無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2002年02月05日(火) ゴーマンかましちゃ、いけまっしぇん/『コンセント』(田口ランディ)ほか

 なんだか世間は雪印、雪印だねえ。
 この牛肉関連の話は前に書いたんで二度も三度も書かんでもいいような気がしてたんだけど、ニュースキャスターがまた世間を洗脳させようって感じで「危険」「危険」ってデマ撒き散らしてるしさあ。
 いい加減、世間も諦めて肉食えよ。うちのしげなんか、何も気にせずに肉に食らいついてるぞ(犬の名前ではありません。妻です)。
 景気が悪くて消費が落ち込んでるってのに、買い控えしてどうすんだよ。
 事件が発覚する前に食ってたんなら、今更買い控えしたって手遅れだし、事件後はかえって検査を綿密にやってんだから、危険はなくなってるといっていい。「何万頭も検査できないからミスがあるかも」なんて、んなこと言ってたらどの食品だって危険だよ。『買ってはいけない』と同レベルのデマ流してんじゃねえやニュース23。
 雪印の担当者が、国産牛と輸入牛のラベルを張り替えたんだって、アホが踊らされて肉食わなくなったからだろうが。その程度のアタマなら狂牛病にかかったってたいしてかわらねえって。


 田中外相が更迭されて、小泉内閣の支持率が一気に30%だか40%だかに落ちこんだんだそうな。
 予想された展開だけれど、政治も所詮、大半の国民にとってはワイドショーに過ぎないってことだよなあ。それで政府に「不景気対策をなんとかしろ」なんて言うなってな。文句つけるヒマがあったらその分働けや。
 こんなこと書いてるとまたぞろウィルスを送りつけられそうだが(^_^;)、別に高飛車にモノ言ってるわけじゃなくて、世間は世間、オレはオレ、ってスタンス取ってるだけなんで、余り深く拘らないで頂きたいものである。
 だいたい、知人にリストラされて本気で困ってる人もいるのに、こんなこと書いてるのは相当鬼畜なんだが(こらこら)、大局的に見ればその通りなんだから擱筆するつもりはない。
 ああ、しかし、新聞によると、わが職業に関してもいよいよリストラの嵐が吹き寄せてくるような気配なんである。自分ではそれほど無能だと思ってるわけじゃないが、上司はまずそうは見てないしな。一年後は私も「政府は何やってるんだ!」なんて叫んでるかもしれないな。


 今日もしげは寝すごして迎えに来ず。
 「来れるか来れないか分らんものをアテにはできん」と言うのだが、そう文句をつけると、しげは、「何? オレはアンタを乗せさせていただいてありがとうって言わなきゃなんないの?」と悪態をつくのである。
 誰がそんなことを言ってるか。
 車に乗せてもらうことは素直に嬉しいと思うが、渋々仕方なくされるのは私だっていやだ。
 朝、いちいち起こして、帰りもしげは昼寝をしているから、携帯にメールを入れて起こしているのだが、それも、しげがそうしてくれ、と言うからである。「送り迎えをしたい」と言ったのはどこの誰だ。
 で、その通りにしたら、「私はあんたの奴隷か」みたいな言い方をするのだから、私が機嫌を悪くするのも当然じゃないか。
 こちらもいちいち下らんことで言いあいしたくないので、ぶっきらぼうに言い放つ。
 「じゃあいいよ、もう明日から乗らないから」
 途端にしげの態度が変わる。
 「……なんで。乗っていいよ!」
 やっぱり乗せたいんじゃないか!


