たりたの日記
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2008年04月30日(水) この四月

< マルク・シャガール画 「ソロモンの雅歌」より >


























2008年の4月という月が終わる。
時が止まったかのように緩慢に進むかと思えば、まるで夢の中の出来事のように現実の向こう側で生きているような不思議な時の進み方だったように思う。
このシャガールの絵のように、白い馬にまたがり虚空を飛翔し、地上を遥かに離れた浮世離れの感覚があった。

いつものふさふさとした銀色の尻尾の代わりに何処までも飛んでゆけそうな翼が生えていたのかもしれない。


2008年04月25日(金) 雅歌を読む

ボイスブログに 「雅歌」をアップした。

 「雅歌」。若い頃から、旧約聖書の中でも、この箇所は好きな箇所だった。繰り返し読んできたものの、朗読した事はなかった。聖典には入っているものの、主日の礼拝の中で読まれることはほとんどないからだ。

 というのも、この1章から8章までに渡るこの詩は、エロティシズム溢れるもので、聖書の中では異色。キリスト教的には「キリストと教会の関係」を歌う歌として解釈される向きがあるが、明らかに男女の恋愛を讃美し、寿ぐ歌。そこに表現されたものは生身の人間もの。神が祝福し、良しとして人間に与えたものだと思う。

 英語ではthe Song of Songs 、まさに歌の中の歌。冒頭の部分でソロモンの書いた愛の歌と記されているが、実際はそうではなく、この詩が書かれたのは紀元前300年から250年頃というのが定説になっているようだ。

< マルク・シャガール「ソロモンの雅歌3」>























 


2008年04月24日(木) イノチとイノチの結婚式

1週間、また日記が空いている。
今さら、この空間を埋めようもない。

花花が次々に咲き、雨が降り、風が吹き、太陽が降り注ぎ、満ち満ちた春の日々であったことには間違いない。

18日、金曜日の夜。この日も雨だったが、夫といっしょに、神楽坂のシアターIWATOへ、芝居を観に行った。ゼミ友だちのKさんの紹介で、劇団ヒッポッポッタマスの別役実原作のお芝居三本立てから「風に吹かれてドンキホーテ」を観た。
役者と顔がくっつきそうに近い、その小さなシアターの中がまるごと日常から切り離され、ただただ芝居の世界がそこに浮かび上がっていた。
ライブもそうだけれど、演じる人間のエナジーがストレートに届く、こういうパフォーマンスは好きだ。
「何を演じるかというよりはどう演じるか」パフォーマー達の心意気こそが問われる、そういう芝居。

別役実の脚本の面白さにも開眼。

で、何より、印象的だったのは、劇のフィナーレで歌われる、この歌だった。
不思議な感動を覚えた。何だか励まされた。
帰り道も雨は降っていたが、神楽坂の道は華やいだ印象だった。



「風に吹かれてドンキホーテ」


愛しているから食べる 愛されているから食べられる


私達がキャベツを食べるのは 私達がキャベツを愛しているから

キャベツが私達に食べられるのは キャベツが私達に愛されてるから

愛しているから食べる 愛されているから食べられる



私達がニワトリを食べるのは 私達がニワトリを愛しているから

ニワトリが私達に食べられるのは ニワトリが私達に愛されてるから

愛しているから食べる 愛されているから食べられる



私達がオサカナを食べるのは 私達がオサカナを愛しているから

オサカナが私達に食べられるのは オサカナが私達に愛されてるから

愛しているから食べる 愛されているから食べられる


この世界は毎日が結婚式 イノチとイノチの結婚式

食べる事でキャベツを愛し、食べられる事でキャベツは愛される

愛しているから食べる 愛されているから食べられる


2008年04月18日(金) 羊のために命を捨てる

わたしは良い羊飼いである。
わたしは自分の羊を知っており、羊もわたしを知っている。
それは、父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っているのと同じである。わたしは羊のために命を捨てる。

   ( ヨハネによる福音書10章14〜15 )


愛とは何か、まず、その人を知るということ。ほんとうの意味で。
愛された者はまた、その人から深く知られるということ。
知ること、知られることの間に生れる強い絆、それが愛。
イエスと羊であるわたしたちの間の、イエスと父なる神の間の、そして、わたしたち、人間どうしの、愛。

そしてイエスは言う。
きっぱりと言い切る。
羊のために命を捨てると。
そして、そのようにして、羊のために命を捨てた。

愛とはこういうもの、自分の命さえも、
超えるところに起きるできごと。
そこには必ずや神が介在する。


明後日の教会学校のテキスト、ヨハネによる福音書10章7〜18節を読んだ。
ここから子ども達への話を組み立てるのだが、その前に、今までにないほどに「羊のために命を捨てる」という言葉が強烈に内側に入ってきた。
愛がどういうものであるか、イエスは自らの命をかけてそれを示したということにはっとする。
そのように知られ、愛されているわたしとは、いったい何者だというのだろうか。


2008年04月17日(木) 四月に降る雨 April showers

イギリスのナーサリーライムにこんなフレーズがある。

March winds and April showers
Bring forth May flowers

三月の風、四月のにわか雨、五月の花盛りを恵む


五月の安定したお天気を迎える前の落ち着かないお天気の日々、
大風やしとしと降りつづく雨の度、この言葉を思い返す。

今年の四月も、また、たくさんの雨。

雨の中で、花々が生き生きしているのを見るのはうれしい。
確かに、少し、気持ちは沈みがちにはなるけれど。


このフレーズ、今年は季節のことばかりではなく、
何か人生の中で起るできごとのようにも感じている。

何か、安定した、平和に満ちたものがその先に約束されていたとしても
それを迎えるまでには、たくさんの雨の日や嵐を潜ってこなければならないということ。

その時の雨や風が、花を咲かせる力になって、それぞれのことが動いていくということ。

まだ見ぬ五月、芳しい香りの花々で満ちてゆけ!



