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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2001年10月08日(月) これは戦争ではない。……まだ。/映画『クイーンコング』/『カムナガラ』3巻(やまむらはじめ)ほか

 オタアミ当日まであと47日! 47日しかないのだ!

 劇団ホームページの方の公演情報、まだ私が出演することになってるなあ。いい加減で変えないか。

 連休最終日。
 起床は7時半。
 夕べは映画『陰陽師』を見たあと、床に倒れこんで、そのまま寝てしまったので(どこでも寝れるという特技は、こういう時かえってカラダを壊す原因になるのがネックだよなあ。最近、行き倒れ式に眠っちゃうこと多いぞ)、ちょっとカラダの節々が痛む。

 パソコンで「エンピツ」の日記サーフィンをしていると、ところどころに、「戦争」の文字が踊っている。
 もしや、と思ってテレビをつけてみると、やっぱり「米英アフガン空爆」のニュース。ブッシュ大統領がなんたら演説しているが、どうも真正面から見るとこの人、マヌケに見えて仕方がない。タリバンがビンラディン引き渡しゃ話は片付くのにそれをしないのは「こんなマヌケ顔に頭下げてたまるか」と思ってるからじゃないのか。
 イスラム圏では、人を罵倒するのに「犬」と譬えるそうだが、実際、犬に似てるものなあ(「犬に失礼」との説もアリ)。

 それにしても、ネット上では、宣戦布告もないのに「戦争」だあ、と騒ぎ立ててるヤツらが多いのにはビックリ。これは「報復攻撃」であって、「まだ」戦争ではない。ブッシュがいかに「WAR」を繰り返そうと、国際法における「戦争」には当たらないのだ。
 もっとも、日本の新聞やテレビがヒトッコトも「戦争」というコトバ使ってないのは、そうしちゃうと自衛隊派遣が「戦争協力」ってことになっちゃうんで使えないんだろうけど。
 どっちにしろ、アメリカがあれを「戦争」と呼んでいるのは、自国民の報復の意志を駆りたて、国際協力をも得たいがための宣伝工作の一環にすぎないのである。だから、直接テロにあったわけでもない日本人が、盲目的にあれを「戦争」と呼ぶことは、とりもなおさずアメリカの認識に追従することにしかならない。 そんなに今回の攻撃を「戦争」に仕立て上げたいのはどうしてかね?
 この攻撃がどんどん拡大していって、本格的な戦争になればいいと願っているのか?
 そうでないなら、安易に「戦争」なんてコトバを使うな。
 「21世紀型の戦争」とか、一見意味ありげで、その実何が言いたいんだか分らない言質を繰り返して喜んでる軍事評論家モドキと同じレベルだぞ。
 ……民間レベルでは戦争について、その程度の認識しか持てないのかねえ。

 もちろん、今回の空爆によって、罪のない民間人も多数、死傷しているに違いない。たとえこれが現時点では「戦争」ではないとしても、その「死」は紛れもない事実だ、と主張する方々はおられるだろう。
 けどねえ、みんなヒステリックに「民間人がたくさん殺されてるんだぞ!」と叫んでるけどさあ、さて、今まさに民間人を殺しているのは本当にアメリカだって言えるのか、ちょっと考えてみたらどう?
 アフガニスタンもまた、ワザと自国民を犠牲にしているってことに、気がつかない?
 あのさ、ビンラディンもオマル首相も、アフガンの閣僚が全く犠牲になっていないのに、どうして民間人にだけ被害者が出てるわけかな?
 つーか、攻撃ターゲットになってる周辺にどうして民間人がいるの?
 危険区域にそれと知らせず、置き去りにしてるからに決まってるじゃないの。
 これは、タリバンが「民間人をアメリカは虐殺した。悪いのはアメリカだ」と自分たちを正当化するためにあえて自衛をしなかった、そう考えるのが自然だよねえ。

 「パールハーバー」のときみたいにさ。

 はい、戦略マニアにはお馴染みでありましょう、田中芳樹の『銀英伝』でも同じ手が使われておりました、「あえて犠牲者を出して戦意を鼓舞する」作戦であります。
 ……だからこの程度の見え透いたプロパガンダに乗せられて、「イスラムは正しい、アメリカは悪だ」あるいは「戦争自体が悪だ」と主張するヤツらはただのバカなんだって。
 で、このバカが歴史上、いなくなるってことはまずないから実に有効な手なのだよなあ。
 アメリカも既に自国民の犠牲者をを「利用」してここまで戦略を拡大させている(日本の「英霊」と全く同じ扱いになってるじゃんかよ)。この事件について何か感想を述べるだけで、我々は否応なしに「戦争に巻き込まれる」ようなシステムが作られつつあるのだ。
 いや、もはやアメリカの犠牲者、あるいはイスラムの犠牲者、どちらか(あるいは双方)に「同情」する気持ちを持つことすら、「戦争肯定」の「思潮」に荷担せざるを得ない状況になりつつあるのである。「イデオロギー」やら「宗教」ってのをあまく考えちゃいかんよ。

 だから言ってる。
 政治家は何らかの態度を取らざるを得ないからしゃあない。けど、民衆まで過剰に反応する必要はないのだ。
 こんなのは「対岸の火事」だ。
 無視しろ。

 ビンラディンの最新映像とやらも何度となく流れて、「ジハード」を訴えている。これだけはっきりとこれは「宗教闘争」である、と宣伝してくれているのだぞ。日本人には全く無関係ではないか。一体いつから日本はキリスト教国になったのだ?
 日本の米軍施設が襲われる危険性? そんなもん、ホワイトハウスが再攻撃目標とされることに比べたら針の先ほどの可能性もないぞ。
 デマを広げようとしてるのは誰だ?

