無責任賛歌
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| 2001年09月05日(水) |
中華幻想/『仙人の壷』(南伸坊)ほか |
昨日はピーカンだったってえのに、今日はいきなリ土砂降りだぜ。 ここしばらく外での土方(差別語だっていうヤツがいるが土方自身が土方って言ってるの見たこと何度もあるぞ。第一「土」「方」のどこに差別性があるってんだ)仕事が続いているので、正直言って雨に降られるとマジで辛いのだが、残念ながら私の超能力は聖徳太子の3分の2ほどしかないので、せいぜい雨を小降りにすることくらいしかできないのである。 ……いや、本気で信じるなよ。 騙されるやつはそうそういないとは思うが、一応こう書いておかないと、本気で「雨を降らしてください」とか、「ちょっと呪いたい相手がいるんですけど」なんて言ってくるやつがいるからな(←実話)。 本当は風を呼んで雲をちょっと吹き飛ばせる程度です(^◇^) 。
南伸坊『仙人の壷』(新潮文庫・460円)。 中国の伝説を漫画化した作家、というと、真っ先に思い浮かぶのは諸星大二郎なのだが(『孔子暗黒伝』や『徐福伝説』、『無面目・太公望伝』『西遊妖猿伝』『諸怪志異』など、相当な数に上る。氏の作品を読んだことがない、なんて言ってたら、漫画読みとしては信用されないのでマニアになりたいって人はご注意を)、厳密に言えば諸星氏は「中国の伝説をもとにして」、換骨奪胎したパロディを書き続けているのである。 南氏が以前に上梓した『チャイナ・ファンタジー』は、伝説を伝説のままに、ほとんど脚色ナシでマンガ化したもの。本作はその続編(一部は再録)で、ごく短い志怪小説が、南さんの解説つきで16編、紹介されている。 ほぼ一頁につき2コマ、上段と下段に分けただけのシンプルなコマ割りだけど、これは当然意図したものだろう。「絵巻」的なムードもあって、いかにも中国風(なにがやねん)、これが実に味わいぶかい。 南さんも文章解説で述べているが、中国の古典は簡にして要、その淡々とした語り口が魅力である。妖怪がいたら殴る。女がいたら抱く。ちょっと単純過ぎる嫌いがなくもないが、中国人から見たら日本人の愁嘆場なんかまどろっこしくってかなわないのだろう。 畢竟、中国の不思議譚は、ムダがなく、精錬されたユーモア、あるいは恐怖が味わえるものが多いのだ。
「四足蛇」の話など、男が四本足のヘビを捕まえたら(それ、トカゲとちゃうの?)、男本人にはそのヘビが見えるが、他の人には全く見えない。思わず男はヘビを投げ出したが、途端にヘビはその姿を現した。しかし今度は男の姿が見えなくなってしまった。 「透明人間」って、伝染病だったのか(⌒▽⌒)。
日本人なら、そこに何かの小理屈をつけたがるところである。つけられない場合はもともと記録自体、しなかったのではないか。 心霊写真があれば、必ず「そこは昔の戦場」とか、「自殺の名所」とか、説明しなきゃ気がすまない民族だからねえ。解説できないものを極端に嫌うのだ。……だから差別や偏見が多いんだよなあ。
でも、日本にだって、「不思議」を「不思議」のままに、特に解説することもせず、ただ記した物語がないわけではない。 小泉八雲が『骨董』中で紹介した『茶碗の中』がそうである(小林正樹監督によって『怪談』中の一編として映画化もされた)。
関内という武士が、茶碗に茶を注いで飲もうとしたら、そこに美男の姿が映った。驚いて茶を捨ててもう一度注いだが、また美男の顔が映る。 関内が腹を立ててその茶を飲み干したところ、夜になって、一人の若侍が関内を訪ねてきた。 「先刻、貴殿はそれがしをひどく傷つけなさいましたな」 関内は抜刀して侍を切ったが、一瞬にしてその姿は掻き消えた。 翌晩、三人の男が関内を訪ね、「貴殿はわが主人を傷つけなさいましたな」と詰問した。関内はこの三人も切ろうとしたが、その姿はやはり影のように消えた。
これで終わりである。若侍は何者だったのか、この後、関内がどうなったのか、一切書かれていない。書かれていないからコワイ。 小泉八雲は「この結末は読者の想像に任せる」としているが、多分この物語はこれで終わりで、続きなどはもともとないのだ。 日本人も「恐怖」と「不思議」の関係をよく知っていた一例ではなかろうか。
でも、もしかしたらこの話も中国の古典にネタがあるかもしれないんだよねえ。 「人情に拘泥しているこちらの方が未練たらしく感じられる」と南さんも書いているとおり、日本人はどこまでいっても「理屈」をこねくり回さないと落ち着けない、不安神経症が身に染みついた民族なのだ。
ここでちょっと、私も南さんに倣って、好きな志怪小説の一編をご紹介しておこう。原文から直接訳したので、著作権侵害の心配は一切なし(^▽^) 。 『列異伝』(あの『三国志』の曹操の息子、文帝・曹丕が撰したもの)の中から、『談生と幽霊』。談生は別に落語家ではありません(^o^)。
談生は四十も過ぎようというトシなのに嫁の来手がなかった。 毎日、詩経を読み感激して泣いてるようなヤツだから当然のことであろう。 ある夜、十五、六歳くらいの少女が、談生のところを訪ねて来た。 その容姿はおろか、服のセンスに至るまで天下一品、頗るつきの美人である。 談生に寄り添ってきたので、その夜のうちに夫婦になってしまった。 少女が言うには、「ごめんなさい。実は私、人間じゃないの。だから火で私を照らして見たりしないでね。でも三年経ったらもう照らして見てもいいわ」 少女は、妻となって談生の子供を一人生み、その子が二歳になった。 談生はガマンできずに、夜、少女が寝たのを見計らって、こっそりと少女を照らして見てみた。 少女の腰から上は肉付きのよい普通の人間の体だったが、下半身は骸骨があるだけだった。
