無責任賛歌
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| 2002年02月20日(水) |
福岡演劇事情/『KATSU!』1巻(あだち充)/『サムライ・レンズマン』(古橋秀之)ほか |
福岡には「ももちパレス」という演劇・コンサート専門の劇場がある。 名前通り、百道(ももち)にあるんだが、「よかとぴあ」が開かれる前には、この百道ってとこ、ただの海水浴場で、そんなに年がら年中賑わってたとこじゃ無かった。 今やホークスタウンが出来て、福岡の集客率ナンバーワンかツーかってとこにまでなっちゃったんだけど、そうなる前から、私はときどきこの「ももちパレス」に行っていた。 もちろん、演劇の公演を見に行くためにである。 夢の遊眠社の『半神』の福岡公演もここで見た。あのころの野田秀樹はおもしろかったなあ。 東京の名だたる劇団が福岡公演を打つ時には、たいていここを使っていたのである。というか、20年以上前になると、福岡で演劇が上演可能なところと言ったら、少年文化会館(高校演劇大会の類はたいていここで上演される)か、福岡市民会館(歌舞伎や新派はここを利用することが多い)か、郵便貯金会館(現在のメルパルクホール福岡。単発の公演はここが多い)くらいしかなかったのだ。 しかもこれらは全て「演劇専門」というわけではない。 「ももちパレス」は、演劇人にとっては、「唯一」福岡で本格的な演劇を見せることのできる劇場だったんである。 しかし、今、福岡の演劇事情はぐっと変わった。 大劇場、といった感じの施設が、この20年で立て続けに建てられれていった。 博多埠頭の「福岡サンパレス」を初めとして、「大野城まどかぴあ」や、川端の「博多座」、住吉キャナルシティの「劇団四季福岡」。 「宗像ユリックス」はちょっと遠いけど(なぜか三谷幸喜の芝居はここが多い)。 これらと競合するのに、「ももちパレス」は福岡都心部からいかにも遠かった。なにも百道くんだりまで行かずとも、公演が打てるようになったのである。と宇今日の劇団は、こぞって福岡都心部に公演の拠点を移した。 必然的にももちパレスは寂れて行く。百道自体に客は集まっていたが、魅力のない芝居にまで足を伸ばす客は少なかったし、たまにいい公演をやっても、ホークスタウンに集まる野球バカどもは、演劇を見るような知性をカケラも持ち合わせてはいなかったのである。 で、ついに決まっちゃったわけだ。 ももちパレスの廃止が。 昨日、2月19日、特に公演があるわけでもないのに、仲代達矢・山本圭・栗原小巻の三氏が福岡市庁を訪れた。 ももちパレス存続の陳情である。 俳優座や無名塾、実は毎年のようにこの「ももちパレス」で公演を打ってたんである。 福岡に住んでる人でも意外と知らない人多いんだよねー。 理由は簡単。 平日、火・水・木の三日間とか、そんな集客率がいかにも悪そうなときしか上演しなかったからなんだよ。 どうして土・日を避けたかって? 避けたわけじゃない、土・日は予約がいっぱいで、公演打とうにも打てなかったんだ。 どこぞの婦人会の日舞の発表会とかのせいでな。 それでも仲代さんたちはしょっちゅう来てくれてたんだよ、福岡に。見に行きたくてもいけなかったけどさ。 なのに廃止だ。 あくまで「ももち」に拘ってた仲代さんたちが改めてほかの劇場を探すのには骨が折れる。下手をしたら、福岡公演自体を断念しなきゃならないことだってありえる(福岡にプロデュース公演は多くても劇団の巡業が少ないのは「ペイしない」ってのがやっぱり大きいんだよね)。 だから陳情に来られたというのも、おカネのことよりもなによりも、「福岡の人たちに芝居を見てもらいたい」っていう心からの気持ちなんだろうけど……。 いくら市に陳情してもねえ、いったん廃止が決まったものをそうそう取り消しはできないんじゃないか。 おそらく、というか確実に仲代さんたちの陳情は無視されるだろう。 政治的に動いてどうにかさせるってこと、演劇人はホントに不得意だ。
ちょっとおカネがはいったので、仕事帰りにしげとラーメン屋で食事。 なんの気なしに入った店だったけど、餃子とラーメンが意外においしい。 しかも、なんの記念日なんだかわからんが、この店、今日に限ってラーメンが半額! つまり、二杯食ってもおカネは一杯分! あのね、アナタ、300円のラーメンが150円で食べれるとですよ、こげなうれしかこつ、ありまっしぇん(T∇T)。 おかげで、つい、替え玉をしてしまう。 カロリーめちゃ高いのに。 ここんとこ確実に胴回りが太くなってんのに。 でもラーメン、うまかったんだよー。 餃子はしげにはイマイチだったみたいだけど。全くどうしてそんなに餃子にだけはウルサイのだ、贅沢者め。 ああ、次の検査の結果がコハヒ……(自業自得だっつーの)。
アニメ『ヒカルの碁』第十九局「ヒカルの実力」。 あっ、やっとヒカルのじーちゃん登場。 本当なら第1話で登場しとかなきゃならないのにカットされてたものな。もしかしたら監督交替って、そういう原作改変に対する抗議が強かったせいもあるのかも。 けどまたちょっと作画が荒れ出したな。 それでも各話ごとの差がそれほど激しくないから、まあ見れるけど。
コンビニに寄って、原作マンガの方も見てみるが、小畑さん、絵がさらにうまくなってるのがよくわかる。今の絵で連載初期のシチュエーションをもう一度描くとああなるのね。いやーアキラくん美しいわ。 原作者のほったさん、第2部のために韓国の取材をしてるってことだけど、やっぱりこれからは「ヒカルVSたくさんの棋士たち」編になるのかな。