 しげの日記の更新も遅れ気味であるが、これも「もちっと内容が判るように書けよ。オレですら分らん」と言ったら、いきなり拗ねて書くのを中断したんである。
 「せめてひらがなで書けば?」と言ったら、ピタッと書くこと自体、やめてしまったのだ。
 こんなん、文句というほどの文句か?
 仮にケチつけられたからといって、「私は私のスタイルがあるんだから、これでいいの!」と言い返せばいいのである。それが「表現者としての自負」ってもんだろう。
 演劇に携わってる者は、日常だって「舞台」と地続きになってると言っていい。常に演技者、表現者の眼で世間を見ることが肝要なのだ。なのに、ほんのちょっと「文句つけられたから書きたくなくなった」とか、おまえは千本ノッコか(←『ラヂオの時間』)。
 「なあにい? ジュースは炭酸はダメって言ったでしょ? もういい、今日は仕事しない!」ちょうどこんな感じか。
 「気分が殺がれたらやらなきゃならないこともしない」「注文つけられてまで書きたくない」なんて、表現者としての自覚がないと言わざるを得ない。
 もちろん、作家にだって、「おだてられないと書けない」なんてタイプの人もいないわけではない。
 でもたかが「しげ」が大作家を気取ってどうするのか。
 しげは、私の方がエラソウにしてると言っているが、それは書くときのスタイルなのであって、文章を書き続けるということに関しては、私は自分の文章に責任を負ってるつもりなんである。
 結局、しげは、自分の書いてるものに自信がないから、傲慢な態度を取って誤魔化しているだけなのだ。こんな、自分の失敗を、さもこちらの落ち度のように責任転嫁し、すり替えてものを言うような卑怯な態度を取っていて、恥ずかしくはないのか。
 ……ないんだよなあ。
 しげには私が劇団に顔を出さなくなった理由だって、少しも分っちゃいないんだろうな。

 もうしげに弁当を買ってきてやるのもやめた。
 迷惑かけて悪いって気持ちを起こさない相手に、何かをしてやろうって気にはこちらもなれない。
 だいたいメシ代は渡してるんだから、これ以上たからせる必要もあるまい。
 

 アニメ『しあわせソウのオコジョさん』。
 帰宅が早かったので、初めてオープニングを見る。
 なんと音響監督が『海のトリトン』の塩屋翼。子役から始まって今や監督かあ。人って成長するんだねえ。当たり前だけど(当たり前でないヤツをソバで見てると実感がわかん)。
 音楽も天野正道と豪華だが、肝心の監督の山本裕介って人がどんな人なのかよく知らない。新人さんなのかもしれないが、これから頭角を表してくるのだろうか。
 内容は原作の3巻あたりか。
 への字口の女の子がツチヤにラブレターを渡す話が原作にもあった(いけね。この日記に感想書くの忘れてた)。
 あのキャラ、思いこみが激しいタイプで、マンガキャラとしてはスキだ。現実の女ならイヤだが。
 続けて『FF』も久しぶりに見てみるが、筋がもーどーなってるのか分らんのであった。


 田口ランディ『コンセント』(幻冬社文庫・630円)。
 作者の名前自体が気になってて、この人いったい何者? とか思ってたんだが、どうやらネットアイドルみたいなところから作品が人に知られてったらしい。
 それにしても謎だね、「ランディ」。
 これって男名前じゃないのか? 本名か? ペンネームか?
 もしペンネームだったら、ちょっとセンスを疑うが。

 でも本編はなかなかに面白い。
 ヒロインが冒頭からやたらと男とヤリまくって、私のようにマジメ一方な(^o^)人間には、ちょっと感情移入がしにくいのだが、それにもちゃんと意味があるということがラストでわかる仕組みになっている。
 というか、ネタはそんなに目新しいものではない。
 要するに「コンセント」ってのはオマ○コのことで、一見コミュニケーション不全のように見えるヒロインが実はシャーマンとしての素質を持っていて、男は女につながることによって自らの精神世界とチャネリングする……ということらしいのね。確かに、娼婦=シャーマンってのは古来からの伝統だからねえ。
 ある意味ありきたりなこの設定を、ランディさんは魅力的な筆致で描いていく。やっぱり語り口がうまいとネタが普通でも読めるもんなのだ。

 孤独な兄の衰弱死、それに遭遇して以来、ヒロインには人間の「死臭」が嗅ぎ分けられるようになる。怯えた彼女は、かつて自分と不倫の関係にあった精神科医の門戸を叩くが……。
 この導入が読む者を一気に作品世界に没入させていく。
 死んだ兄が踏み切りに佇むイメージが、ヒロインの前にフラッシュバックとして現れる。幻覚? 妄想?
 それとも兄は自分に何かを語りかけたいのだろうか。
 そして自分はなぜ気がついたらセックスをしてしまっているのか(^o^)。

 ともかく出会った男と気がついたらヤッているというこの設定がすごいね。
 「語り口がうまい」と書きはしたが、文章は粘液質で、キャラクターのセリフも、むだに説明的で過剰である。なのに、印象としてはどこか明るいのは、作者が、逼塞した人間の精神をどこかで解放したいと願ってるからじゃないか。