ご覧の通り、『雪女』プラス『牡丹燈籠』って感じだけど、この手の類話はたくさんあるのね。 じゃあ、何故これが好きかっていうと、やっぱりツッコミどころがいくらでもあるとこ。 『詩経』はもちろん「四書五経」の一つで、儒教を学ぶための必須本。「科挙」の試験に受かるためにはこれが暗記、解釈出来なきゃいけないわけで、言ってみりゃこの談生って男、東大に合格するまで、ずーっと浪人してガリ勉してるようなヤツなんだね。 つまりこいつは四十まで独身だってだけじゃなくて、未だにプー。 今の日本にもこんなヤツ、いそうな気がするな(^u^)。笑い事じゃないな。私だってしげみたいな物好きがいなきゃ未だにこれに近い状態かもしれない。 やたらとオタクな趣味に走って、世間の偏見も何のその、女なんかに目もくれずにDVDだムックだ同人誌だと……ああ、イタイ。 で、こんなヤツがいったん、女にハマっちゃうともう、落ちていくしかないのだよ。……四十過ぎて、十五、六の娘を、出会ったその晩のうちにいきなリ……だもんなあ。こいつ多分、この後は『詩経』なんか1ページも読んでないね。 こういう話の定番として、男は女との約束が絶対に守れないのな。ルーツはやっぱりギリシャ神話の『オイデュプス』かな。 やっぱりこの話の後、談生と少女はどうなったのかとか、そもそも下半身がなくてどうやって子供を作ったのかとか、いろいろ疑問はあるが、そんなことはこの編者にはどうでもよかったのであろう。 「実は奥さまは骸骨だったのです」でオチ。
さて、この話の教訓はなにか? 私にゃどう考えても、「勉強ばかりしてると、脳が膿んで、若い女に騙されるぞ」って感じにしか受け取れないんだが。 ……ああ、やっぱりなんだか自分の運命なぞってるみたいでイタイ、イタ過ぎるっスよ(T∇T) 。
今朝がた洗濯機を回しておいて、しげに干しておいてくれるよう頼んでいたのだが、帰宅してみると何もしていない。昨日もそれで仕方なくもう一度洗いなおさなきゃならなかったのだが、まただ。 「なんで頼んどいたことしてくれてないんだよ」 と言うと、 「だって、自分は洗濯物、洗濯機に突っ込んで回すだけで、干すのは私? ずるい」 ああ、クソ、こういうことをノウノウと言ってのけるから私が切れるのだ。 ……その、洗濯機で洗濯物を回すことすらしないでいるから、仕方なく私がやってるんだろうが。 全部私がやったら、しげは家事を何一つやらないことになるんだぞ。 で、実際に全部私がやってることも多いし。 ズルくて卑怯なのはどっちだ。わかりきってる話じゃないか。 「さっさと干せ!」と怒鳴りつける。 ……ああ、ストレスが溜まる。
CSファミリー劇場、『ファミリー探検隊』の今月のゲストは、仮面ライダー2号の佐々木剛さん。 大ケガされたこともあったせいだろうけれど、1号の藤岡弘さんと比べても随分老けちゃったなあ。でも、お元気でいらっしゃるだけでも素晴らしいことなんだけどね。 佐々木さんが撮影中のバイク事故で怪我した藤岡さんの代役として2号ライダーに扮したことは今更紹介するまでもない有名なエピソードだが、他にもいくつか、初めて聞く話があって(まあ、私が知らなかっただけかもしれんが)、面白い。 仮面ライダー1号は、中に藤岡さん自身が入っていたために、事故が起きたので、一般的には2号ライダー以降はスタントマンが中に入っていたと紹介されることが多かった。 でも、佐々木さんの話によると、「スタントマンの気持ちもわからないといけない」ということで、サボテグロンと戦ったときを含めて、都合3回、スーツの中に入ったそうである。 「視界は狭いし暑いし」って、そりゃそうだろう。 でも、そのスタントマンさんたちも必ずしもベテランばかりとはいかなかったようで(大野剣友会の初期のころなのかな)、エンディングでライダーに倒されて滝壷に落ちていく6人の戦闘員のうち、4人は泳げなかったとか。 「だから臨場感あるんですよ。腹から落ちてるし」って、それ、下手すりゃ人死に出てるって(^_^;)。 佐々木さん自身、スタントは積極的にこなしていたのだとか。 ヘリコプターにぶら下がるアクション(『キイハンター』以来の東映の伝統芸だね)は、地上10メートルの高さで突風に煽られて、死ぬ思いをしたのに、ラッシュを見たら、全部後ろから撮られていて自分だとわからなくて腹が立ったとか。 こういうウラミツラミも混じった話こそが、人間味があって楽しいのである。毎週『ファミ探』は内容が変わるので、来週はどんなエピソードが出てくるか楽しみである。
『オンリー・ムービーズ・コム』というウェブサイトで、「映画史上最も恐ろしい悪役」という投票を行ったそうな。 1位がハンニバル・レクター博士、2位がダース・ヴェーダー、3位がノーマン・ベイツ。 ……さて、この結果に納得される映画ファンは果たしてどれだけおられるのだろう。 と言うか、この三人、「悪役」って言えるキャラか? 「悪役」というからには「善」と「悪」との二項対立があってこそだと思うんだが、レクターとノーマンにはそもそも対立すべき「善」というものが明確な形では存在していない。 しかもこの三人、次作以降でみんな「いいヤツ」になっちゃうのだ。 というか、レクター、そのシュミを除けば最初から「いいヤツ」だし。 ……ノーマン・ベイツのラストなんて、知らない人が多いだろうなあ。『サイコ4』、いっぺんレンタルででも見てみるといいのだ。こんなアホな結末、滅多にないから。 総じて「悪役」の概念ってのが違うのかなあ、という気がしてしまう。 純粋な悪役ってのは、ヴァン・ヘルシングに対するドラキュラ伯爵みたいのを言うんである。ちょっといいやつ、なんて妥協があっちゃいかんのだ。 漫然と『目撃!ドキュン』を見ていると、失踪したダメ夫の借金を、嫁と姑のどちらが払うかで揉めるという、全くこんなのがテレビの企画としてよく通用してるよなって言いたくなるような、なんとも世紀末的な(まだ百年ほど先だが)どうでもいいような内容。 そのどうでもよさが好きでこの手の番組はよく見てるのだが、しげが「なんでこんなの見てるの?」と疑問を呈する。 まあ、わざわざスタジオに呼んでバトルさせるあたり、十中八九、ヤラセだろうな。でも、たとえヤラセだろうと、視聴者は他人の不幸を見るのが大好きなのだ。でなきゃこの程度のダサイレベルの演出で騙されたりするものか。 世間の知的レベルなんて『渡る世間は鬼ばかり』をいいドラマだと本気で思いこむ程度のものなのだ。 こういうどうしょうもない番組ってのは、ナンシー関に指摘されるまでもなく、テレビには充満している。 そういう情況自体を楽しむスタンスも現代を読み解く重要な手段だろうと思うんである。 下品をバカにするなかれ、だね。
