無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2001年05月05日(土) 東京ドドンパ娘/葛飾柴又寅さん記念館

 東京旅行最終日。で、子供の日兼端午の節句。
 昨日、博品館では鯉に乗ったミッキーマウスだの、金太郎の格好をしたスヌーピーなんかを売っていたが、これ、案外海外のコレクターにとっては貴重なアイテムになるかも。

 今日もピーカン。でも東京は福岡ほど暑くない。年間平均温度では、確か一、二度だけ福岡の方が高かったはずだ。東京は今が一番しのぎやすいころかも知れない。

 ……いい気候だというのに、寝冷えしたせいか、朝っぱらからしげが「気分が悪い」と言い出す。
 夕べも布団を蹴飛ばして寝ていたので何度も掛けてやったのだが、結局ムダだったようだ。
 自宅にいてさえセルフコントロールが下手糞で、病気になっても「退屈だよう」と駄々をこねてうろつきまわり、かえって病状を悪化させることが多いのだが、まさか旅行中に具合を悪くするとはなあ。ホントにペース配分ができないやつだ。
 「たっぷり8時間寝てるのにどうしてダルイんだよう」と嘆いているが、ヘソ出したままそれだけ寝てりゃ、具合も悪くなろうってもんだ。今更、途中で旅行を中止するってわけにはいかないので、無視する。


 今朝もやっぱりこうたろう君は朝食を用意してくれている。
 今更断ることもできず、開き直ってタカリ魔になった我々夫婦は、出されたパンにぱくぱく食らいつく。
 ああ、チーズパンが美味い(*^。^*)。
 こ、このままでは済まさないからな、福岡に着たときには逆に山積のパンで迎えてやるぞ。
 ふと、目の前の空中を不思議な物体がス〜ッと通りすぎて驚く。
 「とっとこハム太郎」のヘリウム風船だ。
 「昨日プレゼントにもらったやつだよ。重りでちょうど空中に浮くようになってるんだ」とこうたろう君が説明。
 そう言えば娘さん(こうたろう君が「キノコ」でいいよと言うので、今度からそう書きます)は「ハム太郎」の大ファンだった。
 ヨタロー君がすぐぽんぽんと叩くので、こうたろう君が「そういうのイジメだから止めなさい」とたしなめている。
 この手の風船は当然私の子供のころにはなかった。今更このトシになってほしがるわけにもいかないので私も買うことはないが、案外こうたろう君本人が喜んでるのではないか。
 しげもなかなか気の利いたものを買うものである。

 今日で旅行は終わりなので、余り遠出はせず、こうたろう君の家の近所の名所を回ることにする。
 で、それがどの辺かって言うとね、なんと寅さんと両さんで有名なあのあたりなわけですよ。
 私だって、大学時代は東京に住んでいたのだが(しかもあの狂乱の80年代に!)、大学と神保町の古本屋街以外にはほとんど出歩かないという実にもったいない生活をしていた。
 おかげで実は柴又帝釈天に行くのも今日が初めてなのであった。ああ、恥ずかしい。
 驚いたことに帝釈天は実に狭い。参道も狭いが、境内も狭い。なんだかだだっ広い気がしていたのはやはり映画のマジックか。
 「神社じゃねえんだからお参りってのは変なんだけどな」とこうたろう君。
 「神仏習合じゃねえのか? 七福神祭ってるし」と私。
 こ承知の通り、七福神は神道仏教の神様仏様の雑煮状態である。建物の造りがいかにもタクミのワザ風で、よく見ると柱の飾りが狛犬に獏。規模は小さくとも、いや、逆に小さいからこそ、造形的にはノートルダム寺院のガーゴイルにも負けてないのではないか。