 そして、そのデマに乗せられかけてるのは紛れもなく、アナタなのです。

 しげが言う。
 「戦争になったら、何がイヤかって、『隣組』とかでご近所と『協力』しなきゃならないってのが絶対イヤ。そんなんするくらいだったら、『特攻』して犬死した方がいい」
 至言である。
 敵は常に身内にアリなんだものねえ。


 しげとマツダに寄って、手続きの残りを片付ける。
 しげの銀行印などを押して、これでほぼ書類は出揃う。あとはしげが住民票を取ってくるのと、マンションの管理会社から車庫証明が届くのを待つだけだ。
 外はポツポツと雨が降りだしていたが、映画に行けるのはもう今日しかないので、自転車で傘さし運転、ちょっと危ないが、なんとか博多駅までたどりつく。

 シネリーブル博多駅、実は前売券が公開当日でも一階のチケットぴあで売っている。……少しでも客に入ってほしいという健気な心がけなのだろうか、先にそこでチケットを買って、映画『クイーンコング』を鑑賞。

 タイトルでおわかりの通り、これは女版の『キング・コング』、もちろん正当な続編などではなく、徹底したバカパロディ映画である。いやもう「パロディ」なんてコトバも使いたくないくらい、ヘタレたモジリの連続で、ただひたすら「バカ……」という感想しか出て来ない。
 面白いとかつまんないとかいう評価を超えているのだ。
 筋はもちろん旧作の『キング・コング』(ナカグロで区別しよう)に則ったもの。なんたって、主役の名が「レイ・フェイ」だ(フェイ・レイが生きてるうちにこれを見てたら、どう思ったかなあ)。

 女の、女による、女のための映画を作ろうとアフリカに出かける(なんで?)女映画監督。主演の男・レイを誘拐して、女だけの部族の村に潜入したとたん、レイはまたもやその部族に誘拐されてクイーンコングの生贄に出される。
 で、恋に落ちるレイとクイーン。
 レイを襲う恐竜ティラノ“ハリボテ”ザウルスと戦うクイーン。……このシーンがどつきあってるだけなのにひたすら長い。ともかく長い。
 ……すみません、見ながらこのへんでちょっとオチました。というわけで筋の紹介はあと飛び飛びです。

 お約束通り、ロンドンに運ばれてくるクイーンコング(ニューヨークじゃないのか、と文句言わないように。これ、英=伊合作なんだし、『キング・コング』の更に元ネタ、コナン・ドイルの『失われた世界』では、恐竜は当然のごとくロンドンに運ばれて来るんだから)。
 メスなので、放送上問題があると、鉄のブラジャーをつけられる(でも下半身はスッポンポン。ボトムレスはいいのかイギリス)。怒って鎖を引きちぎって暴れだし、レイとビッグベンの頂上に。
 そこでレイは「女性解放」を訴えて、民衆の共感を得、クイーンとレイはめでたく夫婦揃ってアフリカへ。
 ……で、終わりかい。

 ジョン・ギラーミンのクソ映画、リメイク版『キングコング』(実は私、あれをそう嫌いではない。だってジェシカ・ラングが出てるしい♪)の直後に公開予定だったらしいが、製作のディノ・デ・ラウレンティスが怒って公開中止に追いこもうとしたってのはなぜなんだ? 歯牙にかけるほどの出来ですらないぞ。
 なにしろロジャー・コーマンの低予算ホラーより金かけてない。
 いや、『ウルトラファイト』以下の特撮、と言ったらイメージが伝わるであろうか。だってティラノってどう見ても布でできてんだもん。

 吹き替えは広川太一郎と小原乃梨子。楽屋落ちと言うより、映画自体への突っ込みまくりのアテレコ、これも面白いんだかつまんないんだか評価に困る。
 ハンナ&バーベラの動きの少ないリミテッドアニメだったら、行き過ぎたアドリブも効果はあるけど、もともと動きのある実写に過剰なアテレコしたって、セリフは浮くばかりなんだよね。
 『ミスター・ブー』も私ゃ広川さんのアテレコは、全然つまんなかったし。
 歯がキラッと光って「キラーン」「カキーン」「ピカーン」なんてのはまだ笑ってられるけど、踊りに合わせて延々と「ヒッチャカフッチャカハッチャカハ……いつまでやらせるの」って、声優が疲れた様子見せてどうする。
 オチで「最後は愛は勝つって、終わり方が陳腐だね」って、アテレコだって意外性もないし陳腐だわな。

 まあ、私ゃバカ映画は大好きだし、作り手にここまで知性が全くないと、「私バカなフリしてるけどホントはリコウなんですよ」的なイヤミが全くないので、キライなところは全くないんだけど、面白いわけでも全くないので、映画を楽しんだ感覚も全くない。
 ああ、ダメだ、映画のことを思い出しただけで頭の中も大分トロケてきたよ。
 まあ、人生の数時間を無駄に過ごすのも優雅な贅沢でありましょう。
 しげ、音楽が気に入ったらしく、多分ここで買わないと二度と手に入るまいと、サントラCDを買う。
 ついでに『カウボーイビバップ』、エドのストラップも購入。エドがストラップを上下するようになっていてかわいい。

 「GAMERS」でマンガの新刊を何冊か買い、妖怪根付を1個買う(開けたらまた天狗だった。なんでこう天狗ばかりにぶち当たるかな)。
 帰り道、「ビッグボーイ」で食事。
 買ったばかりのマンガを読みながらハンバーグにかぶりつく。

 マンガ、やまむらはじめ『カムナガラ』3巻(少年画報社・520円)。
 先の「侵略者」との戦いで右腕を失った久谷。
 何となく右腕もいずれは復活しそうな気配だけれど、今のところは義手のまま。安易に生やしたりしないところは、作者が作品を大事にしている証拠だろう。 前世の記憶も戻らないまま、それでも敵は襲ってくるので、戦わざるを得ない久谷。彼に襲いかかってくるもとは人間だったモノ、それはたとえばごく普通の主婦であったりする。自分の赤子をその手で殺した母親をヒヒイロカネの剣で倒しながら、心にやりきれないわだかまりを感じていく。
 それでも、少しずつ、過去と現在の接点を探し求め始める久谷のその顔は、前巻に比べるとどこかイっちゃってたような“目の下クマ”の表情が、随分落ちついて来ていて、どこか淋しげな、諦観にも似た装いを見せるようになってきている。
 ああ、そうだなあ。このマンガって、どこかいつも淋しいのだ。「剣」の久谷に付き従おうとする「鏡」の香奈多。
 彼女だって、前世の全ての記憶を思い出したわけではない。全く思いだせない久谷にいらだち、怒り、反発しながら、それでも、その淡い絆を手繰るように久谷に寄りそう。
 淋しいのだ。
 なんだか、こう誰一人として幸せになりそうもないムードのまま、物語が展開していくの、読んでてけっこう痛いんだけど、目が離せなくなっちゃってるんだよなあ。