シティボーイズのファンサイトに、例の『ラ・ハッスル智恵子ショー』のカットの理由がアップされている。 WOWOWの回答は、「当コントは、詩人・高村光太郎とその妻・智恵子を題材にしたコントですが、放送にあたりその内容を検討したところ、表現内容に不適切なものがあると判断し、主催者側と協議の上、番組内容から削除致しました」ということだそうな。 この「不適切」って言葉の内容を説明しないところ自体が卑劣きわまりない。 「差別」だとはっきり言っちゃうと、逆にあちこちから突っ込まれかねないからボカしているのがミエミエだ。 きたろうさんも『PINKY YELLOW』の中で、「一番時間をかけて創ったコントが放送できませんでした。ものすごく残念ですが、著作権やら、大人の社会の難しい問題があるようです。適当に想像してください。幻の作品になりましたが、ライブの興奮は映像化されない方が残りそうです」と語っているが、となるとDVDの際も収録されない可能性は大である。 この手の問題では、いい加減腹が立って来てるので、こうなったら言ってやるぞ。 「差別をなくそう」なんて偽善を語るのはもうやめてしまえ。 人間の心は基本的に差別をするようにしか出来ていないのだ。 人間にできることは、自分自身の心の差別を運命として受け入れることと、他人の差別を赦すことだけなのだ。 ……言っても聞かないことは知ってるけどさ。「差別」に触れないでいることの方が、どんどん差別できるってこと、差別者たちはよく知っているからね。 CS時代劇専門チャンネルを何気なく見ていると、なつかしの『吉宗評判記 暴れん坊将軍』第一シリーズが。 ちょうど見てたのが『132話 駆けろ!天下の紀州号』ってヤツ。 おっ、ヒロインのたまえ役、特撮ファンにはお馴染みの斎藤浩子だ、とか思いながら見てたんだけど、ストーリーを追っかけていくうちに、アレ? この筋、どこかで見たことあるぞ、と感じ始めた。 吉宗がアラビア産の紀州号という馬を輸入して、日本の馬の品種改良をしようとするのだが、古来より日本馬の産地として有名な南部藩は猛反対。 どちらの品種が優秀か、ということで「早駆け」が催されるのだが、なんとその直前に紀州号が行方不明になる。現場に残された「白い布」を頼りに、紀州号の捜索が始まるが……。 ……はっはっは。いやもう、ミステリファンには一目瞭然、元ネタは言うまでもないねえ。 コナン・ドイルの『シャーロック・ホームズの回想』中の名編、『銀星号事件(シルバー・ブレイズ)』だ。 いや、まさか『暴れん坊将軍』を見ていて『シャーロック・ホームズ』に出会えるとはねえ。これだから時代劇は油断がならない。 よりミステリ色の強い横溝正史の『人形佐七捕物帳』なんか、『恩愛の凧』はやはりホームズの『ソア橋事件(トール橋事件)』を元にしてるし、『百物語の夜』はクリスティーの『オリエント急行殺人事件』だったりする。 こういうのを調べていくのもオタクの使命の一つだと思うが、八幡の藪知らずに迷いこんだようなもので、キリがないのも事実なのな。 『市民ケーン』の元ネタがクイーンの『Yの悲劇』だってことも故・瀬戸川武資さんが指摘するまで、だれも気づかなかったしねえ。いや、私もだ。両方知ってたのになあ。
CSキッズステーション『こみっくパーティ』第3話。 すっかり毎回可愛いゲストを出すのが定着したこのシリーズ、今回は主人公の和樹が同人誌即売会に臨む話。隣のブースに、いかにも内気なメガネっ娘が座るが、どうも個人誌を作ってるって設定らしい。しかもパロじゃなくてオリジナル本。……アレだね、引っ込み思案だけど、実は心に強い情熱を秘めてるってのがこれほど解りやすいキャラもいないな。 でも、パロやらずにオリジナルって姿勢、私は大好きだ。パロやってるとパロしかやれなくなるものなのよ。 しげがチラリと見て、「アンタ、こういう女の子が好み?」なんて聞いてくる。またいきなリ何を聞いてくるかな(まあ、好みじゃないとは言わんが)。 以前、「オタクな趣味を理解してくれる女性はオタクにとっては理想」なんて こと言ったせいかな。 でも基本的に趣味ってのは独りでするものなので、「一緒に映画を作る」なんて共同作業でもない限り、趣味が一致してるから仲がよくなるというものでもない。 相手の趣味を理解してくれればいいだけなのだけど、それができない心の狭いやつが多過ぎるんだよなあ。そのクセ自分の要求だけは押し通そうとするのだ。
DVD『ゴージャス』、劇場で見たときは当然広東語版であったので、吹き替え版で見る。 ジャッキー・チェンの声は当然この人しかいない、石丸“兜甲児”博也。なんだか本人の声より吹き替えの方が合ってるように感じるのは、コロンボの故・小池一雄さんと同じだな。 ヒロイン、スー・チーの声は雨蘭咲木子。テアトルエコーの人で、人気も結構あるらしいが、私はよく知らなかった。やや甲高い声だけど、可愛らしさの中に色気もあって、なかなかいい感じである。 特典の一つにジャッキー・チェン完全フィルモグラフィーが収録されてるのだが、ビックリしたのは1982年の項に、『伊賀忍法帖』とあったこと。もちろん、この間買ったばかりの日本版DVDにジャッキーが出ているシーンなんかない。 これ、『怪獣王ゴジラ』と同じで、後でジャッキーの出演シーンだけ撮り足したものだろう。現物を見ていないから何とも言えないのだが、せいぜい1シーンか2シーン程度の出演ではないだろうか。 笛吹城太郎の親友役とかでちょっとだけ顔合わせるシーンがあったりとか。いや、勝手な憶測だけど。
2000年09月05日(火) 日向ぼっこしてるヒマに本が読みたい/ムック『アニメスタイル』2号ほか
| 2001年09月04日(火) |
虚構としての自分/『マンガと著作権 〜パロディと引用と同人誌と〜』(米沢嘉博監修) |
しげがパソコンの壁紙を私の写真にいきなリ変えた。 生活時間帯がすれ違いになっちゃって、寂しいのだろうけれど、自分の顔を見ながらパソコン扱うこっちの身にもなってみろってんだ。 ……キモいぞ。 もしかしたらしげ、定期入れにこっそり私の写真入れとくような真似してないだろうな。 ああ、背中が痒い。 スクリーンセイバーには「バカぁ!」なんて文字は流れてるし、いったいなにが不満なんだか。