夜、東京のこうたろうくんから「ジブリ美術館のチケットが取れたよ」と電話。 ははは、これでたとえシティボーイズのチケットが取れなくてもゴールデンウィークの東京行きは決定だ。 それはいいんだが、問題は交通費。 少しでも安く上げるにゃどうしたらいいかしげに調べてもらったんだが、ともかく連休を外せば一人いちまんえん以上得するんだそうだ。 つまり、東京には4月の27、28、29と行く予定なのだが、26日の夜に出かけて、30日の朝一番で帰れば、飛行機代がそれだけ浮くのである。 しげはそうしないか、としきりに誘うが、そうなると、30日に仕事を休まないといけなくなるし、はて、どうしたものか。 「あのさあ」 「なに?」 「そうやって、飛行機代を浮かせるのはいいけど、その分、宿泊費がかかるわけじゃん。それはどうすんの?」 「だから、飛行機代が安くついた分より安いとこに泊まるの」 「たいした差がないんじゃない? それなら前日に多少高くても早目に帰ったほうがよくない? 仕事前に休めるし」 「いいと? どこも回れんよ?」 「回れんも何も、俺が行きたいとこに絶対行かせてくれんやん。それじゃ余計にいたって意味ないし」 「そんならいいよ、一人で行けば!」 だぁかぁらぁ、そこでどうして拗ねるかなあ。 もっとも、その私の行きたいところが「神田神保町古本屋巡り」であることが問題なのかもしれないが。 ちょっとこの件はもう少し話がもつれそうである。
もう習慣になりつつある深夜のチャット。 なぜか今日は「貧乏メシ」話で盛りあがる。 「ご飯に醤油だけで食ってた」程度はみんな経験してるんだなあ。どうしてみんなそんなに貧乏。 私の場合、大学時代に貧乏だったのは、生活費を削って本と映画におカネをつぎこんでたせいなんで、同情には値しないんだが。 「カップラーメンを水だけで食う」とかもみんな実験してたんだねえ。でもあれ、まずいだけだから、まだ舐めるだけの方がましなんだけど。 「齧っちゃダメ、舐めるべし!」と書きこんだら受けた。 ……実践理性は純粋理性を凌駕するってか? 「ここのメンツはサバイバルになっても生き残れるなあ」の書き込みに、「でも健康管理ができずに死ぬ」のレスがついたのに爆笑。 このホームページを本にして売ったら売れるんじゃないかとの意見も出てたが、さて、管理者の方がそんなしちめんどくさいことをされるかどうか。 それに、こういう会話をだけに知られることもなく、参加者だけが共有する楽しみ、そういう一種の「特権意識」ってのも楽しかったりするんである。 例えて言うなら、悟りを開いた仏陀が、「こんなステキなこと、人に教えたくないな!」としばらく悟ったことを隠してた心理につながるような(聞くだにインケツなオヤジだな、仏陀って)。 「究極の贅沢」ってやつなんだよね。チャットって。
マンガ、あだち充『KATSU!』1巻(小学館・410円)。 ボクシングものかあ。 前にもやったぞ、『スローステップ』だったっけ。 また、二番煎じでいいのかあだち充……と言っても、今更あだち充がどう作風を変えればいいのかって言われりゃ答えようがないね、やっぱし。 実際、ちょっとでも「いつもと違う」ことしようとすると人気出なくなるものね、あだちさんの場合。 私の好きなあだち作品は『虹色とうがらし』と『いつも美空』だったりするんだが、前者が11巻、後者は5巻で打ち切られた。結構描いてるじゃんってことにゃならんのだよねー、なんたって20巻、30巻出すのがフツーの人だから。 で、この二作に共通してるのがSFだってこと。 別にSFとしてイマイチってほどでもないから、やっぱり「あだち充とSFのイメージが合わない」という読者の思いこみのせいで人気が出なかったんじゃないかなあって気がする。 でも、作家のイメージをこうって決めつけるのって、その人の幅を狭くさせるだけだ。ちょっとくらい違和感を感じたって、ある程度自由に描かせる度量が読者の側にもないと、本当はこれから面白くなるはずだったせっかくの作品を、充分に楽しめないままに終わらせちゃうことにもなりかねない、それってすっごくもったいないぞ。 その点、今回はSFのエの字も出て来ないから、それなりに人気は出るんじゃないかな。結局スポーツラブコメしかあだち充には要求されてないのかと思うとさびしいけど。
好きな女の子とお近づきになりたい……という極めて不純な動機で、その子の父親の経営するボクシングジムに通うことにした高校1年の里山活樹。 けれど意中のその子、水谷香月は、父親嫌いが高じた大のボクシング嫌いだった……。 展開としては、活樹の意外なボクシングの才能が目覚める……って感じになるんだろうけど、結局は天賦の才能があった、みたいな展開、あまり好きじゃないんだよなあ。 才能とか努力とか、そんなもんをいちいち付与しなきゃ、人は人を好きになる資格がないってことなのかね。その人の性格さえありゃいいんじゃないの? ……って感じのマンガを描いてたころのあだちさんの方が好きだったな。 実は、「なんの才能もない、優しいというより優柔不断、さらにスケベで、スポーツや勉強の取り柄もない」男の壺がなぜかモテるって話、あだちさんは一つしか描いたことないんよ。 それが『みゆき』なんだね。 この話の活樹も、ボクシングの実力が全然伸びなかったらいいのにな。伸びたらその辺のよくあるボクシングマンガと同じになっちゃうし。 ……と言いつつ私は『はじめの一歩』は全く読んだことがないのであった。