 帰宅したら、ちょうどCSで『チャンピオン太』の第4話をやっていた。
 おお、またアントニオ猪木がゲスト、今度は覆面レスラーのストライプスネークだ。で、展開は第1話と全く同じ。
 路上で暴れまくって、第一話では並木をぶったおしてたが、今度は電話ボックスを倒す。……試合する前に警察に捕まるって。


 空爆のニュースのせいで、イチローの首位打者のニュースもすっかりかすんでる。
 この世の森羅万象に興味がない「ここにいるのは私だけ」のしげに、「どうせお前はイチローのニュースも他人事なんだろうな」と言ったら、「アンタが首位打者になったら他人事じゃなくなるけれど」とアホなことを言い返される。
 一気に会話するのがバカバカしくなったので、口をつぐんでいると、ややあってしげが口を開いた。
 「……で、どうやって首位打者になったん?」
 「イチローが?」
 「違う、アンタが」
 「オレがいつ、首位打者になった話をした?」
 「イチローは野球をしてるから首位打者になるのは判るけど、アンタはやってないやん、なのにどうして首位打者になれるのかと思って」
 「だから、オレは別に首位打者になる話なんかしてないだろ? そうやって自分の妄想膨らませて勝手に人を巻きこむな!」


 「スマスマ」、今日から再開。
 吾郎くんがいなくてもみんな元気一杯なのは、罪を軽く考えてるわけじゃなくて、また戻ってきた時に気遣わずにすむようにという配慮からだろう。
 ヘタなコメディアンより、よっぽど笑える番組を作っているのだから、早いとこ五人組に戻ってほしいものだ。
 冗談ではなく、スマップはドリフの跡を継ぐコメディ・ミュージシャンだと思っているのである。


 しげが仕事に出かけたあと、またカレーを作り置き。
 鶏の唐揚げも一緒に作ったが、うっかり流しの中に落として、全部洗い流したので、コロモがグズグズになってしまった。
 仕方なく殆ど自分で食う。顎の裏にベタベタとコロモが張りつく感じで、気持ち悪いのであった。……無理して食わずに捨てろよ(貧乏人はこれができないのだよなあ)。

2000年10月08日(日) V2余燼/映画『X‐MEN』ほか


2001年10月07日(日) 新番紹介お休み・有朋自遠方来/映画『陰陽師』ほか

 オタアミ当日まであと48日!

 今日も『クラッシュギア・ターボ』とかいう新番組が朝早くから始まってたが、『パワーパフガールズ』を見るので、一応録画だけしておく。
 でもなあ、こうやって録画しとくと、実際にはなかなか見返せなくなるんだよなあ。だからできるだけ映画の類は録画しながら見るようにしてるんだけど、こんな風に番組が重なるとどうしても片方は録画するしかなくなるので困ってしまう。
 ……録画しただけで見てない映画、既に千本は越してる気がする……(-_-;)。

 『パワーパフガールズ』第40回。
 前半、『シリアル大作戦』(原題/JEWEL OF THE AISLE)。タイトルは『ナイルの宝石』のモジリだそうな。「aisle」は天王洲アイルの「アイル」だな。「通路」って意味だったのか。
 原典の映画は、テレビで流れてたのをチラッと見た記憶はあるが、あまり覚えてない。でもストーリー上のパロディは特になかった気がする。
 ガールズに追われた泥棒(珍しく名前のないただのヒト)が、シリアルの箱詰め工場に逃げるが、盗んだ宝石を製品の中に落して出荷されてしまう。これだけ見ると、『ナイル』がオリジナルというより、シャーロック・ホームズの『青い紅玉』『六つのナポレオン』が元ネタだよな。
 全てのシリアルの箱を開けつくし(これだけでもスゴイ)、最後の一つを開けようとした瞬間、ユートニウム博士に買われてしまう(博士も周りの開き箱の山に気付けよ)。泥棒は、CMキャラクターに変装して、ガールズからシリアルを取り上げようとする。
 このとき、ガールズは『メカニマルズ』というCGアニメを見てるのだけれど、これがビーストウォーズをコメディ風にした感じで、ガールズたちよりリアルなのがいい味出してる。この、テレビ画面の映像の方がリアルなタッチってギャグもよく使われてるなあ。
 泥棒が変装したキャラクター、「キャプテン・ラッキー・ラビット・キング・ナゲット」(なんかいろんなCMキャラクターを混ぜくったものらしい)、子供たちの人気者ではあるのだけれど、ただの人気者なのではなく、「子供たちにシリアルを取り上げられる」キャラとして人気があるのだ。
 だから泥棒が「シリアルを頂戴」といくら頼んでも、ガールズは「シリアルは子供のもの、オトナはダメよ、キャプテン・ラッキー・ラビット・キング・ナゲット」と言って渡そうとしない。あらゆる手を尽くして、やっと宝石を手に入れたと思ったら……。
 今回は伝統的な定番ギャグで、あまり過激なギャグはなし。

 後半、『タイムスリップ』(原題/SPEED DEMON)。
 幼稚園でミス・キーンに相対性理論を教えてもらったガールズ(何教えてんだよ)、帰り道に1秒でも早くバカンスに行きたくて、「家まで競走しよう」と言い出す。が、なんと光速に近いスピードを出してしまい、50年後の世界にタイムスリップ!
 そこで見たのは、50年の間ガールズが不在だった為に「彼(ヒム)」によって支配され、荒れ果てたタウンズビルの街だった。
 ユートニウム博士はもう何十年もガールズを再生させる実験を繰り返しては失敗し続けている(この辺、いなくなったアトムを再生しようとして失敗するお茶の水博士の影響かな?)。
 老婆となりながら死んだ市長への愛を語りつづけるミス・ベナム(やっぱりそうだったのか)。
 幼稚園の庭で「私は『サヨナラ』って手を振っただけ」と繰り返し呟いているコワレたミス・キーン(自分のせいなのかもって、責め続けてたのね)。
 う〜ん、これ、子供が見たらすげえトラウマになるんじゃないのか。
 「自分がいなくなったら、周りのみんなをどんな悲しい目に合わせてしまうか」っていう。なんだか「暴力的なアニメ」って批判をかわすための「教育的」な面をクローズアップさせようってハラなんだろうか?
 なぜか現代に戻って来れたガールズ、「バカンスには行かない、私たちが街を守る!」って叫ぶのも、何となくキナ臭く感じるのは考え過ぎなのかなあ。