 ランディさんが庵野秀明と対談したのは分る気がする。
 要するにこの小説のヒロイン、アヤナミだしね。
 けど、女性がアヤナミを描くと、対照的にこんなに男が惨めに見えるようになるとは予想もしてなかった(^_^;)。
 すべての男はやはりマザコンなのであろう。

2001年02月05日(月) 恐怖のブラック・メール/『真・無責任艦長タイラー1 入隊編』(吉岡平)


2002年02月04日(月) チョコレート一本勝負/『何だかんだと』(ナンシー関)ほか

 職場で新聞を読んでいると、三面記事に曲芸師の海老一染太郎さん死去の報が。70歳、死因は胃がん。
 なんだか、「死ぬ」ってことが一番似合わない人が死んじゃった、という印象である。正月には必ず染之助染太郎のお二人の曲芸が見られるものだと思ってた。来年、それがもうないというのは不条理にすら思える。
 子供のころは、「正月」と言えば「三波伸介」だった。三波さんが亡くなってからは、染之助染太郎がそのイメージを一手に引き受けていた感がある。これでもう正月をイメージする芸人さんって、いなくなっちゃったんじゃないか。
 兄は頭脳労働、弟は肉体労働、というイメージが強くて、染太郎さんは何もしてなかったように思われがちだが、そんなことはない。染太郎さんの方がしゃもじか何かをくわえて、その上にヤカンだのなんだのを乗せる芸を昔は披露していた。
 「これでギャラはおんなじ」のギャグが当たったので、あえてテレビではそういう芸を見せなくなってたのではないか。結果的に染之助さんの傘回しと、「いつもよりよけいにまわしております」の囃し声だけが突出して印象付けられることになった。不思議なもので、ホントに余計に回していたら、永遠にまわし続けなければならなくなる計算だが、見ていると本当に長く回しているように見えるのである。これもお二人の芸の力であったのだろう。
 似たような芸を見せる人はこれからも現れるかもしれないが、もちろん比較できるものではない。芸人というのはつくづく一代限りのものなのだなあ、と思う。
 20世紀の「正月」は、これで終わった。
 染之助さん、これからどうするのかなあ。
 

 しげ、行きは送ってくれたが、帰りは電話に応答がない。
 仕方なくタクシーで帰って、途中でコンビニに寄って買い物、弁当をお土産に渡す。
 散財させられたのに親切にするなんて、理不尽なんだが、少しは私の愛情に気づいてほしいのよ。
 むりかな。


 日韓共同制作ドラマとかいう『friends』を途中まで見たが、こういう合作映画となると、どうして文化摩擦の恋愛ものにしかならないのか。
 発想が『蝶々夫人』のころから一歩も出てないんである。
 合作でSF作るとか、ミステリー作るとか、それくらいのことはできんのかい。それにしても、フカキョン、デブったねえ。
 走るとチチは揺れるようになったけど、見事なくらいにウエストがない。顎の下の肉は、さすがになんとかしないとマズイんじゃないか。
 アイドル脱皮して演技派ってのはまず無理っぽいからなあ。
 このへんがもう限界なのかもしれないなあ。……『リング2』でちょっとはいいかなと思ったんだけどもね。

 しげ、バレンタインデーに向けて、チョコレートを山ほど買って来ている。
 ともかくイベント好きなしげのことであるから、「標的」に対してどんなチョコを贈ってやろうかと虎視眈々と狙いを定めているのだ。
 しかも、しげは「かわいくて喜ばれる」チョコを作ろうなどという気はサラサラない。
 もらった相手がいかに困惑するか、あるいはしげの「挑戦」にいかに立ち向かってくれるか、その反応を楽しみに、「勝負チョコ」を作るのである。
 ちなみに、去年「勝負」を受けた其ノ他くんは、しげが贈った「牛乳パックにチョコ流しこんで固めただけの2リットルチョコの塊」を、一週間くらいかかって食ったようだ。
 そして今年、既に冷蔵庫の中には直径20センチを越える「ボウル」が二つ並んでいるのだ。
 ……私にはささやかなのでいいからね、ウン(^_^;)。