古橋秀之『サムライ・レンズマン』(徳間デュアル文庫・770円)。 うおおおおお! おっ、おもしれええええ! いやもう、びっくりしちゃったっつーかなんつーか、次のページをめくるのがもどかしい小説に出会うのなんてひっさしぶりだよ、ヤマちゃん(誰やそれ)。 いや、実のところ、そんなに期待して買ったわけじゃなかったんだよね、この本。 スペースオペラの金字塔、E・E・スミスの『レンズマン』シリーズは、確か中学生の時に少年向けにリライトされたSFシリーズ(当時の少年たちはたいていそれでSFに触れたんだがどこの会社の何というシリーズだったか忘れた)で一冊(多分『銀河パトロール』)を読んだだけで、全作は読んでない。中味も忘れた。 どっちかと言うと、私は日本初のCGアニメと言われた(^o^)映画版『レンズマン』やその続編のテレビアニメシリーズ、コミカライズ版の村野守美や三浦みつるのマンガで、レンズマンシリーズには触れている。どれも「若き」キムボール・キニスンが成長していく物語で、筋は殆ど『スター・ウォーズ』(と言っても『レンズマン』の方がモトネタなんだけど)。 ああ、あと、あれも読んだな。栗本薫のパロデイ『エーリアン殺人事件』。主役の名前はゴールデンボール・キニスン。ベッタベタやがな。 まあ、薫ちゃんはどうでもいいんだが(^^)、こういう「元祖」スペースオペラが、「日本で」アニメになったりマンガになったりってのは、当時なかなか不思議な現象だった。『キャプテン・フューチャー』なんて、NHKでアニメ化されてたんだもんなあ、出来は最悪だったけど。 けれど、『レンズマン』のアニメの方は、初期のCGのどうしようもなさを除けば、割合よくできていた。テレビシリーズが作られたのも宜なるかなである。 でなければ、この『サムライ・レンズマン』、買おうなんて気にはならなかったろう。 ……でも、まさか一読三嘆、もう次の作品が読みたい! なんて気にまでさせられることになろうたぁね。 ホントに瓢箪から駒、予想もしてなかったことだったんである。
だいたい、このタイトルだけ見たら、ああ、『レンズマン』のパロディかって思うでしょ? いかにもパチモン風だし。 ちっちっち(人差し指を立てて横振り)。 違うんですよ。 これ、ギャグでもなんでもありません、至極マットウな小説……っつーか、「正統な」小説だったんですよ。 どういう意味かって? ふっふっふ、知りたいでしょう。 わかりました、教えましょう、けどね、けどね、これは、私と、あなただけのヒミツですよ、誰にも言っちゃダメですからね(……それは……無理だろう)。 これね、この『サムライ・レンズマン』ね、なんと、なんとなんと、アチラの『レンズマン』の権利持ってるエージェントとちゃんと契約して書かれた、「正統な」レンズマンシリーズの続編だったんですよ! ……驚いた? 私も驚きました。
あのキンボール・キニスンが、クリスが、ウォーゼルが、バスカークが、ふたたび悪の宇宙海賊ボスコーンと戦うために集結する! そして、銀河パトロールの新しきエース、タイトルロールにもある通り、武人であり、群がる敵を振れることなく投げ飛ばすアルタイル柔術の使い手、己の道を、剣の道を極めることにその命を賭ける、新しきグレー・レンズマン、シン・クザク! しかもねえ、しかもねえ、これがなんと「盲目の美剣士」なのよ! それって、つまりさ、アレだよ、ね? う、「宇宙の机龍之助」! アニメ世代には、『ルパン三世』の石川五右衛門がよりストイックに、かつニヒルになって登場、と言ったほうがピンと来るかな。 いやもう、「どっひゃー!」だね! こんなとんでもないアイデアを思いつく作家がいようとはいようとはぁ! もう、このカッコよさをどう説明したらいいんだろう!
恒星トランジア。 要塞ビルに篭城する麻薬業者を前にして、若きレンズマン、銀河パトロールのウィリアム・モーガンは途方に暮れていた。 そこに突然、衛星軌道上からレンズを通じて、もう一人のレンズマンからテレパシーが送られてくる。 「今から突入する」 耳を疑ったウィリアムの目の前で、まさしく宇宙から「垂直落下」してくる一つの物体! あれこそが装甲宇宙服に身を固めたシン・クザク! 「余計な手出しは無用」 轟音とともにビルに墜落! そして、ウィリアムが中に駆けつけた数分後には、シンは、既に麻薬業者の組織を壊滅させていたのであった。
くううううう、かっこえええええええ! いや、この後もいちいちストーリーを紹介していきたいが、それでは未読の人の興味を半減させてしまうことになる。 後はぜひ! そのおもしろさをご自身の目で確かめてほしいのだ。
でも、もうちょっとだけ言わせてもらえれば、ヒロインのキャット・モーガン、この子がもうとんでもなくイイ! いくつもの種族からなる多種族混成姉弟の長女、一人で何人もの妹弟たちを育てていかなければならないために、隕石工夫の仕事につき、すっかり男勝りなケンカヤロウになった。 けどな、定番かもしんないけどな、そういう子だからこそ、優しさの本当の意味を知ってたりするもんなんだよ。 彼女の啖呵を聞いてみれば、そこに人への思い、人の心を踏みにじるものへの怒り、それが思いっきり溢れてることに気がつくハズだ。 ああ、もう、抱きしめたいぞ、キャティ!(勝手に愛称で呼ぶなよ)
ところでシン・クザクって漢字で書くと「孔雀真」?