 『仮面ライダーアギト』第36話。
 あれあれ? なんだかヘンな展開になってきたぞ。
 アナザーアギトに変身した木野。
 最初は驚く涼と浩二に向かって、あかつき号の事故とは関係なく、「医師としてもアギトとしても自分を必要とする人々のために戦う」と、その決意を宣言していたのに、翔一がアギトに変身するのを目撃した途端、豹変してしまう。
 「アギトはこの世で俺だけでいい。お前の力では雅人を助けることはできない!」
 雅人とは、木野が雪山の事故で亡くしてしまった弟だ。木野の腕は、実は凍傷で腐ってしまったのを、弟の手を移植していたのだった。
 でもなあ、そのことが自分がただひとりのアギトになろうとすることとどう関係があるの? また思わせぶり復活か?


 『コメットさん』第28回、『お手伝いできること』。
 おお、今回からOP、EDが一新。
 『ミラクルパワー スターダスト・バージョン』と『星のパレード』、どちらも何度か挿入歌として流れてたものだったけど、アップテンポになって歌いやすくなった。……って、どこかで歌うつもりなんかい。
 以前のものより、メテオさんの露出が増えて、いかにもライバルっぽくなっているのが実にいい。
 エンディングでは白鳥の湖のスタイルでちゃんとバトンも振ってくれてるし。
 ストーリーのほうも、美味しいところはメテオさん。
 ケースケのオーストラリア行きが決定したある日のこと、コメットさんは、デザイナーの卵、優衣さんから新人発表会のモデルを依頼される。 けれど、発表会の日はケースケの旅立ちの日と重なって……って、前回と全く同じ展開じゃんか。脚本家、ちょっと疲れてるか?
 どうしても優衣さんの発表会を断れないコメットさんは、土壇場でモデルをメテオさんに譲って……。
 そうです、今回、メテオさんのファッションショーがクライマックスなのです! なにしろ、剛くんと寧々ちゃん(4歳だってば)の服まで変身して着るんだからなあ。……バレるって、いくら何でも。


 しげが練習に出かけている間に、部屋を片付け。ゴミが山ほど出るがたいていは古新聞の山。この期に及んでも、夏の入院中の手書き日記を更新しようと、資料として新聞を捨てきれないでいるのである。いい加減、うっかりすると散らばった新聞を踏んでコケちまうので、一部を残してまとめてゴミ袋に。
 ともかく、座れる場所を作らないと、広島から福岡に帰省してきている友達が訪ねてくるのだ。ヘタすりゃ奥さん子供も連れてくるかもしれないので、なんとしても座れる場所を確保せねばならない。来てくれても、ずっと部屋の中で立ち話って……そりゃ、シュール過ぎるわ。

 晩飯にと山菜クリごはんを作ってみたが、見事にシンが残っていて失敗。かき混ぜ方が足りなかったらしい。
 もう一度よく混ぜ、水を入れて炊きなおしたが、今度はオカユになってしまった。
 「山菜クリおかゆ」なんて、こりゃ、とても食えたものではない(でも食うしかない)。一応味見はしてみましたが。

 ……今晩は外食だ(ーー;)。


 2時ごろ友達Hくん、3歳の娘さんを連れて来宅。
 ちょうど駐車場が開いているので、遠慮なく案内ができる。でもネームプレートがまだ切り替わってないので、Hくん、どこに停めていいか迷ったよう。慌てて階下に降りてご案内。いやいや久しぶりに会うのに、のっけから迷惑かけちゃった。
 いつものごとく、段ボールに一杯マンガを持って来てくれたのだが、上まで運ぶのに結構腰に来る。こちらが降りていかなきゃ、Hくん、自分で荷物も運んで子供も連れてくるつもりだったのだ。おいおい、それくらい声をかけてくれってば。
 娘さん、オタクな部屋で泣きだしゃしないかと心配してたが、『ハレのちグゥ』のDVD2巻を見せていたら、食い入るように見入ってる。ギャグは全然わかんないと思うが、なんかイキオイで面白く見れちゃうんだろうな。
 Hくんのほうは、「こんなの出てるとは気付かなかった」と、『ガンダムエース』に見入っている。「単行本出るよな」って、ここにもオタクな親子が(^o^)。
 私は私で貰った段ボールを開けて中を確かめるが、「この手のは持ってないかと思って」と、近藤るるるや二宮ひかる、恋緒みなと、馬頭ちーめいとか、確かに私がカバーしきれてないマンガ家さんのものばかりだ。
 でも、何となくちょっとエッチ系だったりロリ系だったり、「こんなの持ってたら嫁さんに悪いか」って感じで、私に譲ってくれたって感じがするなあ。
 データハウス刊の『危ない!!』、「女がどんなふうにレイプされてるか」とか、「詐欺の手口」とか、完全犯罪マニュアルみたいな本だが、「こんなの持ってたら自分のほうが危ないヤツだと思われる」と考えて私にくれたのかな。……私が持ってる分にはいいのかよ(^_^;)。
 『ガロ』のバックナンバーまであるじゃないか。こっちが何もあげないのはつくづく悪い気がしてくるよ。それとも「本の整理ができていい」と思ってるのかな。
 Hくん、娘さんの頭をなでて、「子供がいると、趣味に走る時間がホントになくなるよなあ」と言いつつ、お子さんは可愛い模様(当たり前か)。
 「DVD借りてくか?」と聞いたら、「子供と見れるものじゃないとなあ」と言いながら、『トイストーリー1&2』、『バグズライフ』、『ファンタジア2000』あたりを借りていく。
 ……で、『ヤング・フランケンシュタイン』も子供と一緒に見るんかい(^.^) 。まあ、そうそうオタクの血が途絶えるはずがないのである。