今日の言いそこ間違い。 パソコンにずっと座りっぱなしの私に、しげが「何してんの?」と聞くので、返事をして、 「じっくり湯灌かけてるんだよ」 わはは、トフスランとビフスランだな。 めったに言い間違いをしない私だが、たまにはある。珍しいことなのでちょっと記録しておこう。 でも、言い間違いは無意識の願望の表れとフロイトは言っていたが、「じっくり湯灌」ってなんの願望を表してるってんだ。こんなもんでもリビドーの象徴なのかよ。 今時、フロイト学説信じてる心理学者もそうそういないだろうがね。
仕事に復帰して以来、職場ではいろいろと面白いことが起きているのだが、全部、私の職業がバレてしまうものばかりなので書けない。 こっそりどこかに書いておいて、私が死ぬ間際に公開してもいいのだが、そこまでするほどのネタでもないからねえ。 まあ、世の中にスネにキズ持ってない商売ってのもなかろうから、ちょっとくらいウチのネタバラシしたって構うまいとも思うし、内部事情を少しはリークしとかないと、どこまで図に乗るかわかんねえよな、ウチの職場ってコトもあるんだけどねえ。 でも、どっちかっつーとウチみたいな下請けの下請けみたいなところ一つ潰したって、オオモトがしっかりしてくれないことには何も状況は変わらんのだ。 だいたいウチは商売広げすぎなんだよ、客は年々減ってるってのに。 需要がないんだったら、思いきって、事業をもっと縮小した方が絶対いいよな。客の数だけの問題じゃなくって、質もどんどん落ちてっからさ、思い切ってムダな顧客を切ってくってのはどうかな? 半分でいいよ、今の。 もちろん、リストラも断行するのだ。そうすりゃ、予算も節約できるんだけどなあ。 え? 私がリストラされたらどうするんだって? そんときゃ更に下請けんとこ行くから平気。そっちは逆に人手が足りなくて困ってるみたいだから。 ……私の商売知ってる人にはのけぞるようなセリフだろうな(⌒▽⌒) 。
で、仕事は昨日から炎天下での作業だ。 大工さんみたいな仕事してますが、私の商売は大工さんではありません。さあ、何でしょう? しかし、病院にずっといたせいで全然気づかなかったが、真昼ってこんなに暑かったんだなあ。ちょっと遅目だけれど、ようやく日焼けし始めた。 かと言って、「健康美」になったってわけじゃないけどね。
残業のせいで、帰宅したのが午後8時。 外はもう暗い。夏も終わりなんだなあ。鳴いてるセミも、もうツクツクボウシばっかりだ。 帰り道、いきなり鼻の穴に向かってカナブンが飛びこんできて、スポッとハマる。ビックリして「フンッ!」と鼻息でふっ飛ばしたら、そのままカナブン、どこかに飛んで行った。 ……いや、ツクリじゃないっスよ。 こういう珍しいこともあるのだなあ。眼に小さな虫が入る、なんてことは経験した人もいるかもしれないが、「鼻の穴にカナブン」ってのはほとんどいないのではないか。 これぞ盲亀の浮木、優曇華の花、一生に一度あるかないかの稀有な出来事なのではないか。……ってたかがカナブンでなに盛り上がってんだろうね。
コンビニに寄って、今週の少年ジャンプ『ヒカルの碁』を立ち読み。 先週、読み損ねていたので、ヒカルの佐為探しの旅はどうなったのかと思ってたのだが、今週号を読む限り、結局見つからないままだったらしい。 ヒカルはすっかり囲碁への情熱を無くし、アキラが尋ねて来ても逃げるばかり。……見事に「力石なき後のジョー」になっちゃってるなあ。 ここまで物語を引いてるってことは、早期の連載完結はまずないのだろうけれど、だとするとこれからもなんとかヒカルに囲碁を続けさせなきゃならないわけだ。 それこそ『あしたのジョー』パターンで行くならきっかけはたいてい「強力なライバル」の出現ってんだろうけれど、それも芸のない話だなあ。 やたら陽気でラテンな碁打ちとか、傭兵経験があって、地獄を見てきた碁打ちとか、ジャングルで育てられた野性の碁打ちとか(^o^)、そんなんが出てきたら笑うけど。 今週号のラストでいかにもな感じで伊角さんが再登場したけど、ヒカルを碁の世界に引き戻すキャラとしてはちょっと弱いんじゃないか。でもアキラはまだ成長しきれてないしなあ。 もうこうなったら本因坊秀策を転生させるしかないんじゃないか。
唐沢俊一さんの「裏モノ日記」に、「公開日記」についての記述があった。 以前、私もこの日記に書いたことだが、この「公開日記」という形式に、こんなに書きがいを覚えることになろうとは我ながら予想もしなかったことなのだ。 「自分の日記を人に見せびらかすなんて、自己顕示欲の表れじゃないか」としたり顔に批判する人はいるが、そんなことは指摘されるまでのことでもない。 ……書き手自身が一番よくわかっとるわい( ̄へ ̄)。 自意識の塊みたいなやつだからこそ、自分の悪筆がガマンできずに、若いころは日記を書き続けられなかったんだい。
実際、現代のようにネット環境が予め用意されていて、かつ自筆で書く必要がない、という条件が揃っていなかったら、私自身、1年以上も日記を続けていられていたかどうか、わからない。 入院中、久しぶりに自筆で日記を書いていると、昔の羞恥心がまざまざと蘇えってきて、自分のヘタクソな字を見るのがとことん苦痛になってしまった。初めのころはそれでもノートに何ページも書いていたものが、退院間近の最後の数日なんか、メモ書き程度しかできなくなってしまったのである。 「ああ、もしこれが全部自筆のままで残るんだったら、途中でやめちゃってたろうなあ」とつくづく思った。 作家の高村薫さんも「ワープロなかりせば」と何かのエッセイに書いていたから、これは悪筆にコンプレックスを抱くものの共通の感覚なのだろう。
