たりたの日記
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2008年05月24日(土) |
「安保の丘」、そして 「沖縄戦の図」 |
沖縄三日目のこの日はN先生がわたし達にぜひとも見せておきたいというところへ案内してくださった。
その中の三つの場所について。
まず、「安保の丘」と言われる米軍嘉手納基地の脇に、2003年4月にオープンした道の駅、「道の駅かでな」へ。 ここの最上階、4階の展望テラスから嘉手納基地が一望でき、3階は嘉手納町の歴史や基地を説明する展示室になっている。
「安保の丘」という名前だが、その丘に登って基地内を覗くことで安保条約とは何かということが見えてくる、ということから「安保の丘」と呼ばれるようになったと聴く。
知識とし知ってはいたものの、戦争を放棄するとする日本国の敷地の中に、歴然と存在する米軍基地、そこから飛び立ってゆく軍用機を見る時、心に穏やかでないものが湧き起こる。 先日、ひめゆりの塔で多くの戦争の犠牲者を見たばかりなので、複雑な心境だった。
もうひとつは佐喜眞美術館この美術館には丸木位里、丸木俊夫妻の「沖縄戦の図」が展示されている。 まだ子ども達が小さかった頃、丸木位里、丸木俊夫妻の描いた「原爆の図」を観に、東松山市の丸木美術館を二度、訪ねた。またお二人の作品、「ヒロシマのピカ」はわたしの持っている絵本の中でも大切なもの、子ども達に伝えていきたいものの一つだ。 沖縄戦の図、一度は観ておきたいと思っていたので、この美術館を案内していただいた事は幸いだった。
この美術館のコレクションをつらぬくテーマは、「生と死」「苦悩と救済」「人間と戦争」。また屋上の階段は6月23日(慰霊の日)の太陽の日没線にあわせて作られている。1995年に国連出版の『世界の平和博物館』にも収録されているとのこと。
後ひとつは 嘉数高地 、沖縄戦の傷跡の残る場所。
<絵本「ひろしまのピカ」>
2008年05月23日(金) |
沖縄の魚たち、花たち |
この日、朝、那覇のホテルを出て、北へ。
夕方、読谷村のN牧師宅に伺う前に、お勧めのスポットへ。
沖縄美ら海水族館と
熱帯ドリームセンター
魚たち、花たち、好きなものを存分に見ることのできる幸せ。
デザインが良く、心地よい空間、素晴らしい水族館と魅力的な植物園。 もっともっとゆっくりと時間をかけて見たいところ。
サイトでまた彼らに会うことができるのは幸いだ。
植物園の蘭のコーナーを観ていた時、NHKの報道者からカメラを向けられ、インタビューを受けた。 わたし達がN先生のお宅に着く前、6時のニュースで、わたしが話しているところが大きく映り、びっくりされたようだった。 翌朝は大分でも放映されたらしく、わたしの母と、Sの母親から電話があり、おかしかった。
22日から26日まで沖縄への旅
7歳から教会学校でお世話になり、21歳の時の洗礼を授けていただき、24歳の時、結婚式の司式をしてくださった親のような存在のN牧師を訪ねるのが目的の旅、教会学校からの妹分のSといっしょに。
四国から飛んできたSと那覇空港で落ち合い、予約しておいたレンタカーをゲット。 まず訪ねたところはひめゆり平和祈念資料館
戦争という、この上なく、非道で獰猛な破壊の力の前で、命を落としていった夥しい数の少女達・・・その名前、写真、手紙、日記に目を落とす。 彼女達の死を通して伝えられる反戦のメッセージ。
同じフロアーにいた、ストリート系の恰好をした若者達のグループがあった。わいわい楽しそうに入ってきたのだったが、しばらくするとしんとなった。
そのうちの一人が、携帯で話しをするのを思わず聞いてしまった。
「あ、まだ沖縄っス。今、ひめゆりのとこに来てるんだけど、・・・なんか、すごい衝撃なんスよ・・・もう、ちょっと考えられない・・・凄いんですよ・・・震えがきてます・・・」