 夕方、しげと天神の福家書店で待ち合わせをして、新刊をいくつか買う。
 アニメ化、ドラマ化のコーナーがあって、よしひと嬢がお気に入りの『西洋骨董洋菓子店』なんかが置いてあったのだが、しげに「買うか?」と聞いたら、「1巻はよしひと姐様に借りて読んだからいい」だと。そりゃ、お前は読んだかもしれないけど、おりゃあ読んでねーんだよ。
 「面白かったか?」と聞いたら、「まあまあ」とのことだったので新刊で買うのは見送る。そのうちBOOKOFFででも探してみよう。

 そのあと、ビブレの地下で食事。テンプラ定食がフェアで550円と安かった。
 映画を見るまで時間が余っていたので、まずそこで1時間ほどヒマを潰してマンガを読む。
 柴田昌弘『クラダルマ』3・4巻(少年画報社文庫・各620円)。
 敵のシンシアの過去もきちんと描いて、単純な悪役にしないところはいいのだが、設定が『ブルー・ソネット』に似過ぎてないか。
 
 しげの話によると、今日の練習、久しぶりに塩浦嬢が来ていたとか。
 私に会って聞きたいことがあったらしいのだが、わざわざ会ってまで聞かなきゃならんってどんなことかと思ったら、「君が代」の由来だそうな。なんでも大学の課題レポートでそんなのが出されたらしい。
 なんか以前もこのムスメは、「ベーゴマってなんですか?」とかいきなりなんの脈絡もない質問をカマしてくれたことがあって、日頃何を考えてんだかわからんところがあるのだが、だいたいどうして歴史にもコトバにも門外漢な私にそんなことを聞いて来るのだ。大学に通ってんだから、誰かセンパイや専門家に聞くか、パソコンで検索するぐらいしろやあ。
 もちろん私だって、この歌詞のモトが『古今和歌集』の賀の歌であることくらいは知ってるが、更に詳しいことは自分で資料にあたったほうがいいに決まってる。どうせキョージュは「君が代の君は天皇を指すのか否か」とか、下らん論議を生徒にさせたいんだろうから、キョージュが右のヤツだか左のヤツだかは知らんが、満足しそうな説を資料ツギハギしてでっちあげときゃいいのだ。

 ゲーセンでちょっと遊んで「おじゃる丸電動ハブラシ」(しげは鴉丸嬢にプレゼントするつもりらしい)をゲットしたあと、G−SIDEに寄って、「オタクアミーゴス」会場のNTT夢天神ホールを覗いてみる。
 ……なんだ、本屋の「リブロ」と同じ階にあったのか……って、今まで何度もこの本屋に来てるのに全く気付かんかったぞ。むちゃくちゃ目立たんやないか。
 前がFMホールみたいになっていて、その奥まったところの更に奥にあるんだものなあ。廊下も狭いし、客の行列が出来ると、整列させるのにちょっと骨が折れそうだ。オタクは、廊下のハバ取っちゃいそうなヒトが多いだろうし(←偏見ではない)。
 本屋の方まで列が流れて行かないようにしないとまずかろうし、そのあたりのことをエロさんたちと充分相談しておかないと、ウラカタもやりにくそうだなあ。


 天神東宝で映画『陰陽師』。
 少なくともテレビ版よりは出来がいい。役者に余裕があるのがいいのだ。晴明と博雅が酒を飲み交わすシーンも何度かあって、原作の雰囲気はよく伝えている。
 けどなあ、やっぱり脚本にアラがあちこちありすぎるし、キャスティングに疑問ってのも結構多いのだ。

 ともかくキャラクターの行動原理が殆ど描写不足なのが最大のネック。
 陰陽頭・道尊(芦屋道満がモデルか?)が平安京を鬼の街と化して支配しようとする動機が、最後まで分らないままなのが頗る痛い。これ、『帝都物語』でも加藤保憲がなぜ帝都を破壊したがってたのか分らないままだったのとよく似てる(『帝都』は一応、原作のラストでその理由がわかる仕掛けになってんだけど、映画では語られずじまいなのよ)。
 そういえば、早良親王の霊を利用しての都の破壊って手段も、『帝都』そっくりだな。でもなんつーかさあ、歴史考証について余りやいのやいの言いたくはないけどさあ、平安時代最大の怨霊と言われる早良親王を、たかが女一人の「愛」で浄化させちゃうってのはどうだかなあ。
 しかもその女がすっかり老けたキョンキョンだし(それを言えば、早良親王が萩原聖人ってのも違うべえよ)。

 更には安倍晴明が都を守ろうとする動機も希薄なままだ。
 一応、博雅のためってことになっちゃいるけど、博雅、原作以上にアホヅラ晒してるだけで、足手まといにしかなってない。なんで晴明がこんなやつのためにカラダ張ってやらなきゃならんのか、画面上からはどうにも納得ができないのだ。
 まあ、晴明を陰、博雅を陽とするなら、博雅が明るいだけが取り得の間抜けであるほうが、呪術的には正しいのだけれど、別にこれは陰陽道の解説映画ではなかろう。あくまでこれは時代劇という名の、現代人である我々が見るものとして作られたドラマなのだ。現代人として納得できるロジックが描かれなければ、我々は感情移入ができるはずもない。

 もひとつ言えば、蜜虫役の今井絵理子がもうただのブ○でよう(-_-;)。見るに耐えねえったらありゃしない。
 これ、ストーリー上は全く必要でないようでいて、実は一番重要な役なんだがなあ。つまり、安倍晴明の陰陽師としての力というか、その存在を象徴する役割なのよ。何もせずただそこにいるだけで意味を感じさせねばならない、むちゃくちゃムズカシイ役なのだ。
 よくもまあ、こんな大根の、存在感のカケラもないヤツを振ったよな。事務所の力か?
 ……これ、私の勝手な予想だけどさ、最初製作者側が狙ってたの、上原多香子じゃなかったかと思うんだよ。はっきり言って、ルックスからいけばSPEEDの4人の中じゃ上原の美形ぶりが突出してたしな。
 けど、残りの三人もなんとか売りたいってのがプロダクションとしてのホンネだろうから、「上原ダメだけど今井なら」って話になったんじゃないかと。
 そんな話蹴って、加藤夏季にやらせればよかったのに。……って、そこに落ち持っていきたかったんかい(^_^;)。