他の方々の日記を覗いてみても、「投票してくださいね」と書かれてあるものが多いのは、やはり「自分の書いているものを面白がっている人がいてほしい」という願望の現れであろう。 その気持ちはわかるのだが、読者にそんな期待をしてしまうのは、日記を書く上ではやはりマイナスになってしまうのではないか。 ……ちょっと説明がややこしくなるが、「読者とのつながり」を必要以上に強くしようとすることは、畢竟、せっかく作り上げた「書き手」としての自分の存在を危うくし、「生の自分」を曝け出してしまうことになりかねないのではなかろうか。 何度となくこの日記に書いていることだが、この日記での私は、現実の私とは微妙に人格が異なっている。別にこれはウソをついているということではなくて、「日記を書き続けるための人格」を仮構しているのである。 例えば、素顔の私は、さびしんぼうで傷つきやすい繊細な感受性の持ち主なのだが(コラ、そこで笑ってるのは誰だ)、もちろん、そんなヤワな神経で日記を書き続けられるはずもないので、この日記上においては、ゴーマンかつ無責任な人格に自分自身を設定している。 パソコン通信どころか、『あしながおじさん』や『ポケット一杯の幸福』の昔から、手紙など顔が見えない間柄では、自分の姿形や性別、立場などを偽ることはある意味ごく自然に行われていたのだ。 男なのに女のフリ、またその逆もあり。みなさんは私のことを今までの文章からオタクな中年オヤジだと思ってるかもしれないが、もしかしたらそんなのは全部ウソで、可憐な女子高生かもしれないのだぞ。 ……って、誰が信じるかい。 ξ^▽〆 おーっほっほっほっ。
でも、冗談ではなく、私のことを「本当は女の人じゃないですか?」なんて聞いてきた人も過去にはいたのよ。全く、「なして?」と疑問符が頭の上を飛び交っちゃいますよねえ。 しげに至っては私のこの日記を読んで、「この人、自分に『しげ』っていう奥さんがいるって妄想にとりつかれてる人みたいね」なんて言いやがるし。 じゃあ、そう言ってるお前は何なんだよ。『粗忽長屋』の熊公か。 ……そう言えば、AIQのエロの冒険者さんも、以前、某ちゃんねるで、女性と間違えられていたなあ(^.^)。 こうやって日記を書いているということは、ある程度は自分の実像を錯覚されてもしかたがないと覚悟せねばならないのだろうが、どうして「私は男だ」と全身で表現してるような文章書いてるつもりなのに「女だ」と思われちゃうかな。 もっとも、それで腹が立ったわけじゃないけど。あまり男がどうだ女がどうだなんてことに拘りたくはないんだよね。別にネカマになるつもりはないんで、自分のことを「男だ」って言ってるだけであってさ。 でも、私のことを女だと思いたがる人については別に否定はしません。想像は読者の自由であります。
「日記が続かない」現象が起きてしまうのは、まさしく、実像としての自分と、日記上に表された虚構としての自分、更には読者との人間関係をうまくコントロールできなくなった結果なのじゃないかと思う。 そのことを唐沢さん自身、「日記上の自分」を「世の中とのしがらみで言いたいことも言わず、思ってもいないことを言う、その世間的存在としての自分の声が本当の声なのではないか」と書いた上で、以下のように説明していた。 「公開日記を書くという作業は、その、本音と世間との距離や位置関係を、自分で確認する行為でもある。よく、公開日記が途中で中断されたまま残骸のように放置されているサイトがあるが、あれはそういう距離をうまくとれずにしまった結果だろう」 まあ、書き手が自分のことを「こんな風に思ってもらいたい」ってのはゴーマンだってことなんだよな。
夜、なんとなく物寂しくなって、外出。 しげと自転車で「ブックセンターほんだ」まで。 夜中、自転車に乗るのは夜目の効かない私にとってはちょっと危なっかしい行為なので、本当は避けたいところなのだが、買い損なってる新刊もあるので、探しに行くことにしたのだ。 行き道、突然しげが変なことを聞いてくる。 「……歌舞伎町で火事があったよねえ。こないだから気になってるんだけど」 「……何が?」 「東京のこうたろうさん、火事に巻き込まれてないかなあ」 思わずコケそうになる私。 「住んでるところが違うじゃんかよ」 「でも、台風が来てたときも、ちょうど書き込みとかなかったでしょ? 何か事故にあってないかなあって」 ……バカだよなあ。 その伝で行くなら、仮に私がハワイ旅行したとして、ロサンゼルスで地震が起きたら、津波で沈んでないかって心配しそうだよな。
本を買ったあと、ロイヤルホストで食事。 カロリーが高いものばかりだが、ステーキが意外と低く、500kcal程度しかない。今日は一日、仕事に追われて朝も昼も食えなかったので、思いきって頼む。 いちいちカロリー気にしながら食べるのっての、どうにも侘しいなあ。 こういうのがかえってストレスになりゃしないかと気になるぞ。
米沢嘉博監修『コミケット叢書―02 マンガと著作権 〜パロディと引用と同人誌と〜』(青林工藝社・1050円)。 2000年2月と11月、2回に分けて行われた著作権に関するシンポジウムを収録、解説したもの。 パネラーは、第1回がいしかわじゅん、高河ゆん、高取英、竹熊健太郎、とり・みき、夏目房之介、村上知彦、と、マンガ家・評論家中心。なかなか錚々たるメンバーだけれど、夏目さんの「引用」についての話を除けば、他の人たちの意見は感想の域を出ていない。「何がパロディで何がパロディでないか」というのは主観の問題なので、「法律上、どのように考えたらいいか」という視点で見た場合、あまり意味はないのだ。 以前から思っちゃいたが、いしかわじゅんと高河ゆんが、パアの両極だってことはよくわかったな(^.^)。 それに比べて、第2回は飯田圭、石井裕一郎、牧野二郎の法律家三氏に、マンガ家のみなもと太郎が疑問を呈する、という形式を取っていて、こちらはなかなか楽しめた。 感想を書き出したらキリがないが、一つ言えることは、これから同人誌を作ろうって人も、今現在作っている人も、いや、「創作」に携わっている人は、絶対に、この本(特に第2回)を読んでおく必要があるってことだ。
マンガのパロディ描いたり、ヤオイ本出したりしてる人は、「著作権」って聞くと、すぐにオリジナルのほうの著作権のことばかり考えて、自分たちの作品にだって著作権があるんだってことを忘れてしまいがちだ。 なんとなく「それは著作権に引っかかるから」なんて言葉をよく聞くから、これは描いちゃマズイんじゃないか、とか、ここまで描くとさすがにヤバイ、とか、ついそんな消極的な発想で筆が鈍ることが往々にしてあるけれど、でも、現実に日本で「パロディ」が裁判沙汰にまで発展したのは、いわゆる「マッド・アマノ」裁判一例しかないのである。 ……この件もかなり有名なのに、若い人は全然知らないんだよなあ。自分の半分しか生きてない人でも、話してるとこいつ、私の十分の一か百分の一しか生きてねーんじゃないかって思うことあるぜ。
