無責任賛歌
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| 2001年11月28日(水) |
ひと月早いぞ誕生日/DVD『キカイダー01』第1巻/『マジンカイザー』2巻ほか |
体調は(っつーか、主に腹具合なんだけどさ)今んとこ小康状態。 日記の更新がずいぶん遅れているので、なんとか片付けたいのだが、オタアミ前後のことはあまりにネタが多すぎて、何を書いて置くべきか、結構迷ってしまうのだ。 何度かこの日記にも書いていることだが、私は「面白いことを書こう」とは思っていない。それどころか、「いかにつまらないことを書こうか」と迷いながら書いてるんである。 朝起きて歯を磨いた、実はこれだけ書いても「日記」は成立しちゃうんである。ただし、「歯を磨いた」という行為だけを書いても実は意味がない。 その人が使ってる歯磨き粉はなにか。どんな味がするか。ハブラシは何か。ハブラシはタテに使うかヨコに使うか。一回のハミガキにかける時間はどれくらいか。 そんなできるだけ瑣末な、どーでもいいように思えることを書き残しておくことこそが大切なのだ。百年後の人間、千年後、一万年後の人間にも「歯を磨く」という習慣は残っているかもしれない。しかし、21世紀人と比較すれば、それはトンデモナイ変貌を遂げているんなじゃなかろうか。 だって、今から百年前には、私たちが使ってるような「練りハミガキ」なんてものだってなかったんだもの。たいていの人は歯を磨くのに「塩」を使っていた。それで充分だったのだ。 だから、今、我々が使っているものや習慣、当たり前だと思って見逃していること、これを書いておくことの方が実は後世の人たちにとってはとても大切なことだったりするのだ。 AIQのエロの冒険者さんの日記を私は毎回楽しみにして読んでいるのだが、一番スバラシイと本気で思ってるのは、あの一連の「ウ○コ」の描写なのだ。……下らないと言うことなかれ。継続は力なり。あれを書けるのは(書こうなんてことを思いつくのは)日本広しといえどもエロさん一人であろう。 広瀬正の『もの』を思い出していただきたい。「こんなありふれたもの」と記録することを怠っていると、我々は、日本は「フジヤマゲイシャの国」、アメリカは「ヤンキーの国」、中国は……おっとっと(^_^;)。……てな、ステロタイプな姿でしかその時代が見えなくなってしまいかねないのである。
高橋葉介のマンガに『たった一人の日本人』ってのがある。 なぜか地球上から、たった一人を残して日本人が絶滅してしまう。日本人は最後の一人ということで希少動物扱い。憤懣やる方ない日本人は悲鳴を上げるが、ほかの地球人たちは、そんな彼の叫び声に耳を傾けようとさえしない。 最後に、地球上からそのたった一人の日本人を残して、地球人全員が滅亡してしまい、その一人残った「地球人」は宇宙人に命を助けられる。その瞬間、その「地球人」は気付くのだ。地球の歴史は全てその「日本人」の手で「創作する」ことができるのだ、ということに。
何が言いたいか、賢明なる読者諸兄にはもう、おわかりであろう。 もし、私が「ハブラシは横に引いて使うのが正しい」と書き、「そんなつまんないことなんか誰が書くか」とみんなが「ハブラシの使い方」について誰一人書き残さなかったとしたら、私が書き残した文章が、ハブラシについての唯一の文献、つまりスタンダードになっちゃうのである。 いや、別に唯一でなくとも構わない。 この時代、一番美味いラーメンは何か。 それについては、いろんな人がいろんな意見を書き残しているだろう。その意味では一人一人の情報としての重要性は低いように思える。しかし、そのデータを分析しようと本気で考える人間が後世現われたとしたら、ちょっとした意見でも、「傾向」を調べるための貴重なデータの一つとなるのである。
情報に優劣を付けてはならない。 しかし一回に書くことの出来る文章の量と時間は限られている。 私が苦労しているのは、どんな基準をもってしても、「どちらの情報の方を選択すべきか」の決定的な根拠にはなりえないというじじつがあるからなのだ。 ……オタアミのネタ、まだまだカットしたもの多いんだよなあ。もったいないよなあ。
なんだか世間ではウィルスが大流行らしい。 「エンピツ」の日記を覗いても、知り合いや有名人のサイトを覗いてみても、「ウイルスメールが来たよー」という話題がしきり。 以前私のサイトを襲ったウイルスメールはどうも私個人を狙った可能性が高かった(一日の間に何10通も連続して来たのである)。しかし今度はどうやら不特定多数。 話によると、クリスマスが近くなったり、お正月が近くなったりするとウイルスメールが流行るんだそうだが、これってまんま「他人の幸せがニクイ」パターンのような気がするがどうだろうか。
私「謎の添付ファイルが送られて来たけど、どうすりゃいいの?」 しげ「削除しなよ」 私「どうやって削除すんだよ」 しげ、ムッとした顔で添付ファイルをゴミ箱に入れ、削除する。こんなん自分でやれよって顔だ。 今のところ実害はなくてすんでるし、私自身はそれほど痛痒も感じちゃいないんだが、しげをイライラさせただけでも、犯人の意図(まあ愉快犯だってことは間違いないことだろう)は果たせたことであろう。