 ナンシー関『何だかんだと』(世界文化社・1050円)。
 文庫になるまでいつも待ってるのに、しげがさっさと買っちゃってた『何様のつもり』シリーズの最新第7弾。
 うーん、なんだかいつものキレがないなあ、ナンシーさん。
 つーか、もうこのテレビの末期的状況に、「何を言ってもムダ」と思ってるんではないか。
 例えば「橋田壽賀子」である。
 世間には『渡る世間は鬼ばかり』を本気で「おもしろい」と思ってる人が多いのだろう。
 毎週、あれを見るのが楽しみ、という方もきっとおられるのだ。
 けれど、それでもあえて言うけれど、橋田壽賀子の脚本の実力は全ての脚本家、シナリオライターの最下位に属する。
 設定・構成のデタラメさ、キャラクター造型の支離滅裂さ、セリフの非現実性、なにより社会や人間を洞察する力の低さ、何一つとっても誉められる点がない。ヒトコトで言って「幼稚」。それが『渡る世間』のレベルだ。
 理由は簡単で、作者がもう年寄りでボケてるからである。
 なのに橋田壽賀子は未だに権威であり続けている。
 ナンシーさんは、『笑っていいとも』に出続けている(2001年4月当時なので今はさすがにもういないんじゃないか)ことに対して、「つまらないからやめろというバラエティの正義を行使しても無駄であるという意識の共有」と書いている。
 ……そうなんだよなあ。橋田壽賀子はひとつの例だけれど、それがえなりかずきであろうと、三原じゅん子とコアラであっても同じことである。
 もう、「何を言ってもムダ」な状況で、ナンシーさんが「あれはなんだよ」、と言い続けたところで、どうにもなりはしないのだ。
 無理にそこでコトバを重ねようとしても、それは空回りするばかりだ。

 「『好きな俳優は渡部篤郎』と言う人たちはなぜ自身満々なのか」。
 ナンシーさんのこの問いかけ、つまり渡部篤郎のファンが、「私はそんじょそこらのアホタレのファンじゃないのよ、あの渡部のファンなのよ、だからアタシもエライのよ」と言いたいんだろうと分析する。
 「非ミーハー宣言」「私はバカじゃない宣言」「感性に自信あり宣言」。
 渡部以外でも、浅野忠信や永瀬正敏のファンはみんなそうだとも。
 その分析はまあ、当たってんじゃないかと思う。
 でも、エッセイの内容はそれでおしまい。っつーか、それ以上、ナンシーさんも言いようがないのだ。
 その「エラソウ」な渡部ファンに何かを言ってやれるのか。
 「別に渡部のファンだからって、アタマがいいわけでも、イケてるわけでもないよ? あんたはね、ただのブス」
 ……言ったって、しょうがないよね。
 つまり、ナンシーさんのエッセイ、もうすっかり「ナゲヤリ」になってるんである。
 ナゲヤリの文章を読んだってつまらない。
 けれどそういう文章がまさしく今のテレビの最悪な状況の象徴ではあるのだ。

 ちなみにしげは、熱烈な渡部ファンです(^_^;)。 

2001年02月04日(日) HOME,SWEET HOME/『犬の気持ちは、わからない』(押井守)


2002年02月03日(日) ラーメンファイト!2/映画『ヴィドック』/『萌えろ!杜の宮高校漫画研究部 辣韮の皮』1巻(阿部川キネコ)

 頑張って早起き、新番組『仮面ライダー龍騎』『おジャ魔女どれみどっかーん』『ギャラクシーエンジェル』と立て続けに見るが、なんか余り琴線に引っかかってこないなあ。
 『龍騎』は「鏡の世界での戦い」ってのがありきたりだし、やっぱりキャストの演技がみんな『アギト』以上にど下手クソで、見れたものではない。もっとも、あのシロウトっぽさがウケてるってんだったら、「演技とは何か」ってことを私は基本的に考えなおさなきゃならんのかも。
 でもあのナイトと一緒にいた女の子はまあまあかわいくて好みだ。あれでセリフ回しがもちっとビシッとしてくれりゃファンになっちゃうのにな。
 けど鏡の世界に入りこんだのにどうして龍騎もナイトも右利きのままなんだ。ディテールがいい加減だと視聴者はみんな見る気なくすぞ。
 『どっかーん』は1話で一気にハナちゃんが嫌いになったので、次も見るかどうかは不明。現実にワガママ女を何人も相手にしてる生活してるのに、アニメの中までワガママを見て楽しくなれるものか。
 『エンジェル』はギャグも作画もへタレ。
 でもまあ、1話で全てを判断するわけにはいかないから、ちょっと様子見ってことで。