マッド・アマノってのは人名だ。既成の写真をコラージュして、数々のパロディ写真を作ってきたのだが、そのうちの一つ、白川さんという写真家が撮った雪山の写真の上にでっかいタイヤと轍の写真を合成して、自然の雪山がいかに人間に蹂躙されているかを揶揄する作品に仕上げた。 それが結局はオリジナルの写真の著作権を侵害していることになる、と判決が下されたのである。
この判決自体、なんでやねん、と私などは怒りを覚えるが、百歩譲って、仮にこの判決を妥当なものだと考えたとしても、それで全てのパロディ、批評が禁止されたとまで敷衍することはできない。 なのに、我々はつい「サザエさんの性生活」を描いたら、「長谷川町子記念館」から訴えられるんじゃないか、とビクビクしてしまうのである。批評のための引用なら許諾はいらない。実はこれ、法律でちゃんと認められているのである。 確かに、誹謗、中傷、営業妨害目的のオリジナルの改竄は戒められるべきだろう。しかし、例えば、ある作品のパロディ本を描いたとして、それが誹謗の範疇に入るのか、批評の域に達しているのか、今書いた通り、その判例は「マッド・アマノ」裁判しかないのだ。 現実には、裁判に至る前にパロディを描いた方が謝ったり、示談に持って行ったりして、初めから「負け」ている。 それでほんとうにいいのか? という疑念が、第2回のシンポでは、法律家の方から出されているのだ。 「自信を持っているのならやってほしい。やってから(弁護士のところに)相談に来い」と、牧野さんは発言しているのだよ。
私個人はヤオイ本なんて全部クズと思っているが、だから「禁止せよ」「絶版にせよ」「もう描くな」なんてことを言うつもりは毛頭ない。たとえどんなにヒドイ内容のものであっても、批判の対象にこそなれ、出版差し止めなどを要求していいものではない。それが「言論の自由」ということだ。 その点で行けば、小林よしのりの『脱ゴーマニズム宣言』出版差し止め裁判は、小林さんにとっては自分で自分の首を絞めるも同然の訴訟だったと思う。……『新ゴーマニズム』の中でいろいろ言い訳してるけどねえ、結局、「引用する場合、もとの絵や文を改竄してはならない」点において出版が差し止められたんであって、『脱』が批評本であることは認められたのだから、『脱』の作者の上杉聡さんが改訂版を出せば、小林さんはもう何も言うことはできないのである。 同人誌作家たちも、自分のことを仮にも「作家」であると自覚しているのならば、こういうシンポジウムに積極的に参加するくらいの気概を見せてほしいものだ。主宰の米沢さんが嘆いていたのは、一番参加して欲しかったパロディ同人誌の作り手たちがみんなこのシンポに対して及び腰だったということなんだぞ。 ヤオイ本の作者たちがそのオリジナル作品を愛してるなんてのは、ウソだなあ、とつくづく思う。彼女たちが愛してるのは自分だけなのだ。 ……これ、「中傷」じゃなくて、「批判」だからね。
2000年09月04日(月) また一つ悪いウワサが……?/『マンガ夜話vol.9 陰陽師・ガラスの仮面』
| 2001年09月03日(月) |
変わるわよ♪ ……何がだよ/アニメ『こみっくパーティー』第1話ほか |
芥川賞作家、畑山博氏、肝不全で死去。66歳。 小説家としての畑山氏の作品は全く読んでいない。でも、その著作や言動には一時期やたらと触れた。 畑山氏が宮澤賢治の研究家としても著名だったからである。 1996年、宮澤賢治の生誕100年記念番組をNHKBSが放送したときには、総合ナビゲーターを畑山氏が務めていた。 語り口は実に朴訥としていて起伏に乏しく、お世辞にも見ていて興味を引かれるものとは言えなかった。けれど、たいていの宮澤賢治研究家が、宮澤作品の映像化に否定的だったにもかかわらず(天沢退二郎などは「失敗作」の一言で切り捨てている)、畑山氏は高畑勲作品の『セロ弾きのゴーシュ』を高く評価しているのが印象に残った。
一時期の宮澤賢治熱が去ったかのように、ここ数年、宮澤作品の映像化や特番はほとんど見当たらなくなっている。代わりに脚光を浴びているのが金子みすゞという印象がある。 なんだか世間が勝手に盛り上がって宮澤賢治を持ち上げ、飽きた途端に見捨てていったみたいで、長年のファンとしてはどうにも気分がよくない。『風の又三郎』にしろ『銀河鉄道の夜』にしろ、まだまだ評価が定まっているとは言いがたい。新たな解釈で映像化を試みてもいいのではないいか。 何より、『銀河』のほうは、未だに一度も映像化されたことのない、通称『ブルカニロ博士編』と呼ばれる初稿形もあるのだ。紛失した「天気輪の柱」の章を補完してみるという手もある。アプローチの仕方はまだまだ残っているだろう。
カムパネルラは決して自己犠牲に殉じていたわけではない、というのが私の昔からの意見である。ジョバンニをあの銀河鉄道に乗せたのが誰だったかを考えれば、カンパネルラの利己心が見えては来ないか。宮澤賢治を『雨ニモマケズ』の詩一つに集約して、自己犠牲、滅私奉公の象徴のように扱う観念主義、精神主義の徒は未だに多い。しかし賢治は、大いなる迷いの人であったし、自己の煩悩を制御できない人であったし、人を思うことを考えながら人から逃げていた人でもあった。 賢治が生きていた当時の花巻の人々の評価は「変人」なのである。変人の評価が100年や200年で固まるはずもないことだ。
畑山さんもなんとなく変人っぽい人だった。 今年は賢治の弟、宮澤清六氏も死去しているが、この人もどこか超然とした雰囲気の人だったようだ。 ほんの少しだけ昔の人だった親しい人々が、遥かに遠い昔の人になっていく。仕方のないことだが、寂しい。