職場近くの「ボナペティ」という総菜屋でおかずを買う。ヤキソバ・かつとじ・肉じゃがコロッケなどなど。 ウチに持って帰って食べる時間はないので、車の中で二人で食べる。何となくピクニック気分になるのか、しげは結構喜んでいる。 いや、なぜそんなに慌てているかというと、今週末から始まる映画のチケットを博多駅のチケツトぴあまで買いに行くつもりだからだ。仕事が長引いたりしたらあっという間に店が閉まっちゃうので慌てているのである。 慌てすぎたんだろうか、しげ、おかずの入った袋の底を押さえながら、 「汁がこぼれた汁がこぼれた」 と、オロオロしている。 かつとじみたいな、つゆだくなものを買うからだ。ピクニックなら、つゆものは避けるのが常識じゃんか。
博多駅のデイトスで買ったチケットは、『おいしい生活』『ピストルオペラ』『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』の三本。 『ハリー・ポッター』もホントは買いたかったのだが、キャナルシティの分は売りきれ。直接キャナルまで行かないと売ってないらしい。しかも、まだここで扱っているトリアスなどのチケットは既に写真印刷のものが売りきれていて、コンピュータの券売機のもの。こりゃ相当ヒットしそうな気配だ。 帰りにメトロ書店にちょっと寄る。 本を物色していて、ふと気がつくとしげの姿が見えない。 どこへ行ったか、あのフーテン女が、と慌てて本屋から外に出たところに、しげが向こうから、ニヤニヤしながら歩いてくるのに出くわした。 「どこうろついてんだよ。また迷子になってたのかよ」 しげ、「プレゼント」と言って、いきなり紙袋を渡す。 「……なんだよこれ」 「開けてみて」 「開けてみないよ」 「……つまんないよう。開けてみてよう」 開けないとそこで泣くか踊りだすかしそうだったので、仕方なく中身を見る。 「……あ、サイフか」 そう言えば、今、私が使っているサイフ、チャックが緩んでバカになっていたのだ。 「うれしくない?」 「いや、うれしいけど」 「うれしそうな顔してない」 「もとからこんな顔だ。悪いか。それよりなんでいきなりこんなものを?」 「……誕生日のプレゼント」 「オイ、オレの誕生日、今月末だぞ。早過ぎるじゃん」 「いいんだよ、当日は忘れてるから」 「……」 「それと結婚記念日のプレゼントも兼ねてるから」 「……ただの手抜きじゃんかよ!」 喜んでいいのか悪いのか(+_+)。
しげが、「オレの日記なんか誰が読んでんだ」とかブツブツ文句を言っている。 相変わらず暗号で書いてるんで、解読するのに骨が折れるが、意外とこういうの、面白がってるヒトも多いんじゃないか。 今日の日記も読み解くのにちょっと時間がかかる。だんだん、主語も目的語も省略されて、俳句よりも短くなってきているのだ。
で。(「出」らしい。「出かけた」と言うことか) ね。(「寝」かな。昼はずっと寝ていたってことだろう) 雪、バカ。(「雪」は私のことだろう。なぜ私に悪態をついているのか、理由は謎だ) む化。(「ムカツク」か? だからなんで怒ってるんだよう) 置かず。(「おかず」を買った、と言うことだろう) 駅再府県。(「博多駅で、サイフと、映画の券を買った」ということらしい。いくらなんでも省略し過ぎじゃ) 痴愚と。(「仕事」らしい) 巨いく。(「新人教育をする」ことらしい)
一緒に暮らしてる私にまで分らないことも増えてきたなあ。
DVD『マジンカイザー』2巻。 第1巻でたいがいの有名機械獣はつかっちゃったと思ってたけど、まだキングダンX10やアブドラU3とかが残ってたか。でもホントに見せ場もなくどんどんコワしていくなあ。たとえヤラレメカでも大事に使わないと、ドラマ自体が死ぬぞ。 Zを失った甲児が新たにカイザーに乗り込むって展開になるのはわかる。けれど前巻のラストで、カイザーのあまりのエネルギーに堪えきれず、甲児は気絶してしまい、カイザーは暴走したはずだ。 なのに、今回は特に特訓してカラダを鍛えたわけでもないのに、甲児は「効きやがるぜ!」とヒトコトで済ましてカイザーを乗りこなしてしまうのだ。いくらなんでもこりゃ簡単過ぎるんじゃないか。 でも、Zもグレートも、原作同様、手をもがれ、カラダを貫かれて、まるで血しぶきのように油を飛ばす、その描写は今見ても充分ショッキングだ。 特に、今回四肢を裂かれるのはアフロダイA。メカなのにメカなのにメカなのにセクシーだよぉぉぉうぉぉぉう。 設定は変われど、基本的なストーリーラインや部分部分での描写は原作に忠実。これはやはり『マジンカイザー』という新たなブランドを作る必要があったとしても、最も永井豪マインド、マジンガースピリッツを反映した映像化ではないか。 ラストで、傷ついた剣鉄也と炎ジュンはシリーズからリタイア。 ということは、今後はZもグレートも出てこない、カイザーだけが機械獣軍団と戦い続けるってことなんだな。 そして次巻はついにアレが出る。原作ファンよ狂喜せよ、初めて映像化されるぞ、ガミア三姉妹が! あらゆるものを切り裂く金髪を持つ、美しき殺人アンドロイド、ガミアQ1・Q2・Q3。兜甲児の命をギリギリまで追いつめたあしゅら男爵の娘たち。旧テレビシリーズじゃ、ただの機械獣にされてたけれど、原作の『マジンガーZ』中、最も人気の高かった名キャラクターだ。 まさか生きてるうちにあの艶やかな姿を見られることになろうとはなあ。まさに感涙。 今回、「片目のつぶれた」兜十造(声・納谷悟朗!)もちゃんと映像化したのだ。多分、シリーズが進むにつれて、ブロッケン伯爵もピグマン子爵も登場してくる可能性が高い。 いや、今まで一度も映像化されなかった機械獣ドグラマグラや、マジンガー軍団、そして原作通りのドナウα1や美しきローレライ、フォン・シュトロハイム博士も登場するかもしれないのだ。 多少、シナリオがいい加減でも、こりゃもう期待しちゃうからな、オレは!