2008年04月16日(水) ハナミズキ

今年もハナミズキが開いた。

毎年、咲く花の量に変化がある。

昨年はぽつり、ぽつりとしか咲かなかった。

夏のうちに葉が落ちてしまったから

充分な花芽ができなかったのだ。

この冬、枝にはたくさんの花芽があった。

しかし、その芽が大きくなり

時を得なければ、咲くことはかなわない。

必要な光と水、

何より

木そのものが持つ力、

花を咲かせようとする。



この木を植えて、13年。

初めはわたしの背丈ほどしかなかった苗木が

屋根を越して大きく育った。

あくる春も

またその次の春も

豊かに咲きつづけてほしいと思う。

抱えたつぼみを

すべて開かせながら


2008年04月15日(火) ボイスブログを新しいマイクで

ボイスブログに<父の12ヶ月より 4月「父は夢みる」>をアップした。

今回の録音は、スタジオやライブに使う専用のマイクでの試し録音。
まだ、調整がうまくいってないらしく、本来のマイクの良さはまだでてきていないらしいが、とりあえず、アップする。

このマイクは、ギタリストのみ〜のアドバイスの下、mGがわたしの誕生日のプレゼントに買ってくれたもの。RODE NT1-A という名前のマイク。
今までの1,000円ほどの簡単なマイクから一挙にプロ使用のマイクに格上げ。
朗読、本格的に頑張らなくては・・・

このマイクには編集のソフトがついているからインストールして、使いこなせる技を身に付ければ、様々な編集が自分でできるようになる。今年、まず取り組むべき課題だな。


2008年04月14日(月) ともかくも言葉を

今日の月曜日はほぼ一日家にいた。
主にやったことは5月4日のエムズのダンスショーの中で、わたしが担当することになっているナレーションの練習。

これはギリシャ神話のヘラクレスの話をmGがダンスの先生の求めに応じて書いた脚本。
前回の原宿教会では歌とオルガンと朗読のコラボだったけれど、今度はダンスと音楽とナレーションのコラボ。
でも、ステージの上では歩きながら朗読する場面もあるので、いったいどのくらいの明りがあるかどうか心もとない。手元の原稿が見えないという事もありうる。当日コンタクトレンズを入れるので、老眼効果でさらに字は見え難い。
と、すれば昔、お話を覚えて語ったように、まるごと思えてしまえばいい。
という理由で覚え始めたものの、そこのところの記憶力はすっかり落ちてしまっていて、なかなか暗唱ができない。
まだまだ時間はある。お話の語りのようにやってみよう。

前半のコミカルなステージでは、「百万本の薔薇」の女優の役と、「別れても好きな人」の恋する女の役。で、その相手役は同居人。かなり恥ずかしい。
パントマイムをやっていた人が「解放された身体」で動くのだと言っていた。きっと、そこがポイントなんだろう。
解放された身体を用いた、解放された動き、そんな事を考えつつ・・

明日から3日間はクラスがあるから仕事モード。金曜日は夕方、別役実の劇を観に
神楽坂へ。
劇団「ヒッポッポッタマス」がやる別役実作「風に吹かれてドンキホーテ」
「卵の中の白雪姫」「歌うシンデレラ」、どれも興味深い。

さて演劇モードだ。
同居人が誕生日プレゼントに買ってくれた、録音のために上等なマイクと編集ソフトを使って朗読のレコーディングもこの週の仕事。


2008年04月13日(日) アファメーション、 この春に

そう、分っている。
ここをほったらかしにしていた。
ちょうど、庭の手入れをすっかり放棄するように、
その存在を気にかけながらも、
わざとのように、ここに入らずに過ごした。

書きモードから遠かった。
それは今も同じかもしれない。
でも書こうとする。
エネルギーの変換みたいなものが必要で、
書くことで自分を取り出そうと試みる。


4月3日、誕生日を迎えた。
かなりな年齢。
うれしくない数字。
しかし、60代や70代からすれば
かなりな若さ
そこはもうそう思い込むしかない。
若いのだと。
さて、どんな風にこの一年を生きる?


目標、美しくあること。
心も身体も想いも歩みも

海原に舟を漕ぎ出す漲りを忘れないこと。
決断、勇気、冒険、孤高

わたしをもう一度検証すること。
果たすべき課題、終わっていない宿題、描きかけの絵

今、この時にしかできないこと
今、この時にいただいているもの
今、この時まで待ったもの
今、この時に開かれるべきもの
それは何?


秋に植えた球根がいっせいに花を開き始めている。
ムスカリ
チューリップ
水仙

冬を耐えて株を広げ始めた花たち
パンジー
ビオラ
ストック
冬知らず
ノースポール

薔薇の枝に新しい芽
ハナミズキの花は日々大きくなって






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