2001年02月20日(火) 女房の家出/『× ―ペケ―』1〜3巻(新井理恵)ほか
| 2002年02月19日(火) |
さだまさしファンだったことが恥ずかしくて言い出せないやつ多いと思うぞ。……私もだ/『シックス・ボルト』(神野オキナ) |
きょうのお仕事。 シュレッダーの前に椅子を置いて座る。 要らなくなった書類をどんどこぶちこむ。 うぃーん、ばさばさばさ。 ときどき詰まるので、ペン先でほじくり出す。 ほじほじほじ。 また、うぃーん、ばさばさばさ。 急に機械が、へにょにょにょにょ、と止まる。 「ごみがたまりました」の表示。 ゴミをビニル袋に入れてまとめる。 機械が止まると、途中まで突っ込んでた紙がまた詰まってしまう。 ほじほじほじ。 またまた、うぃーん……。
これで一日は終わり。 全く、忙しいんだかヒマなんだか。
さて、みなさんに、ここでクイズを出そう。 大修館書店の『言語』という雑誌に、投稿されてた質問だ。 「氷やドライアイスから立ち上るあの白い気体、名前は何というでしょう?」
かち。 かち。 かち。 かち。 かち。
ちーん。
さて、君の答えは何かな? 靄(もや)? うーん、それは水面に立ちこめてる気体のことだね。ちょっと違うなあ。 霞(かすみ)? 霧(きり)? それも山とか平野とか、広範囲なところに一面、立ちこめてるって感じだよね。
では、正解を言おう。 「ゆげ」である。
氷のゆげ? どうして? 「ゆげ」って「湯気」って書くんでしょ? 氷から出てるのに湯気? 変じゃん! ……というみなさまの声が聞こえてくるようだね。 でも、これホント。 ちゃんと『日本国語大辞典』に書いてあるんだよね。氷から立ち上る白い蒸気のことって。
それでも納得いかない人のために、じゃあ、もう一つの正解を教えよう。 「けむり」である。
ケムリって、火が燃えたら出るやつじゃん! 漢字だって「煙」って「火へん」がつくぞ! もっと納得いかーん!
でも、中国語でも「煙」の字をアテてるんだよね。 要するに、「それを出すものが何であるか」ってことは全く昔の人は気にしてなかったってことなんだね。 白くて気体だったら、それは全部「ケムリ」。 コトバが意味を正確に伝えるものなんかじゃないってことが、こういう実例からもよくわかるねえ。
アニメ『しあわせソウのオコジョさん』第20話「ツカハラ、夢の日々/オコジョ番長!日直編」 。 たまにしか見ないんで今まで気がつかなかったけど、アニメのオコジョさん、「コジョピー」って名前がついてるのね。 原作では確かナナシだったと思うけど。 原作が短いから、1話にするのにいろいろアレンジ加えてるけど、どっちかっつーと、面白くないギャグを面白くしようと腐心してるようにも見えるな、原作者には悪いが。 でもまあ、オコジョに日直をさせるのは無理がある……と考えたところで、あっ、これって、何かのパターンに似てると思ってたけど、小林まことの「What's Michael?』じゃん、とやっと気がついた。 うーむ、おもしろくはあるけどイマイチハマれんなあと思ってたのは二番煎じだったからか。納得。
夜、しげが、「もやしマヨネーズ、自分で作っても全然おいしくならん」とブチブチ文句を言うので、湯がいて、よく水を切ってメシに乗せてつくってやる。 「どうだ? うまいか?」 「……うまい」 やっぱり作り方がザツなだけだな。
更に目玉焼きに生姜焼肉、ごま塩フリかけのおにぎりを作ってやる。 「食べ終わったら、皿渡せよ」 「ああ、わかった」 この「食べ終わったら」というのは、私は「自分の分を食べ終わったら、残りを渡せ」と言う意味だったのだ。だって、目玉焼きも二つ、生姜焼きも山盛り、お握りも四つ作ったのだ。 普通、これ見りゃ「二人分」と誰もが気付くと思う。 でも「はい、食べたよ」と返されたのは、カラの皿。 「……オレのは?」 「……ああ、ゴメン、全部食べた」 すぐ謝ったから許したけどさあ(しげが「謝っても許してくれない」と私のことを非難するのがウソだということがこういうところでもわかる)、でも気がつけよな、量見て……って、考えてみりゃ、日頃から二人前三人前をペロリと平らげるしげに「二人分」という感覚がないのも当然だったのだ。 宴会とかじゃ、ネコかぶって少食のフリするくせに。かぶらんときもあるからもうバレてるか、こいつの本性。
ニュースを見ていると、宮崎駿が、金熊賞の受賞記者会見で「自分の映画が子供をダメにしてる」と発言。 わあ、また例の「宮崎節」だ。 もちろん、こんなことを宮崎さんが本気で考えてるわけないんで、だったらとうの昔にアニメーター辞めてるに決まってる。 世間じゃこの宮崎さんの「言ってることとやってることが違う」ことに反発してる人も多いようだが、なあに、昔からのファンにはこのテキトーぶりが楽しいんですって。 だって、『やぶにらみの暴君』パクリまくっときながら、「今の若いアニメ作家はみんなコピーのコピー」なんて言っちゃう人ですもん。お前はオリジナルマモーか。 もちろん、宮崎さんにホラ吹いてるって自覚がないわけがない。あの無責任さ、テキトーさは明らかに確信犯なんである。 あのさ、植木等の無責任男、公共の場では「これからのニッポンはぁ」とか、必ず大層なこと言ってたよね、あれと同じなのよ。あるいは『炎の転校生』の伊吹。 「心に棚を作れ!」 自分を棚に上げずに、ものが言えるか! ってのがモットーみたいな人なんだから、我々はそのいい加減さを楽しんで見てりゃいいのである。 ……ジブリのスタッフは大変だろうけど。