DVD『キカイダー01』第1巻。 わっ、たった25分間しかないぞ。 前の『キカイダー』が全12話、6巻だったから、てっきり全4巻なら8話だと思うじゃないの。 それが25分って……わあ、のっけからアーマゲドン・ゴッドの発動だ。もうビジンダーが出てきた。シャドウナイト、たった1巻で退場かよ。するってえと何か、たった100分の中に、あと、OOもザダムもワルダーもガッタイガーも出してくのかよ。普通の感覚じゃ出来るこっちゃないぞ。 ……よっぽど前のキカイダー、売れなかったんだろうなあ。シリーズが中断する危険もあったのを、監督を変え、巻数を少なくすることでやっとGOサインが出たんじゃないかなあ。 まあ前作は地味っちゃ地味だったし、テコ入れも仕方ないことなのかもしれないけど、私は好きだったぞ。 特に母親を出したとこなんか(原作には回想シーンにチラッとしか出て来ない)。 どちらかと言えばゆったりしたイメージのあった前作に比べて、ハイスピードな印象のある今シリーズ(おかげで作画もザツだ)、その路線変更があまり吉とは出ない気もするけど、ファンは見守っていくしかないのがもどかしいなあ。 ……オイ、予告編もついてないよ! ホントに大丈夫なのか?!
2000年11月28日(火) 〆切はゴムのように延びる(^o^)/『蟲師』1巻(漆原友紀)ほか
| 2001年11月27日(火) |
癒されたいの?(-_-;)/DVD『ウルトラQ』6・7巻/『ギャラクシー・クエスト』 |
体調は昨日からぐずつき気味。 外は小雨で鬱陶しい。 溜まっている仕事をチビチビと片付けながら、自分でもココロが病んで来ているなあ、と自覚する。 自分で言いたいことではないが、私の仕事ぶりは決して有能だとは言えない。かと言って、自ら無能だと言いたくないのは、私の基準値から言えば明らかに「無能」と言いたくなる同僚が、自分はいかにも有能という顔をしてふんぞり返っていたりしてるからだ。 あ、これ、別に「私の方が有能なのにキィ、悔しい」とか、自分にプライドがあってそう言ってるわけじゃなくて、ウチの職場、たとえ謙遜ででも冷静な判断であっても「オレって無能だなあ」なんてことを口にしようものなら、確実に引きずり降ろされかねないところだからなんですね。いやあ、砂漠のような人間関係(^^)。 だからみんな有能なフリをする。 マジメにマジメに仕事をして、キレイごとだけ言っていて、仕事にアソビ心を持ちこもうなんてもってのほか。そのくせ、一朝コトあらば責任を取らないように取らないようにと立ちまわる。 なんだかなあ、ホントにドクター・スミスかネズミ男ばかりが跳梁跋扈してるとこなのな。 でも、そんな余裕のない環境じゃ、当然のように職場になんとなーくギスギスした感じが漂ってくる。 いつもだったらねえ、私も「まあなんとかならあ」みたいな感じで悠長に構えてるんだけどさあ、体調が悪いときだと、とてもそのムードに抗しきれなくってねえ。つい巻きこまれちゃって、どんどん気分がずーんと落ちこんでくるのよ。 ぼ〜っとして仕事が進まない、トイレに篭るとどうもウ○コのキレが悪くていつまでも出てこられなくなる、まあ、壁に白い虫が這ってるのが見えたりこそしないものの、これはちょっとなにか気分転換をしないとマズいなあ、という感じになってきているのだ。
で、なにげなしに、こないだ見返してたLD『火宅』のパンフレットを職場に持ってきていてね(なぜ持って来ていたかはヒミツだ)、それを同僚の女性に見られたのよ。 「あ、……これ……」 その人はウチの職場では珍しく、キレイ事をあまり言わないほうなんで、まあ、会話をするのはつらくはないんだけれども、こういう気分が落ちついてないときは、「これ、なーに?」程度の質問でも返事するのが億劫になっちゃってるんだよね。 正直言って、なに聞かれても返事したくないなあ、てな気分だったんだけれども。 「有久さん、川本喜八郎が好きなんですか?」 一瞬、アタマん中に風が吹きぬけたのを感じたね。 ちょっと間が開いて、思わず上ずった声をあげちゃった。 「は、はい、大好きです!」 「私も、『火宅』、好きなんですよ。上映会があった時にわざわざ見に行って……」 やっぱり、ココロが病んでいるなあ、と感じたのは、その瞬間、ちょっと泣きたくなってしまったからだ。 あのさあ、“川本喜八郎”って名前が、職場の同僚との会話ん中で交わされることがあるなんてこれっぽっちも期待してなかったからねえ。そりゃ、アニメ関係で「名前知らない」なんて言ってたら、「お前はそれでもアニメファンか」って言われるくらいメジャーな名前だけどさ、世間一般の人で、たとえ『三国志』や『平家物語』見てた人だって、スッと川本さんの名前なんて出て来ないんだよ。 アンタ、私が15歳若くて独身で、向こうも独身だったら、絶対デートに誘ってるよ。オタクはちょっとでもオタク的知識を共有する人間に出会っちゃうとすぐ、舞い上がってしまうのだ。……私以外にも身近に実例をいくらでも挙げられる気がするがあえて言うまい(^^)。 残念ながら相手も既婚であった。ちっ。 仕事中だし、その程度の会話しかしなかったが、それだけで気分が高揚してしまうのだから、私のメンタリティーはやはり相当単純にできあがっているようなのである。