今日から本格的に仕事を始める。 私が入院する以前からご病気でお休みしている同僚も、今月から復帰されると聞いていたのに、なぜか出勤していない。 「○○さん、どうしたんですか?」 と他の同僚に聞くと、 「来られないのよ」 との返事。 「まだ、ご病気が治られてないんですか?」 と聞いても、ハッキリした返事がなく、歯切れが悪い。 「……いつごろ戻られるんですか?」 「それが……わからないの」 「……復帰されるご意志はあるんですよね?」 「……実は、こないだ来られたのよね。みんなで拍手して迎えたんだけれど……そこでドラマがあってねえ」 「ドラマ? 何ですか?」 「……聞かないほうがいいわよ」 こ、ここまで引いて、何も説明してくれないとは(・・;)。 いったい何があったのだろう。やはり入院なんてしてると世の中の動きから取り残されちゃうのだなあ。
テレビで漫然と『名探偵コナン』を見ていると、女児誘拐の田中邦彦容疑者をさいたま市で逮捕のテロップが流れる。 ……臨時ニュースで流さねばならんほどのことかと、そのこと自体にビックリ。どうもこの事件、ワイドショーを含めたマスコミが、どう取り扱ったらいいのか苦慮しているような印象があるのだなあ。 幼い子供を誘拐しているわけだから、これはもう、立派な凶悪犯罪、ということで怒りたいところなのだろうが、監禁こそしたものの、女の子は無事解放されていて、イタズラされた形跡もない。 攫ったはいいものの、扱いかねて放り出した、というのが真相に近いところだろうが、そういう犯人の杜撰な計画、アタマの悪さというのが前面に出ていて、「凶悪犯」「知能犯」のイメージからはほど遠くなっているのだ。 つまり、「情けない」「アホな」犯人像っていう印象が強いせいで、マスコミは怒りの矛先を持って行きにくくなってるのじゃなかろうか。 先に捕まった藤田容疑者同様、こいつも美少女アニメオタクなんだろうが、そのことをやたら取り上げて「アニメと現実の区別がつかなくなって」という定番かつ陳腐な言質で批評した気になってるバカコメンテーターが続出してるのも、他にこいつらを責めたてる要因を見つけられないから、しかたなくやってることなんじゃないかな。 トチ狂ったニュースを毎日見せられるのも飽き飽きなので、犯人が捕まってくれてよかったよかった。これで続報もそのうち消えるでしょ。 ……それにしても、逮捕時には作業員をやってたっていう話だけど、履歴書も身分証明もなくて身元保証人もいないってのに、その会社もよく雇ったよな。 過去は一切不問ってのも偏見のないコトで素晴らしいのかもしれないけれど、最低限でも身分証明になる何かを提示させるくらいのことはしておかないといかんと思うがね。
晩飯は餃子を焼いて食べる。 しげにも半分分けてやるが、「どうしてくれるの?」と、とまどっている。 自分のメシは自分で作れ、と言っているから、まさか何か作ってもらえるとは思ってなかったらしい。 気まぐれであるが、考えてみたら、私が気まぐれでしげに優しくすることはあっても、しげが私に気まぐれで優しくすることはないのだ。 自分でも、どうしてこんなやつと一緒に暮らせているのかと確かに疑問に思うことはある。どこかに功利的な判断があるんじゃないかなあ、とは思うが、世間体を気にしてるわけでもないしなあ。 実はバカが好きなんだとは思いたくないが、ちょっとはあるかもしれない。 いや、私はだいたいしげのことを本気でバカだと思っているのだろうか? この日記でも、しげのことを百万遍、バカだバカだと書いているのだが、なぜそこまで書くのかと言われれば、確かに自分でもしげのことを一生懸命バカだと思いこもうとしているフシがある。 では本当はしげはバカではないのかと言うと、やっぱりどう考えてもバカなのである。
先日、しげから突然、「人って変わるの?」と聞かれた。 「変わるさ」と即答する。当たり前のことをなぜいきなり聞くかな、と思って「なんで?」と聞き返す。 しげは直接私の質問には答えず、「性格って、変えようと思って変えられるの?」と、質問し返してくる。 ああ、私がしょっちゅうしげに「バカを治せ。その忘れっぽい性格を変えろ」と言うものだから、そんなことが可能なのか、と考えていたようだ。 「変えられるさ」 「アンタも変えた?」 「変えたよ。環境が変わるたびに、性格何度も変えてきたよ」 「じゃあ、自然に性格が変わるってことはないの?」 「そりゃあるだろう。トシを取って、体が動かなくなりゃ、心が穏やかになることもあるし」 「……確かに、アンタ、変わったね」 「そうか?」 「昔に比べて優しくなった。昔ほど怖くないし」 なんとなく苦笑いを浮かべただけで、それ以上返事はしなかった。 ……なるほど、自分でもトシを取ったのだな、と思う。 以前ならここで「人をトシ寄り扱いするな!」と怒ってただろうから。 でも私はともかく、しげが更に穏やかになったら、バカが加速するだけなんじゃないのか。
なんだかよくわからなくなってきたので、この辺でやめるが、誰か、なんであんなやつと十年も夫婦でいられているのか、説明してください。
バカからバカにされると腹が立つと言うが、しげはしげのクセして私を時々バカにする。でも別に腹は立たない。 あそこまでバカだとかえって「よしよし、バカがまた何か言ってるね」で済ましちゃうからだろう。 CSキッズステーション『SAMURAI GIRL リアルパウトハイスクール』第6話を録画していると、しげが「これ、どこが面白いの?」と、いかにもバカにしたようなことを言う。 実は入院中、録画を頼んでいたのだが、2話以降をまだ見返していない。だから面白いかどうかなんてのはまだよく分らないんだが、とりあえずGONZOで後藤隆幸なんで録ってるのだ。面白さはともかくアニメ技術だけはいいもんな、GONZO。 作品にはいろんな見方があるので、そういう理由で見ることもあるのだが、しげにはそういうのが気に入らないようだ。 ……気に入らないって、そりゃお前の勝手じゃん。ダン・エイクロイド目当てだけで『パールハーバー』見に行ったやつにエラそうな批判される筋合いはないのである。
夜8時、しげが仕事に行く段になって、「3時まで起きてる?」と聞いてくる。 「俺に起きて待っててほしいの?」と聞き返すと、「いいや」と答える。 なら、最初から聞く必要はないのに、どうしてこういう見え透いたウソをつくかなあ。 でも当然、私は先に寝て待っててなんかやらないのである。これは意地悪でもなんでもなくて、明日仕事があるからだ。それを知ってて「起きてるか?」なんて聞いてくるしげの方がよっぽど性格が悪い。 だから、その性格を直せって言ってるんだってば。