 けれど、大いに不満だったかっていうと、そうでもなくて、クライマックスの晴明(野村萬斎)と道尊(真田広之)の立ち回り、ワイヤーワークにところどころ頼っちゃってる欠点を除けば、日本の殺陣史上、屈指の名シーンと言っても過言ではない。他の全ての欠点がこのシーン一つで消し飛ぶほどだ。
 狂言の足さばきと、JACで鍛えたアクションとの異質のアンサンブルが、こんなリズムと緊迫感を生むとは。「殺陣」ファンはこのシーンを見に行きなさい。そうでない人にはお薦めしません。

 個人的に気に入っちゃったのが、石井愃一演じる藤原兼家。ご承知の通り、摂関政治によって最大の権力を得た藤原道長のお父っつぁんで、歴史上、晴明のパトロンだった男だ。
 側室の藤原道綱母(『蜻蛉日記』の作者ね)が、この父っつぁんに浮気されて、「なげきつつひとり寝る夜のあくるまはいかに久しきものとかは知る」(=アンタが他の女とイチャイチャしてる間さあ、アタシは一人で布団に入ったまま、ずっと夜明けまで眠らないで待ってんのよ。オ○ることもできないのにさあ、どれだけ長く感じるか、わかってんの?)って歌を詠んで締め出したら、
 「げにやげに冬の夜ならぬ真木の戸もおそくあくるはわびしかりけり」(=君が怒るのは解るよ、ボクが悪いんだから。でもさあ、いくら冬の夜が明けるのが遅いからって、君の家のドアまで開くのが遅いなんて、あんまりじゃない?)と返歌して謝っときながら、でも浮気はやめなかったという、ツワモノである。
 ……まあ、女の一人や二人に祟られてて当然ではあるわな。
 晴明に「祟られる心当たりは?」と聞かれてぶんぶんぶんと首を横に振るあたり「ウソつけ」と思わず突っ込み入れたくなるような名演♪
 東京ボードヴィルショーのファンは、兼家と博雅(伊藤英明)の二人ボケ漫才を見に行きましょう(^o^)。

2000年10月07日(土) V2/ムック『本多猪四郎全仕事』ほか


2001年10月06日(土) 新番……第何弾だよ/『星のカービィ』第1回/『ヒカルの碁』(ほったゆみ・小畑健)14巻ほか

 オタアミ当日まであと49日!

 朝のっつーか、夜中の3時すぎ、しげが誰かに電話をかけている。どうも口調からすると鴉丸嬢らしい。
 ちょうど連休の初日ってことで、こっちも夜更かししてたから、別に睡眠のジャマになってはいないが、最近、こういうことが多いのだ。
 かと言って、「夜中に掛けるな」とは言えない。しげと鴉丸嬢の都合が合うのが、今の時間帯しかないのだ。それに、私が寝てる時にはできるだけジャマにならないように気遣って、奥の部屋で喋るようにしてくれてるし。
 でも、この「奥の部屋で喋る」ってのが実は問題なのよ。
 本人は迷惑かけないように声を落としてるつもりなんだろうけど、おかげでくぐもった不気味な声がかえって寝てる私の耳に響いてくるのね。
 あのね、アナタ、「ふふふふふふふふふふ」って、楳図かずおのマンガからそのまま抜け出てきたような声が聞こえてきたと思ってごらんなさいな。いっぺんで目が覚めるどころか、ドアのスキマからヘビママがヌルって滑りこんでくるんじゃないかって、エライ恐怖に襲われちゃうんですよ。
 ……これだけヒトを怖がらせといて、本人は私が怪談話をしようとすると、悲鳴をあげて嫌がるんですよねえ。当人、別に幽霊信じてるわけでもなさそうなのに、理不尽だ。
 劇団の連中とか集めて、一度百物語やってみたいんだけど、そういうのってみんなもイヤがるのかなあ。


 朝もはよから新番アニメのチェック。
 7時半から『星のカービィ』と『ガイスターズ』の二本が重なっていたので、どっちかは録画にしておくしかない。
 迷って『ガイ』のほうを録画セットして、『カービィ』を見たのだけれど、これが意外にいい出来。
 主役のカービィと悪玉キャラのデデデ大王の二人だけデジタル作画の頻度が高くって、ほかのキャラは手描きってのに何の意図があるのかわからんという欠点はあるが、脚本、演出にはなかなかキレがある。
 謎の怪物に襲われ、飼っているヒツジが何十匹と犠牲になっている村。村人たちはその怪物がデデデ大王の居城からやってきていると訴えるが、大王はせせら笑って否定するばかり。仕方なく伝説の勇士「カービィ」が現われることを期待する村人たちだが、ある夜、村に落ちてきた星を見て、すわ勇士の降臨か? と浮き足立つ。
 ところが、星の中から出て来たのは、丸っこくってかわいらしいヘンな生き物。
 「これがカービィ?」
 主役が全く喋れず、意志疎通が出来ない、という設定は、ドラマを盛り上げる上ではネックになることも多いのだが、そこを逆手にとって、果たしてカービィは伝説の勇士なのか? と村人たちの不安が高まるようにしているのは悪くはない。
 やがて、怪物の正体が大王が通販で買った(笑)オクタコスというタコが巨大化したものだと判明。これからの展開が一気に大活劇、東映動画の名作、『長靴をはいた猫』を髣髴とさせる城の内外の破壊と追っかけが始まる。
 ようやくその力を発動させたカービィ、星に乗っての空中戦は、まるで『わんぱく王子の大蛇退治』!(若い人は『ナウシカ』の空中戦を想起されたい)
 いや、ホント、城の壁をなめるように飛んでいくカービィを、後ろからタコの足が追いかけてく構図は、『わんぱく』そのまんまなんだから。なんで敵がタコだったかって、「足が8本」あるからだったんだね(^^)。これは、まさしく「アメノハヤコマに乗ったスサノオとヤマタノオロチの対決」の再現なワケで、相当自信がなきゃやれない演出なのよ(実写の『ヤマトタケル』は見事にコケてたし)。その演出の要求に、作画陣が見事に答えてるのが立派だ。
 このレベルが来週以降も持続されるんだとしたら、オトナのお客様も充分期待していいと思うぞ。脚本・演出は『ルパン三世 ルパンvs複製人間』の吉川惣司監督。監修が『アルプスの少女ハイジ』の作画監督小田部羊一(『じゃりん子チエ』の、とか『ポケモン』の、と言ったほうが通りはいいか)。