その同僚の女性、そのあと、別件でなにか気に入らないことでもあったのか、いきなり、「ぶりぶりざえもん」と呟いた。 私が思わず「ぶりぶりざえもんがどうかしましたか」と聞いたら、「……そういうのは聞き流してください」と照れられる。 「いや、私も好きですよ、『ぶりぶりざえもん』」 「私は強いものの味方だ」×2 ……ここでハモるか(^o^)。 この程度で、気分がスッと晴れちゃうのだから、アニメの力は偉大だ。 いや、相変わらず、咳は頻繁に出てるんだけども。
ウチの近所に相次いでできている焼肉屋、先日からしげに行きたい行きたいとねだられていたのだが、仕事帰りの迎えの車の中で、しげが「腹減った腹減った肉食いたい肉食いたい」といつものピーチクを始めたので、そのうちの一軒を覗いてみることにする。 本屋に寄ったあと、目的の「一番カルビ」到着。 ……なんだありゃ。 小雨が降ってるってのに、店の前に4、5人の店員がノボリを持ってチャンピオンフラッグのようにぶん回している。 「えらっさいまっせー! えらっさいまっせー!」 ……呼びこみかい! しかし、いくらなんでも気が入りすぎてないか。 細い補導を占拠してるものだから、よけて通ろうと思ったら、車道に思いっきりはみ出すか、そのまま店に入るしかないぞ。 「ここね、開店後一週間くらいはすごかったらしいってよ」 「スゴイ感じはするけど……どうすごかったの」 「半額セールやってたんで、満席状態がずっと続いたって」 そりゃ、店がすごいんじゃなくて、客がすごいんじゃないか。狂牛病騒ぎのせいか、安い輸入肉に、今まで飢えてたチマタの人間が群がってったらしいな。 しげは肉は好きだが混雑は大嫌いなので(だから私が誘っても居酒屋のたぐいには絶対に入らない。劇団やAIQや職場の宴会のときだけが例外)、開店当初は来たがらなかったのだ。
店内は全て座敷席だが、テーブルの下がホリになっていて、足が投げ出せる。コレだけでもしげのポイントは高い。 正直言って、食欲はあまりなかったのだが、しげの「肉肉肉肉肉肉肉ぅぅぅぅぅぅ!」という言葉を毎日聞くのも面倒クサイので、食う覚悟を決めて、ロースにカルビにハラミにホルモンと頼みまくる。 と言っても、赤身は殆どしげの腹の中に収まる仕組みになっているのだ。私はおもにホルモン専門。脂身が多いとハラに持たれるので徹底的に焼く。脂が落ちてぼうっと燃えるところにサッと野菜を乗せてこれもキャベツがシナシナになるまで焼く。しげは焼き野菜を一切食べないので、野菜だけは食い放題だ。 赤身の肉も一つ二つは味見程度につまむ。ハラミが特にソフトで、多少焼きすぎていても、柔らかさを失っておらずウマイ。どうやらコレがこの店の目玉のようだ。 しげ、デザートにアイスクリームみたいなのを頼むが、焼肉と一緒にそんなの食べたら、覿面に腹を壊しちゃうんだよなあ。 腹コワしてでも好きなものを食いたいという、本能に対する忠実さは、ある意味感心するんだけどよう。 たらふく食って、二人で三千円程度。まあまあ良心的な店と言えようか。
もちろん、風邪引いててこんな暴食をしていたら(っつーほどでもないが)、胃に来るのは確実で、帰るなりトイレでげろげろ今食ったばかりのホルモンを戻す。 ……よし、ダイエット完了。 って、こんな生活繰り返してたら、確実に命縮むな(^_^;)。
DVD『ウルトラQ』6・7巻(完結)。 仕事の関係で、『あけてくれ!』に登場した天本英世さんにお会いした時、「『ウルトラQ』の思い出は?」とお聞きしたことがあるが、「もう覚えてないよ。一杯そんなのに出てたんだから」と言うことだった。 『デビルマン』の『妖獣ゴッド』と並んで、この「再放送の時だけ流れた」エピソードについては、実際に見た人間が少なく、当時の子供たちの間でも、「そんな話はない」いや「あった」、とケンカになったものだったが、もちろん私は見ていて、頑固に「ある」を唱えて、「ない」派のガキ大将に殴られていた。 今思い返すと、そこでオタクとオタクでない人間が区分けされていたような気がする(ホントかよ)。 なんにせよ、『あけてくれ!』は、そういった経過もあって、子供のころは全話中、最も好きなエピソードだった。
今ベスト5を選ぶと、必ずしもこれをベスト1に持って来るのか迷うのだが、完結記念に現在の私のフェイバリット5を挙げておこう。 1、『バルンガ』青野平義の奈良丸博士の演技は120点! 2、『悪魔っ子』子供の目ってどうしてこんなに怖いんだろう。DVDの映像で見ると恐怖は倍増! 3、『あけてくれ!』実は、淳と由利子の恋が描かれる唯一と言っていいエピソード。多分、これが『エヴァ』の列車シーンのルーツ。 4、『カネゴンの繭』昔嫌いで、今、好きになったエピソードとしては最たるもの。テーマソング聞いただけで泣くし。中川晴之助監督の少年を見る目はどれも優しい。 5、『1/8計画』。最後の1本はどれを入れるか迷った。今でも通じるSFの代表作と言うことでチョイス。でも、どうして由利子はこんな妄想を見たんだろうか。そっちの方が謎だ。