沖縄戦についてもひめゆりの塔についても、いくらかの知識があってここにいる私達より、この若者達には何倍も強いインパクトがあったのだろう。 同じ世代の若者が、生きることを封じこまれたその事に、強い衝撃を覚えたのだろう。
戦争の犠牲になった若い乙女たちの肖像に重なって、その若者の姿が印象に残った。
沖縄の花々は印象的だった。 くっきりとした強さと野生を感じる。 それにしても、この木に咲く、真っ赤な花はなんなのだろう。 樹木に詳しいSから、この木がかの有名なデイゴだと知らされる。
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』によるデイゴについての情報 界 : 植物界 Plantae 門 : 被子植物門 Magnoliophyta 綱 : 双子葉植物綱 Magnoliopsida 目 : バラ目 Rosales 科 : マメ科 Fabaceae 属 : デイゴ属 Erythrina 種 : デイゴ E. variegata 学名 Erythrina variegata 和名 デイゴ 花デイゴ(梯梧 Erythrina variegata)はマメ科の落葉高木。インド原産。春から初夏にかけて咲く赤い花が有名。沖縄県の県花でもある。デイコ、エリスリナともいう。
2008年05月11日(日) |
母の日にはワインレッドのカーネーション |
去年の母の日の日記に母の日には赤紫色のあじさいという文章を書いた。 そこにあるあじさいの花は長男のHからの贈り物だった。 鉢植えの花だったので、花の後、一回り大きな鉢に植え替えをし、肥料を施していたら、この春、新しい葉を茂らせ、いくつか蕾を付けている。きっと梅雨の時期にまた、赤紫色の花を咲かせることだろう。
そして、今年の母の日には次男からのワインレッドのカーネーションと薔薇のシックなアレンジメントを贈られた。 この花の選択と色づかいが、昨年の赤紫のあじさい同様、なんだかうれしい。
今人気の青山の花屋に、この花のアレンジメントを予約しておいたということだった。 さすがに貧乏学生の頃とは違う。 五月から虎ノ門の本社勤務になったフレッシュマンは冬眠から目覚めた熊をを脱却し、多少は街の人間に移行しているのだろう。
この何かしら不思議で妖艶なエネルギーを放っている花花に見とれながら、 この花が息子の母親に対するイメージか・・・悪くないなぁ・・・と思う。
で、思わず独り言のように
「大人の女の色気を感じさせる色使いよね〜。 わたしも、この齢にして、ようやくこんな色の花が似合うような女になったのよねぇ〜」
と感慨深気に言うと、
それを聞いていた我が家の同居人
「えっ、そんなことはない。あなたのエネルギーは五歳児のエネルギーだよ!」
ご、五歳児!
確かにつくしんぼ保育園の五歳児と意気投合してるけど、 この自己イメージとの落差は甚だしい。
わたしが不平をもらすと
「じゃあ、他の人に聴いてごらん、納得するから」 と、譲らない。
ま、若い(?)っていう事はいいことかもしれないけれど・・・でもねぇ・・・
人の思惑はどうであれ、あたしは妖艶なワインレッドの花が似合う女を目指します(笑)
毎年恒例の5月の連休の菜の花畑。 荒川沿いのサイクリングロード。 菜の花の上にきれいな色の可愛いちょうちょう。 菜の花畑に止めた「緑の風号」でランチ&読書 五月の陽射しと風の心地よさの中で
丸山公園を歩き、ベンチでmGは昼寝、わたしは読書。 帰り道、向こうに赤い花がたくさん見える。 あの揺れ方は花菱草? でも色が赤い・・・ 近づいてみると いちめんのひなげし、 あるいはポピー、 あるいはコクリコと呼ばれる 赤やピンクの花たち! 感動!
