ばかりとは限らない。カリモノの意識を持ち、それを自らの意志と錯覚して生きている人は確かに数限りなく存在するのだ。
 まあ、いわゆる「トンデモさん」ってヤツね。
 「別にそんなヤツほっとけばいいじゃん」と言われりゃ、その通りであるのだが、だって向こうから絡んでくるのだもの(^_^;)。しかも困ったことに、そういう「トンデモさん」が生まれてくるのは、その人本人に責任があるとは限らないところだ。言うまでもなく、戦前において、そういった「トンデモさん」を世間に排出させたのは、「国家」による「洗脳」だったからである。
 見えざる「洗脳」に対抗するには、無責任だろうが何だろうが、小林さんのように、今、ここで考えていることをただひたすら書いていく、ということでしか対抗できない。それは必然的に、既存の価値に対する、悪口、愚痴、揶揄、罵詈雑言、という卑俗な形を取る。卑俗にこそ、実は大衆のエネルギーが存する。それはまさしく無責任な「井戸端会議」であり、「床屋政談」であるわけだ。私が政治についてマジメに発言してないのも、そんなことしたって何かが変わるわけじゃないからなのよ。しちめんどくさいこと言うより、「あの総理アホか」という声が大衆間に高まれば自然に結果に表れる。それを少なくとも「マスコミ先導にしない」ことが重要なのよね。
 そのことをまあ、「無意味にこそ意味がある」とか「意味がないほどいい」とかいうイディオムで表現してるんだけどね。
 「無責任な書き散らしをしたいんだったら、『2ちゃんねる』に行け」とも言われそうだが、発言自体は無責任であっても、パパッと書きこんだらいつでも「逃げ」が打てる匿名サイトには、私の文章はいささか長すぎるんでねえ(^o^)。
 だからこそ、私自身の意見に対しても、批判もいくらでもどうぞ、というのがこの日記のスタンスなわけである。まあ、「覚悟」なんて言ったらカッコつけだけどね。

 「ありふれた日常」を書く、ということを軽く考えている人は多い。自分の意見なんて、たいした知識を背景にしているわけでもないし、書いたところで「それがどうした」ってものにしかならない、と卑下している。
 しかし、2ちゃんねるも含めて、ここまで巨大化したネット環境は、「洗脳」されている人間も、それに抵抗している人間をも全て包含し、その一つ一つの様相が今の「時代」の鏡となりえている。
 非力な我々が「時代」と切り結ぶためには、まさしくその個々の「日常」をもって、「全体」を相対化する以外にない。……簡単に言っちゃえば、「挙国一致だ!」と言ってる連中がいくらいても「そんなんオレ知らんもんね」と言うヤツがゴマンといれば、戦争になんかなりっこないってこと。
 小林よしのりはタクシーの運ちゃんが「自衛隊に入ってりゃ、いざというとき逃げられるよねえ」と愚痴ったのに反応して激怒したそうだが、実際に日本国民がみんなでこの国を脱出したら、そもそも戦争自体が成立しないじゃん(^o^)。
 もちろん、「お国のために」戦う人はある程度は残るだろうが、逃げた人は日本が勝てば戻ってくりゃいいし、負けたら逃げっぱなしでいれば得なんである。それじゃ卑怯じゃないか、とか、残るものが馬鹿を見る、とか言われそうだが、そもそも「戦争」に突入しなきゃならないような状況を作り上げた責任がどこにあるのか、と言われれば、それは「国」にあるってのが当然の理屈。戦争を回避してもらうために選んだ政治家が戦争を始めたんじゃ、国民に見限られても仕方ないだろう。
 その「お国」に従って戦う人間が、巻き添え食らいそうになって逃げる人間を恨むのは筋違い。ちゃんと守って帰って来れるようにしろよ、それが「責任」の取り方ってもんだ。「非国民」なんて呼ぶなよ、こっちは「自主疎開」してんだ(^o^)。
 一見「逃げている」ように見えるかもしれないが、それが「自分の日常を守る」ということなのである。「国」が逃げるのは責任逃れだが、個人が逃げるのは当然の権利だ。重ねて言うが、「みんながそうしているからそれに従わなければならない」という「洗脳」に対抗するためには、平凡な日常を書き続けることが最も有効な方法なのである。
 ……あ〜、そこのアナタ、また職場で何かあったな、とか、勝手に憶測しないようにね。まあ、あったんだけど、そこは突っ込まないのがマナーってもんです(^o^)。