映像特典の最新インタビュー、佐原健二・西條康彦・桜井浩子の三氏は、当然おトシを召しておられて、すっかり括舌も悪くなっているのだが、「『ウルトラQ』が今も生きている」と断言してくださっているのは嬉しい限りだ。
DVD『ギャラクシー・クエスト』。 おおお! 特典の未公開映像が一杯! 劇場で見た時、シガニー・ウィーバーの前チャックはいつから半開きになってたんだろうと思ってたんだが、こんな肝心なシーンをカットするとは! お子サマも見るかもとカットしたんじゃないかって穿った見方をするヒトがいるかもしれないけれど、他のカットシーンを見てもわかるが、これは単に上映時間の尺と、映画のリズムを考えたための措置であろう。 アタマの中で、未公開映像をもとのシーンにはめ込んで行けばわかるが、ギャグの質がかぶったり、間が空いたりして、そこで映画のリズムが途切れちゃうのである。 言い替えれば、映画として『ギャラクエ』が非常にスッキリとした出来になってるってことでもあるんだけれど、あまり「破」がないと、その映画はカルトにはなりえなかったりする。 見返して思ったのは、一同中のおミソの「ガイ」の出番を、もちっと増やしてうまく使えてたらよかったのにな、ということである。だってあいつだけキャラが立ってないんだから、艦長たちのように「役を演じなければならない」必然性ないんだもの。もっと自由に、ヤケな行動とらして、『宇宙家族ロビンソン』のドクター・スミスみたいな、半裏切り者的キャラにしたりしてたら面白かったのになあ、と思うんである。 日本語版の吹替えはまあ、悪くはないかな。 サーミアンの口調を声優さんたちも原音と似せて、「か゜ぁ〜んちょだけが、た゜ぁ〜よりです」なんて喋ってるのはなかなかウマイ。 ああ、しかし、ティム・アレンに誰の声を持ってくるかと思ってたら、艦長は艦長でも、ブライト艦長だったとは(^o^)。いや、いい加減な感じが結構ハマってるんだけどね。ちょっと『パトレイバー』の時の内海さんみたいな雰囲気もあるし。 だったら、シガニー・ウィーバーには小山茉美じゃなくて、白石冬美を持ってきてほしかったな。……んじゃ、アラン・リックマンは玄田哲章か井上真紀夫かい。……もう、このネタのわかるヒトも少なくなってきたなあ。
2000年11月27日(月) 活字の本が読み進まない/『カスミ伝△(さんかく)』1巻(唐沢なをき)ほか
| 2001年11月26日(月) |
そろそろこの日記タイトルにも飽きてきてるんだけど/『社会派くんがゆく!』(唐沢俊一・村崎百郎)ほか |
オタアミもひとまず終わったことだし、日記のタイトルを、もとの『無責任賛歌』に戻してもいいいのだけど、公演終了後も「オタクアミーゴス」で検索かけて覗きに来てくれてるお客さんがいるみたいなんである。 しかも結構。 舞台裏の状況などを知りたい人もいるかもしれないし、お三方のご動向などをこまめにチェックされてるマニアな方もいらっしゃるかもしれない。 いや、言いませんよ、「なんて○○○な人たちだ」なんて(^^)。 こんな貧相な日記に来てくださるようなせっかくの貴重なお客さまがただとゆーのに、そんな天にツバするよーな、自分を棚に上げたよーなことは口が裂けても言えませんって(言っとるもどーぜんだがな)。 というわけで、まあ、あと1ヶ月くらいはこのタイトルで行きます。 今回の公演の上映会が終わるときくらいまでは。 でもって、また来年の販促が始まったらまた“オタアミ”をタイトルに入れるとゆー、そんな展開で行こうかなーと。 でも、もし「コロコロタイトル変えるな! 判りにくいわ!」というご意見の方が多かったりしたら、このままでいくかもしれません(←優柔不断)。いや、実のところタイトルにはあまりこだわってないんですよね。ちょいとした事情で30秒で決めなきゃならなかったタイトルだったりするもんで(そのへんの事情を知りたい人は、2000年8月3日のFirst記事をお読みください)。
ノドが痛い。 咳が止まらん。 昨日からの体調不良がノドに来てるぞ。風邪っちゅーより気管支炎か。 アメ飲んで押さえるが5分と持たん。 たしか、昔、医者でもらった風邪薬のあまりがあったなあと探して飲むが、効いた気がしない(よいこはマネしないでください。古い薬はかえって危険な場合があります。……知ってんなら飲むなよ)。 おおいおい、熱が出て来たぞ、知恵熱か?(壊れているのかもしれない)
体調を崩しているのは私ばかりではない。 しげも、昨日帰ってきてそのまま寝てから、もう16時間経ってるってのに、泥のように沼のように、浅瀬に打ち上げられたリュウグウノツカイかサッコファリンクスのようにノテッとして起きあがってこない。 死んでんじゃねーのか。 ともかく、普段は「オイ朝だぞ」とか声をかけたら、「ううん、ネムネム♪」とか、とか「起こすなボケが(`´メ)」とか、何らかの反応を示すのだが、今朝はそれもない。 疲れてるのはわかるが、それにしたってここまで眠り続けるというのは尋常じゃない。やっぱりカラダにどこか疾患があるんじゃんいかって常々思っちゃいるんだけれど、「ウチの妻は眠りすぎるんです」なんて、何科にかかりゃいいんだ。どこでもいきなり眠るってわけじゃないから、ナルコレプシーとかじゃなさそうだしなあ。