東京都世田谷区の東急田園都市線三軒茶屋駅で、昨年4月、銀行員の牧顕さんが暴行を受けて死亡した事件で、東京地裁は19日、傷害致死罪に問われた少年二人に対して、検察側の求刑通り、懲役3〜5年の実刑判決を言い渡した。 とまあ、ここまでなら、ごく普通の裁判なんだけどもね。 さて、このあとが見モノだったんである。 裁判長の山室恵氏、判決後に、「酔った被害者が絡んだとはいえ、命を奪われるまでの落ち度はなかった。遺族らの無念さは察するに余りある」と述べたあと、「唐突だが、さだまさしの『償い』という歌を聴いたことがあるだろうか」と二人の被告に問いかけたのだ。 ……あの、私、正直に言いますが、テレビの前でこけました。 あの、ガッコーのセンセーが生徒叱るんじゃないんですよ、裁判ですよ、しかもよりによってさだまさしの『償い』〜? あの、私がコケた理由、ちょっとわかりにくいと思うんで、さだまさしの『償い』、ちょっと引用しますね。
月末になるとゆうちゃんは 薄い給料袋の封も切らずに 必ず横町の角にある郵便局へ とび込んでゆくのだった 仲間はそんな彼をみてみんな 貯金が趣味のしみったれた奴だと 飲んだ勢いで嘲笑っても ゆうちゃんはニコニコ笑うばかり
僕だけが知っているのだ 彼はここへ来る前にたった一度だけ たった一度だけ 哀しい誤ちを犯してしまったのだ 配達帰りの雨の夜 横断歩道の人影に ブレーキが間にあわなかった 彼はその日とても疲れてた
人殺し あんたを許さないと 彼をののしった被害者の奥さんの涙の足元で 彼はひたすら大声で泣き乍ら ただ頭を床にこすりつけるだけだった それから彼は人が変わった 何もかも忘れて 働いて 働いて 償いきれるはずもないが せめてもと毎月あの人に仕送りをしている
今日ゆうちゃんが僕の部屋へ泣き乍ら走り込んで来た しゃくりあげ乍ら彼は一通の手紙を抱きしめていた それは事件から数えてようやく七年目に初めて あの奥さんから初めて彼宛に届いた便り
「ありがとう あなたの優しい気持ちはとてもよくわかりました だからどうぞ送金はやめて下さい あなたの文字を見る度に主人を思い出して辛いのです あなたの気持ちはわかるけど それよりどうかもうあなたご自身の人生をもとに戻してあげて欲しい」 手紙の中身はどうでもよかった それよりも償いきれるはずもないあの人から 返事が来たのが ありがたくて ありがたくて ありがたくて ありがたくて ありがたくて 神様って思わず僕は叫んでいた 彼は許されたと思っていいのですか 来月も郵便局へ通うはずの やさしい人を許してくれてありがとう 人間って哀しいね だってみんなやさしい それが傷つけあってかばいあって 何だかもらい泣きの涙が とまらなくて とまらなくて とまらなくて とまらなくて
あー、この詩を読んで感動した人にはすみません、私はこの詩にゃ全然泣けんのです。 裁判長は、「この歌の、せめて歌詞だけでも読めば、なぜ君らの反省の弁が人の心を打たないか分かるだろう」と諭したとか。 さらにさだまさし本人も、「交通事故で夫を亡くした知人から聞いた実話が元になった歌です。加害者を許した被害者と、被害者からそのような言葉を引きだした加害者の誠実さの両方に心を動かされました。裁判長は二人の少年に、誠実な謝罪こそが人の心を開くんだと言うことを訴えたかったのではないでしょうか」と話したとか。 そうかあぁ? 「加害者が被害者を許した」って、ホントにそうかぁ? いや、広義に解釈すれば「許す」範疇に入ってると言えはするだろうけれど、この詩の中の被害者の奥さん、はっきりと「あなたの文字を見る度に主人を思い出して辛いのです」って言ってるんだぜ? 前後の「あなたの優しい気持ちはとてもよくわかりました」とか「もうあなたご自身の人生をもとに戻してあげて欲しい」とか、方便でしょ? 「二度とアンタとは接点持ちたくない」って言ってんだから、これ、完全に「拒絶」じゃん。普通「拒絶」を許されたこととは言わんぜ。 これなら、自分のクビ締めながら泣いてる相手に向かって、「気持ち悪い」って言ってやるやつのほうがよっぽど相手を許してるだろう(^o^)。
この奥さんが優しい人だってのはそうかもねえ。 「『あなたの手紙を受け取ると、こいつカネさえ払ってれば償えると思ってるのか、ああ殺してやりたい復讐してやりたい』って気になるから手紙送らないで」なんて書かないもの。いや、もともとそんな人じゃないんだろうけどさ。 仮にこの「ゆうちゃん」が誠心誠意、償う気で送金してたとしても、それは被害者の生を取り戻すことにはならない、どうやったって償うことなんてできないんだって「限界」を露呈しているのだ。 それをよくもさだまさし、「やさしい人を許してくれてありがとう」なんてあまったるい解釈ができたもんだ。 さらにそれを引用する裁判長も、これで本気で被告が反省すると考えたのかね。ヘタすりゃ、「送金し続けたらいつか加害者の遺族も許してくれる」なんて甘っちょろいこと考えた可能性だってあるぞ。なんたって実刑とは言え、人を一人殺しといてわずか3〜5年で出てこれるんだからよ。 詩なんてさあ、読む人間によってどうとでも解釈できるんだから、こういう「裁判」みたいにキッチリした解釈を下さなきゃいけない時に語ったりしていいものじゃないよ。 そう思いません?