 帝釈天を抜けて矢切の渡しへ。
 細川たかしのイメージはカケラもない(当たり前だ)、実に田舎びた渡し舟。
 草の生えた普通の川岸に、申し訳程度にひょろりとつき出している細い板の上を渡り、無造作に差してある澪標の間を抜けて、10人乗れば満杯の舟に乗り込む。
 乗客が多いときにはさっさとモーターで行くという話だが、今日は朝も早く、船頭さんはゆっくりと櫓で漕いでいく。
 こうたろう君、「鬼平の世界だねえ」と呟く。
 江戸情緒が味わえる、という点では確かにこれは貴重な船だ。モーターボートでいくんじゃ情緒もへったくれもないと思う人もいるかもしれないが、ナニ、「田舎もんがこんなとこまで観光に来るんじゃねーよ、めんどくさいからモーターでさっさといっちまうぜ」という感覚が江戸情緒なのである。
 で、渡った向こうは千葉県(^^)。見渡す限りの山と田圃である。
 田舎もんはさっさと千葉へ行ってろ、という感じも実にいいなあ。
 更に土手を降りて川をひとつ越えて歩いていくと、『野菊の墓』の記念碑があるそうだが(そうか、あれは千葉の話だったか。つまり松田聖子は久留米の田舎から出て来て千葉で名をあげてアメリカに行きそこなってポシャったと言うことだな)、しげが疲れそうなのでそこまで歩くのは控える。
 再び矢切の渡しを渡って、東京へ戻る。今回の旅行は一都一県に渡る旅行だったな(^o^)。


 「葛飾柴又寅さん記念館」、まずは入口の寅さんが館名の看板文字をとりつけそこなっている銅像がおかしい。
 撮影に使っていた「くるまや」のセットをそのまま移設しているが、ここで団子を注文できればもっと楽しいのになあと思う。
 寅さんの映画シリーズを見ていた人ならご承知の通り、「くるまや」はむかし「とらや」だった。実際柴又には「とらや」という団子屋があり、どうやらそこからクレームがついて変更されたらしいのだが、それが40作目のこと。なにをいまさらという気がして理解に苦しむ。
 「とらさんに戻ってきてほしいからとらや」だったはずなのに、これでは寅さんがかわいそうだ。
 渥美清晩年の十作ほどは、渥美さんの病状が画面から見えるばかりでなく、映画の造りそのものが「松竹の看板作品だから」という「延命措置」がされている様子が露骨過ぎて、脚本も演出も雑の一言に尽き、余りに痛々しく、私は未だに見ていない。
 森川信もいない。
 笠智衆もいない。
 太宰久雄もいない。
 吉田義夫もいない。
 なんでこんな寂しいシリーズを続ける必要があったのか。
 私は『となりの山田くん』でジブリが松竹に大損をさせたのは、隠れ寅さんファンであるジブリの松竹に対する復讐ではないかと睨んでいる。

 記念館を見て歩く間中、こうたろう君、寅さんの真似をして「おう、相変わらずバカか?」とか言いながら、解説をしてくれる。受け答えをしてあげたいが私がさくらの真似をするわけにもいかない。
 柴又の帝釈天のミニチュア、記念館のスペースがもっと広く、これが「たてもの園」のように出入り自由だったらもっとよかったのに、と考えるのは欲かな。

 売店の「下町や」で、Tシャツを買う。しげとペアで、「労働者諸君!」「貧しいねえ、君たちは」とどでかくプリントしてある挑戦的なもの。これを着て中洲あたりを歩いていたら誰ぞから因縁をつけられそうだが、気に入ったモノは仕方がない。
 親父への土産になるものがないかな、と物色していると、こうたろう君が森田憲次のイラスト付きの寅さん標語集を「お父さんへのお土産に」と買ってくれる。
 「いや、もういいよ、それくらい自分で買うから」と言うが、「いいんだよ、親孝行の真似事がしたいんだよ」とこうたろう君。
 そう言えばこうたろう君のご両親はなくなっていたのだった。
 ち、ちくしょう、私を泣かす気だな、そんなこと言われたら断れないではないか。帰ったら親父には早速「相田みつを」を外して「寅さん」を掛けるように言っておこう。

 参道の「川千家」でうな重を食べる。福岡のより随分うす味だが、これでもこうたろう君には濃いという。私はこれくらいの味のほうがウナギの味がしてちょうどいい。ウナギをゆでただけの料理もつまんでみたが、くにくにした食感が面白い。
 ここでこうたろう君、私の昔の恥ずかしい話をしげに散々暴露する。
 エロビデオ上映会を「俺、彼女いるし」と言って見なかった話とか。青春(バカ)野郎だなあ。今なら絶対見てるんだが。
 ここでも食事をおごられっぱなしである。
 しげに「なんでさっさと出さないんだよ」と耳打ちするが「だってこうたろうさん早いんだもん」と、聞きようによってはとっても危険かつ失礼な会話をする。
 「東京の人は先に出したがるってホントだったんだ」としげは感心していたが、自分が人並み以上にトロイという事実を忘れちゃいないか。