 DVD『ガス人間第一号』。
 しげから「LD持ってるのにまた買ったの?」と言われるが、なんたって、コメンタリーが八千草薫ご本人だからねー。
 撮影当時は、八千草さん、谷口千吉監督と結婚したばかり。
 しかもその谷口宅に足しげく通っていたのが『ガス人間』の脚本家の木村武。
 八千草さんは当事者だからぼかして喋ってるけどさあ、木村さん、絶対に八千草さんに惚れてこの脚本書いてるんだよねえ。
 「あの映画が八千草さんの映画の中で一番です」ってはっきり言ってるんだもの、木村さん。もちろん私も大賛成。女性の可憐さと魔性とを同時に表現したという点で、稀有の演技である。
 もちろん、それはひたすら八千草薫を恋慕し、その情熱を捧げる土屋嘉男の名演と相俟っての効果でもある。
 人間ドラマがへぼい日本の特撮映画の中で、この『ガス人間』は唯一、主役たちのドラマが“見られる”映画でもあるのだ。
 関係ないが、ウチの親父のかつてのマドンナが八千草薫。
 なんでまた二代に渡って八千草さんにイカレてるんだか(^_^;)。


 アニメ『サイボーグ009』第16話「突入」。
 原作の換骨奪胎で、『誕生編』のラストあたりをここに持って来た感じか。
 計画の失敗に業を煮やしたスカールが、いよいよ自ら指揮を執るって設定だけど、作画はまあまあいいのに脚本がヘタレ。
 なんかねー、セリフが定番過ぎて生きてないのよ。必然的にキャラクターも、人間としての演技がつけられなくなってる。
 009が0013のくれた木彫りのウサギを見つめてるってのも、0013のエピソードから随分間をおいてないか? だったら間に番外編やらベトナム編を入れちゃマズイよな。リズムってのが壊れちゃうよ。
 しかも009を慰めようってつもりなのか003、いきなり踊り出すし。
 そんな百年も前の三文ドラマの演出、今更やるかあ? 動かしゃいいってもんじゃないんだぞ。フランス人だからそれくらいするとでも言いたいのか? そんなフランス映画があるなら言ってみろや。
 ……『シェルブールの雨傘』? あれはミュージカルだっ!!
 それからスカール役の若本規夫さん、好きな人だけどあれはやっぱり違うよう。「ぬわぅあぅあーあにぃぃぃぃ!?」って、歌舞伎じゃないんだからさあ。
 大西信介も脚本から離れてるし、紺野直幸が作画監督やったの、第1話だけだ。どうなってんだよ、このスタッフの枯渇ぶりは。


 練習から帰ってきたしげを誘ってキャナルシティへ。
 晩なら少しはすいているかと、ラーメンスタジアムへ行くと、それでも人気の店は相変わらず長蛇の列。
 看板を見ると、1月の投票結果が出ていた。
 九州ラーメン三軒VSそれ以外のラーメン五軒、結果は僅差で九州ラーメンの勝ち。しかし、今見た感じでも列が並んでるのは喜多方ラーメンや旭川ラーメンなんだが。
 まあ、身びいきはあろうから、初めから3対5の対決にしたんだろうけど、かえって判官ビイキを招いたのかな。

 ともかく喜多方や旭川には30分待っても入れそうにないので、「横浜 六角家(ろっかくや)」に入る。
 しげは餃子を目当てにしていたが、どういうわけか「都合で餃子とシューマイは中止しています」の張り紙。
 都合ってなんなんだ。料理屋でそういう不明瞭なことやってると、即、客足に響くと思うが。
 空いてるとは言っても、それでも10分は待たされる。
 カウンターにやっと座ると、比較的早くラーメンは運ばれて来る。
 豚骨と鶏ガラの醤油スープ、表面にこってり油が浮いているので、どんなに濃いかと思ったら、そうでもなかった。もっとも待たされて結構腹が減っていたので、今日の舌はちょっとアテにならないが。どっちにしろ、麺が細麺なので、私の口には今一つ。
 それでも食べているうちに口のなかがもっちゃりしてきたので、カウンターに置いてあったとんがらしを汁に混ぜたら、入れすぎて、臭みはなくなったが舌が痺れた。ちょっと失敗。