神野オキナ『シックス・ボルト』(メディアワークス/電撃文庫・640円)。 うーん、エヴァンゲリオンチルドレンか? これも。 作者はそう思われたくないかもしれないけどさあ、イラストからして似てるんだからしゃあないって。 2015年(ジェッターマルッスゥー♪)、異星人から一方的な宣告を受け、地球の存亡を賭けて限定戦争が行われることになり、戦士として選ばれたのは17歳の高校生たちだった……。 ってまあ、なんだかモトネタを探るにこと欠かないような設定もそうだけどね、読んでてアタマ抱えたのが、主人公たちのネーミングよ。 真永見由宇(まなみ・ゆう)! 久遠院氷香(くおんいん・ひさか)! 間月 蛍(まづき・けい)! アイラ・クォレル! 黒原梨津絵(くろはら・りつえ)! ……どこの世界の人間じゃ。 安藤隆信(あんどう・たかのぶ)って普通の名前のやつも出てくるけど、ザコキャラだし、何となくあの俳優さんに名前が似てるんで、もしかして作者がファンか? という疑いも捨てきれない。 しかもよう、氷香と蛍はレズの関係でさあ、でもそのことが本筋にはさして関係してこねーの。単なる「彩り」ね。……んな彩り、要らん。 黒原っつーのが地球人側の司令官なんだけど、これが主役陣たちと全くと言っていいくらい関わらない。……だったらこんなキャラクターなんかいらねーじゃん。黒原が無能な副官を罷免するエピソードなんがジャマなだけだ。そういうの書けば戦争のシリアスさが出せるとでも思ってるのか? 甘いよなあ。 もちろん、戦いの中で死ぬキャラも出て来てさ、戦争ってなんなんだよう、みたいな展開もあるんだけど、それがもうどうしようもなく甘い。 愛する相手が殺されて、それまでは冷静だったやつが途端に激昂して、敵に向かって絶叫しながら突進してくなんて陳腐な展開、これまでどれだけ見せられてきたことか。ロボットアニメか。 もう、ホントに妄想の中だけで作ったって匂いがプンプンしてるよねえ。 あれっスよ、高校の文芸部崩れで、今までヤオイ小説しか書いてなかったような女の子がだよ、私もえっちものばっかじゃなんだしぃ、ちょっとシリアスなものを書いてみようと思ってぇ、それからぁ、SFにもしてみましたぁ、っつーてよ、書いてみたはいいけれど、やっぱり自分のシュミモノになっちゃったって、そんな感じィ? こないだ読んだ『コンセント』も結構恥ずかしい小説だったけど、この『シックス・ボルト』も相当恥ずかしい。いろいろリクツをこねくり回してるけど、結局アンタがやりたいことって耽美? ってのが見えちゃうとこがねえ。 この流れって、絶対『グイン・サーガ』っつーか栗本薫の悪影響だよな。 せめて、ヒロインの名前を権田原花子にしても、ちゃんとシリアスが書ける筆力を身につけてから小説は書こうね。
(訂正&お詫び) ……とかなんとかヒデエこと書いたら、作者の神野さんから、「名前は実在人物と重ならないためにワザとしたことです」とご丁寧なメールを頂きました。うーん、こんな無名日記のいい加減な記事にまで目を通していただけるとは……。 この日記を書いた時、こう思ったのは事実なんで、今更削除はしませんが、ネーミングの件については私の完全な誤読ですので、ここに訂正させていただきます。作者の神野さんにも不快な思いをさせてしまいました。申し訳ありませんでした。
ああ、一回書き上げたやつがなんかパソコンがイカレて消えちまったんで。UPするのに時間がかかっちまった。 うっうっうっ、神様に見離されてるよう(T-T)。
2001年02月19日(月) 語源の楽しみ/ミステリチャンネル『ポワロと私』ほか
| 2002年02月18日(月) |
くまくまくまっ/アニメ『エイトマン』第1話「エイトマン登場」/『すべてがFになる』(森博嗣原作・浅田寅ヲ)ほか |
さてさて、まあとりあえずは“めでたい”ことから。 宮崎駿監督の『千と千尋の神隠し』が、第52回ベルリン国際映画祭の最高賞の金熊賞に、イギリスとアイルランドの合作でポール・グリーングラス監督の「血の日曜日」と並んで選ばれた。 センパイが作ってるアニメであるにもかかわらず、『千と千尋』を私は貶しまくっている(^^)。だってさぁ、実際、過去の作品(『ナウシカ』以前ね)よりつまんないんだから、しゃーないじゃん。 もっとも、映画祭の都都逸だか洋喇叭だかの審査員たちが、宮崎アニメに触れたのはこれが初めてかもしれないし、ショック受けたのもわからんわけでもない。審査員長はインドの人だっていうから、宗教的な偏見がなかったのも幸いしたんだろう。 もちろん、この受賞に不服な人たちも、世界には多いと思う。 『ハリー・ポッター』と同じように、「あのような原始的アニミズムを礼賛するような反キリスト教的映画は云々」とかなんとか、バカガイジンが喚き出すんだろうってことも見当つくし。 誉めるにしろ貶すにしろ、文化的背景を何も知らずにガイジンさんはモノを言うから、今回の受賞だって、そんなに素直に喜べるものじゃないんだよねえ。