腹もシクシク痛むので、トイレに行くと、まあ、ナニがとってもキレイな紅色♪(あからさまな表現は自粛いたしました) うふっ、内壁のどこかが切れてるのね。 もうこんなことはしょっちゅうなので、カネもかかるし、いちいち医者には行かない。しばらく安静にして寝てりゃ治るだろうってんで、職場に電話を入れて遅刻して行くことにする。 とりあえず、こういう時、一食や二食抜いても平気な糖尿体質は便利だ(便利化?)。でも、のびのびになってる仕事を片付けるのにはえらく手間がかかっちゃうんだけどねえ。
結局、昼から仕事に行って、帰りはしげを携帯で呼び出す。 あのあともしげは更に寝続けて、18時間睡眠の記録を達成したのであった。 ちなみに、今までの最高は16時間くらいだったかな? あまり騒がないし、ペットにしとくにゃいいじゃん、という人もいるかもしれないが、起きたらこいつは寝てた分のエネルギーを取り戻そうと、ヒトの3倍は食うので、結局コストがかかるのである。 その間、当然家事は進まない。 誰かしげの嫁になって(T_T)。
マンガ、唐沢俊一編、好美のぼる著『あっ! 生命線が切れている』(二見書房・1449円)。 タイトルロゴにオドロ線を付けたい感じだけど、そういうこともHTMLが上達するようになったらできるようになるのかなあ。 「好美のぼる」については、唐沢さんが前書きで「曙出版の怪奇シリーズの大看板作家」と紹介しているが、実際、作品点数から行けば、手塚治虫に並ぶほどの大量生産をしていたのではないか。 にもかかわらず、私は好美作品を子供のころ殆ど読んではいない。 信じて頂けないかもしれないが、私は子供のころ、ムチャクチャ怖がりだったのである。だから怪奇もの、ホラーものの名作と言われるものでも、マンガファンを標榜しているわりには、案外読んではいない。 いや、読もうとは何度もしたのだ。 ところが読んでるうちに駄目になる。怖くなって途中を飛ばして結末だけを見る。あるいは結末も見ずに放っておく。 多分、私が小学生のころ読めた怪奇モノは、楳図かずおの『猫目小僧』ぐらいのものであったろう(あれは一生懸命「これは妖怪モノで怪奇モノじゃない」とココロに言い聞かせて読んだ)。 そんなんだから、未だに私ゃ楳図かずおの『黒いねこ面』も『ヘビ少女』も『赤んぼう少女』も読んじゃいないし、日野日出士の作品集も1冊として買わなかったし、ましてやズラリと並んでた好美さんのホラーシリーズだって、その黒々とした背表紙と気持ち悪いタイトルロゴだけで圧倒されちゃってて、手に取ってみようともしなかったのだ。
それが、今、こうやって読めるようになっている。 それどころか、読んで笑っている。 いや、これはスゴい変化だ。 恐怖と笑いは紙一重というが、その“紙一重を遊ぶ見方”を教えてくれた唐沢さんの紹介の仕方には、異論を持たれてる方もあろうが、素直に感謝したいのである。
と言いながら、唐沢さん、この作品集に関しては、『まんがの逆襲』などで使っていた、欄外にツッコミを書きこむ手法を一切排除している(これは80年代の少女マンガから始まった欄外書きこみブームのパロディにもなってて好きだったんだが)。 そんなツッコミ(言わば解説)は不要との判断からだろう。実際、表題の『生命線』を読んでると、なにも言われなくてもツッコミ入れたくなる描写が続出である。 無実の罪を着せられて自殺した息子の復讐を図る母親の物語って設定は、別に珍しくもなんともないが(和田慎二あたりがしょっちゅうやってた)、その方法として“人間の手相を切り刻んで運命を変える”ってのを思いついたってことがもう、尋常じゃない。 感情線を切られた実直な刑事がいきなり笑い出して「おめでとう!」なんて言うかフツー。おまえは碇シンジか。 頭脳線を切られた検事は、当然アホになる。「ここはどこですかァ 天国ですか!? 地獄ですか!? ヒハヒハー」。アホになるのはいいけど、この「ヒハヒハー」って笑い声はなんなんだよ。思わずあとに「パパパヤー」と続けたくなっちゃうぞ。 太陽線を切られた医者は、金の計算ができなくなって、無料で患者の治療をするようになる。……って、別に助手雇えば金は取れると思うけど。 いや、こういう設定やセリフのいい加減さもさることながら、脱力するのはやはり好美さんの絵である。怖がらせようと思って演出過剰になり笑っちゃうというのは、こないだ見た映画『陰陽師』の鬼のシーンでもそうだったんだけど、いくら手相が変わったからって、工事中のビルの鉄ワクの上で踊るなよ。 このへんは江戸川乱歩の『踊る一寸法師』とかのイメージを絵にしてるのかなあ。でもあれは文章だからいいんで、絵にすりゃホント、バカバカしくなっちゃうんだけど。