 「あー餃子食べそこなった」
 と、しげが口をとんがらせているので、もう一軒、「熊本 味千拉麺(あじせんらーめん)」に入る。
 ここのラーメンは、豚骨スープに、秘伝のタレ「千味油」を混ぜたものとか。いや、これがまたムチャクチャ辛い。さっきとんがらしで痺れた舌が更に痺れるくらい辛い。
 しかし、麺には腰があって、スープとまあまあ合っている感触。
 しげはとりあえず餃子が食べられて満足のよう。 


 映画『ヴィドック』。
 帝都の平和を守る名探偵・明智小五郎は、世紀の殺人鬼、黄金仮面を追っていた。
 ついにある工場で黄金仮面を追いつめた明智だったが、逆に窮地に追い詰められ、奈落の底に身を落とす。
 翌日の新聞は、大々的に「名探偵・明智小五郎死す!」の報を流した。
 探偵事務所で留守を守っていた小林少年は悲しみに沈む。
 そこへやってきたのは、明智小五郎の伝記を書いていた探偵作家、江戸川乱歩。
 「二人で明智くんの敵を取ろう!」
 乱歩と小林少年は、明智が捜索していた人々を辿り、黄金仮面の正体に迫ろうとする。

 事件はもともと、二人の男が落雷で殺されたことに端を発していた。
 その奇怪な殺人方法の謎が解けず、警視庁の波越警部は、明智に事件の捜査を依頼する。
 明智は落雷した死体の帽子に、避雷針となる銀の櫛が残されていたことに気づく。それは謎の女、緑川夫人のものだった。

 乱歩は、緑川夫人に会い、夫人もまた明智とともに事件の謎を追っていたと告げられる。
 振り出しに戻った事件。
 その間も、事件の鍵を握る人間が次々に殺されていく。
 まるで乱歩の行く先々を狙いすましたかのように。
 それでも黄金仮面の目的が、人体実験による不老不死の霊薬を作るという悪魔の研究にあることが見えてくる。

 そして乱歩、小林少年、緑川夫人、波越警部は、明智の死を見届けた老人を発見する。彼は、まさしく明智が命を落とした工場に潜んでいた。
 老人の口から語られる黄金仮面の正体は誰か。
 彼は自らの仮面をも剥ぐ。
 その姿に驚く一同を尻目に、おもむろに彼は言う。
 「犯人はこの中にいる」……と!

 え〜、冗談ではなく、『ヴィドック』はこういう筋です。
 フランス・ミステリーが江戸川乱歩のルーツだってことが証明されたような映画でしたねー。これはもう、無条件でお薦めです。犯人やトリックはミエミエなんだけど、そんなこと言ってたら、この伝統的な「怪人対名探偵」の古典的ストーリーは楽しめませんな。
 なんたって、ヴィドックは、実在の人物であるにもかかわらず、もと怪盗にして後の名探偵、変装の名人、フランス警察はおろか近代警察制度の基礎を作り上げた稀代の英傑。
 ジャン・バルジャン、アルセーヌ・ルパンを地で行った……っつーより、モデルになった人物であります。もちろん、本邦においても、明智小五郎、獅子内俊次、多羅尾伴内ほかの名探偵の造型に、多大な影響を与えた。
 こんなキャラをただの伝記もののキャラクターとして描いたって面白くない、つまりは遠山の金さんや鬼平が実在してるのに自由に脚色されてドラマ化されたように、ゴシックミステリーのキャラクターとして、最新の技術で映像化したのがこの映画というわけ。
 いや、この映画の撮影に初めて使用されたというウワサの24pHD、この映像解析度のスゴサはどうだろう。『写楽』の江戸の町なんか目じゃあない、10世紀パリの頽廃を、抉るように毒々しく描出していく。
 新人監督のピトフ、CFディレクター出身だというが、その映像センスが長編映画でも如何なく発揮されている。エロもグロもナンセンスも、見事に映像美として再現したその辣腕に拍手である。
 これはもうぜひとも、『ヴィドック2 死美人劇場』とか、『ヴィドック3 奇形人間の妖奇』とか(タイトルはテキトー)、続々と猟奇的かつ妖美な世界を描いていってほしいものだ。
 ヴィドックにはうってつけの俳優、ジェラール・ドゥパルデューの勇姿の再現と、謎の鏡仮面・アルシミストとの再対決をもう一度、というのは、誰もが願うことであるだろうから。
 