けど更に予測がつくのは、日本のジャーナリストやヒョーロンカ連中が大慌てで、かつて『千と千尋』を貶してた人が誉め直したり、逆にあくまで頑強に否定したりとか、醜態をさらすだろうってことだ。 ちょうど、黒澤明の『羅生門』をその年の5位に留めた『キネマ旬報』の評論家連中が、同作がベネチア映画祭金獅子賞を取った直後から、掌を返したように 誉めそやし始めたように。 他人の批評とか、賞を取ったとか、そんなこととは関係なく映画を見ることができる評論家ってホントに少ない。気がついたらそういう「権威」に振りまわされてたってことが、アタマよさげなヒョーロンカほどあるんだよな。
当たり前の話だが、どんな映画にだって、いいとこ悪いとこ、両方ある。 視点を変えてみれば、いいものを悪く、悪いものをよく評価することだってできる。 だから、批評をする際に絶対に考えておかなければならないことは、自分が、あるいは他人が、それぞれどういう文化的フィールドに立ってモノを言っているのか、それを明確にする必要があるってことだ。でなけりゃそれはただの「感想文」にしかならない。 「批評」とか「評論」ってのは、実は単体で成立するものじゃなくて、他人との間で交わされる弁証法なんである。だって、批評って、その批評するための対象となるべき概念がなきゃ成立しえないんだし、その時点で「対象=他者との接点」は生まれてるわけよ。そんなこともわからないエセ評論家がどれだけ多いことか。
宮崎さんがそういうエセ評論家を相手にするはずもないから、たいていは犬の遠吠え程度にしか聞かれないだろうし、そんなヒョーロンモドキは泡沫のように消えていくだろう。 本当に消しちゃならないのは、「『千と千尋』が賞を取った」なんて、ただのお題目じゃなく、ある映画が人に見られ、語り継がれ、また人に見られて行く、その「中味」であり、そういう過程をたどる「歴史」なんである。 さあ、せっかくベルリンがきっかけを作ってくれたのだ。 まだ食わず嫌いで『千と千尋』を見に行っていないやつ、誉めるも貶すも君の自由だ。今から映画館に走れ。 しげ、お前のことだよ。
頭痛が激しい。 しげが「不潔にしてるからやん。風呂に入って歯磨いて髪洗ったら治るよ」というのでそのとおりにしたらますます痛くなった。 しかたがなく寝たら、そのまま五時間、くたばったまま。 寝る時間が不規則になって、またまた体調不良に。 夜、しっかり寝たいことは寝たいんだけど、夜ほどやりたいことが増えるんだよね、ホントにどうしたらいいんでしょ。
CSファミリー劇場『エイトマン』第1話「エイトマン登場」。 平井和正・桑田次郎の原作は『8マン』だがアニメは『エイトマン』。周知のことだが若い人のために老婆心です。 放映期間が昭和38年11月7日から39年12月24日ってことは、私ゃ0歳から1歳だよ。 でも、確実に本放送で見てるし(再放送を見た記憶はない)、「あ、『鉄腕アトム』や『鉄人28号』より絵がカッコイイ!」と思った記憶はあるから、0歳でもうモノゴコロはついてたんである。アイキャッチは「おお、こうだった!」ってはっきり思い出したし。そんなこと言ってるとなんかすごいみたいだけれど、私と同世代の人間ってたいていそうなんだよね。当時はオトナたちはシャカリキになって「テレビばかり見てるとバカになる」って、百万言を費やしていたが、テレビアニメが私を初め、当時の子供たちの脳を活性化させたことは間違いないことなんである。
もちろん、40年も前の、テレビアニメ創世記の作品であるから、脚本も稚拙、作画技術・演出ともに稚拙、というのは事実である。 今の子供たちが見て面白がるかっていうとそれは確かに難しかろう。 にも関わらず、意外に、本当に意外なのだが、ドラマツルギーの骨格自体は結構しっかりしているのだ。これには驚いた。
警視庁の刑事・東八郎(声・高山栄)はピストル強盗・でんでんむし(声・近石真介……多分)追っていた。しかしそのワナにかかり、逆に車で轢き殺されてしまう。 そこにやってきた谷大和博士(村松為久)、東八郎の脳がまだ生きている、と死ぬ前にその人格と記憶を開発したばかりのスーパーロボット・エイトマンに移植する。 しかし、スーパーパワー、高速移動、変身能力などを有するエイトマンだったが、東八郎の死体が残っている以上、元の刑事に戻ることはできなかった。でんでんむしを捕まえたエイトマンは、そのとき救った関サチ子(上田美由紀/現・みゆき)を秘書に、探偵事務所を開くことにする。 警視庁には七人のセクションが七つある。しかしエイトマンはそのどれにも属さない八人目の男……その正体は谷博士と田中善右衛門捜査一課長(天草四郎)しか知らないのだ。