『死のハンドバック』は絵的に楳図かずおを相当意識している。 多分、出版社から、「楳図さんの絵で」と頼まれたせいだろうなあ。 好美さんに対する作家としての扱いがどの程度のものだったか、この一事をもってしても見当はつくのだが、それは決して好美さんにとって不名誉なことではあるまい。 山中恒のウケウリになっちゃうけど、大衆作家には大衆作家として、読み捨てられるくらいの通俗的な面白さを追求していく使命のようなものがあるんである。そしてその価値を読者だって、ちゃんと認識してかなきゃならない。 妙な選民意識持ってマンガを評価しちゃいかんよなあ、と思うんである。「名作」ばっか読んでるやつにそんなのが多いのは、経験上、よく知ってるし。 しかし、ハンドバッグから足が出て来て寝ている女の子を蹴り殺すシーンの恐くないことったら。 ……いや、子供のころにこれを読んでたら、やっぱり怖がったかなあ、とも思うんである。現実にありえないことが身の回りで起こるってことは、オトナにとってはバカバカしくても、子供にとってとてつもなく「怖いこと」に違いないからだ。 好美さんの視点、やっぱり小さな女の子に絞られてたのかなあ、とも思う。
と思ったら、巻末の『変身妖怪七変化』、SFヒーローものだよ。 絵柄が今度は一峰大二風になってるよ。確かにSFヒーローものの代表作家と言えば一峰さんなんだけどさあ。 多分、好美さんにしてみれば、あれだけ多作してるんだから、いろんなマンガ家さんのスタイルを取り入れたいと思ったのかも知れない。「よし、今度はSFヒーローものでいこう!」。けれど、出版社の関係から、「少女もの」「怪奇もの」というワク自体は外せない。 そこで、少女ヒロインが、「変身ヒーロー(♂)」に変身し、更に「妖怪」に変身して、世界各国から送られてくる「超獣妖怪」(このネーミングからすると、『ウルトラマンA』以降のマンガかな?)と戦うというトンデモナイ設定を考えだしちゃったのだ。なんで「妖怪」が「セブンマン」なんて名前してるんだよ。全部ごった煮にすればいいってもんでもないだろう(^_^;)。 ……この節操のなさって、初期のつげ義春によく似てるよなあ。というか、それが昔の貸し本マンガの流れを汲むヒトたちのエネルギーでもあったのだ。 たとえば、あれだけ独自の絵柄を築いている水木しげるが、その初期においてアメコミヒーローものの絵柄を駆使してマンガを描いていたことなど、今や誰が知るだろう。 多分、好美さんにはほかにも「水木しげる風」「さいとう・たかを風」「手塚治虫風」といった作品が数あるに違いない。「赤塚不二夫風」や「藤子不二雄風」はちょっと想像がつかないが(^^)。 そういうマンガも、唐沢さんやソルボンヌさんにもっと紹介していってもらいたいんだけど、引き受ける出版社がどれだけいるかなあ。
マンガ、好美のぼる『UAライブラリー8 うわっその子きれい殺す』(日本貸本漫画保存会・送料コミ810円)。 唐沢俊一解説、ソルボンヌK子&エロ上(誰?)ツッコミによる同人誌。纏め買いして、一冊の値段が分らないので、送料コミの値段を書いておきました。 値段や出版社名を明記してるのは、単に記録上のことを考えたてるだけなんで、現物をご注文されたい方は、ソルボンヌK子さんの宛先を自分でネット上で探してください。
タイトルは収録作品中に登場する既知外の女の子のセリフから取ったもので、実際には『魅せられた乙女』『幸うすき星』『テレビスター』の三本が再録。 デビュー当時は、好美さんが怪奇マンガ家としてではなく、ごく普通の(当時としては)少女マンガ家として出発したことがわかる。 初期の少女マンガは詳しく読んでないんでよくわからんのだが、絵柄的には矢代まさこに似ているような気がする(ソルボンヌさんは「わたなべまさこ入ってます」と指摘)。このへん、昔の女の人で(失礼)、少女マンガに詳しいヒト、よかったら教えてくれませんか(ってそんなヒト全国にどれだけいるんだ)。 あ、表紙絵は明らかに中原惇一のパクリだね(^^)。
しかし、昭和40年でもこの絵柄は既に古くないか。 多分作者は「絵の古さ」なんてことは当時微塵も考えていなかったのだろう。ともかく好きなマンガを真似する。それが読者へのサービスになる。そう信じていて、パクリじゃないかとかそんなことはアタマのすみにカケラもなかったのだろう。マネされたオリジナルを越えた低俗パワーみたいなものを生み出しているのだから、簡単に「パクリだ」なんてことは言えないのである。 実際、いろんなマンガを参考にしているために、大胆なポーズやアングルが駆使されていて、見ているだけでビックリさせられるカットが連発。これを文章でどう表現したらいいのか(^_^;)。階段の手すりが折れて、ヒロインの母親が落ちていくカットなんか、ソルボンヌさんは「まるでイタリア映画のようなダイビング!」と評しているが、こんな歪んだ水泳飛びこみみたいな落下、一体どんな映画に出てきたんかね。 ともかく、えらく繊細でウマイ絵と、ナゲヤリでヘタレな絵が混在しているのだ。それを作者が全く気にしていないらしいのがともかくスゴい。 少女マンガと劇画のごった煮はこんな初期作品から始まっていたのだ。 不幸な女の子が運命に翻弄され、最後にハッピーエンドになるという、少女マンガと言うより、『落窪物語』以来の日本女流古典文学の定番パターンを、臆面もなく展開させている当時の資本漫画のパワーには圧倒されてしまう。自殺しようとする少女をカモメが助ける、なんて超自然的な展開も当時はよくあったんだよなあ。 あっ! とすると、こんなところにも『オトナ帝国の逆襲』のルーツが! ヽ(^。^)丿