 ……とまあ、こんなことを考えてたのも、この本読んでたからなんだけども(^^)。
 山本弘『こんなにヘンだぞ!『空想科学読本』』(太田出版・1365円)。
 いまやチマタで大論争の柳田理科雄『空想科学読本』の批判本なんだけど、山本さんのHP、「SF秘密基地」でも、先刻から何度もBBSを賑わせてるんだよねー、トンデモさん同士が(^_^;)。
 『空想科学読本』シリーズのほうはしげが毎回買ってくるので、一応、何となく全冊読んではいるんだけれど(感想はいちいちアップしてません。私が読んだ本をいちいち全部日記に書いてるかと思ったら大間違い)、よく批判されてる「愛がない」って批判以前に、「芸がない」というのが正直な感想。
 腹が立つほどのものでもないので、無視してりゃいいじゃん、と思ってたんだけど、まさか山本会長がこれだけご立腹されてるとは。\(°o°;)/
 ノストラダムス本批判の時もそうだけれど、山本会長、ある一定以上の読者がクズ本についちゃうと、「このままでは正しい知識が伝わらなくなる!」と義憤を感じられるのだね。でもその「批判されてる」状況がまた、クズ本に脚光を与えて読者を増やし、結果、「山本弘の言うことより、柳田理科雄の言うことの方が正しいんじゃない?」という読者も増やすことになってるのだから、逆効果の面もあると思うんだけれど、ホントに心底マジメな方だから、もう止まらないんだろうなあ。……まず確実に『空想科学読本』シリーズ、4巻まで来てりゃ発行部数自体も落ちてるし、ほっといて数年後に笑い飛ばした方が無難だと思うんだけどねえ。
 同人誌でご一緒させて頂いた縁から言えば、山本さんのヒイキをしたい気持ちもあるのだが、ただやっぱり批判するにしても、もちっと「芸」がほしかったなあ、というのが正直な印象なのだ。
 山本さんに対しての批判の代表的なものは、
 1、「山本会長の科学的知識にも間違いがあるので、柳田氏を批判するのは目クソが鼻クソを笑うようなもの」
 2、「批判をするのに、その説ばかりか、作者個人の人格攻撃をするのはいかがなものか」
 3、「売れてる本に便乗するな」(^_^;)
 というものだろう。
 どれも実は批判と言うよりはただの難癖だ。
 1のような「山本会長のミス」についての批判はもちろんあってしかるべきだろう。事実、山本会長自身も執筆後にミスがあったことを認めている。ただ、「山本会長の本にもミスがあったから、柳田理科雄の方が正しい」とか、「山本会長の本は読むべきではない」という方向に批判者が持っていこうとするのは筋違いだ。批判者がトンデモさんだと、すぐそういう方向に暴走するのよ。
 2についても、批判者は、「なぜ個人攻撃がいけないのか」について、アタマを使って批判してはいない。柳田さんの執筆姿勢そのものを山本会長は批判しているのだから、「個人攻撃をするな」というのは、「本を書くな」というのと同義だ。そっちの方がよっぽど個人攻撃だし、ただの言論弾圧である。実際には、個人攻撃は行わなきゃならないときには行わねばならなくなるものだ。私のこの日記に対してだって、「書いてる姿勢に問題はないか」って思ったら批判は自然と私個人への攻撃になるでしょ?
 3については、まず間違いなく、そんな意図は会長にはないよ(出版社にはあるだろうけど)。会長、マジメ過ぎなだけだから。でなきゃ、自分の小説の執筆時間も削られるってのに、「本書で取り扱えなかった『空想科学読本4』の誤りについては、次のHPでフォローしています」なんて後書きに書いたりしねーよ(^_^;)。
 まあ、私がこの本にツッコミ入れるとしたら、102ページのイラスト、ギャオスのスーツの中に入ってた亀山ゆうみさん、タンクトップ着てるけど、ホントはアタマからすっぽりボティスーツ着てたんだぞ、とか、別にしなくてもいい程度のものだな(^^)。いや、そんな野暮な批判、しませんて(^_^;)。
 柳田理科雄の肩を持つ人ってのが、かつて『空想科学読本』に騙された経験のある人じゃないか、という想像は容易につく。自分が信じていたものが否定されれば、ムキになるってのはよくあることだ。それが「洗脳されてる」って証拠なんだけどもね。
 どっちもどっち、と考えてるのなら、そもそも批判自体、書く必要がない。これも某氏が某所で語っていたことであるが、「小林よしのりを擁護する方も批判する方もトンデモ」同様、この論争に関わること自体、「トンデモ」になっちゃうんである。
 ……しまった、ちょっとだけ関わったか?(゜゜;)/ギク!


 しげとよしひと嬢、つぶらや君、3時になってようやく帰宅。
 映像編集が終わらないので、これからまだ作業するとか。……この時間まで寝ずに待ってたってのになあ。
 「……寝ないのかよ」
 「寝るよ」
 と答えつつ、しげ、全然、寝ない。
 三人とも、神経が高ぶっているのがアリアリと分るので、まさしく、触らぬ神に祟りなし、である。寝る場所がないので、隣室の本棚のスキマで寝る。
 もう、ケガはどうしたと言う気もない(-_-;)。

2001年05月05日(土) 東京ドドンパ娘/葛飾柴又寅さん記念館



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藤原敬之(ふじわら・けいし)