脚本は原作者平井和正本人。 谷博士がちょうど東八郎の殺害現場に現れたのはなぜかとか、谷博士が八郎の死体を隠しとけば元の刑事として復帰できたんじゃないかとか、設定の細かいミスはいくらでもあるんだが、八郎がロボットになってしまった悲しみ、自分の力を悪用することすら可能というジレンマ、それを乗り越えて正義のために戦う決意、その感情の起伏こそがドラマツルギーを生み出すのだとツボを平井脚本は抑えてるんである。 まあ、悪党の名前が「でんでんむし」であるとか(コケるとホントにでんでんむしになる。オイ)、警官が何十人も一台のパトカーに乗りこむとか(『ブルースブラザーズ2000』の40年前……ってモトネタは『オペラは踊る』だね)、このあたりの今見ると苦しい場つなぎギャグが、もともと脚本にあったとは思えないけれど、技術の無さを細かいカットの畳み掛けでカバーして見せようって演出、なかなか意欲的である。
関係ねーけど、この記事書くのに、エイトマンのスタッフとか声優とか、ネットで調べたけどまとめてキチンと書いてるサイト、ひとつも無いぞ。 昔のアニメのデータ、やっぱりどこかでキチンと保存しておこうよ。
給料日前でそろそろ生活費が底をついてくる。 もちろんDVDボックスとか買わなきゃカネは減らないのだから、自業自得である。 食事を安上がりですませたい時はガストに限る。 ということで、今晩のメシは目玉焼きハンバーグ380円、二人で760円。 最初は「吉野家に行こうか? 200円かそこらで牛丼食えるよ」って言ったんだけど、しげが「吉野家って牛丼か牛丼か牛丼しかないんよ、選べないじゃん!」とのたもうたので、ガストにしたのだ。 でもここだって安いの食おうと思ったらハンバーグかハンバーグかハンバーグしかないんだが。
夜はまたまたチャット。 『映画クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ! オトナ帝国の逆襲』の話やらで盛りあがる。いいオトナが「私も泣いた」「俺も泣いた」なんて喋りあってるなんて、異常な状態(^_^;)。 そこのHPの管理人の方が、「まだ『オトナ帝国』」を見ていない」と仰るので、みんなで「見ろー」「見ろー」と洗脳する。 もう、こうなると立派な宗教だ(^o^)。
マンガ、森博嗣原作・浅田寅ヲ作画『すべてがFになる』(ソニーマガジンズ・651円)。 えー、私が買ったのは「ソニーマガジンズ」版ですが、今は「幻冬舎」に版元が移っとります。ずっと読んでなくてほっぽらかしてたんで、感想書くのが遅れちゃいました。 うーむ、浅田さんの絵は嫌いじゃないんだが、小説読んでるとやっぱり違和感あるなあ。 犀川はもっとムサイ印象だったし、萌絵ちゃんはもうちょっと理知的な顔立ちを想像していた。黒目がちっつーか、どこを見ているかわかんないようなキャラデザインで、どっちかっていうと白痴的にすら見える。 いや「白痴的」ってのは私の主観か。見る人によってはかわいいのだよ、これが。 もちろん萌絵ちゃんは犀川の「ホームズ」に対する「ワトスン」なんだから、絵にする時はバカっぽく描いたっていいんだろうけど、それは実は安易な手段。理知的に書いて理知的でない行動取らせた法がリアルなんだよな、本当のとこは。 けれど、マンガになっても、原作小説の、ミステリーのトリックとしては物理的に成立不可能ないくつかのミス、修正されてないね。もっとも修正のしようもないし、修正する気もないんだろうけど。でもオビに「ミステリィ」と銘打つのはやめたほうがいいよなあ。
マンガ、北崎拓『なんてっ探偵アイドル』7巻(小学館・530円)。 ……なんか、5、6巻まとめて1回の感想で充分じゃねーかって気がしてきたなあ。一応ミステリィだから、ルール守ってトリックのミスとかいちいち書かねえしよう。 もっとも更に5、6巻も続くかどうかわからんが。でも7巻まできたし、意外と行くかも。行くのかホントに(+_+)。 でもスゴイよー、怪盗リストのピアノ消失トリック。 どんなバカなミステリ作家でも、ここまでのバカトリックを考えつけるか(いや、考え付いても恥ずかしくて書けんだろう)ってくらいスゴイからねー。 いいよなー、今はどんなバカでもミステリーが書ける時代で。こんなんでいいのなら、ホントに百本でも二百本でもミステリー書けちゃうよなあ。 まあ、思いっきり貶してるけど、絵が安定してきてアキラちゃんがかわいいので許す。多分8巻も買う。マジかよ(^_^;)。
2001年02月18日(日) HPの原稿はまだ1/10程度です/ドラマ『百獣戦隊ガオレンジャー』第1話ほか
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藤原敬之(ふじわら・けいし)
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