 あ、『ガイスターズ』はクソでした。
 世界的規模の破壊ののち、宇宙に避難していた人々が戻ってきた地球は、怪物たちの跳梁する世界と変わっていた。まあ、なんでそうなったのかってのはおいおい説明されていくんだろうから突っ込まないけどさ、怪物のCG、GONZO以上に浮きまくってるぞ。
 で、あとは頭の悪そうな戦闘員どもと怪物との争いが延々と盛り上がりもなく続くだけ。
 ……ああ、つまり『スターシップ・トルーパーズ』がやりたいだけなのだね。エイリアンもどきの怪物が人殺すシーンを見るのが好きな人は見てもいいんじゃないですか。
 私は少なくとも、もう録画はしません。つーか、もう見ません。


 さて、しげが「車を見にいくからつきあって」と言うので、近所のマツダ展示場まで、散歩がてら出かける。
 我が家はずっと家訓で「クルマ買うべからず」ということになっていたので、私には車に関する知識が殆どない。多分、「常識を逸している」と言われても仕方がないくらいないであろう。
 何しろ以前、同僚の車に乗せてもらう時、“自動ドアが開くのを待っていた”というヤツなのだから(タクシーしか乗ったことがないから、全ての車は自動ドアだと思っていたのだ)。
 今回、しげは自分の貯金と給料でローンを組むことにしているのだが、それだと相当長期間に渡ってオカネを払い続けねばならないようなのである。
 いや、そんな高い車買うのかって誤解しないように。しげの給料が安いだけなのだ。
 私の冬のボーナスまで待ってくれれば一括で払える程度の金額なのだが、しげは一刻も早く車がほしいらしい。
 「なんで?」
 と聞くと、
 「免許取って間が空くと、運転忘れるから」
 ……だから運転すること自体が間違いだ、とは思わんのか。
 少しは手出ししてやらなきゃならんのかなあ、と思いながら、「でも私は免許持ってないからお金出せないし」と言ったら、しげとマツダの人に怪訝な顔をされる。
 ……なんか、バカなことを言ったらしい。
 「あの、車って、免許持ってなくても買えますよ」
 ……え? そうなの?
 「だって、おカネもちが車だけ持ってるってことあるでしょう」
 「運転は運転手にさせればいいんだし」
 そういうものなの?
 でもそれじゃ無免許運転を予め認めちゃうことになるんじゃないの?
 何となく納得がいかないが、世の中そういうものなのであろう。
 クルマ音痴ってのはこんなものなのである。
 しげ、結局即決で契約をすまして、なんたらいうクルマを買う。こういう時、しげの思いきりは早い(だったら日頃の優柔不断もなんとかしろよ)。
 どんなクルマか、詳しく紹介したいが、クルマ音痴なのでどう形容したらいいのかわからんのよ。
 スズキの軽自動車で、ドアが4つの中古車で、7年前の型だけど3万キロしか走ってなくて、高さがある程度あって、後部座席をフラットにできて、後ろのドアがパカッと上に大きく開いて、まあまあ荷物が置けそうなことはわかった。
 さあ、おトクなブツなのかどうか?


 「モスバーガー」で昼食。
 エビかつバーガーが250円で割引だけれど、マクドナルドのチーズバーガー80円に比べれば、割高感は否めない。
 もちろん、材料費をケチってるマックとモスとが比較になるはずもないのだが、実際に出て行く金は少ないほうがいいに決まってる。
 モス、今は苦しいんじゃないかなあ、と思うが、私みたいに、たとえ安売りしてても、マックで何食えってえの? みたいな感覚の人間がいる限り、モスの火は消えないであろう。
 焼肉ライスバーガー(既にバーガーではないという批判は置いといて)をぱくつきながら、ウワサ話などに花が咲く。
 ここしばらくすっかりお見限りの藤田君、なんだか大変なことになっているようだ。
 「藤田君の親がね、『育て方間違えたかなあ』って言ってるんだって」
 「なんだよそりゃ。一体何やったの?」
 「今ね、○○○○○○○○○○○だって」
 「なんでそんなに? 何に○○○○○?」
 「だって○○○○○○○○○○○ってよ」
 「いくら何でもそこまではいかんだろう。やっぱり○○○○○○○じゃないのか?」
 「さあ……?」
 端から見てると面白いヤツなんだけど、ご家族にしてみれば気苦労のタネだろうなあ。何しろ忠告したら忠告されただけ、「オレはダメなヤツなんだ〜!」って言って、ますます落ちていくヤツだし。っつーか、「落ちていくのがカッコイイ」って思いこんでるマゾだし。
 フジタく〜ん。もうこの日記読んでないかもしれないけれど、ある程度のところから引き返したほうがいいよ〜。別に家族に迷惑かけるなってことじゃなくてさ、周りのみんなが笑って見ることができなくなるところまで落ちちゃうってのも、娯楽の一つがなくなっちゃうわけで淋しいからさ。


 『ザ! 鉄腕! DASH!!  爆笑! 秋の大収穫祭! おにふすべスペシャル』再放送見る。
 実はこの番組、ときどきしか見てないが結構好きなのだ。何しろテレビのコメディ番組がバラエティに押されてほぼ全滅状態にある中、体を張って見せてくれるもののほうが何倍も面白いことは事実なのだもの。『ガチンコ』みたいにヤラセっぽいのはどうも好きになれんけど、こういうのはゴマカシ効かないからね。
 自転車3000コギで鎌倉の海まで行けるか、ってネタ、ちゃんと一人脱落したのがいいねえ(笑)。
 「DASH村を作る」ってネタ、偶然撮れた「おにふすべ」の成長過程ビデオ、実に勉強になる。たった五日で人間の頭大にまでデカくなるのだ、あれは。こういうのはヤラセでっつーか、そんなんなるなんて誰も思っちゃいないから面白いのだ。