 マンガ、阿部川キネコ『萌えろ!杜の宮高校漫画研究部 辣韮(らっきょう)の皮』1巻(ワニブックス・819円)。
 あ、イタタタタタタ!
 ま、マンガを読んだだけでこんなにグサグサと来るとは……!
 先に忠告をしておく。
 ココロに余裕のないオタクはこれを読んではいけない。
 特にマン研で同人誌作った経験のあるヤツは(^_^;)。
 オタクが歩いてきた道、歩こうとしている道、そこで「イタイ」経験をしなかったオタクはいまい。
 しかし、それをバネにして、我々は道を切り開いてきた。
 言わばその「イタイ」思いは、オタクであるための「通過儀礼」、イニシエーションであったのだ。さながら女性が「ブス」と言われた時から「女」にめざめるように(喩えが外道)、「オタク」は「気持ち悪い」と言われてオトナになるのだ(だから『夏エヴァ』のラストで腹を立てたオタクのみなさん、アナタがたはオタクとしてはまだまだ第一ステージです)。
 アニメ『オタクのビデオ』あるいは『コミックパーティ』または永野のり子の諸作。
 受難の道を描いた作品はこれまでにもあった。それらは、たとえオタクの「イタイ」姿を描きながらも、最後は「希望」で終わってくれていた。
 けれどこのマンガは、某マン研の、現在進行形の物語なんである。ラストがハッピーエンドになるかどうかなんて、まだわからない。
 だからイタイ。
 ひたすらイタイ。
 さあ、オタクはこの痛さにどこまで耐えられるか!

 「スキですっ!! つつつきあってくっください!!」
 「いやよ 滝沢くんて詩織の抱き枕(通販)抱いて寝てそうなんだもん」 
  図星だった。

 ヒトコマ目からこれだよ。
 詩織の抱き枕はないけど……アヤナミの等身大タオルケットなら……。あ、アニメイトで買ったやつ……。
 あ、イタタタタタ!

 「月子センパイ、イヴって何か予定入ってますか?」
 「ん……多分コピー本の原稿をやってると思う……なんかもうすでにテンパっちゃってるんだるんだよねー まあ毎年のことなんだけどぉー(苦笑)」
 やっぱそうだよね……わかってた……ボク ホントはわかってましたー!!
 この時期 破局をむかえる同人女は多いといいます……

 これを読んで笑えない女性が、ウチの劇団には数人いる。
 高校卒業してウン年になるのに、未だにこの状況つづいてるらしいし。ホントに人生、それでいいのカシラカシラ。

 すんません。
 今回、細かいストーリーを引用して説明していったら、私自身、すごく痛いんで、ちょっと控えます。修業が足りんなあ。
 一応、あと一つだけ、しげの絡みのエピソードを。

 「このマンガで、電車の中でコミケカタログ堂々と広げる女の子が出てくるでしょ」
 「ああ、あの天然ボケのキャラね」
 「でも隣にいた主人公が、『あの分厚い本が何なのか分るのもオタクだけだから恥ずかしくない』って言ってたじゃん」
 「ああ」
 「あれ、ホントだよね。オタクの行動の意味なんてオタク以外には分らないんだから」
 「……それでホッとしたって?」
 「うん」
 「つまり、お前、自分で自分がオタクだってことを認めたわけだな?」
 「……はああああああっ!」

 なんか、無差別で読者にキズを作りまくってるよな、この本。
 「ボクはオタクじゃない!! ただのアニメファンだ!! ←オタクの言いワケ」 アイタタタタタタタタ……(/_;)。   


 夜中にしげ、また「どこかに旅だとうか」なんて言い出す。
 だからそこで私がホントにコワレちゃって、「いいよ、どこまででも行こう」なんて言い出したらどうするつもりなんだ。
 やっぱ、破滅型のヤツとくっついちゃった苦労ってのは一生続くんだろうなあ。

2001年02月03日(土) 笑いの王国/『かめくん』(北野勇作)ほか



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