CSキッズステーションで『こみっくパーティ』第1話を見る。 一部で話題になってたので、見てみる気になったのだが、要するに「ケイエスエス版『オタクのビデオ』」というわけなんだね。 同人誌だのコミケだのになんの興味もなかった主人公が、筋金入りのオタクな友人に引きずられて、同人誌の星を目指すという……書いててまるでアホみたいだが、そういう設定なんだからしかたがない。 笑えるような、ちとイタイような(^_^;)。 でも、オタクなら誰しも一度は辿った道である。 いきなりオープニングが『TO HEART』で始まったので、一瞬、「なんでマルチが?」なんて、放送を間違えたのかと思っていたら、主人公の夢なのだった。一見ベタベタな展開だが、さにあらず。この夢、後でわかるのだが、主人公を同人誌漬けにするためにオタクな友人がベッドに『TO HEART』の録音テープを仕込んで「睡眠学習」させていたのである。 ……こういう友人を持ちたくはないなあ。 しかし、アホなキャラクターを配置してはいても、「同人誌」を極めて肯定的かつ偏見のない視点で描いているのは、特筆すべきことではないか。 意外なくらいにマジメで、これ、本当に「コミケの星」ってタイトルに変えたとしても違和感がない。これはアニメによる『同人誌入門』なのである。昔は手塚治虫、石森章太郎といった人達が『マンガ家入門』って本を書いてくれてたけど、考えてみたら、今は、同人誌を作りたいと思ってる人たちに対して、技術的なノウハウだけでなく、心構えのようなものまで教えてくれる解説書ってものがない。マンガ家への入門書自体見かけなくなった(『コミッカーズ』は小学生には高度過ぎるし、技術に偏り過ぎている)。 これ、意外と拾いものではないかな。
『コミック伝説マガジン』No.2(実業之日本社・380円)。 おお、ついに『サイボーグ009』が三度目のテレビアニメ化。 10月14日からって、もうすぐじゃん! そこまで制作が進んでるとは思わなかったがなあ。報告はあっても、声優やスタッフの紹介がまるでないのが気になるなあ。 それに合わせる形で、今号のメイン作品も石森章太郎『009』。前回、手塚プロに新作『鉄腕アトム』を描かせるような暴挙はせず、『ああ、クビクロ』の再録。まあ、賢明な判断だろう。 前回の『アトム』、非難轟々だったらしく、手塚プロとの協議の末、新作は作らないことにしたそうな。……手塚プロも根性がないなあ。非難が来ることなんて、当然予測がついただろうに。この程度のことでやめるくらいなら、最初からやらなきゃいいのである。 たとえ批判されてもそれを跳ね除けられるくらいの傑作を書きゃいいだけの話なのに、それができないということは、もはや手塚プロに人材がいないということに他ならない。 まだ、『大長編ドラえもん』を書きつづけてる藤子プロのほうがマシなのかな。 『アトム』の代わりに再録されたのが『落盤』。全集でも、『手塚治虫ミステリー傑作集』でも読んだことがあるので、正直「またか」と思ったのだが、なんと、ラストがこれまで収録されていたものと微妙に違うのである。 しかも、今回のもののほうが断然いい(現物に当たってみてね)。 手塚治虫自身によって単行本用に書きなおされたものが今回の収録版だったわけだが、なぜ、全集のときには改稿版を入れなかったのかな。
マンガ、石森章太郎作・成井紀郎画『決死戦7人ライダー』(角川書店・2000円)。 かつて『テレビマガジン』に連載されていた『仮面ライダーストロンガー』を全編収録したもの。つまりは第一期『仮面ライダー』シリーズの最終作ということになる。 石森自身による原作がない以上、コミカライズとはいえ、これがもっとも正当な『原作』。でも初期のあだち充によく似た柔らかい線のキャラは、タックルはなかなか色っぽくてイイけれども、ストロンガーにはちょっとナンパな印象がくっついているのであった。 解説は一生懸命本作をヨイショしてるが、やっぱり子供向けの月刊誌では、深みのあるドラマ展開はできていない。 テレビ版の最終回も、実はショッカー以来の今までの敵は、みな同一人物の宇宙人であったという、いい加減なオチであった。 『ウルトラマン』世代が『仮面ライダー』にイマイチはまれなかったのは(でもライダースナック買ってたけど)、やっぱり、そういう脚本のチャチさにもあったんだと思う。
マンガ、吉原由起『ダーリンは生モノにつき』8巻(小学館・410円)。 やっと完結してくれたか。 いや、つまんないんじゃなくて面白くはあるんだけど、これ、批評のしようがないのだ。 と言うか、批評しようと思えば引用するしかないんだけどさあ。引用するのがめっちゃ恥ずかしいマンガなんよ、これ。 引用しなくたって、「ヤリたがりの若妻が夫を押し倒すマンガ」、と言えばこと足りるんだけどね。……だからどのギャグも全てナニとかアレ関係の話ばかりなわけよ。 ああ、でも頼むから、フェラ○オした後、陰○とザー○ンまみれのクチビルでキスを迫るような絵を描かんでくれ。オトコがどれだけそーゆーのを気色悪がるかわかるか。 ラストは子作りの話か。この話題が最後の最後に出てくるあたり、これまでの連載が「ただヤル」だけの話であったことを如実に証明しているであろう。
マンガ、田村吉康短編集『筆神』(集英社・410円)。 表紙絵だけを見て買った完璧な衝動買い。 ジャンプの読み切りマンガだから、どれもありきたりなんだけれど、表題作の『筆神』だけはまあ面白い。 設定は現代の『陰陽師』なんだよなあ。でも「書」の精霊、「トヨフデヒメ」の力を借りて悪霊退治、というところがちょっとした工夫で面白い。 ……もっとも、この「書が悪霊を封じる」という発想も、オリジナルってわけじゃない感じで、中国の古典あたりにルーツを求められそうだけど。
2000年09月03日(日) 警察も役所/『ら抜きの殺意』(永井愛)ほか
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藤原敬之(ふじわら・けいし)
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