 CS時代劇チャンネル『天下の御意見番罷り通る 彦左衛門外記』。
 原作は山本周五郎の『彦左衛門外記』。
 大久保彦左衛門が本当に天下のご意見番だったかどうかはちょっと、どころか大分疑わしい。所詮はただの旗本であるわけだし、家康の側近だったことは確かだが、親しいつきあいがあったわけでもなさそうだ。『三河物語』を書いていなければ、巷間、話題に上ることもなかっただろうし、あの話にしたところで、感じとしては、「有名人とちょっとお近づきになったことがある」ファンがやたらそのことを自慢話にしてるようなものじゃないかって思う。
 『三河』のほうは安彦良和さんが漫画化してるので、そちらのご一読をお薦めします。
 山本周五郎の原作はその虚々実々の狭間を縫うようなウマイ脚色がなされていて、果たして「ご意見番のお墨付きはあるのかないのか?」という話になっている。何しろほぼ架空の人物とされている一心太助を登場させないことで、より現実感、信憑性が増す仕掛けになっているのだ。
 良くも悪くも山本周五郎は菊池寛に連なる主題主義の作家なワケで、結末がお定まりのところに落ちついちゃうのは仕方ないかな、という気はするけれど、彦左衛門を演じるのが晩年の三船敏郎であること、ワキを藤村俊二、田中美佐子、田村亮といった芸達者で固めていることで、充分見応えのあるドラマになっていた。
 個人的には三船さんにボケ老人みたいな役を演じてほしくはなかったけど。


 広島の友達から電話がある。
 この友人とは盆と正月に必ず会うことにしてたのだが、今年は私の入院で会えずじまいであった。
 会えば必ずオタクばなしに花が咲くのだが、あちらも既に二人の子持ちであるし、なかなか自分の時間も取れないのであろう。休憩がてらウチに来ないかと(汚い部屋であることは無視して)誘う。
 しかし、シンクロニシティというものはあるものだよなあ。
 今日マツダで車買ったと思ったら(まあ買ったのはしげだが)、マツダに勤めてる友人から電話があるとはねえ。


 直後に父から電話。
 こう、あちこちから電話がかかるのもシンクロか? ってただ単に休日に入ったからってことなんだろうけど。
 21日の母の七回忌についての打ち合わせである。
 親戚に強欲の俗物の高慢ちきの人でなしの、そのあまりの性格の悪さゆえ、縁を切ってた人がいるのだが、もう大分時間が経ったことでもあるし、招くことにしたい、ということであった。
 内心、またこのお人好しが、香典泥棒されたこと忘れてるのか、とは思うが、母のことに関しては父に一任すべきだと考えているので、口出しはしない。
 葬式だの法事などが下らないと思うのは、生きている人間たちの思惑がまるでまとまらないというアホらしい事態に落ち入ってしまうことがしばしばなので(映画の『お葬式』以上のトラブルが現実に起こりまくる)、そこに私がまた何か言い出せば、ますます混乱を呼ぶばかりだ。
 けど、一番苦労させられるのは、母のあとを継いで店を切り盛りしている姉なのである。父の話によると、今度の法事、参席を一番いやがったのは姉だそうだ。
 そりゃそうだろう。面倒臭いのでいちいち書いてないが、姉と呼んではいても私と血のつながりはないのだ。血縁でもない者が母の跡継ぎだということで白眼視するクサレ外道がウチの親戚にはゴマンといるのだ。父も私も納得している(どころかぜひ跡を継いでほしいと頼んでいる)ことだというのに。
 父は「十三回忌はお前に任せた」と言ってるが、私ゃ客は一切呼ぶ気はない。「宗教は嫌いだ」と私がしょっちゅう言ってるのを、どこまで本気で聞いてるのか。こっちがいくら言ったって、暖簾に腕押しなのだ。
 いい加減マジで打ち合わせしてもらわないと、困るんだけどな。だいたい、親父の葬式だって、こっちは出す気がないんだから。


 マンガ、西岸良平『ヒッパルコスの海』(双葉社・300円)。
 月の土地を買った男のところに(そういうジョーク企画が、昔本当にあった)、宇宙人が売買契約にやってくる、というネタは、藤子・F・不二雄のマンガにもあったネタだけど、もしかして、ほかにも思いついた人がいるかもしれないなあ。いちばん最初に書いたのはだれだろう? 小説にもあるかもしれないから、そういうのを全部比較対象してみると面白いかもしれない。
 藤子マンガでは首尾よく大金を手にした主人公だが、西岸さんのこのマンガでは、主人公はやはり貧乏生活に舞い戻ってしまう。
 昭和30年代に強い郷愁を覚える西岸さんと、過去を冷ややかに見つめる藤子さんの資質の違いであろうが、どちらが上かってのは決められるものではない。ただ、どちらも背景にある「貧乏」のリアリティは相当なもので、イマドキの批評家が西岸さんの作品を「ほのぼのマンガ」でくくっちゃうのはやはり見る眼がないってことになると思うのである。
 

 マンガ、ほったゆみ原作・小畑健作画『ヒカルの碁』14巻(集英社・410円)。
 佐為と塔矢名人の対決、完結編。
 連載中に読んでいた『ヒカルの碁』白眉のシーンが連続するが、ラストで消え行こうとする佐為が「神のさだめたこの運命にはあらがえないのか!?」
 と語っているのを見逃していた。
 これを「佐為復活」の伏線と見るのは穿ち過ぎかなあ、とも思うが、一回完全に消えちゃった以上、そのままの復活は絶対に無理だと思うのである。
 ありえるのは「転生」ってヤツだけど、そうなると以前、ネットにニセモノの「SAI」がいたのが気になる。アレが実は時空を越えて転生していたホンモノの佐為だったりして(過去の記憶をなくしていたので、囲碁はまだ弱かったのである)。
 ……マンガと関係ないがオマケマンガ「ネームの日々」36、ジャンプの編集部は「非通知」で電話していることが判明。
 あそこの編集者に社会的常識がないってのが如実にわかるエピソードですねえ。「ジャンプの編集部員です」ってウソ電話をかけるイタズラ者が出たら、どうやって区別つけるのよ。こういうバカどもにせっかくのマンガ連載が引っ掻き回されてるってこと、読者はもっと怒っていいと思うんだが。

2000年10月06日(金) 詳しくはコメディフォーラムを見てね



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