 帰りに「ビッグ・フット」(店名の由来はやっぱりアレかな?)という玩具屋に寄って、例の「ゴジラ名鑑」や「百鬼夜行」シリーズがないかと探すが、ゴジラはもうなく、「百鬼夜行」は定価の二倍の値段をつけている。ちょっと腹が立ったので何も買ってやらないことにする。
 でもショーウィンドーに飾られていた30センチほどのゴメスのフィギュアは前傾姿勢で、うねった尻尾もリアルで、ちょっとほしくなってしまったのであった。
 ベムラーのフィギュアも前傾姿勢だったが、こうたろう君は「ベムラーはあのひょろっと突っ立ったところがいいんだよ」と拘りを見せる。ふと気付くとしげが退屈そうにしているので、オタクな会話はこの辺で打ち切る。しげも相当オタクなんだが、ウルトラ第一シリーズをリアルタイムで経験してきた世代の思い入れにはついて行きにくいだろうからなあ。何しろしげのウルトラ初体験は『80』なのである。
 こうたろう君、ヨタロー君にウルトラマンのガシャポンを買ってあげるが、これにウルトラマンが入っていなかったためにもう一度買いに行かされる羽目になるのであった。……生まれ変わったら私はこうたろう君ちの子供になろう。っていつだよ。


 午後から、こうたろう君のご家族も一緒に、日の出桟橋からハーバークルーズで東京湾一周。3階建ての、思ったよりでかい船で、600人乗りだとか。
 時間になると同時にこうたろう君たち、屋上まで上るが、これはしげが外の方が好きだろうと気遣ってくれたのだろう。ありがたいことだ。
 出発が連絡の関係からか遅れたが、船好きのしげは具合が悪かったのが本当か、と言いたくなるくらいにはしゃいで、船上を走りまわり、スクリューの回転を飽きもせず眺めている。
 私は下手に動くと酔うことが解っているので、ここではひたすら休憩モード。一日のうちこういう休憩タイムを入れておかないと、からだが持たないトシになっているのだ。

 そのあとパレットタウンに移動、残念ながら1時間待ちで大観覧車には乗れなかったが、トヨタ自動車のテーマパーク、「MEGA WEB」はまるで万博のパビリオンのようで、新しくて懐かしいのであった。
 自動車が本当に「自動」で動き、運転の必要がなくなれば、事故も渋滞もなくなる。そういう未来が、確かに実現可能なところまで来ている。21世紀はホントに来たのだと思うと嬉しい。

 車で羽田まで運んでもらって食事。
 しげ、本気で具合が悪くなってきていて、薬を買いに行かせるが、薬を買わずに土産を買っていた。バカだねホントに。なぜそこまで無理をするか。
 意識も朦朧としていたのだろう、食事をしたレストランに荷物を忘れて探しにいくひと騒動もあった。いつものケチのかたまりのようなしわん坊のしげなら、自分の荷物を忘れるなんてことは絶対にない。
 でも、また無理をしてしげは展望台までついていくのであった。

 東京の夜景はすばらしい。ここで実は密かに持ってきていた双眼鏡がやっと役に立った。葛西の大観覧車のイルミネーションが刻々と変化するのを30倍ズームで見る。
 でもこれが今回の旅行の見納め。
 こうたろう君ご一家も、我々に付き合うのは本当に疲れたろうに申し訳ありませんでした。お土産もたっぷりいただいてしまいました。特にコンタロウの『MAD☆キャラバン』をいただけたのは最高に嬉しかったのでした(あんな名作を廃品回収に出そうとしないように)。
 次回はもう少しおカネを貯めて、ホテルにも泊まり、余りご迷惑をかけないようにします。
 お互い、無理な気遣いはしないようにね。


 帰りの飛行機は5分遅れただけで無事に出発。
 飛行機の中では二人とも疲れ果てて寝る。このころから私も、しげの風邪が移ったらしく、だんだん体がダルくなってくる。
 明日一日休みを残しておいてよかった。
 とりあえず、あとは何も考えずに寝よう。



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