唐沢俊一・村崎百郎『社会派くんがゆく!』(アスペクト・1365円)。 2000年7月から、2001年7月までの1年間に起こった事件を、鬼畜なお二人が(^^)言い放題に論ずるというもの。 でも実はこの手の会話、酔った勢いであちこちの居酒屋じゃ誰でもが言ってるレベルのことなんだよねえ。いや、だから珍しくもなんともないと言いたいわけじゃなくて、こんな誰でもが感じることすら、出版物としては出しにくくなっている状況、日本人を「偽善」の中に閉じこめて現実逃避させようという風潮が蔓延していることに対して、なんとも腹立たしい思いをしているのである。
「17歳どもは『こんな平和でだらけた世の中なんか、何十年生きていたってもう大したことも起きやしない。自分で犯罪でも犯すくらいしか、刺激的なことなんかないんだー』とか妄想していたんだろうが、ちゃあんとガマンしていれば、米国同時多発テロのようなステキなものも見られ、日本もテロの標的になるかアメリカの報復戦争に巻きこまれるかというスリリングな経験をすることができるんだから、あせってはいけないのである」 内藤泰弘の『トライガン』を読んで、ビデオ屋を爆破した17歳についての唐沢さんの言葉だが、さて、これを「不謹慎」と本気で怒る人間が現実にいるのである。 いわく、「テロではたくさんの無辜の人間が死んでいるのに、その死を悼まず、ショーでも見るように楽しむのは人間としてどうか」とか。 どうかもなにも、アンタも「ショー」として見てるからそんな発言が出るんじゃねーか。自分の痛みとして感じるんだったらさっさとニューヨーク行って、瓦礫一つでも取ってこんかい。 戦争の恐怖は、ヒトの命が失われるからではなく、人間の意志が一つの線にまとめられて、他の意見が認められなくなる点にある。それはヒトを心から殺していることに他ならない。 「ショーとして見るな」とか「人間として」とか言ってる本人は、自分が戦争屋どもと同じ「他人を自分の意志で支配したい」と考えてるってことについて全く無自覚なのである。 彼らは、自分を「善人」側に置くことによって、「悪人」を糾弾することができるようになったと自己暗示をかけているのである。恐怖政治を行った皇帝が、自らを「天子」と呼んだように、「強権を発動する」資格を手に入れた気になっているのだ。
私はあのテロ事件が起こった時に、この日記で、「対岸の火事を決めこんどけ、哀悼の意だって表明する必要はない」と書いた。 実際、「死んだ人間に届くはずもない哀悼の念を、巷で表明する」ことに、「自己満足」以外のなんの意味があるか。それは、「おお、すげえコトやってくれたな」と楽しんで見たり、「別に私に関係ないしい」と知らんぷりを決めこむエゴイズムと、なんの違いもない行為なのである。 もっとキツイことを言えば、「死んだヒトを悲しむ気持ちを表しとかないと、人非人ってコトでサベツされる」という保身のためにやってることであろう。本気でやってるなら、自分の偽善性に気付いてないただのバカだ。 いや、保身に走るっての、気持ちとしてはわかるよ。誰だって自分の身はかわいいし、「安全圏」からもの言ってりゃ、少なくとも自分が攻撃されずにすむしねえ。 けどさ、それって、自分がサベツする側に回ってるってことなんだよ? 恥ずかしくないのか、人間として(^o^)。 はっきり言うが、無視決め込むよりよっぽどタチが悪い。積極的に加害者として振る舞ってるんだからね。 現実に、あの事件の直後に「テロは許さない」と言ってた連中、報復戦争が始まった途端、「日本が参戦していいのか」とか矛盾したこと言い出して、それでいて自分が矛盾したこと言ってることにすら気付いてないぞ。なんだい、結局、自分が死にたくないだけじゃねーか。そういうのを卑怯者って言うんだよ(こう言うとまた、「じゃあ、おまえは命が惜しくないのか!」とかバカなこと言い出すやつらが現れるが、そこまで論旨すりかえてることに気付いてないドバカな連中をまた論破するのは時間のムダなんで、誰かヒマな人がつきあってやってあげてください)。 自分が関われもしないことについて、意見を言えたような気になってんじゃね〜!
村崎さんと唐沢さん、この本を出したことで、また偽善者たちの中に敵を作ってないかなあ。お二人は鬼畜かも知れないが少なくとも卑怯者ではないよ。 私はこの本を読んで、ただの1ヶ所も不快感を感じなかったのだけれど(こういうことも珍しい)、でもまあ、実際に読んでみて、「やっぱり私は唐沢さんたちの考え方にはついて行けません」ってヒトに対して、考え方を変えろなんてことは言いませんよ。私ゃ善人みたいに心狭くないし(^o^)。 善人なおもて往生をとぐ、いわんや惡人においておや(『歎異抄』)。
2000年11月26日(日) オタアミが出て来た日/第3回オタクアミーゴス・IN・九州
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藤原敬之(ふじわら・けいし)
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