ひとしきり花花からエナジーをいただき、行田の温泉、古代蓮物語へ ここもなかなか良いエネルギーに満ちた癒しの空間だった。昨日の続きのように、ここでも岩盤浴。 良い一日
この日の写真はmGのブログにも
友人と二人で陣馬山へ。 高尾山は登山道も人で埋まっているほどの賑わいだったらしかったが、そこから少し離れた陣馬山はなかなか静かな山だった。
藤野駅から陣馬山登山口までは40分ほど。花々を見ながら、話ながら歩いているうちに、うっかり道を間違えてしまい、陣馬の湯方面へ出てしまった。登山口まで引き返し、陣馬山への道を取り戻す。
途中、チゴユリがたくさん咲いていた。下界では見ることの出来ない繊細な花だ。ザックを置いて、しばらくの間花をスケッチする。
他にもヒトリシズカやイカリ草などの花を見ることができた。道の両脇には白い野バラがたくさん・・・美しい登山道だった。
登る途中、あまり人にも会わなかったのに、山頂、シンボルの白馬の像の周囲はかなりの人で賑わっていた。高尾山から縦走してきた登山客が多いのだろう。 都合よく空いていたテーブルに陣取り、お弁当を広げ、しばしランチタイム。
本日のわたしの持っていったお弁当は
クスクスのサラダ(クスクス、トマト、きゅうり、玉ねぎ、パプリカ、ピーマン、たこ、えび入り)
炊き込みご飯に野沢菜
バナナケーキと柏餅 ( これは行きの電車と、山の途中で )
雨は降らなかったものの、木々はしっとりと濡れていて、陣馬山から明王峠までの山道はすっくりとした杉木立に霧がかかっていて、溜息の出るほど美しく幻想的な佇まいだった。こんな美しい霧の山は初めてだと思った。
に戻ってきたのは4時半を回っていた。
そこから八王子へ行き、八王子温泉・やすらぎの湯へ。 ここは以前、高尾山へ行った帰りに二度利用しているが、バリ風の岩盤浴はオープンしたばかり。 落ち着いた内装で、ヒーリング効果は高いと感じた。黄土ボールや岩塩の上に寝るというのもなかなか良かった。ピンク色の岩塩はかなり気持ちよかった。
2008年05月04日(日) |
「ファンタジー」 第4回MSショー |
この日ダンスチームM's Party 恒例のエムズショー。 第4回目のショーのタイトルは「ファンタジー」 。
わたしにとってこのタイトルはとても意味深いものだった。この4月、誕生日を迎えた時、ふっと降りてきた言葉だったから。
ファンタジーを生きる。 生活そのもの、生き方そのものをファンタジーとして捉える。
社会的な規範や人間どうしの柵から自由になるためにはどうしてもこの力を借りる必要がある。 決してメルヘンチックなロマンチックな甘いニュアンスのファンタジーではなく、ある意味それを貫こうとすることに伴う覚悟のようなものを内に抱え込んだ、背筋を張った歩み。
今回はダンサーとしての参加ではなかった。 わたしの役割は50音の中での三つの役割と芝居ダンス「ギリシャ神話」のナレーション。 ファンタジーを生きる上でも、ギリシャ神話に見ることのできる「元型」は示唆に富んでいる。 そういう意味でも、ギリシャ神話の話を読むという作業は意味深かった。
黒いドレスのハンドベルを鳴らす清楚な女 赤いドレスを着て500本の薔薇の花を受け取る取り澄ました女優 オレンジ色のレインコートを着て「別れても好きな人」を演じるカワイイ女 白いドレス(実は仕舞い込んでいたウェディングドレス)の不思議系語り部 と、自分なりにイメージを持って舞台へ。
舞台の上のわたしは、それこそ、持てるだけのファンタジー力を注ぎ込んだつもりだが、客席からはどう見えたのだろう。
ともかくも昨年からずっと抱えていた「ひとつのこと」がようやく終わった。 3月末の原宿のコンサートと、それに続く、このショーが終わって、ようやく肩の荷物を下ろしたような身軽な気持ちになっている。
<写真提供 mG >
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